Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

不死鳥の音楽的シオニズム

2023-12-17 | 文化一般
ガザ問題へのアピールはなされた。取り分け11月の訪日前に語った指揮者キリル・ペトレンコの近東問題への姿勢から、どうしても同じウクライナに所縁のある合衆国の指揮者レナード・バーンスタインのシオニズムに対する姿勢への懐疑の念が湧いた。なぜならば故人こそは人権擁護の芸術家であり、そうした運動もそのリベラルな政治性を体現していたからだ。

指揮者バーンスタインのマーラー交響曲演奏指揮は所謂マーラールネッサンスと呼ばれるものを引き起こして、20世紀後半の演奏に多大な影響を与えた。ユダヤ系音楽家を中心にその亜流が主流を占めるようになって、漸く昨年のペトレンコ指揮の交響曲七番の指揮のそのプログラムでの合衆国ツアーでその流れに明確な終止符が打たれた。そのことは自明と認識としていたのだが、シオニズムとの関連に迄は興味が向かわなかった。

そして今回その存在は知っていたYouTubeにあるMGM制作の「1967年のイエルサレムへの旅」と題するドキュメンタリー映画で指揮者自身が語っているのを観て、イスラエル建国戦争当時から前線で演奏会をして、武器を持って戦うことでこそのシオニズムの成就があるのだという確信に満ちた思想を理解した。なるほど少なくともバーンスタイン指揮で二曲のマーラー交響曲の演奏を体験して、そこに描かれている世界は作曲家グスタフ・マーラーを越えたシオニズムであることは感じており、その切っ掛けがナチスドイツによるユダヤ人問題の解決を経ての演奏活動であることも分かっていた。

しかしそこで語られているキリスト教世界の秩序を超えての世界のモデルとなるイスラエルへの植民と再生へのその期待までを語っているとは思ってもみなかった。それは、そのものシオニズムであり、現在の独連邦共和国が国是とするイスラエルの存続とそれに反抗するイスラエル非難がそのものアンティセミティズムとなることの裏返しともなっている。

ヘブライズムやシオニズムどころか旧約聖書についてさえ語る資格はないのだが、バーンスタイン指揮のマーラー演奏を所謂文化的シオニズムとするとあまりにも多くのことが分かるだろう。音楽に限らず芸術や文学の素晴らしいところの一つは、居ながらにして多くの体験に相当するような経験が叶うことではないだろうか。

映画の中で実際にマーラーの復活交響曲がそこでは解釈されていて、そこで復活するのは再生イスラエルとなっている。最初にイスラエルで演奏した時の英雄的な行為で指揮者本人が語っているようにそれはイスラエルの国歌になったとまで言及している。

そしてここに反イスラエル若しくは反シオニズムがアンティセミティズムとされるかの回答がある。その要因には、一般的に多く語られるれるよう植民地主義の近代の歴史があるとしても、それは何もナチズムの虐殺の記憶の歴史に対峙するドイツだけではなくて、欧州そして英米にも通じているにはそれなりの社会文化的な背景がある。

特にドイツにおいては、ユダヤ文化がその中に文化的な根幹として組み込まれている歴史的事実があって、西欧におけるユダヤ人のその文化を含むその独自性の発露が社会の近代性を裏打している。即ち、社会主義やマルキズムなどをまたは宗教原理主義を除く近代的精神の中に自ずからシオニズムが生じていて、イスラエルの再生はモットーとなっているからである。(続く
A JOURNEY TO JERUSALEM 1967 With Leonard Bernstein & Isaac Stern




参照:
ペトレンコの日本への真意 2023-10-21 | マスメディア批評
人類共生を訴える声明 2023-12-16 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人類共生を訴える声明

2023-12-16 | 文化一般
木曜日の夕刻に一斉に通信社から流された。ハマスによる誘拐拉致事件に発端とするガザでの人道的クライシ7日のイスラエル国内でのハマスの武装集団による国境線での非人道的な行為が起こり、ベルリン在住のドイツ人シャニ・ラウクへの死への蛮行は映像としても伝えられて、反テロアピールとして独官邸など独各地ででイスラエルの国旗が翻った。反旗ではなくてイスラエルへの全面的支持が表明された。

