Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ワクワクの集積オペラ

2020-12-16 | 
ミュンヘンからの中継を観た。次期音楽監督ウラディミール・ユロスキー指揮の待降節チャリティーコンサート中継である。先ず、コレルリのクリスマス協奏曲で初めてタルティーニのトラムペット協奏曲、モーツァルトの小ト短調交響曲、ヨーナス・カウフマンが歌うクリスマス向き歌曲三曲、クリスマスオラトリオ第一部とするプログラミングがなかなか良かった。主催のBMW向きのものかもしれないが、この指揮者がコマーシャリズムとの上手な付き合い方をキャリアーの中で構築してきた妙のようなものも感じられる。

トラムペットは2018年から入っている奏者のようだが、鮮やかさも無く、通常のソリストとしては物足りないが、それはそれなりに指揮者も付けていた。その付け方が前任者のキリル・ペトレンコとはやはり違うと思った。ペトレンコの場合は「どんなソリスツでも合わせて見せましょう、こちらはこっちで」といった塩梅で、先日観た藤田に合わせたゲルギーエフの様に音楽をソリスツと作ってしまうのとは正反対で、ユロスキーはその中間ぐらいかもしれない。とても慎重な感じがした。

同時にチームワークでやりたいと語っているように、楽員の創意工夫も期待する様なところがあり、テオレルベを入れた楽器編成でも少数のコンツェルトグロッソの指揮を貫いていた感じがする。この人が良く語っているように、楽曲の歴史的な位置づけとかそういうものが基本コンセプトにあるのだろう。立奏をさせているのはモスクワでのヴィデオなどでもお馴染だったが、演奏者と何かを創造して行こうという姿は窺える。やはりミュンヘンでの音楽監督時代には、劇場がもっているノウハウなどを有効に廻して行きながら新支配人と新たに開拓して行こうという姿勢は理解した。舞台裏も舞台の上も下も聴衆も同様にワクワクするような劇場活動が期待されるところだ。

音楽的には、ト短調でも分かったが、デモーニッシュな指揮と言われるように表情が濃く出るが、楽曲を通した形式感とかの表現は若干薄い。やはり劇場作品などの枠がある方が才能を発揮できると思う。キャリアの上でここで何処まで成功するかが問われているのは当然だ。楽団の方は状態は可成りいいので、良い演出の成功する舞台が欠かせない。指揮者の音楽性からしても、この座付管弦楽団の個性は決して相性が悪くないと思う。深い意味、深い音が響く上演が待ち遠しい。

そうした意味からも、カウフマンへの合わせ方も一番いいところを引き出すようなそれで、二人ともそうした魅せ方聴かせ方を熟知しているというような感じである。あのメータでさえも三人のテノールの伴奏をしていたことを考えれば何も否定的な事ではない。そもそもオペラなんてそうしたワクワク感の重ね合わせだと思う。又それでいいのだ。セルジュ・ドルニー支配人の下でのユロスキー音楽監督体制では演出などが嵌る時は前体制よりもさらに大きな話題になると予想する。

今年初めのコンサートに登場の時にモーツァルトのドッペルコンツェルトとブルックナーを振ったようだが、今その評を読むと殆ど上の感想と全く同じ事が書いてあって、メータ以後出なかったモーツァルト指揮者としてもより期待されている。



参照:
DAS KÖNNTEN SCHÖNE JAHRE WERDEN, Bernhard Neuhoff, BR-Klassik vom 13.01.2020
ミュンヘンでの期待 2020-10-08 | マスメディア批評
歴史文化まで語る手腕 2019-12-23 | 音
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コンセプトが欠けていると

2020-12-15 | マスメディア批評
春の日和と聞いた。陽が陰ると寒い。今週来週と最高気温摂氏二桁台に乗るとされているが、陽射しが無いとやはり辛い。散髪のお蔭で可成り気分は良い。今回のロックダウンは1月10までだが、その後も通学となっても一月二月と感冒の季節ゆえに続くとされている。ワクチンの効果を加えた新たなコンセプトを出して欲しい。

日曜日は朝起きして、クリーヴランドから放送のシカゴ交響楽団の二月の中継録音流して、その後ヴィーンからの生中継を流した。双方ともバタバタしていたので録音だけをしておいて後ほど聞き直すのだが、前者の指揮者のリカルド・ムーティと並んで後者のズビン・メータの両指揮者はその音楽性で本当に素晴らしい。

先ずヴィーンからの無観客中継録音を聴いて、嘗てはそれほど感じなかった歌いまわしの見事さが現在の大巨匠ぶりを示していて、昔から聴いているとこの指揮者がこれほどまでに思うほどである。一昨年当りからの演奏会やオペラは大成功したものが多く、ミラノでの演奏など管弦楽団が下手なものも多いのだが、流石にヴィーナーフィルハーモニカーは上手に誤魔化している。復活祭の「オテロ」でもベルリナーフィルハーモニカーだからとちってしまったこともあるが、流石に座付楽団は上手だ。4月にはこの組み合わせで聴くことになっていたのに続き、新年1月のミュンヘンでの演奏会も駄目になる。

肝心の生中継は、分厚くたっぷっりとしたヴェーベルンの作品6に続いて、「最後の四つの歌」をこの2月に「ばらの騎士」のマルシェリンで好評だったニームントが歌った。その時は柔らかな声で人気だったが、声も合わないのかあまり感心出来る歌唱ではなかった。ディーアナ・ダマロウなどの正確さとは比較にならないもので、あくまでもオペラ歌手の余興という感じだった。その後の「ツァラトストラ」もアーティキュレーションが活きる指揮振りと誤魔化し上手な座付管弦楽団のお蔭でとても価値のある演奏になっていた。

リヒャルト・シュトラウスの音楽への指揮者フルトヴァングラーの見解を昨晩読んだ。指揮者の有名なバイロイトの第九交響曲を改めてネットで聴いたからである。その演奏の歴史的な評価をした有名な一人に先ほど亡くなったヨアヒム・カイザーがいたことは間違いなく、氏の著書を読み直した。やはり、そこから影響を受けた吉田秀和の書いたものを読んだ記憶からも、正しく指揮の分かり難さがそのまま慣れない寄せ集め座付楽団の不明瞭な演奏になっていた。

そのバイロイトの練習と本番をつぶさに体験したカイザー自身もフルトヴァングラーの最後の四年間を特別に扱い。42年の第九、所謂ウラニア盤のエロイカ交響曲そして二度目の大ハ長調交響曲と「トリスタン」だけは別格に扱っている。よく言われる「無から湧き上がるような音楽」は少なくともこの録音からは聴き取れない。凡演とまでは言わないが少なくとも管弦楽団はなにも出来ていない、その歴史的に特別な上演と中継の意味に比して芸術的な価値は全く以って高くない。多くの日本の愛好家などが同じ音源を何度も買わされた原因はそこにある。

車中のニュースは、長期的施策へのコンセプトが欠けているとの批判があり、各州代表のトライヤー知事はそのコンセプトを超えて感染が広がったからだと説明した様だ。ワクチンの効果を見込んでのコンセプトを出さない限り市民の協力はなかなか得られない。

また、知事の言葉として、完全ロックダウンの始まる水曜日前の月曜と火曜で閉める店は時間延長にしてでも顧客の要望に応えて欲しいとあった。それは床屋さんなどでもそうだろうが、週末からここまでの間に必要な人手を都合できるだろうか。言うは優しいがそんなに簡単に営業時間延長などできるのだろうか?



