昨日は転勤される方の壮行会。少し美味しい料理で、転勤先の話題で盛り上がりました。
転勤は私も10回しましたが、知らない土地に行くのは期待と不安の両方がありますが、行き先で楽しもうという気持ちが上回ることが肝要です。
転勤の少ない人は羨ましいと思うことがありますが、転勤の多いほうが物事に対する冷静な判断が出来るようになる気がします。
新首相の選挙・・岡田さんがシナリオ通りとほくそ笑んで発言されるのはいいですが、国策はひとつとしてシナリオ通り進んでいないということを忘れないでいただきたい。
増税をテコ入れとした財政再建は急務ですが、この経済不況が今後も続く状態ではかなり国民負担を強いることになるでしょうが、ここを乗り切らないと日本の将来はありえないので新しい首相にはこの辺をどう乗り切るかを期待したい。
まずは円高対策、経済不況対策でしょうね。増税して子供手当ということではますます日本の未来は暗くなります。
さて青木大乗の作品は「栗」に引き続き2作目になります。
力 青木大乗筆
紙本水墨10号 共シール
全体サイズ:縦740*横540 画サイズ:縦530*横335
入手時の説明には「韋駄天の姿を水墨で力強く描いた作品で、韋駄天の疾風感、剛健な力強さが見事に現われています。落款にも見られますとおり、比較的前期の作品ですが、以前の持主様が額装を新調した際に、作者ご本人に共シールを改めて頂いたものです。」とありました。
韋駄天:仏教の天神の一つ。ヒンドゥー教の軍神が仏教に取り入れられて、仏教の守護神になったもの。サンスクリット語ではスカンダSkandaとよばれ、これが塞建陀(そけんだ)、建陀(けんだ)などと訳された。「韋駄」(もしくは違駄)は「建駄」の誤字らしい。またスカンダは、アレクサンドロス大王の東方における呼び名イスカンダルIskandarに由来するといわれる。南方を守護する増長天(ぞうちょうてん)に属する八将の一つ。その像は甲冑(かっちゅう)を着け、合掌した腕の上に剣や独鈷(どっこ)をのせる。なお、疾走を意味する「韋駄天走り」という表現はこの神に由来する。
青木大乗:優れた洞察力による堅牢な写実画で知られる青木大乗。1891年(明治24年)大阪府出身の画伯は、21歳の時から関西美術院で洋画を、京都市立絵画専門学校で日本画を学び、洋画研究所「新澄社」を創設し、多くの若き画家たちを育てました。同社を解散後、洋画から日本画へ転向し、雅号を「大乗」としました。
'37年結城素明、川崎小虎らと「大日美術院」を結成して、伝統を尊重しながら、新しい日本画の創造を提唱。'52年同院が解散すると、どこにも属さず個展を中心に活動し、'62年以降、欧米や中国各地を歴訪し作品制作を続けました。
油彩から日本画、水墨画まで幅広く手掛けた画伯の作品は、静謐な空間構成の中にも、モチーフの力強い存在感があり、鑑賞者を圧倒するエネルギーにあふれています。
作品は、新潟県立近代美術館、佐久市立近代美術館などに収蔵されています。昨今では日本画と洋画の垣根を取り払う傾向が珍しくありませんが、そのパイオニアと呼ぶべき画家の一人が青木大乗です。洋画から日本画に移った当初は、東京と京都の両画壇にコネクションがなく、相当に苦労したようですが、油彩の利点を取り入れた画風は、後に新時代の創造を成し遂げました。こうしたアウトサイダーな活躍と、既成団体から距離をとった姿勢は「野武士的存在」と言われ、結果として他の追随を許さないオリジナリティ溢れる作風を築き上げました。
転勤は私も10回しましたが、知らない土地に行くのは期待と不安の両方がありますが、行き先で楽しもうという気持ちが上回ることが肝要です。
転勤の少ない人は羨ましいと思うことがありますが、転勤の多いほうが物事に対する冷静な判断が出来るようになる気がします。
新首相の選挙・・岡田さんがシナリオ通りとほくそ笑んで発言されるのはいいですが、国策はひとつとしてシナリオ通り進んでいないということを忘れないでいただきたい。
増税をテコ入れとした財政再建は急務ですが、この経済不況が今後も続く状態ではかなり国民負担を強いることになるでしょうが、ここを乗り切らないと日本の将来はありえないので新しい首相にはこの辺をどう乗り切るかを期待したい。
まずは円高対策、経済不況対策でしょうね。増税して子供手当ということではますます日本の未来は暗くなります。
さて青木大乗の作品は「栗」に引き続き2作目になります。
力 青木大乗筆
紙本水墨10号 共シール
全体サイズ:縦740*横540 画サイズ:縦530*横335
入手時の説明には「韋駄天の姿を水墨で力強く描いた作品で、韋駄天の疾風感、剛健な力強さが見事に現われています。落款にも見られますとおり、比較的前期の作品ですが、以前の持主様が額装を新調した際に、作者ご本人に共シールを改めて頂いたものです。」とありました。
韋駄天:仏教の天神の一つ。ヒンドゥー教の軍神が仏教に取り入れられて、仏教の守護神になったもの。サンスクリット語ではスカンダSkandaとよばれ、これが塞建陀(そけんだ)、建陀(けんだ)などと訳された。「韋駄」(もしくは違駄)は「建駄」の誤字らしい。またスカンダは、アレクサンドロス大王の東方における呼び名イスカンダルIskandarに由来するといわれる。南方を守護する増長天(ぞうちょうてん)に属する八将の一つ。その像は甲冑(かっちゅう)を着け、合掌した腕の上に剣や独鈷(どっこ)をのせる。なお、疾走を意味する「韋駄天走り」という表現はこの神に由来する。
青木大乗:優れた洞察力による堅牢な写実画で知られる青木大乗。1891年(明治24年)大阪府出身の画伯は、21歳の時から関西美術院で洋画を、京都市立絵画専門学校で日本画を学び、洋画研究所「新澄社」を創設し、多くの若き画家たちを育てました。同社を解散後、洋画から日本画へ転向し、雅号を「大乗」としました。
'37年結城素明、川崎小虎らと「大日美術院」を結成して、伝統を尊重しながら、新しい日本画の創造を提唱。'52年同院が解散すると、どこにも属さず個展を中心に活動し、'62年以降、欧米や中国各地を歴訪し作品制作を続けました。
油彩から日本画、水墨画まで幅広く手掛けた画伯の作品は、静謐な空間構成の中にも、モチーフの力強い存在感があり、鑑賞者を圧倒するエネルギーにあふれています。
作品は、新潟県立近代美術館、佐久市立近代美術館などに収蔵されています。昨今では日本画と洋画の垣根を取り払う傾向が珍しくありませんが、そのパイオニアと呼ぶべき画家の一人が青木大乗です。洋画から日本画に移った当初は、東京と京都の両画壇にコネクションがなく、相当に苦労したようですが、油彩の利点を取り入れた画風は、後に新時代の創造を成し遂げました。こうしたアウトサイダーな活躍と、既成団体から距離をとった姿勢は「野武士的存在」と言われ、結果として他の追随を許さないオリジナリティ溢れる作風を築き上げました。