異例のことであり、イスラム教徒やアラブ人もユダヤ人に並んで多く住んでいるベルリンではそれに対する反感から、市街地ではイスラエル支持のアピール行為に対抗するように大きな紛争が起こり学校でも暴力事件が起きた。その時点で、各管弦楽団などではイスラエル支持の催し物が行われたりしたようだが、ベルリナーフィルハーモニカーには特に大きな期待を以て企画が課された。同時に楽団の首席ヴィオラ奏者であるアミハイ・グロースのいとこが誘拐されていたりで、判断と決定に時間をかけていた。そしてそれがその間の極東ツアーを経て木曜日に発表されたのだった。

パレスティナ問題に詳しい向きは、その後のイスラエル政府による仮借の無い人道に反する武力行使だけでなくて、ここ数年の趨勢を知っていることから、どのような声明をこの独連邦政府に支援されている楽団が出すかに注目した。声明は以下のようなものである。

近東における人間的な苦難は留まることがなく続いている。10月7日のイスラエルのハマスによる殺人的な攻撃後そしてガザ地域における凄まじい人道的な危機の真っ只中において、今も百名を超えるイスラエルで拉致され拘束され続けている人質がいる。彼らの生命そしてガザ地域やイスラエルでの市民の生命は取り分け危険に曝されている。チャリティーコンサートで以って、ベルリナーフィルハーモニカー、首席指揮者キリル・ペトレンコそして音楽的なゲストは、全ての人質の解放とあらゆる市民の保護へとアピールをする。

因みにこのコンサートは20日水曜日17時から、統一料金25ユーロとそして寄付によって行われる。モットーとして、「人類共生」が掲げられて、アルゲリッチなど高名なソリスツが参加する。そして最後に、ペトレンコ指揮でブルッフの「コルニドライ」が親族が解放されたというグロースのソロによって演奏され、ネット等で生中継される。

寄付の受領団体は、先ず拉致家族への支援は当然として、直接のガザへのそれは無いもののイスラエルの最大の無党派草の根運動の女性「平和への女性」と「太陽の女性」で、前者はUNOとの協調作業もしておりパレスティナ和平を掲げている。恐らくベルリナーフィルハーモニカーとの協調機関などの推薦を受け熟慮された選択なのだろう。
חייבות לעצור את הטירוף הזה علينا أن نوقف هذا الجنون


ドイツ連邦共和国におけるイスラエル存続支持は国是であって、上の声明はその枠組みの中での最大限の意思表明であることは断っておきたい。寄付する意思は個人のそれでであり、それが適当かどうかは各々の判断に委ねられるということだろう。



参照:
「二重の悲劇」のその心境 2023-10-29 | マスメディア批評
管弦楽への圧倒的熱狂 2018-06-08 | 文化一般  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末年始の発注を纏める

2023-12-15 | 生活
クリスマスから年末年始の準備。なによりもその期間に休業となる肉屋に発注しておかないといけない。クリスマスイヴに取りに行って年始は第二週からとなる。今回は23日が土曜日なのでそれが最終日となり、新年は8日が月曜日となる。つまりそこ迄の肉類を発注する。勿論スーパーはその間も三日間の休み以外は開かれるが、普段買わない肉はわざわざ買わない。そこで一括発注となる。

昨年11日に注文したのは、栗ザウマーゲンとトリュフの入ったザウマーゲン、シュヴァルテンマーゲンという燻製したものと、リースリングの煮凝り、それに鴨野胸肉だった。昨年は初めて量を押さえた。理由は新年二週間目に何かが残るのを避けたかったからである。お客さんが来るようなことがなければ、それ以上には必要がない。さらに来年は一月の第三週目の頭には出かけたりフランスのスーパーに寄ったりするので、残り物を食しているような悠長なことはしていられない。カレンダー通り新年二日目から比較的正常化する。

但し、今年から食し出したヘルムートコールの夜食「アイスバイン」をどうしようかと思う。日持ちするので購入しておけば変化は楽しめると思う。アイスバインを新年に開ければ、トリュフをクリスマス前に手を付けてもいいことになる。なんとなくそちらの方がアドヴェントに似合うような。

故コール首相の片腕で私設秘書でルートヴィヒスハーフェンの自宅事務所に勤務していた女性が亡くなったとあって大きなニュースになっていた。どこかで顔を見たような気がするが思い出せない。ガラガラ声で、この人の声を聞かずにコール首相に会う人はいなかたっとされる。外交関係者は違うであろうが、先ごろ亡くなったキッシンジャーは自宅のコールと電話したことがあるのだろうか?そういえば故人はワイン街道のダイデスハイムに来ていない世界の数少ない要人だったのではないか。

