ザルツブルク音楽祭で感染者が出た。月曜日に喉の調子が悪かった事務所の女性がテストを受けた。陽性者が二人見付かり、同僚の十人ほどとあるのでメンヒスベルクの事務所内ではなかろうか。小ホールの楽屋入り口もトスカニーニプラッツで皆同じだ。勿論彼女だけが感染していたならば問題はないが、十万人程の人口の市街地でこの二週間で19人も出ていて、指数は11を超えている。因みにフランクフルトが3で、ベルリンが7なので可成り高い。
そこで追跡調査としてメモのあった全ての人を洗ったという。本人と接触2m以下15分以上の濃密、更に2m以上15分未満と二種類の人物を十人ほど検査した。二名だけが陽性で、その他は再検査となるようだが、ドイツから夏の間だけ働きに来ている女性がどこでうつったかは分からない。陽性者数からすれば街中で感染した可能性もある。
これだけの条件で舞台の上や裏で感染が広がらないなんて言うことは珍しい。先週の百周年記念放送がオンデマンドになっていて取締役ヒンターホイザーが語っているのを聞くと、少々感染者が出てきてもやる覚悟でいる。問題は隔離をしているうちにパーソナルに不都合が出来てくることではないかと思う。
なによりもおかしいと思ったのは、感染者、接触者の調査対象範囲を広めての「2m以上」は、まさしく客席にも舞台上にも当てはまらない程の非濃密接触である。接触が長く同じ場所でというのがオペラや演奏会であって、一体演奏家や聴衆を何と思っているのだと言いたくなる。これで足の遠のく人が増えるだろう。
ザルツブルク音楽祭に出かけるにしても、いつどれに行こうかと考えている。そもそも再開後もあまり売れていないという話しをベルリナーフィルハーモニカーのツェッチマン支配人が英語のインタヴューに答えて語っている。券の販売からの収入が全予算の六割となっていて、席の支配は五六割が定期会員だとしている。
ドイツの他の管弦楽団の定期会員は今回二三割減少したのに比較して、大ホールで僅か3.8%の減少に留まり、室内楽ホールで解約無しとなったとされる。それゆえに、オープニングの収容人員四分の一までの制限で、また舞台上では年末までは最大60人編成でのプログラムしかできないことで、その反応を見たいとしている。よって、八月冒頭に発表されるプランBに於いてはプログラムを其の侭に一部マーラーとか合唱曲などの大編成の楽曲が不可能となって、休憩時間無しに行われるということだ。
また、「先日のドルトムントにおいても一人陽性者が出ると多くの人が隔離されなければいけないなどと話されていた」など、一部にはお構いなしに出かけるという人がいる一方、安全になるまで待とうという慎重な人が常連さんにも少なくないというのである。
これは実際にヴィースバーデンとドルトムントへと出かけて、またフランクフルトでの売れ方などを見ていて、既に確認している。反対にミュンヘンなどでは一気に売れたことなど、需要と供給の関係が興味深い。前記ザルツブルクでの第一次第二次の残券状況はその事情を示している。
「ゲルンュペル」2017年産の二本目を開けた ― 一本目はコルクで判断がつかなかった。十年先を愉しみたいリースリングであるが、酸がもう一つ弱く魅力的ではないのであまり期待できない。開けるワインが無いからであるが、やはりまだ果実風味が強く、飲み頃からは遠かった。若過ぎる。しかし、酸がやはりもう一つ愉しめない。全く欠点は無いのだが、繊細さにも欠けて面白くない。その味を反映して色も濃い。これは何十年経っても最後まで変わらない。
お隣さんが亡くなった。百歳を過ぎていた。最後まで一人で生活していた。十数年前にはまだ自転車を走らせていた。最後に挨拶したのはコロナ開放後の五月だと思う。近くには寄れなかったので元気はなかったが、会釈する程度だった。その前はコロナ前で、いつものように何かを苦情していたと思う。そして車を運転していた。同じ屋根の下に住んでいるのではないので、いつ病院に運ばれたかも知らない。少なくとも死後腐るまで見付からなかったのではなくてよかった。憎まれ者世に憚るの爺さんだったが、最後まで老人ホームに行くのを拒んでいたのは大したものだ。昨年までは市役所に行って苦情していた筈だ。あそこまで憎まれ者でなく、とてもあそこまでの覇気は自分自身には無いと思う。故人は帰来の憎まれ者だった。三十年程前に一度は他のお隣さんに殴られていた筈だ。勿論殴った方は裁判で散々虐められたと思う。