参照:
一月の宿をキャンセル 2020-12-14 | 生活
メルケルの啓蒙的演説 2020-12-13 | マスメディア批評
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一月の宿をキャンセル

2020-12-14 | 生活
情報通り、水曜日からのロックダウンが発表された。敢えてメルケル首相が言及したように床屋は閉鎖になる。業界ではクリスマス以降と考えられていたようで、週末から情報は流れていたようだが寝耳に水だろう。女将も髪結い師も「あの人が言っていた通りになった」と思うだろう。元々予約の火曜日には開いているのだろうが、てんてこ舞いでまともに散髪して貰える可能性すらない。問い合わせの電話と一発勝負で訪ねてくる人などで混乱すると思う。多くの人がクリスマス前にと思っている美容院であるから大変だ。そういう時にはあのやりて婆ぶりが発揮されるのか?火曜日にでも高みの見物で外から様子を覗いてやろう。

パン屋では例年の如くシュヴァーべ風フルーツパンを購入した。小さな方で2.60ユーロだった。今年は今まで我慢していたが、クリスマスも迫って来たので、好物は早めに食しておいた方がよい。クリスマスには、シュトーレンと共に注文しておいて取っておいてもらうべきか。兎も角、水曜日以降になるとまたスーパーなどが混むことになる。パン屋や肉屋も客が少ない時間帯を目指さないとハムスター爆買いショッピングに巻き込まれる。

金曜日にはベルリンの放送交響楽団デビューシリーズが中止になって、2018年のデビュ―演奏会が流された。マリー・ジャコーの指揮を聴いた。前回はやはりベルリンで人権企画かなにかでの演奏会ガラみたいなものだったのであまりいい印象はもたなかった。だから興味は無かったが20世紀の古典を中心に同じデビューのソリスツと共演しているので聴いた。印象は、やはり「南極」世界初演をペトレンコ指揮のアシスタントをした面影はあった。先輩のリニヴとは違って、こうした曲目での和声感とか音色とか魅力で彼女が何を聴いているかがよく分かる。オペラ指揮者として、前任の日本で有名なアクセル・コーファーなどよりもいいかどうかは知らないが、この人はフランスでも活躍をしていているが、寧ろコンサートで活躍する人ではないかと思う。今年ミュンヘンでの再演などで話題なっていたかと思うと気の毒である。まだ若いのでまだまだ出てくると思う。インタヴューを聴いていても全然悪くない。

1月のミュンヘンの宿をキャンセルした。理由はハッキリしていて、その二晩を泊まってオパーフェストの前売りに並びに行こうと思っていたからだ。そして今回はその日程だけでなくて、全ては抽選発売しかなくなった。序でのオペラやメータ指揮どころかもしかするとロックダウンが続いているようなところでは泊まれない。それどころか業務的な目的が無い者は宿泊できないかもしれない。市内であってキッチン付きのホテルで安価だっただけにとても残念だ。

そもそもオパーフェストもどれだけ計画通りに開催されるかは不明で、予約を入れておくだけに過ぎないとなる。劇場の方も期限を一月ほど伸ばしたが、その日程でもまだはっきりするかどうか分からない。様子を見るしかない。収容人数が限られるとなると平素以上にとても入手が大変である。



参照:
熱心なもの好き達 2018-01-21 | 文化一般
明日から完全ロックダウン 2018-01-21 | 文化一般

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メルケルの啓蒙的演説

2020-12-13 | マスメディア批評
雨が予想されていた。何とか一度上がったが、走るころにはさらさらと降って来ていた。それでも濡れることなく峠から下りて来られた。気温はそれほど下がらなかったが手袋だけはして走った。ゆっくりだけど、朝一番では濡れた地面でいい運動になった。

フランクフルトの土曜日の街中の状況を聞いた。最後のクリスマス前の買い物になる筈だ。しかし多くの人はそれほど情報も持っておらず、先を読めるほどの見識も無い。それどころか非合法の疑いみある反コロナ施策団体「クヴェア―デンカ―」がデモ活動を呼び掛けて、正式には憲法裁判所へ送られることになって許可が下りなかったのにも拘らず、集合をネットで呼びかけた。そこで連邦警察など二千人規模が出動して突発事故を防いだために街角にパトカーと警察官が並んだ様だ。

警察官の労組が先ずは接種させろと要求しているが、治安維持などの上のような場合を考えるとその理屈はある。勿論危険因子を持つ弱者や医療関係者や老人の介護などに先立つことは無いと思うが、舞台関係者などよりは優先されても仕方がないであろう。

その接種が一月中に必要な人に殆ど済んでしまうだろうという幻想に注意を促している。恐らく物理的にも不可能なのだろう。という事から、何とか一月中に接種を大々的に展開する一方、感染を抑制することなく春へと繋げて行くというのは難しいという事。

ライプチッヒのゲヴァントハウスが二月も休館するとしたように、二月から感染を恐れずにという方法もないようだ。先ずは新年も休暇を長くして10日まで産業を止めておいて、その間の学校休みを利用して大幅に陽性者数を減少させる。その後に一月、二月と徐々に動かし続けられるかどうかが鍵になる。春になっての自然消滅とワクチンの効果が相乗されてという事にならなければ余計に時間が掛かる。ビオンテクのワクチン開発者は来年のクリスマス期になって初めて完全に正常化すると発言している。

先日のメルケル首相の一般演説が独語圏最古の高級紙「ノイエズルヒャー」に短く取り上げられている。見出しには、乞う首相か?アンゲラ・メルケルは、感情と啓蒙の意味において試みると、高まる感染故のハードロックダウンを訴え、野党に非難を浴びたとある。

しかしその見出しの啓蒙とは何かといえば、春の初回の時の国民への演説内容にもあったことの意味合いだ。その時に此処でも述べたように、国民の殆どの人にはその意味はよく理解出来ないと思った。そして同じように国会でも試みたとなる。

そしてこの高級紙は、ナッシムニコラス・タレムという一月には世界的なパンデミーの到来を警告していた研究家の「Skin in the Game」からの一節を引用して、危険性が未知の場合、最も危険な場合を想定して、防御的に決断して扱うべきだと、そこからメルケル首相は合理的とすることが出来るとしている。