トリフォノフのカーネーギーホールライヴの録音の編集をした。冒頭は僅かなリード部分を切らなければいけなかったが、いつもの番組冒頭の「カーネギーホールプリーズ」まではあまりなかった。そして、休憩時にネゼサガン指揮の「ラヴァルス」が流されていたが、これも前のお喋りがあり最小の短さで実況に移ったので、すっきりカットした。

しかし驚きは余分にタイマーセットして二時間半の録音時間のエンドも殆ど切り取るところがなかったことで、全部で2時間15分を超えていた。それでも舞台脇のオヤジたちの声が冒頭に被さるの毎回で、如何にトリフォノフが楽屋から一気にピアノに向かって弾き始めるかがよく分かる。

冒頭のラモー曲から集中力があるのだが、再三にわたってスマートフォンがおかしな音楽を奏ずる。流石バーデンバーデンではここまではないと思う。マイクを通したカーネーギーホールの舞台上の音響はとても素晴らしいのだが、やはり聴衆の質はこうしたリサイタルをするにはあまりにも程度が悪そうだ。

更に大管弦楽ならばあまり気が付かないのだが戸外の騒音が可也激しい。交差点だと思うが、これだけ聴こえるならば御免である。限られた時間のニューヨークに滞在中に出かけることもないと思う。



参照:
究極のフェティシズム 2023-12-14 | 文化一般
ニューヨークタイムズの耳 2022-11-14 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

究極のフェティシズム

2023-12-14 | 文化一般
木曜日には11月のバーデンバーデンでのラフマニノフ生誕150周年記念フィラデルフィア演奏会最終日の放送がある。三日通うのも辛く、週明けにベルリナーフィルハーモニカーのフランクフルト公演があったので出かけなかった。トリフォノフが何か弾くなら出かけたが、ネゼサガン指揮のラフマニノフ演奏は初日の二番においても繰り返しなしで、それだけでもペトレンコ指揮の演奏のように取り分け見識が見つからなかった。そしてコロナ前にベルリナーフィルハーモニカーツアー公演で聴いた交響的舞曲の下手な演奏での上書きは堪忍して欲しかった。

そしてネットを検索しているとArteで予定通り年末に最終日二日の演奏を再編集した番組がTV放送並びにネット配信される。つまり、土曜日に演奏された「パガニーニの主題によるラプソディ」がメインに組み合わせられる。そして、土曜日の生中継らしき映像のコピーが見つかった。これがまたピアノのアンコールだけでなくて、後半も含めて面白い。視覚的な影響もあるのだが、ミキシングもラディオとは違っていて、観もの聴きものだ。コロナ期間中のバッハのリサイタルも素晴らしかったのだが、今回もこうして記録されることになった。主催者や会場との関係など様々な相性があり、少なくとも、それ以前の登場からリピーターの数は増える一方であろうから、今後ともバーデンバーデンがドイツにおいて重要な登壇となりそうである。要するに聴衆と一緒に音楽を作っていくことになる。こうした特別な機会を積み重ねていくことで公演内容も充実するので重要である。

そして夜中にはニューヨークのカーネギーホールからのトリフォノフリサイタル生中継があった。留守録音の準備でまわしておいたら上手く録れたようである。プログラムもハムマークラヴィーアソナタで締める本格的なで手応えのあるもので、こちらもじっくりと聴いてみないといけない。

チャットパートナーが朝からなにかいつもに無くコンタクト取って来るなと思ったら、先日転送した写真が既読になっていた。こちらからすると一週間近く放置しないで少なくとも僕のだけは見て欲しいと思うが、忙しいから仕方がないかもしれない。

そういうことなしに、シャツを着ながらなのは良いのだが、上のボタンまでかけていたから、横から胸元が見えるようにボタンをもう一つ開けてとアドヴァイスした。チラリズムと呼ばれるものだが、覗き趣味のフェティズムと書いた。ボタンを一つ外すことぐらいは取り分けどうっていうことはないのだが、男性視聴者に対しての効果は覿面である。最初の頃に手で隠したりしての少しづつの露出においては、本人の羞恥も真実でこうして作る必要が無く蜜に集るように男性が集まっただろうが、こうした配慮の一つ一つが肝心となる。それがあまりにも仕草としてプロフェッショナルになって仕舞うと誰も興味をそそられなくなる。よくアメリカ人などでビッチェと呼ばれるのはそれを繰り返しているような女性を指す。

