夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

木彫裸婦像 円鍔勝三作 1955年頃?

2022-05-16 00:01:00 | 彫刻
今は畑でサヤエンドウやスナックエンドウの収穫期。息子は自分もやると言い出して、授業のある日の朝早くから眠い目をこすりながらも駆け足で畑へ・・。採れたてはともかく美味しい。



さて本日は木彫の作品紹介です。

家に古くからある共箱がついた観音像の作品がありますが、その箱書が読めなくて「▢三」と読めたので、円鍔勝三の作ではないかと思い調べたことがありました。結局今では円鍔勝三の作ではないと判断していますが、男の隠れ家の母の寝室であった部屋に飾っています。それ以来いつかは欲しいと思っていた円鍔勝三の木彫でしたが、なかなか縁がなく入手できていませんでした。今回はその円鍔勝三の作らしき作品を入手したので紹介します。


木彫裸婦像 伝円鍔勝三作 1955年頃?
合箱
幅160*高さ570

 

非常に手取りの軽い作品ですが、材質はなんでしょう?


圓鍔勝三の略歴は下記のとおりです。

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圓鍔勝三:(えんつば かつぞう) 1905年11月30日 ~2003年10月31日) 広島県出身の彫刻家。文化功労者、文化勲章受章、広島県名誉県民、尾道市名誉市民。本名は勝二。


広島県御調郡河内村(現・尾道市御調町)出身。
1905年(明治38年)11月30日、広島県御調郡河内町(現御調町)に生まれる。
1921年(大正10年)河内尋常高等小学校高等科を卒業し、彫刻家を志して京都へ赴き、石割秀光の内弟子となって木彫を学ぶ。
1926年、京都市立商工専修学校彫刻科・デッサン科に入学。また同年、関西美術院に入り、木彫から近代的造形を学ぶ。
1928年(昭和3年)に上京し、日本美術学校彫刻科へ入学。同校在学中の1930年、第11回帝展に「星陽」を出品して初入選。翌年の第12回帝展に「みのり」を出品して再び入選する。
1932年、母が娘に紅を差す何気ない日常の一瞬を描写した「初夏」を第3回文展に出品、特選を受賞。
日本美術学校を卒業後、彫刻家の澤田政廣に師事。


1939年、第3回新文展に木彫「初夏」を出品して特選を受賞。
1941年、澤田政廣や三木宗策の主導する正統木彫家協会に会員として参加する。
1943年、北海道の炭鉱推進隊員として中村直人、古賀忠雄、木下繁らと激励彫刻を制作し、これ以降1945年まで九州・常盤の各炭鉱をまわって制作を行う。
戦後、1946年秋の第2回日展で木彫「砂浜」によって特選を受賞。
1947年、多摩美術学校(現多摩美術大学)助教授となる。同年、第3回日展に木彫「しろうさぎ」を招待出品し、特選受賞。


1950年、多摩美術短期大学教授に就任する。同年、第6回日展に木彫「土器を持つ女」を出品して特選受賞。
1951年に設立された日本陶彫会に参加し、1975年まで出品を続ける。
1952年、日本彫塑会会員となる。
1953年、多摩美術大学教授となる。
1957年、木彫「幻想」を出品して川合玉堂賞を受賞。
1960年、名前を勝三に改名。


1962年、日展評議員に就任。
1965年、第8回日展に出品した「旅情」が文部大臣賞、日本芸術院賞(1966年)。
1968年、日本美術家連盟委員、日本彫塑家協会委員長に就任。
1969年日展理事、翌年日本芸術院会員。
1971年、日展常務理事に就任。同年、紺綬褒章受章。1976年、勲三等瑞宝章受章。
1980年、日本彫刻会理事長に就任。同年、神奈川県文化賞受賞。
1981年、日展顧問に就任。同年、御調町名誉町民第1号に登録される。


1982年、文化功労者。
1988年、文化勲章を受章。
1989年、広島県名誉県民に登録される。同年、自伝「わが人生」を出版。


1991年、川崎市名誉市民に登録される。
1993年、伊勢神宮に「神馬」を奉納。同年、圓鍔勝三彫刻美術館、圓鍔記念公園が開館。1997年自伝「続・わが人生」を出版。
2003年10月31日、鬱血性心不全のため死去。


創作初期には木彫を中心に制作したが、戦後はブロンズや陶磁、樹脂などの素材を用い、それらを混合した表現も行った。戦後、抽象表現を取り入れる作家が多い中で、創作初期から写実を基に簡略化した人体像をモティーフとし、具象彫刻による新たな造形を模索した。「幻想」「星羅」「夢 夢 夢」などロマンティックな主題を表象する作風を示したとされる。晩年まで作家活動を行い、生涯創作意欲が枯れることはなかった。


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同じポーズの作品が2018年6月頃にオークションに出品されている記録があります。


同じポーズの作品が複数あるのでしょうか?


冒頭で記述のとおり、非常に手持ちの軽い素材が使われています。


木彫にも贋作が多いので、素人の当方には皆目見当がつきません。


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円鍔勝三の言葉から:すきこそ物の上手なれ、という言葉があるが、何をどの位すきなのか、夢に再三見る位なら熱のこもれる証しでしょう。一度生を受けた以上は、人生は如何にあるべきか、如何に生きていくべきかを熟慮、職業の如何にかかわらず、一旦決めたらまっしぐらに、自己発見と表現の開発に前進する事、それは真心でもあり、意志を堅固に己が心と、努力とで実行すべきでありましょう。

「汗なき人生は堕落なり。愛なき社会は暗黒なり。」この言葉は子供の頃よく聞かされた言葉で今も忘れない。

常に前途に横たわる不安と、光明、人生の総ては試練の道場でもある。何時も初心を繰返し繰返し燃焼する事は、原点に戻る事でもあり、別の何かが新しく生まれて来る様に思います。

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「常に前途に横たわる不安と、光明、人生の総ては試練の道場でもある。何時も初心を繰返し繰返し燃焼する事は、原点に戻る事でもあり、別の何かが新しく生まれて来る様に思います。」は胸に沁みわたる言葉です。


幾つになっても人はそうありたい・・。


そんな言葉を思い浮かべながら作品をじっくりと鑑賞中・・・。




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