これが高級紙の書き方であって、高級ジャーナリズムである。そこからもう一度その春の演説内容が一般の人々には難しかったであろうことを思い出すとよい。

首相は、感染は遅かれ早かれ八割にも達する。そして八割の健康な人にとってはただの風邪でしかない事、その一方弱者は感染によって亡くなる事を語った。それを社会としてどのよう課題として扱っていくか、その土台には啓蒙思想がある。そして国会の場でもう一度それを強調せずにはいられなかった、目的へと向かって課題を敢行する為にである。

このことの扱いを見ても、日本は非科学的、非合理的だけであるだけでなく、思想思潮も時代の意匠でしかなく、ジャーナリズムどころか知的に幼い。マッカサ―の「日本人は12歳程度」とは言わないが本当に精神的に成人しているかどうかはとても怪しい。




参照:
Die flehende Kanzlerin?, Jonas Hermann, NZZ vom 9.12.2020
大戦以来のドイツの危機 2020-03-19 | 歴史・時事
薄氷上の騎行の芸術活動 2020-08-27 | マスメディア批評
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明日から完全ロックダウン

2020-12-12 | 生活
フランクフルトからの中継を観た。アルテオパーでの当地の楽団アンサムブル・モデルンの四十周年記念演奏会だった。無観客で40に纏わって40人の作曲家の季節がらの40曲を演奏した。各々の曲に関しては触れないが、BGMと流していた感想からすると耳を引く曲は殆ど無かった。

なによりも画面を観れば分かるが、楽員が老朽化していて、この楽団の名称モデルンそのままに殆ど68年以降世代を感じさせた。何時までもジーンズを履いているような雰囲気で、この楽団の最初から最後まで纏わりついていた時代性をそこに其の侭披露していた。

恐らくこの団体は創立五十周年を祝える可能性はあまり高くない。この人達が引退して其の侭解散となるだろう。その功績に関しては、沢山の曲を委嘱して演奏の機会を与えるという事で、今回も文化相グルッタースが助成者筆頭として名前を出していた。所謂公共的な活動を繰り広げていた。

しかしこの楽団が時代遅れになるのは最初から分かっていて、フランクフルトで最初に聴いた時もその練習場所を観た時も、この楽団の支援に回ることは無いと思った。それは、彼らの出す音が一時的なエポックに限られた演奏で、その時に既に時代遅れになっていたからだった。そして今回のストリーミングで世代交代の無いアンサムブルと確認して、そのモノトーンな音楽的な表現の可能性の限界を新たに確認して嘗ての予想を証明したことになった。

木曜日にSWR2でシュートニュースと流していたようになった。ドイツ国内の多くの人にとっては寝耳に水のシャットダウンである。土曜日から完全ロックダウンとするところも少なくない。週末にテレ会合がもたれる予定だったことから、繰り上げでとは我々でもあまり考えていなかった。マスメディア関係でも最も多かったのはクリスマス以降だったが、金曜日の早朝から速報が流れだした。

週末に決めるのは連邦共和国一律に行う規制で、その内容は、夜間20時から朝5時までの外出禁止、昼間においても不要不急の外出禁止、ここまでは春と変わらないが、変わったのは街ブラ禁止である。これは街中でウロウロと散歩と称して人が特にクリスマスから大晦日に掛けて人が集まるのを防ぐだろう。

同時に主要な敵は、クヴェーア―デンカ―とされるような反規制団体のデモなどの活動を押さえることだ。その代表的な拠点のザクセン州などでは、戸外公共地でのマスクの着用を義務化することで踏み絵効果があって、私有地から出たとたん罰金を徴収可能となる。

またベルリンなどは、即というよりもクリスマス休み初めから三週間完全に止めることに主力を置いていて、一部州のクリスマス緩和以上に効果を狙っているようにも思われる。恐らくベルリナーフィルハーモニカーのジルフェスタ―コンツェルトもその前に収録しておくという事になるのではなかろうか。

昨日は散髪してから昼風呂に入った。それも温度を高めに入った。風邪を引きそうなので予防を考えた。室内を温めても矢張りサウナとか風呂の効果は違う。朝早くから走って汗を流していても芯から温めるというのとは違いやはり寒かった。一日に三回も洗髪したことになる。それでも変な咳も止まった。

床屋の女将も現在連邦共和国でトップ10に入っているスパイヤーと接している村から来ているので、感染を抑えるのも難しい。先週は指数で300台が百近く上がっている。スパイヤーの多くの人はBASF本社工場があるルートヴィヒスハーフェンに通っている。そこも400に迫っている。もう止めるしかないと思うのは当然だが、彼ら基幹産業で働いている労働者は完全ロックダウンになっても通勤しているのだ。今後そのことがどのように問題になるかは分からないが、春とは異なる。

そして、感染者数、日毎に600人の数の死者に耐えられても、医療関係者を必要とする滞りの無い接種活動の為にはもう感染者を増やすわけにはいかなくなる。元も子もなくなる。だから即刻のハードロックダウンは当然やらなければいけなくなった。最早クリスマスなどと言っているときでもなくなった。

週末までは暫定的となるが、ラインラントプファルツ州の言うように地域によって差が出来てもその間を動き回るようなコロナツーリズムは駄目だと警告している。



参照:
ハードランディングへの対応 2020-12-11 | 暦
催し物の緩和も大きな要素 2020-11-27 | 歴史・時事
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ハードランディングへの対応

2020-12-11 | 
早起きして現金を下ろした。郵便局近くに車を停めやすいようにである。パン屋に回ると清掃車が停まっていて、作業員がパン屋にいるようなので後回しにした。予想よりも放射冷却とはならず気温は二度ぐらいだった。

車中のラディオがクリスマスの緩和の為に今直ぐにでも引き締めるというメルケル首相らの勝手な思いで、週末にはライトからハードなロックダウンになるかもしれないとあった。元々効果が無いこと事を誰がどのように考えていたかよく分からない。今更引き締めてもそれほど変わらない。個人的には火曜日の床屋のことが心配になった。

さっと走って、パン屋に出かける。生憎クロワッサンなどは売り切れていた。しかし目的はそのあとの肉屋にもあった。その前に床屋によって前倒し出来ないか聞いてみることにした。すると12時半に空いているというので、それに賭けた。万が一火曜日から床屋が、指数200以上の地域の様に閉鎖されたら、年始も期待できなくなる。これは少々寒くても最優先課題で片づけようと思ったからだ。大晦日辺りで急激に感染が広がると1月中もロックダウンハードになる可能性さえあり、原始人になってしまいかねない。

店に行くと署名をするところなども変えていて、手を先に消毒させるようにしたりとより徹底していた。更に二人掛の椅子は横に追いやっていたので、直して掛けるとやりて婆が飛んで来て、1.5m空けるために横にしてあるのだと、さもなければ1.25mしかないのだとまるでオーケストラマネージャーのようなことを言い出す。以前よりも徹底してきている。