唐突に思えるが、まさしくこれが音楽作りの全てであるということを、11月訪日に先駆けてキリル・ペトレンコがアカデミーの演奏家に分からせたいと話していたことであった。あれだけの天才が自己批評を含めてそうした活動をしている訳であるから、平凡な才能の無い者が無頓着にしていたのでは到底お話しにならない。そもそも細かな修正を出来る腕が無ければ始まらないのである。修正が出来ないから無頓着でいるしか仕方がないというのが真実であろう。



参照:
演奏会と劇場での相違 2023-12-13 | マスメディア批評
社会文化的な意味あい 2023-12-10 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

演奏会と劇場での相違

2023-12-13 | マスメディア批評
トリフォノフ演奏の「パガニーニの主題によるラプソディ」他が放送された。やはりマイクを通してもネゼセガンの指揮が悪い。楽団も前半はサブの面々しか出していないのだが、指揮さえしっかりしていたならばやれる楽団である。

ペトレンコが出てくるまでは頂点の領域でここまで指揮で変わると思ってもいなかった。それは後半の交響曲でのようにじっくり時間をかけて練習しておけばある程度出来るのとは大違いだ。ペトレンコ指揮で日本でも同曲を演奏したようで、その練習回のミュンヘンでの演奏が放送されていた。勿論その時のピアニストのイゴール・レヴィットとはなにもかも違ってその反応速度も要求されるものも違う。しかしペトレンコも協奏曲となると合わせることに全力を注いで、それは歌手に合わせる時よりも遥かに徹底している。そうして合わせれる実力が全く違うのである。

実演ではなんとか鍵盤を走る指に注目することでピアノに集中できたのだが、マイクを通すと今度は楽譜が必要になりそうだ。これからはピアノ協奏曲を聴く場合は指の見える位置に陣取ることにさせる貴重な経験だった。

嘗てはカラヤン指揮ヴァイセンベルクのべートーヴェンでも不満は感じなかったのだが、やはりつけたしのような演奏家が奏する協奏曲は御免である。同じバーデンバーデンの祝祭劇場でランランのピアノを残り残らず聴かせたペトレンコの指揮はそれだけで立派だったと今改めて思う。

日曜日から流していたLPを最後まで通した。件の雑音はある程度の時間を超えると出てくるが、オペラ全曲をBGMで流しておくのはそのもの針も消耗して勿体無い。しかし、名盤の「シモンボッカネグラ」を二回に分けて最後まで流した。事務仕事をしながらの流れ聴きであるが、今迄感じていた問題点が分かった。問題点とは戦後のミラノスカラ座公演で最も成功したストラ―レル演出の制作録音であるが、初訪日引っ越し公演で文化会館で演奏されたものからすると大分相違がある批判点である。

LPで聴くことでの問題点でないのは同じスタディオを利用しての「マクベス」では大成功しているにも拘らず、この録音のダイナミックスなどの問題は録音にある。明らかに弱音の表現は文化会館での上演の方が優れていて、更に制作録音の「マクベス」にも劣る。録音の問題もあり得るのだが、それ以上に比較的大きな編成に楽団が奈落に入らずに演奏しているために、奈落でのようなダイナミックスの凄味が失せてしまっている。

勿論制作録音のマイクロフォンの問題もないことはないのだが、例えば舞台の前に下された紗の幕の効果もここでは全く得られていない。要するにこの制作の音楽的な効果としても絶賛されたそのダイナミックスが、制作録音でもそしてコンサート形式の公演でも絶対得られないということである。如何にコンサート形式のオペラ上演というのが不完全なものであるかの典型的な実証である。

そして勿論歌もその感情移入には至らず、そして大成功した制作ゆえに少々のキャスティングに相違があったとしても完成度の高い制作は維持されていた。そうした音楽劇場の妙が伝わらないのである。



参照:
舞台に現れるメダリスト 2023-11-15 | 音
変わるヴェクトルの大小 2023-12-11 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

資料整理の枝払い

2023-12-12 | 雑感
書類を整理した。まだ片付いていない。一時間以上は掛かった。先ずは音楽祭や催し物のチラシ類で、嘗てネット情報が限られていたころの遺物である。有名音楽祭でもネットで情報は得られなかった。ホームページすらなかった。

