ミュンヘンからの中継を観た。次期音楽監督ウラディミール・ユロスキー指揮の待降節チャリティーコンサート中継である。先ず、コレルリのクリスマス協奏曲で初めてタルティーニのトラムペット協奏曲、モーツァルトの小ト短調交響曲、ヨーナス・カウフマンが歌うクリスマス向き歌曲三曲、クリスマスオラトリオ第一部とするプログラミングがなかなか良かった。主催のBMW向きのものかもしれないが、この指揮者がコマーシャリズムとの上手な付き合い方をキャリアーの中で構築してきた妙のようなものも感じられる。
トラムペットは2018年から入っている奏者のようだが、鮮やかさも無く、通常のソリストとしては物足りないが、それはそれなりに指揮者も付けていた。その付け方が前任者のキリル・ペトレンコとはやはり違うと思った。ペトレンコの場合は「どんなソリスツでも合わせて見せましょう、こちらはこっちで」といった塩梅で、先日観た藤田に合わせたゲルギーエフの様に音楽をソリスツと作ってしまうのとは正反対で、ユロスキーはその中間ぐらいかもしれない。とても慎重な感じがした。
同時にチームワークでやりたいと語っているように、楽員の創意工夫も期待する様なところがあり、テオレルベを入れた楽器編成でも少数のコンツェルトグロッソの指揮を貫いていた感じがする。この人が良く語っているように、楽曲の歴史的な位置づけとかそういうものが基本コンセプトにあるのだろう。立奏をさせているのはモスクワでのヴィデオなどでもお馴染だったが、演奏者と何かを創造して行こうという姿は窺える。やはりミュンヘンでの音楽監督時代には、劇場がもっているノウハウなどを有効に廻して行きながら新支配人と新たに開拓して行こうという姿勢は理解した。舞台裏も舞台の上も下も聴衆も同様にワクワクするような劇場活動が期待されるところだ。
音楽的には、ト短調でも分かったが、デモーニッシュな指揮と言われるように表情が濃く出るが、楽曲を通した形式感とかの表現は若干薄い。やはり劇場作品などの枠がある方が才能を発揮できると思う。キャリアの上でここで何処まで成功するかが問われているのは当然だ。楽団の方は状態は可成りいいので、良い演出の成功する舞台が欠かせない。指揮者の音楽性からしても、この座付管弦楽団の個性は決して相性が悪くないと思う。深い意味、深い音が響く上演が待ち遠しい。
そうした意味からも、カウフマンへの合わせ方も一番いいところを引き出すようなそれで、二人ともそうした魅せ方聴かせ方を熟知しているというような感じである。あのメータでさえも三人のテノールの伴奏をしていたことを考えれば何も否定的な事ではない。そもそもオペラなんてそうしたワクワク感の重ね合わせだと思う。又それでいいのだ。セルジュ・ドルニー支配人の下でのユロスキー音楽監督体制では演出などが嵌る時は前体制よりもさらに大きな話題になると予想する。
今年初めのコンサートに登場の時にモーツァルトのドッペルコンツェルトとブルックナーを振ったようだが、今その評を読むと殆ど上の感想と全く同じ事が書いてあって、メータ以後出なかったモーツァルト指揮者としてもより期待されている。
参照:
DAS KÖNNTEN SCHÖNE JAHRE WERDEN, Bernhard Neuhoff, BR-Klassik vom 13.01.2020
ミュンヘンでの期待 2020-10-08 | マスメディア批評
歴史文化まで語る手腕 2019-12-23 | 音
トラムペットは2018年から入っている奏者のようだが、鮮やかさも無く、通常のソリストとしては物足りないが、それはそれなりに指揮者も付けていた。その付け方が前任者のキリル・ペトレンコとはやはり違うと思った。ペトレンコの場合は「どんなソリスツでも合わせて見せましょう、こちらはこっちで」といった塩梅で、先日観た藤田に合わせたゲルギーエフの様に音楽をソリスツと作ってしまうのとは正反対で、ユロスキーはその中間ぐらいかもしれない。とても慎重な感じがした。
同時にチームワークでやりたいと語っているように、楽員の創意工夫も期待する様なところがあり、テオレルベを入れた楽器編成でも少数のコンツェルトグロッソの指揮を貫いていた感じがする。この人が良く語っているように、楽曲の歴史的な位置づけとかそういうものが基本コンセプトにあるのだろう。立奏をさせているのはモスクワでのヴィデオなどでもお馴染だったが、演奏者と何かを創造して行こうという姿は窺える。やはりミュンヘンでの音楽監督時代には、劇場がもっているノウハウなどを有効に廻して行きながら新支配人と新たに開拓して行こうという姿勢は理解した。舞台裏も舞台の上も下も聴衆も同様にワクワクするような劇場活動が期待されるところだ。
音楽的には、ト短調でも分かったが、デモーニッシュな指揮と言われるように表情が濃く出るが、楽曲を通した形式感とかの表現は若干薄い。やはり劇場作品などの枠がある方が才能を発揮できると思う。キャリアの上でここで何処まで成功するかが問われているのは当然だ。楽団の方は状態は可成りいいので、良い演出の成功する舞台が欠かせない。指揮者の音楽性からしても、この座付管弦楽団の個性は決して相性が悪くないと思う。深い意味、深い音が響く上演が待ち遠しい。
そうした意味からも、カウフマンへの合わせ方も一番いいところを引き出すようなそれで、二人ともそうした魅せ方聴かせ方を熟知しているというような感じである。あのメータでさえも三人のテノールの伴奏をしていたことを考えれば何も否定的な事ではない。そもそもオペラなんてそうしたワクワク感の重ね合わせだと思う。又それでいいのだ。セルジュ・ドルニー支配人の下でのユロスキー音楽監督体制では演出などが嵌る時は前体制よりもさらに大きな話題になると予想する。
今年初めのコンサートに登場の時にモーツァルトのドッペルコンツェルトとブルックナーを振ったようだが、今その評を読むと殆ど上の感想と全く同じ事が書いてあって、メータ以後出なかったモーツァルト指揮者としてもより期待されている。
参照:
DAS KÖNNTEN SCHÖNE JAHRE WERDEN, Bernhard Neuhoff, BR-Klassik vom 13.01.2020
ミュンヘンでの期待 2020-10-08 | マスメディア批評
歴史文化まで語る手腕 2019-12-23 | 音