おばさんに心配を話すと、業界情報として聞いているのは、クリスマス以降の強化であって、それは今でも出ている週初めの意見に近い。しかし、コッホ研究所の会見でも従わないやつがいて、ザクセン州のブーツェンの指数500などがある限り対策強化を直ぐにという方向になってきている。クリスマス緩和云々は二の次の話しでもある。それは正しいと思うが、先ずは散髪であった。おばさんの言う通りこれで心配せずに年を越せるとなった。

ザルツブルクとバイロイトの二大音楽祭の会見があった。前者は特に大きな話はないが、今年の再演などと来年に延期された出し物から、歌手などの関係で「魔笛」と「ボリスゴドノフ」がさらに延期になったことで、マルヴィッツは「魔笛」ではなく「コシファンテュッテ」を振る。「エレクトラ」にはバイロイトデビューのアスミク・グリゴーリアンが8月18日から再びザルツブルクにもはしごするという事で、「オランダ人」は初日に続いて数日しか歌わないという事だ。

そのバイロイトも合唱は隣の棟から中継して舞台上ではパクパクで演技をするという事らしい。興味深いのは、「ローエングリン」も来年以降に延期になるので、元祖音楽監督ティーレマンも出ないという事だろう。そしてその元祖音楽監督の任期もあと二週間で切れる。

デビューする史上初めての女性指揮者オクサーナ・リニヴがティーレマンを誉め殺ししていた背景には何かこの辺りの裏話がありそうだ。ごねていることは分かるのだが、指揮者選択などには権力を持てなかったので辞めると言い出したのだろう。そう考えるとリニヴがなぜティーレマンに会いたいと語ったかが分かるような気がしてくる。会場は、200人から1000人までの間の段階のシュミレーションで計画しているという。



参照:
徒労が招いた脱力感 2020-12-10 | マスメディア批評
ヴァークナーも誇りに 2020-09-22 | 女
通信社のインタヴュー記事 2020-10-01 | 女
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徒労が招いた脱力感

2020-12-10 | マスメディア批評
来年六月の予約をした。今年の払い戻しの件があるので、流石に決定と支払いは六週間前にしか分からない。だから余計に早めに予約だけはしておいた。それに金券も使いたい。期間中のワイン祭りは開かれない可能性の方が強いが、万が一のことを考えて計画だけは立てて置く。

予約すると同時に宿も予約しておいた。無料でキャンセル出来て、予約金の発生しない宿を選ぶのは難しい。あまりオファーが多い地域では無いからだ。よって、それほど安いところは予約できなかった。一泊49ユーロで手を打っておいた。畠の中にある田舎の村の真ん中のモーテルのような宿であるが、評価は8.8なのでそれほど悪くはないだろう。部屋も20平米で広い。ミニバーはあって、共同キッチンは使えそうなのだが、冷蔵庫は分からない。暖かい時の週末の二泊だから外食で問題はないと思うが、さてどうか。まだ変更するには時間があり、押さえておくだけで安心である。

主催者の方も色々と大変なことは分かるが、良い券を求めて宿まで予約してがいくつ無駄になったことだろうか。更に払い戻しを求めるところまでが同じである。徒労ばかりではその脱力感がどうしても今後の意欲にも影響する。実際に時間を掛けないと希望通りに予約も儘ならないので先が見えない一仕事になる。先が分からないとは言っても先着順で良いところから割り当てて行くというから、時間を作って早めでないと適当な価格では到底手に入らない。

来年は2月から9月まで、既に結構申し込んでいることになっている。どんなに早く申し込んでいても開催されなければ何にもならない。

二日続けて同じ出し物に行くのだが、初日はカメラも入るだろうが、落としておいて、視覚的には二日目を重要視した。だから上下の席までを第二希望としておいたので、最高金額はある程度抑えられる。出来が悪ければ二日目は苦痛になるが、少しでもマシな席に座れるならば満足できるだろう。初日はどうしても招待やらパトロン関係になるので中途半端にいい席は難しいと思った。

録音してあったフライブルクでの「レオノーレ」の演奏を流した。10月にコンサート形式で演奏されたものの様で、以前マルリス・ペーターセンと録音したものはCD化されて評判が良かった。今回はコロナ企画で90分に縮小されて合唱団も入らないが、ジングシュピール形式で物語が進むのでラディオオペラに最適である。最初に流していた時は、昨年YouTubeから落としてミュンヘン行に資料として聴いていたものよりも重々しく感じていたが、再度聴くと、なるほどペーターセンの巧さはないがそれはそれなりに面白かった。観客が入った生中継録音だけに雰囲気もあった。最も1814年版と異なるのは、特に小楽器演奏楽団をルネ・ヤコブスが振ることで、この作品の器楽的な歌が大分丸みを帯びていて、丁度ハムマークラヴィア伴奏での歌曲のように響いてとても良かった。来年はヤコブスは、「魔弾の射手」で欧州ツアーに出るようで、それなりに話題になることだろう。
An die Musik, D. 547


最後の四半期の脚光、発見、失望なCDなどがクリスマスシーズンに合わせて、四人で議論されている。先ず失望で聴かない方がいいというのは、テノールのアラーニャが録音したシャンソン集、次に同じテノールのカウフマンがコロナ中に名伴奏者フーバーと録音した「精神の時」で、スター歌手の悪いところが悉く出ているようだ。比較に発見で推薦されたバリトンのゲオルク・ニークルの歌曲集との差が甚だしいようだ。そして同じく三大失望のソニーが企画した「ラビレンス」は他のピアノストに断られてポルノピアニストとして有名な女流に弾かせて、とてもキッチュな制作となったようで、責任はソニーに全てあるという事が話された。
Ännchen von Tharau

Concerto in D Minor, BWV 974: II. Adagio


残りの発見は、シューマンなどの編曲歌曲集、そしてレーウ編曲の大地の歌。ハイライトは、ロッシーニの「アミチエリヴァーリ」、連弾での「フーガの技法」、そしてペトレンコ指揮初のCDボックス。
Ricciardo e Zoraide, Act 1: "S'ella mi è ognor fedele" (Ricciardo)

Studies for 2 Pianos on "The Art of Fugue", BWV 1080 by J.S. Bach: Studie 18: Maestoso, ma...

