夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

リメイク 松に冨士 田崎草雲筆 その1

2017-09-18 00:01:00 | 掛け軸
金曜日にテレビで放映された浅田次郎原作のドラマ「琥珀」を録画しておき、週末に観ましたがなかなかのいい味のドラマでした。寺尾聡と西田敏行、そして鈴木京香が出演していますが、還暦を過ぎようとする男の思いがうまく表現されています。人生は決して思うようには過ぎていかないもの、罪と悔恨などにさいなまれる部分も多々あるもの・・・。粋な音楽と名優の演技で久方ぶりに人生を味わえる作品でした。

さて男の隠れ家にある蒐集を始めたばかりの頃の作品・・。未整理な部分も多いので少し?持ち帰って整理を始めました。これらも小生の人生の歴史。



本日紹介する作品は以前に投稿された作品ですが、写真が不鮮明なために撮り直したことと資料の追加があるので再整理した作品です。

草雲の作品で思い出があるのは、かれこれ20年以上前に亡くなった義父が、義父の友人の経営する郷里の飲食店を訪れ、二階の宴会場に案内されて掛け軸を見せて頂いたことです。

その郷里の収集家から見せて頂いたのは、草雲の「韓信の股くぐり図」であり、くすんでいたのを洗い直して、綺麗な状態にしていたそうです。ある方に鑑定していただき真作と評価されたと自慢そうにしておりました。その時初めて「草雲」という画家を知ることとなりました。

今では誰も振り返ることの無くなった「田崎草雲」。「姿三四郎」における柔道とボクシングの格闘場面のモデルとされ、近代日本における異種格闘技戦の第1号とされる人物でもあり、また「国定忠治」と会ったことのある人物による唯一の肖像画は、田崎草雲によるものです。   

松に冨士 田崎草雲筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 箱入 
全体サイズ:横636*縦1963 画サイズ;横500*縦1275



本作品は田崎草雲が81歳(明治28年)の最晩年の作品です。



富岳図は草雲の最も得意とする画題であり、海外からの評価も高く人気がありました。賛には「草雲匠叟 当年八十一写白石山房中」とあります。



入手時に表具が痛んでおり、上記の郷里の収集家と同じように本作品も改装しております。

田崎草雲の作品は現在、下記の作品が所蔵されていますが、本作品は2011年7月にすでに投稿されています。

*興味のある方は「田崎草雲」にて本ブログ内で検索してみてください。

その1
松に冨士 田崎草雲筆 
絹装軸絹本水墨淡彩箱入 
画サイズ:横500*縦1275

その2
*松渓悲居 田崎草雲筆(*未投稿)
絹装軸絹本着色箱入 470*1195

その3
春塘楽事 浅絳山水図 田崎草雲筆
紙本淡彩軸装 軸先牙軸 
全体サイズ:縦2110*横450 画サイズ:縦1385*横335

その4
山水画双幅 田崎草雲筆
紙本着色軸装 軸先木製 鳥谷幡山鑑定箱入
全体サイズ:縦1965*横505 画サイズ:縦1230*横363

その5
雪景山水図 伝田崎草雲筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先 合箱入
全体サイズ:縦1800*横640 画サイズ:縦1280*横510

今回は男の隠れ家からの再整理での資料となりますので、「田崎草雲」についての来歴などの詳細は上記の作品の説明を参考にして下さい。


この作品を入手した頃には、パソコンなど自宅にはなく、ワープロで自分で作品の説明資料を作り、自作の栞として記録を残していたものです。もちろんデジカメなどもなく・・・。ただむしろこの頃のほうが丹念に調べたし、資料も手作りの感じがあります。

*インターネットの普及で調べることは格段に早くなりましたが・・・・

 

今では誰も振り返ることの無くなった「田崎草雲」と記しましたが、このレベルの作品は買おうとすると数万円、売ろうとすると1万円になればいいほうです。改装代金にもならないのが現状です。金銭的にみたら蒐集する意味のないものです。



*田崎草雲は他のブログにも記述しているように司馬遼太郎の短編「喧嘩草雲」のモデルとなっています。その内容についての記述を下記に他の短編で取り上げられている絵師の短編と共に投稿します。



*******************************

司馬遼太郎全集31所載の短編の内、その分野では有名な人物について記した短編を取り上げる。「喧嘩草雲」「天明の絵師」「蘆雪を殺す」は、おもしろいことに江戸後期に活躍した絵師についてである。

「喧嘩草雲」の主人公だけは、あまり有名ではなく田崎草雲(梅渓)という人物である。下野足利藩の足軽の子であるが、父と同様に内職で絵を描いていた。絵は富家のふすま絵や屏風などでそれなりに需要はある。この人物、絵も上手だが剣もなかなかの腕である。江戸で絵師の修業し、谷文晁にも学ぶ。自信家でもある。江戸で絵師仲間と交流する内に、このような性格だから刃傷沙汰を起こし、足利に帰る。時世が幕末動乱になり、人材がいない足利藩の舵取りを任せられるようになる。勤王の旗印を鮮明にして、商人・豪農に武士登用を持ちかけ、新式銃を購入させるという奇策で武備を充実させ、小藩ながら官軍として認知させ功績を上げる。この後、絵がいい意味で枯れてきて評価されるという話で面白い。




「天明の絵師」は、後に日本絵画において後に四条派という大河を造った松村呉春の話である。呉春は非常に器用な男で、商人としても成功はするし、横笛も上手いという者だ。もちろん絵も上手い。当初は与謝野蕪村に絵を習う。蕪村の絵は心が出るが、呉春は形だけというところだ。蕪村の娘との感情の綾も小説らしく折り込みながら筋は進む。師匠:蕪村の死後も器用な絵師として師家の生計を助けている。そこに天明の大火である。ここで円山応挙を知る。応挙は呉春の絵を認めていて、「あなたの絵は写実が向く」と助言する。呉春は応挙に師事するが客分として遇される。ここで応挙風の写実画を描き、多いに繁昌するという話だ。




「蘆雪を殺す」は応挙門人で、不羈奔放な長沢蘆雪の話である。蘆雪も剣技を学んだことがある。丹波亀山候の家来が藩公の指名ということで蘆雪に絵を頼む。この家来はなまじに絵が好きなものだから、蘆雪に応挙同様の絵を求める。蘆雪は自分らしい絵を描き、この家来に恥をかかせる。蘆雪があるときに、辻斬りに狙われる。この家来の縁者の恨みかとも気をまわす。その後、その家来の縁者でやはり絵を学ぶ者がいたが、この者に狙われると思い込みながら、変死するという変わった話であるが、蘆雪の性格、画風が想像できるような短編になっている。

*******************************


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。