夜噺骨董談義

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氏素性の解らぬ作品 東方朔像 伝平櫛田中作 その3(整理番号)

2017-03-30 00:01:00 | 彫刻
西王母、そしてその桃、漢の武帝、本日の取り上げる東方朔の関係を知らぬ人は多いかも知れませんね。西王母の桃や東方朔については何度か本ブログでも作品を紹介していますので、読書の中にはご承知の方も多いかもしれませんが・・。


氏素性の解らぬ作品 東方朔像 伝平櫛田中作 その3(整理番号)
合箱
高さ315*幅110*奥行168



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東方 朔(とうほう さく):紀元前154年 - 紀元前92年)は、前漢・武帝時代の政治家。字は曼倩。平原郡厭次県(現在の山東省陵県神頭鎮、もしくは山東省恵民県)の人。武帝に「今年22歳になり、勇猛果敢、恐れを知らず、知略に富んでいるので、大臣に向いていると思う」と自ら推薦状を送った。これを武帝が気に入り、常侍郎や太中大夫といった要職につかせた。

後の歴史書などには、彼の知略知己に富む様子がしだいに神格化され始め、ついには下界に住む仙人のように描かれることとなった。

唐代の詩人李白は彼のことを「世人不識東方朔、大隐金門是謫仙」と褒め称えている。また、滑稽な行為をすることでも知られ、中国では相声(中国式の漫才のようなもの)などのお笑いの神様として尊敬されている。



補足

斉の出身で古文書や経学を愛し、雑書・史伝を広く読んでいた。初めて長安に入ったときに、3000枚の竹簡に書かれた上書を提出し、武帝は2ヶ月かけて読み終え、朔を郎官に任命した。その後は側近としてしばしば、武帝の話し相手を務めていた。



気性の激しい武帝も東方朔と話せば上機嫌となり、金品を賜ったり食事の陪席を命じる事も度々であったという。武帝に食事を招待されたときには、食べ残しの肉をすべて懐に入れて持ち帰ろうとして服を汚すのが常であり、下賜された銭・帛を浪費して、長安の若い美女を次々と娶り一年もたつと捨てて顧みないという暮らしをしていた。これは、采陰補陽という一種の修身法であったが、それを知らない同僚には狂人扱いされていたという。武帝はそれでも「朔に仕事をさせれば、彼ほどの仕事ぶりを示す者はいないだろう」と評価していた。



博士たちが戦国時代の賢者たちと比較して、朔を非難したことがある。その博聞弁智を抱えて無為に過ごし、官は侍郎で位は執戟にすぎないのはどうしたわけなのか、と。朔は「天下に災害がなければ聖人がいたとしてもその才を施すところがない。上下が和同していれば、賢者がいたとしても功を立てるところはない」という古諺を引いて、戦国と漢代は違うこと、自分が学を修め道を行うのは出世のためではない、という所信を述べている。



朔は息子を郎官にしてもらい、その息子は「侍謁者」となり、都を出て使いするようになった。老齢になり死期が近づいたときに武帝に讒言を斥けるように諫めて、まもなく病死した。司馬遷は「鳥がまさに死なんとするときは、その鳴き声は哀しい」と東方朔をたたえ、朝廷の中にいて世を避けたと自認するこの賢人に共感を抱いていたことがわかる。



朔の博学については騶牙という動物を見てその名と遠方の国が漢に帰属しようとする瑞祥であることを言い当てたり(『史記』)、函谷関で武帝の行き先をふさいだ牛に似た怪物を患と見抜き、酒を注いで消す方法を教えた(『捜神記』)などの逸話がある。



怪現象の権威とみなされたせいか、伝奇を集めた『神異録』の著者に擬せられたり、『漢武故事』では「東方國獻短人。帝呼東方朔。朔至、短人指謂上曰、王母種桃、三千歳一子。此子不良。已三過偸之矣」、つまり西王母が植えた三千年に一度しかならない桃の実を三つも盗んだであるとか、張華が撰述した『博物志』でも「西王母七夕降九華殿。以五桃與漢武帝。東方朔從殿東廂朱鳥中窺之。王母曰、此窺小兒。嘗三來盗吾此桃」と同じような荒唐無稽な逸話が東方朔について創作されている。日本の能の演目『東方朔』では、朔は仙人として登場する。

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本作品は箱には納められてはいるものの共箱ではなく彫銘だけであり、出来からも平櫛田中の作という点では信憑性がうすいと思われます。ただなんといっても吉兆の像です。



西王母の桃を盗んで食べ、八百歳もの長寿を得ることができたとして知られるこの仙人は、おめでたい画題として像や画題にしばしば取り上げられています。。



当方の所蔵作品には下記の作品があります。

西王母・東方朔図 大西椿年筆
絹本着色軸装 軸先象牙 合箱
全体サイズ:横620*縦1990 画サイズ:横510*縦1120



平櫛田中の作品には代表的な作品として下記の作品があります。

参考作品
東方朔(とうぼうさく) 平櫛田中作
木彫彩色 昭和49年(102歳) 高 46.0cm
小平市 平櫛田中彫刻美術館蔵



菜食といい、参考作品はやはり出来がいいですね。

作品の手前の盃は赤絵の作品。



ちょっと品がいいので気に入っています。



箱にはどなたかの署名で「江戸初」とあるのですが・・。



その信憑性は別としてこういう箱は私は嫌いではありません。



明末の呉須赤絵ということか? 京焼の日本製か?



可愛らしい器です。



ともかく氏素性の解らぬ作品はそろそろ卒業か





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