バイロイト音楽祭の拝見出来ない残念のお便りを郵送されたプログラムと一緒にファイルしてある。いざとなれば断り回数で配券をお願いできたからである。今は昔の感が強い。バイロイトの場合はお断りばかりで、配券からその後のコンタクトへとは中々進めなかったが、ザルツブルクは金さえ準備すれば大抵入券出来るのでなんだかんだとコンタクトがあり、それも今のように電子メールは普通ではなく、急ぐときには電話かファックスを使っていたような頃である。それも外国であるからそれなりの電話料金も発生した。だからもう判読不能の熱感光のフックス用紙が綴じられていた。流石に最早無価値である。どんどんとゴミ箱へと向かう。意外に資料とし役立つのはプログラムの載っていない全体のプログラムとかが全体像を見るうえで参考になる。

小さな演奏会などではプログラムを買っていないものもあって、記憶から落ちていた演奏会の資料もあった。特にルツェルンの音楽祭でシュターツカペレドレスデンがシノポリ指揮でアバド指揮ベルリナーフィルハーモニカーの前日に演奏している。そして翌日の「ダフニスとクロエ」などが新会場お披露目ガラになっている。それを読んで今回も勘違いしそうになったのだが、古いホールで新ホール建設への寄付のコンサートだったのかもしれない。倍の価格を徴収していた。そして冊子の最後に嘗ての会場の座席表が出ていて、これは永久保存版だと改めて思う。その様な勘違いもあって古い会場の記憶が覚束ないようになって仕舞ったのだ。

どちらにしても、当時聴いたベルティーニ指揮スイス祝祭管弦楽団やサロネン指揮ロスフィルに比較してアバド指揮ベルリナーフィルハーモニカーが全然上手ではなかたっということだ。常連のシャイー指揮コンセルトヘボ管弦楽団は取り分け素晴らしかった。因みに支配人として日本で指揮をしているバーメルトの名前が挙がっている。

ワインの方の資料は2018年から2023年産のカタログや価格表、そして何よりも醸造所のイムプレッションやプレスの反響のコピーが参考になる。取り分けまだ蔵に眠っている瓶や飲み頃を待っている瓶に関するものとしては第一級の資料で、如何に当初の予想や評価が正しいのか、そして収穫状況がどうであったのかがなによりもの学習素材となる。よって、保存していないワインの醸造所の資料は殆ど価値がない。

天気予想通りの好天となった。摂氏12度を越えたのでパンツを脱いで走った。大した運動ではなかったのだが、汗ばむだけで十分だった。試しのラインニング用ではない集めの靴下を履いてみたが、気持ちよく走れた。今後寒い時にはこれを使いたい。

陽射しがあるのでワイン地所から写真を撮った。とても気持ちがよい。地所での枝払いなどの作業が進むだろう。山城の上にはクリスマスツリーが付けられていてた。地元の協会の有志の改築工事で長年掛けて修復作業が進んでいるのだが、城壁から本体にも移ってきているかと思ったが、例年のツリーだった。いつもお知らせが配られているのだが、知らないうちに屋根をつけているのかと思った。



参照:
変わるヴェクトルの大小 2023-12-11 | 音
放射冷却の待降節初日 2023-12-04 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わるヴェクトルの大小

2023-12-11 | 
急に暖かくなった。ジャージのパジャマを出したが、暖房を抑えてもまだまだ暖かいので、薄いのに着替えて、再来週以降の次の寒波に除けておこうかと思う。兎も角週明けは暖かく、片付けものも済ませたい。掃除も室内が明るいと進む。先ずは書類の整理である。

先日カセットデッキのベルトが壊れていたのを発見したが、その前に八年程問題のあったLPプレーヤーの雑音振動が収まったようなのを確認した。問題はACシンクロナスモーターから出る雑音でLPを半面以上演奏すると雑音が出てきていた。その都度、モーターシャフトに固定されているゴムベルトを掛けるプーリーを外してシャフトにグリースを塗るなどして誤魔化さなければいけなかった。よって追々とは長時間再生も叶わず、必要な音盤を選んでさっと再生するというだけの使用法しかできなかった。MCカートリッジの針交換をしたのが2014年なので、新しいカートリッジを殆んど使っていなかった。ダムパーだけが経年変化しているだろう。

同様の現象は安物のトーレンスのプレーヤーで起きる現象のようで、モーターを分解しての作業方法などを紹介しているサイトもあるのだが、あまりにも面倒そうで、正直時間も根気もなかった。出来れば新しいDCモーター製品を購入しようと思っていた。しかし抑々LPを聴く趣味からは甚だ遠く、手持ちの資料ソフトの有効利用でしかないので必要には迫られなかった。

