今年の五月の連休は「男の隠れ家」に帰省も出来ず、自宅でゴロゴロ・・。とはいえやりたいことはたくさんあるので、時間は持て余すことは全くない。マスコミで自粛の際の自宅での時間の過ごし方などを取り上げていますが、趣味にある人間には全く耳を貸す必要のない話題です。
さてそれでも気分転換の必要が出てくるとたまには読書となります。息子はそういう時も小生から離れませんが、聞き分けのいい子?でおとなしく自分の趣味?に没頭しています。
小生がこの度、夢中で読んでいたのは「流浪の月」(風良ゆう著)ですが、この本は面白くてあっという間に読んでしまいました。主人公らの心情が小生には痛いほど解る内容でした。興味にある方はどうぞ・・・。骨董とは無縁の内容ですが・・・。
本日は最近、ながらく挑戦している平福百穂の作品の紹介です。筋の良い作品であり、真作と判断しています。読書にちなんで「文豪」という仮題・・。
(仮題)文豪 平福百穂筆 大正末年(1925年)頃 その121
紙本水墨軸装 軸先象牙 合箱二重箱
全体サイズ:縦1520*横560 画サイズ:縦275*横270
本作品は仮題として「文豪」としてあります。描かれたのは容貌から伊藤左千夫なのか自画像なのか、はたまた全くの別人かは不明です。平福百穂には徳富蘇峰らのスケッチもありますね。印章は真印で大正半ばから末年まで押印されていると思われる印章です。
作品が貼られている周囲の和紙も品、センスのあるものが使用されています。
このような品のある表具の凝り方は贋作にはないものです。
贋作にも表具を念入りに凝ったものはありますが、贋作にはなぜかしら厭らしさが滲み出るものです。この表具だけでも鑑賞に値します。
1903年(明治36年)頃から平福百穂は伊藤左千夫と親しくなりアララギ派の歌人としても活動し、歌集「寒竹」を残しています。
写真:平福百穂
写真:伊藤左千夫
平福百穂の贋作は非常に多いのですが、贋作の多くが押印されている印章の印影が真印と違っていたり、資料に印章が押印されています。
当方では所蔵作品や資料から印章はある程度記憶されていますので、印章は真贋の判断のポイントになります。
左:画集作品より印章(真印) 1925年(大正14年)「青岱」
右:本作品の印章
なぜ印章だけの作品なのでしょうか? 百穂の席画程度の作品には手書きの印章のみの作品もありますが、本作品は「相手に敬意を表した」か、あるいは「自画像」故か? いずれなにゆえかは解りかねていますが、実に品がよく、面白くていい作品だと思います。しばらく展示室に飾っていますが、当方の平福百穂の所蔵作品の中でもかなりいい出来の作品と悦に入っています。
読書も骨董の無我夢中で我を忘れるものがいい・・、ちなみに読書が趣味というのはいただけない。息子の動画鑑賞と同じレベル・・・。