On CD and Blu-ray - Kirill Petrenko and the Berliner Philharmoniker: The beginning of a partnership


特にその中からルディ・シュテファンの二曲が一様に大きな評価を受けている。べート-ヴェンの七番をクライバーとの比較で語られる一方、カラヤン信奉家のおばさんから「まだ脱カラヤンからのベルリナーフィルハーモニカーの響きが完全に完成しているとは言い難いが、それが記録されている」ので貴重とされていて、玄人筋の見解としては皆殆ど変わらない。



参照:
ハイブロウなCDボックス 2020-10-10 | 文化一般
満足度が高いこと 2020-10-05 | 文化一般
とても高い芸術的な価値 2020-10-02 | 音
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ミラノの紅白歌合戦

2020-12-09 | 
地元の指数が少し下がっている。174から159になっている。変動が激しいという事は直ぐに200を超えるかもしれないが、150以下から一挙にとなると大きなクラスターが必要な筈だ。床屋の日程が流れると辛い。暖かくなるとムズムズしそうだ。

ミラノからの中継は、この手のものとしては、つまり無観客の劇場からの中継としても、ガラの中継としても最高度のものだった。イタリアの第一放送が制作していて、生中継もTVラディオで同時にされていた。その進行も詩の朗読などの手の込んだもので、中止になったシーズン初日に代わるものだった。

男女の名うての歌手が次々と出てくるのでまるで紅白歌合戦で、最初は進行の朗読などが邪魔になっていたのが徐々に切り詰められて行って、頂点を迎えたのはまだ若手の歌手ローザ・フェオーラのドニゼッティだった。そこに至るまでも奈落から出て客席に舞台に向かうようにして仮舞台が作られていて、指揮者の背中の本舞台で歌手が歌う。だからいつも以上に楽員は歌手を見ながらの演奏故か、歌の良し悪しにビンビンと反応していた。毎晩のように歌手を聞いているような集団だからそれはそれは反応も早く、その歌に絡みついてアクセントを入れてというのは指揮者の指示とはもう一つ早いところで動いているかのようだ。
Quel guardo il cavaliere, Rosa Feola, La Scala, 2020


音楽監督シャイーの指揮も立派なのだが、それはそこいつもの感じで間抜けな音を出しているかと思う、いい歌にはせっせと危険を顧みずにあたって来る。一番の三時間の番組の中にそのだらけた感じとここぞの演奏と両方を聞かせてくれた。各人がよく分かっているのだろう。又マスクをした下にはトップに座っている友人も見つけて、こういうことを学んだのだなと思った。

男声陣もドミンゴのみならずベチャーラ、アラーニャ、メーリという人気テノールに有名な人が沢山出ていた。ベルンハイムとか最近名前を聞く人の顔も見れた。その中で上のベチャーラとアラーニャを比較してみるのも悪くは無かった。先頃発売されたシャンソンのCDが買わないでくださいと言われる程聞くに堪えない制作のようだが、それなりの声は出していた。余計にベチャーラの安定ぶりも印象に残った。

途中で「ヴァルキューレ」一幕から人気のニールントとシャーガーの二重奏もあったが、二人とも声があっているようで、この二人にとって今までで一番良い出来だった。反対に、ガラコンサートでもオポライス得意の蝶々さんなども荒っぽくて良くなく、もう一人のマリーネ・レベッカという人の歌が冴えた。同じようにヴィヴラートでお国物のカルメンを歌ったクレバッセもとてもこの調子の歌唱ではとても頂点の世界には出てこれない様子で、身体だけがあっても駄目である。

そしてソプラノで矢張り忘れてはいけないのは、ヨンチェヴァで、先日のシュヴァーベンの教会からのMET中継もお休みしたのでジュネーヴ在住でコロナにやられたかと思ったら元気そうだった。昨年デズデモーナを妊娠中にバーデンバーデンで歌っていたが、やはり声のコントロールという事でも見事だった。その意味からもローザ・フェオーラの自然な発声も余計に素晴らしい。

後でヴィデオ等を確認すると、フェオーラが歌った「ドンパスクエー」今回の舞台作りは2018年の本プロダクションの道具を使っているようで、虫干しのような調子でストリーミングの為に出して来ていたようだ。その車で夢心地で空を遊泳する。全体の映画仕立ての演出は分からないのだが、高音を攻めるコロラテューラを歌うシーンとしてもとても気が利いている。
Quel guardo il cavaliere - Don Pasquale - Rosa Feola - Teatro alla Scala


来年の五月にはベルリナーフィルハーモニカーとオイローパコンツェルトをガウディ―の教会で歌う事になっている。その前に復活祭でレクイエムを歌う事になっていたが、こちらは厳しいかと思う。2018年に三部作で二回聴いている。
IL TRITTICO: "O mio babbino caro (Gianni Schicchi) | Conductor: Kirill Petrenko


明らかに紅組の勝ちだった。そしてカルロス・クライバーが振った時以来に活き活きとした管弦楽を聞けたのが嬉しかった。指揮者をはじめすべてマスクをしてご苦労様だった。



参照:
指数200を超えると 2020-12-08 | 生活
コロナ死者の為のミサ曲 2020-09-06 | マスメディア批評


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指数200を超えると

2020-12-08 | 生活
チューリッヒからの新制作「シモンボッカネグラ」生中継を観た。バリトンのゲルハーハーがタイトルロールを歌うという事で興味津々だった。この作品に関してはストラーレル演出のスカラ座でのアバド指揮の演奏があり、そのカプッチッリの歌などがあり、今後とも観る機会があるとは思えない作品である。

今回はコロナ禍で、前回に続き管弦楽や合唱は一キロ離れた練習場から中継されて、オペラハウスで再生された音と共に中継された。合唱の感染クラスト化の危険は言うに及ばず、管弦楽も奈落の中では危ない。だから無観客で中継されたミュンヘンの場合は奈落の壁を外して客席へと前に出して演奏している。
Der Weg des Sounds - Opernhaus Zürich


それに比較すると歌手と指揮者管弦楽団の間での息は合わせにくいだろう。会場には50人程とプレス関係者が座って盛んにブラヴォ―が飛んでいた。自分自身が招待でなくて、金を払って出かけただろうかというと疑問だ。

ゲルハーハーの歌と演技は期待に違わないものであったが、強いて言えば、技術的に最高に巧いボッカネグラであったかもしれないが、あのイタリアの底光りするような声からは遠い。山小屋などで一緒になって低い声で話すのを聞くとその冴えない親仁からもそのような声が出てくる。男性の声で感心することは無いのだがイタリアのそれだけは違う。それはもう仕方ないと思う。

演出は最初から観ていないので分からないのだが、演技が活かせるようには出来ていたと思う。支配人ホモキの演出はよく知らない。演奏は大きな事故も無かったように思うが、管弦楽の鳴りは素晴らしいなと音楽監督ルイージの指揮を聴いていたが、暫くして複雑な場面になるとその雄弁さが無くなる。車中のラディオで会場にいた人の評でも、明晰に鳴らす反面上手にオペラを運べる腕が無いようだ。

監督を辞めてその後の就職先は決まっていないようだが、ロンドンのコヴェントガーデンには矢張り難しいのだろう。チューリッヒの格からすればドイツ語圏では上位は限られていて、欧州でもそれほど多くはない。日本では小澤の後で松本で振るようだが、彼にとっては最も上のポストなのだろう。