参照:
百周年ザルツブルク祭計画 2020-07-09 | 雑感
脱ガイストシュピール 2020-05-25 | 文化一般
そこで追跡調査としてメモのあった全ての人を洗ったという。本人と接触2m以下15分以上の濃密、更に2m以上15分未満と二種類の人物を十人ほど検査した。二名だけが陽性で、その他は再検査となるようだが、ドイツから夏の間だけ働きに来ている女性がどこでうつったかは分からない。陽性者数からすれば街中で感染した可能性もある。
これだけの条件で舞台の上や裏で感染が広がらないなんて言うことは珍しい。先週の百周年記念放送がオンデマンドになっていて取締役ヒンターホイザーが語っているのを聞くと、少々感染者が出てきてもやる覚悟でいる。問題は隔離をしているうちにパーソナルに不都合が出来てくることではないかと思う。
なによりもおかしいと思ったのは、感染者、接触者の調査対象範囲を広めての「2m以上」は、まさしく客席にも舞台上にも当てはまらない程の非濃密接触である。接触が長く同じ場所でというのがオペラや演奏会であって、一体演奏家や聴衆を何と思っているのだと言いたくなる。これで足の遠のく人が増えるだろう。
ザルツブルク音楽祭に出かけるにしても、いつどれに行こうかと考えている。そもそも再開後もあまり売れていないという話しをベルリナーフィルハーモニカーのツェッチマン支配人が英語のインタヴューに答えて語っている。券の販売からの収入が全予算の六割となっていて、席の支配は五六割が定期会員だとしている。
ドイツの他の管弦楽団の定期会員は今回二三割減少したのに比較して、大ホールで僅か3.8%の減少に留まり、室内楽ホールで解約無しとなったとされる。それゆえに、オープニングの収容人員四分の一までの制限で、また舞台上では年末までは最大60人編成でのプログラムしかできないことで、その反応を見たいとしている。よって、八月冒頭に発表されるプランBに於いてはプログラムを其の侭に一部マーラーとか合唱曲などの大編成の楽曲が不可能となって、休憩時間無しに行われるということだ。
また、「先日のドルトムントにおいても一人陽性者が出ると多くの人が隔離されなければいけないなどと話されていた」など、一部にはお構いなしに出かけるという人がいる一方、安全になるまで待とうという慎重な人が常連さんにも少なくないというのである。
これは実際にヴィースバーデンとドルトムントへと出かけて、またフランクフルトでの売れ方などを見ていて、既に確認している。反対にミュンヘンなどでは一気に売れたことなど、需要と供給の関係が興味深い。前記ザルツブルクでの第一次第二次の残券状況はその事情を示している。
「ゲルンュペル」2017年産の二本目を開けた ― 一本目はコルクで判断がつかなかった。十年先を愉しみたいリースリングであるが、酸がもう一つ弱く魅力的ではないのであまり期待できない。開けるワインが無いからであるが、やはりまだ果実風味が強く、飲み頃からは遠かった。若過ぎる。しかし、酸がやはりもう一つ愉しめない。全く欠点は無いのだが、繊細さにも欠けて面白くない。その味を反映して色も濃い。これは何十年経っても最後まで変わらない。
お隣さんが亡くなった。百歳を過ぎていた。最後まで一人で生活していた。十数年前にはまだ自転車を走らせていた。最後に挨拶したのはコロナ開放後の五月だと思う。近くには寄れなかったので元気はなかったが、会釈する程度だった。その前はコロナ前で、いつものように何かを苦情していたと思う。そして車を運転していた。同じ屋根の下に住んでいるのではないので、いつ病院に運ばれたかも知らない。少なくとも死後腐るまで見付からなかったのではなくてよかった。憎まれ者世に憚るの爺さんだったが、最後まで老人ホームに行くのを拒んでいたのは大したものだ。昨年までは市役所に行って苦情していた筈だ。あそこまで憎まれ者でなく、とてもあそこまでの覇気は自分自身には無いと思う。故人は帰来の憎まれ者だった。三十年程前に一度は他のお隣さんに殴られていた筈だ。勿論殴った方は裁判で散々虐められたと思う。
参照:
百周年ザルツブルク祭計画 2020-07-09 | 雑感
脱ガイストシュピール 2020-05-25 | 文化一般