オペラの指揮と言えども実力の世界で、ステップアップして頂点で指揮する実力のある人などはほんの一握りである。

車中の放送で、更にロックダウンライトから強化する案が強く出てきているようだ。一方で落ち着いてくると自由の制限には法的な根拠などが議論される必要が問われていると新聞にも載っている。当然である。おかしなクヴェア―デンカ―のような連中にものを負わさないように理論的な根拠が問われる。

指数200を超えた地域には自動的に強い規制を掛けて行くというものらしい。少なくともクリスマス前の一時緩和に重きを置く事よりも、最初から大きな転機点にならない規制であったのだから、早めに新年以降の事を議論していくべきだろう。医療機関へのストレスも長引くとやはり大きな問題となる。個人的には来週の散髪の日程だけは無事にやり過ごして欲しいと思う。

因みに地元は上昇して174になった。周りの300前後の地域に引きづられて来ている感じがする。もう少し堪えて欲しいと思う。なにか先に地元でお触れを出すと時間稼ぎできるように思うのだが。



参照:
血となるワインの不思議 2018-07-06 | 文化一般
理髪師協会のコロナ対策 2020-05-06 | 生活
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虫干しにするファイル

2020-12-07 | 
引き続きストレージの掃除、大掃除である。NAS本体も2TBの場所を取り返した。USB外部HDDも428GB+404GBへと徐々に場所を作っている。手作業で不要な何重にもコピーされているファイルを消去して行く。現在のところ大きな失敗はしていないようだ。3TBに対して404GBでは使い辛いので900GBぐらいまでは場所を空けたいところ。

折角残っているファイルを消すのだから慎重に内容を確かめることもある。時間も掛かるが一つづつのそのメディアの内容まで考えることになる。急いで消去して行っても間違いを起こすだけだ。だから時間が空いているときに一つづつ内容を確かめる余裕も必要で、その同様なファイルと比較して消去を決定。

お蔭で寝かしていただけのファイルの虫干しが出来て良い。屋内の大掃除と同じでファイルの中身を覗いたりしていると何時の間にか時が過ぎてしまう。それでも健全なファイルを保存して要らないのを消去出来てスペースが空いて行くのは嬉しく、精神衛生上宜しい。

一時はNASが一杯になったことから、壊れかけているPCと同時に、そちらにも投資しなければいけないと思ったが、これで当分賄えそうだ。購入したのが2018年11月だから最低三年から五年は其の侭使いたい。

先日も触れたが、久しぶりに音出ししたファイルで、想定以上に良かったのは2016年のミュンヘンの座付管弦楽団の欧州ツアーの演奏だ。放送されて残っているのは、ミュンヘンでの本拠地の「ロンターノ」、「最後の四つの歌」、チャイコフスキ第五の一つと、もう一つの「ロンターノ」からバルトークの第一ヴァイオリン協奏曲に繋いで、後半は家庭交響曲を演奏したプログラム。家庭交響曲のベルリンのフィルハーモニーでの演奏は矢張り素晴らしいだけでなく、音響的にも秀でてとても良く鳴っている。残念ながら中継したデジタルコンサートホールでも直ぐにアーカイヴから除去された。当時は気が付かなかったが、あの時に来ていたベルリナーフィルハーモニカーに何を聴かせておきたかったのかが分かるような演奏で、フィルハーモニカーが当夜のビールパーティーで既に反応していたような様子が伝えられていた。あの柔軟な響きは二年後の復活祭の「影の無い女」でも容易に出ない音だと思う。

まだ耳を通していないが、ショスタコーヴィッチの「マクベス夫人」もこの秋にベルリンで二曲の交響曲が演奏されたことで、もう一度確かめておかないといけない事が出て来た。上の例でも楽劇「影の無い女」と「家庭交響曲」などの繋がりがあるのと同じで、こちらの耳もその連関によって変わって来る。そのように考えると、来年の復活祭でも万が一舞台上演が不可能になっても、課題をしっかり出して来るのだろう。



参照:
NAS回転音の審査 2018-11-30 | 生活
イタリアからのマティネ中継 2020-11-29 | 雑感
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鳥肌が立つ膨らむ夢

2020-12-06 | 生活
床屋の予約を取った。再来週だ。暖かくなる予定なので上手くいくと良い。指数200を超える地域で休業になると聞くと心配になった。ここは大丈夫だろうが、クリスマス前に逃して年を越してまでの状況は分からない。それ以前に12月15日の会合で再び厳しくするとなると確証は無くなる。

11月から始まったロックダウンライトが軽微であって、想定の指数50には一月二月では至らないことは分かっていた。更にクリスマス大晦日でどんちゃん騒ぎをする奴が出てくると現在のライトでは到底間に合わなくなる。

近隣のベネルクス、フランス、スイス、オーストリア等では若干の緩和が行われている。ドイツの場合は山谷を小さくして生活の不便なく次のワクチン計画へと移る計画なのだろうが、どうしても感染者が増えると死者も増えていく。どこまで社会が耐えられるか?

山谷が小さい程長く続いても病院の施設などへのストレスは小さくなる。それも大きな成果になるだろう。最終ゴールへの上手な繋ぎ方がより重要になって来る。

8TBx2のNASのスペースを開けるために移動や整理を始めた。大まかな工程は、外部HDD3TB+1TBに8TBのバックアップ以外に必要なファイルを別けて収納しておくことである。つまり現在使用中を6TB迄に下げれば、少なくとも半分はセーフティとして収容可能となる。

HDDの故障でももう一枚の8TBにコピーが入っているので安全なのだが、自ら消去してしまうと戻らない。そこで選り抜きを3TBに保存しておく。それだけである。結局音源とかその映像とかになるのだが、 その中でも永久保存ものだけを3TBの中に収める。

移動や消去は最終的にはマニュアルになるので結構時間が掛かる。先日のミュンヘンでのオペラ上演を観ていて、やはりキリル・ペトレンコ監督時代の本人指揮の新制作は程度が高かったと改めて思った。演出が悪いとか言われても、圧倒的に音楽をそこに合わせて来たので舞台が語り掛けるものがとても芸術的に高度だった。後任のユロスキーにはどこまで期待できるのか。

ファイルを片づけていて、鳥肌が立ったのは、しかしミュンヘンのそれでは無くてバーデンバーデンの復活祭における「パルジファル」だった。残っている総練習時の録音の一部などはとても雑なところがあるのだが、やはりその初日もそうしたラトル指揮のオペラの指揮になっていない部分を差し引いても第一級だった。あの響きはベルリンのフィルハーモニーでも得られなかった。ミュンヘンのペトレンコ指揮でもああいう鳥肌ものの瞬間は無かった。

その瞬間にペトレンコが振ったらどうなるだろうと身体が震えたのだが、今年は叶わず、来年の奈落での指揮も危なくなってきている。あり得るとすれば舞台関係者がワクチン注射を三月中に済ます場合しかない。年内にアウトラインが示される筈なのだが、夢が叶うだろうか。あの奈落で振ることに大きな意味がある。ペトレンコ自身も既に音響を確認しているというので、特別な効果が示されることになるに違いが無いのだ。

現在のHPでの発表は、新年からの催し物は6週間前に最終的なプログラムを決めるとあり、当然2月のプログラムはもうほとんど無理という事だろう。2月末のキーシンも難しいのではないか。500人までの入場を許されてたという事で、現在は全ての発券が止められている。復活祭の時期に半分を入れるのは難しいかもしれない。しかし三分の一では興行収益的に難しい。



参照:
オペラ座の怪人は何処 2018-04-01 | マスメディア批評
舞台神聖劇の恍惚 2018-03-25 | 音
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コロナ陰謀論の非合法化

2020-12-04 | 歴史・時事
ルツェルンからメールが入っていた。予約した公演に関するもので、つまり予約を受け付けて、作業に入るのは来年になるという事だ。何処の国も二月以降のことは未知の世界である。幾つかのシナリオはあって、最悪の場合は医療崩壊からロックダウンが続いて中々明けないという最悪の状況で、スイスも場所によってはオーストリアと同じようにその危険性は残っている。要するに来年の夏にも後遺症が残るという場合は有り得る。

同時期のザルツブルクの音楽祭の予定が発表を遅らせたのもバイロイトのそれを遅らせたのも、またベルリンのフィルハーモニカーやバーデンバーデンの祝祭劇場も年末まで計画が決まらない。様子見で最も工程を別けるのはワクチンの接種状況だと思う。

ワクチンの接種が舞台関係者に進めば少なくとも舞台はPCR検査無しに完全に平常化される。客席も接種証明などよりも先に感染の鎮静化がどの程度の接種が進んだ時点で進むか、若しくはベット数占有率がもう上昇しないかが分かって来る。その時点で客席も完全に解放されることになる。

年末年始にはそこまでは分からないだろうが少なくともコロナ対策新方針が示されることで催し物などは正常化へと大きく前進するだろう。

湿気が高く雨まで降っている。土曜日の朝は回復しつつ雪になりそうだ。朝のお勤めが厳しくなる。ジャガイモでも食して備えておきたいが、胸にも圧迫感があって明らかにコロナ症候群である。兎に角アルコールにも手が伸びないぐらいだから調子がおかしい。

コロナ施策反対運動の「クヴェア―デンカー」の非合法化が囁かれる。連中の首長らしきものがインタヴュ-で流れるととても酷いもので、弱者の為に強者の自由が脅かされるのは許せないとなる。もうこれだけで、なにもユダヤ人協会が苦言を呈しないでも、ネオナチ扱いしても構わないだろう。流石にこうした主張は、同様のPEGIDA運動におけるその主張のような共感を得るものは殆どない。自然淘汰とか、弱肉強食の論旨を超えているのは、今ここでそうした患者がICUで強制的に呼吸をしている事実背景があるからだ。

PEGIDA運動の扇動者だった指揮者のティーレマンなども流石にそこまでは主張していないが、自らの経済的損益を国に補償しろとヴァイオリニストのアンネゾフィームターなどと主張して文化大臣に一蹴された。寧ろ現在は飛行機ツアーでのドサマワリ興業に批判的な発言をしているようだ。そして今クヴェアーデンカ―の波はそのドレスデンを飲み込もうとしている。

殆ど自業自得と笑ってしまうのは、同じザクセンのバウツェンがコロナ陰謀論のメッカの様で、其処が今度は指数400を超えてドイツにおけるホットポイントになっていて、死亡者も11月だけで50人も亡くなっているというからスゴイ。矢張りああいう事態にデモなどをして整理する警察官などにも感染を広げているとそうなることは分かっている。そういう街は外から閉鎖して貰いたいぐらいである。



参照:
理不尽そのものの主張 2020-07-27 | マスメディア批評
あまりにも壊れ易い世界 2020-02-23 | 音
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へったくれも何もなく

2020-12-03 | 雑感
ミュンヘンからの新制作「ファルスタッフ」初日中継を観た。演出の少なくとも人の動かし方は良かったと思う。芝居のマテヤ・コルシェニックの初めてのオペラ演出となったが、予想通り人と人との緊張関係などがとても分かる舞台になっている。コロナ対策だけでなくて前を向けて歌わせていても少しの動作でその関係を説明する振り付けは玄人の仕事だと思う。

復活祭の「フィデリオ」はさぞかし立派な舞台になっていただろうと思うと改めて胸が痛む。この「ファルスタッフ」もペトレンコ指揮で6月に上演された筈だった。いまでもそのティケットは払い戻さずに金券としてある。今回の指揮者のマリオッティ―はこの手の専門家としてよいかなと何時か西ベルリンのドイツェオパーで体験したロペスコボス指揮と比較していた。ダイナミックで良く鳴らすことでは当時の彼の地の楽団よりも良いと思っていたが、徐々にアンサムブルやら合わせ方を聴いていると物足りなくなった。交響的に鳴らすのはケントナガノなどにもあるが、あちらは流石にもっと巧い。そして壁を取っ払った無人の会場での反響聴いていると喧しくて下手だと感じるようになった。まさしく二流のオペラ指揮者である。そうなると音楽が何もかも不味くなり、演出も観ていられない。折角ご本人からいいねを貰ったのだが考えてしまう。

私が二流のオペラ劇場なんて行かないのは、二流の指揮者のオペラなんて興味が無いのはその為で、音楽が語らない音楽劇場なんて演出も歌手もへったくれも何もなく、ただ退屈な時間潰しでしか無いからだ。

来年のルツェルン音楽祭の予約をして直ぐに宿を手配しておいた。今年初めて宿泊しようと思っていたアパートメントホテルが開いていた。そして価格は一泊少ないためか一日当たり若干高くなっていたが、100フランケン掛からない。評価は9.1で好評判である。そしてなんと今年は22平米ほそしかなかった部屋が50平米と家族向きになっている。週の間でお得だったのかもしれない。

こうなるとキッチンが出来るというよりもダイニングキッチンと寝室となる。短い滞在では悪いような気さえするが、連日音楽会に通うとなると室内で憩うのも重要だ。そして最終日にはもう一泊することにした。

特に高価なスイスなどの音楽会で困るのは所謂夕食難民になり易いことで、ここならば冷蔵庫にしっかりと素材を入れておけば心配はいらない。こちらからも結構持って行ける。会場のkklからは20分ほど車で掛かるかもしれないが草原の真ん中で夏でも気持ちが良い筈だ。

今夏は突然二十年ぶりぐらいにザルツブルクに出かけたが、今年のような状況でもやはりあの周辺は通常の旅行者が多くてざわざわしている。その点ルツェルンは街の中はざわついているかもしれないがあまりマスツ-リスムの対象でない郊外は静かである。



参照:
「超一流を聴け」の真 2019-12-07 | 暦
トウモロコシはまだか 2020-08-08 | 生活
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来夏を夢みたい気持ち

2020-12-02 | 生活
寒い部屋で夜中PCを回しておいた。朝見ると仕事は済んでいたが、PC表面は冷えていた。コピー作業をさせておいたのだが、ほぼコピーした様だ。これでNASの領域は1,9TBと拡大された。当分気持ちよく使える。

主に消したものは外付けHDDの中身をコピーしておいたもので、その中でも映像とか写真に類する重なっているファイルを一気に消去した。最初の頃にコピー作業への不信感から二重三重に保存しておいたファイルである。それで今度はその外付けHDDにNASからのセーフティコピーをしておくことにした。勿論8TB分の容量どころか過去のファイルと合わせて4TBしか使えないので、必要なファイルだけをそこにコピーする。それでも先ずは一杯になってしまった。

今後はその二つのHDDを整理しながら、メディアファイルのセーフティーとNASのファイルの整理をすることで、外部に1TBほどの余裕を作るのが目標となる。NASの方も二重になっているファイルを整理すれば全部で2.5TB以上は空くのではないかと思っている。

ベルリナーフィルハーモニカーの来期のオープニングコンサートのプログラムが発表になった。オベロン序曲で始めて、そのヴェーバーの主題によるヒンデミット作変奏曲、後半はシューベルトの大ハ長調交響曲。

第二プロは例年通り、一月定期のコルンゴールト作曲交響曲の前にプロコフィエフの協奏曲一番をピアノストをトリフノフからアナ・ヴィニツカヤという女流に代えて、又最初には新曲の代わりにラフマニノフの「死の島」を持ってきている。

新曲はザルツブルクやルツェルンで著作権料が発生するので引っ込めたのだろう。予定される日本公演もそのようになるか。

シューベルトの大ハ長調は昨年フォンドホナーニ指揮で聴いて、中々表現の奥が深いと思ったが、ペトレンコ指揮ではブルックナーへと更に近づく感じもする。マーラーの交響曲の指揮ではもはやあまりすることもないので、意外に早くブルックナーの交響曲も指揮するかもしれないと想像する。

兎も角、来年にはマスクもしないでいいような晩夏が訪れることを何よりも期待したい。もう一度暑い最中に地元でマスクなどをすることは想定していないのだが、なんら確証も無い。気持ちよい郊外でゆっくりと思っても、マスク何だかんだと言っているようでは台無しである。今はあまり悲観的なことを考えても仕方がないと思っている。



参照:
遠隔から取捨選択する 2017-11-09 | 暦
空き部屋を押さえておく 2019-10-29 | 暦
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あれは何年前の雪だろう

2020-12-01 | 雑感
夜中は初雪となる様子だった。朝も放射冷却で寒かった。翌日は足元も悪そうなので、陽が強く射したところで短く走っておいた。零下二度だった。始めてネックウォーマーをしたまま運動した、それ程汗を掻くほどのことは無かったので全く苦にならなかった。手袋とこれだけで大分体感温度が変わる。一度洗濯をしてみて様子をみる。

舞台上の社会的間隔のことは、実は今回のロックダウンライトにおいて再び注視喚起されたその距離とも関係している。つまりドイツにおいては1.5mが安全距離とするのは再び日常生活で強調される。それは科学的にも正しいのだが、社会政治的にあまりにも安易にマスクが重視されていたものだから再び強調される必要があった。

そして日常のマスク以上に防護マスクが重要視されるようになった。ドイツで保健相シュパーンの防護マスクが四億枚配られる。日本のアベノマスクとは流石に異なるが、既に中共製の不良品も話題になっているのは同じである。兎に角防護をしなければいけない人は本格的なマスクをして欲しい。肉屋に立ち寄ったら婆さんがそれをしていたので大分情報も普及しているようだ。

そのように舞台上でも1.5mは基準であり、それより近づくのはPCR検査以外にもそれなりの根拠が必要である。成程最初から3フィートから5フィートぐらいとなっていたので、日本やオーストリアの様に1mを基準としている国もあるのかもしれない。背丈や手の長さもあるので一概には短すぎるとは言えないが、少なくとも腰掛けたりする場合のその距離は争いようがない。

マスクが注意喚起効果以上の実際の感染防止効果が殆ど無いことは、列車での旅行の禁止とか店内での人数制限とかあらゆる面において再び明らかにされて来ている。防護マスクでの長旅やオペラ感染などは息苦しくて不可能である。呼吸し易いマスクなどには防護効果など期待できない。

ミュンヘンの劇場からメールが入っていた。今後の予定に関してだ。そして劇場からの中継ストリーミングを流した。カウフマンが歌う「ボエーム」で思い掛けなく立派なオットーシェンクの舞台で演じられていた。ボエームと言えばスカラ座のパヴァロッティとフレーニが歌ってクライバーが指揮するのが標準になっていると、このシェンクの演出もちっとも面白くない。歌のことはもうどうでもよいが、管弦楽が拡張した奈落の中で無観客の残響長く奏でるのを聴いていた。指揮者は日本にも帯同したフィッシュで、初めてだがやはり荒っぽい。流石にジンタの様には管弦楽団も弾かないが、あれが一流所と二流所の違いだ。フィッシュでも捕まえる方のフィッシャーでも皆同じ程度の便利屋さんでしかない人が振るオペラは退屈極まりない。

耳直しに欧州ツアー時のダマロウとの「最後の四つの歌」のヴィデオを鳴らした。もう既に時が経って「あのペトレンコが振っている」という感じになって違和感を覚える程だ。もう一つのプログラムをボンに聴きに行ったものだから同じプログラムをフランクフルトでやっているのも聴かなかった。なぜならば座付管弦楽団の演奏会などどうでもいいと思っていたからで、今から考えると残念な事をしたと思う。もっと追いかけておくべきだった。

次には座付楽団を久しぶりにいつ振ることになるかはコロナのお蔭ではっきりしない。しかし、何か遠い昔のような懐かしい感じが我々聴衆だけでなくて指揮者と楽団の間に生じるのではないかと思う。特にこうした管弦楽歌曲などを伴奏する座付管弦楽団はベルリンのフィルハーモニカ―では出来ないような演奏をする。本当に貴重な演奏だ。こういう指揮を出来るのが一流以上の指揮者で、フランクフルトで聴いたオクサーナ・リニヴもまさにそれで、ヨアンナ・マルヴィッツはまだその域には達していない。



参照:
お目当てのヴィデオ 2016-10-01 | 文化一般
ドイツ的に耳をそばたてる 2016-09-18 | 音
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