しかし先月に長く所持しているシリコングリースを使うことがあった。タブレットの電源マイクロUSBのの接触保護だったと思う。その時に思い切って今迄控えていたモーターシャフトへの注入を決断した。躊躇していたのはプラスティック部分での白い粉などの使用後の状況を見ていたからで、それなりに抵抗で摩耗を引き起こすのを知っていたからだ。抑々シリコンの高分子は電気的にも科学的にも安定しているとなれば躊躇する必要は無かったのかもしれない。

そして使ってみた様子では機械油や通常のグリースではどうもその粘度や表面張力などもあって綺麗に塗布されずに物理的に下に落ちて仕舞っていたようだ。だから10極のシンクロで回しているうちに落ちてしまって、問題のどこかが振れて異音を出していたようだ。異音を出すまでもなく明らかにシャフトの回転の静粛度が上がった様子で、スピ―カーからの音も活き活きとしてきた。

特にメシアン作曲「渓谷から星々へ」はその音のヴェクトルの大小が分かるように、スピード感と空間性が生じて来た。「アシジの聖フランシスコ」を体験してから、鳥の鳴き声も以前のような月並みな印象を与えることもなく、些か情緒的で雰囲気的だと思っていたメシアンの音楽語法の背後にある意味合いがよく分かるようになった。該当のエラート社の二枚組LPにおけるマリウス・コンスタン指揮アンサムブルアルスノヴァ演奏の1977年の録音は聞きこむ価値がある制作だ。ブルックナーの神秘主義などよりも直截的である。

因みに同じメシアンの「クロノクロミー」をドラティ―指揮ロンドン交響楽団が演奏したLPもあれ以降楽しみに再生してみたのだが、名盤とされながらこれは駄目だった。演奏の仕方が出来ていない。やはり保守的な交響楽団では、九月のペトレンコ指揮クセナキス「ジョウンシェ」演奏の様になるにはそれなりの年月が必要なことは明らかだ。



参照:
音の摂理とその奔流 2023-09-22 | 音
今こそターンテーブルの時 2016-05-03 | マスメディア批評
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社会文化的な意味あい

2023-12-10 | マスメディア批評
走ろうとしたら時計がなかった。忘れたので先日電池を入れ替えたところの万歩計を使った。上りで18分を切っていて、歩数は1780歩程だった。明らかに時間は短く出る。先日頑張った時でも18分台だったから、この朝は20分を超えていて23分ペースだった。今回はどうも誤差が大き過ぎたようだった。下りて来て30分台3800歩で、下りは比較的正確だったかもしれない。気温は上がって摂氏5度を越えて襟巻も要らず手袋だけだったので走りやすかった筈だが、パンツが膝にこびりつくようで走り難かった。

金曜日のスカラ座からの批評が色々と出ている様であるが、劇場からのYouTubeのミュンヘンのティーレ氏のそれはいつも緩い。音楽が分かっていないのだから仕方がないが、これだけ緩いと名演を批評した時のその的確さが疑われることになって信憑性がなくなる。プレス席を得たとなるとああゆう風になって仕舞うのがいたい。そしてローゲには常連の大統領などは欠席して右翼政治家と収容所の生き残りが同席したとその意味合いを語っていた。

ベルリンの新聞がペニスの飾りを大々的に報じていた。何事かと思って読むと、首都の目抜き通りのフリードリッヒシュトラーセにあるコンツェルトハウスの向かい側の仏デパートギャラリーラファイエッテのシューウインドーに飾られたクリスマスツリーである。そこにぶら下げる「玉の飾り」がこの「ブータンのお守り」に替えられているというのだ。当然のことながら人目を引いて、とても好評の様である。

このデコレーションは一月末までみられるという、しかし樅木は非売品と落ちが書いてある。一月にベルリンを再訪する予定なので是非見てこようと思う。ウンターデンリンデン通りの歩いていない所も散策しよう。今回は市内のパンコウに連泊する予定なので、路線図や駐車場や靴や美術館なども調べておかないと埒が明かない。

春に公的プールでのオーベンオーネ、つまり女性の上半身解放へと向かったベルリンなど独各大都市であるが、ベルリンは元々共産圏でフライケルパーカルテュアーFKKとされる運動が盛んでこうした展示にはアレルギーは薄い。勿論フランスの企業がそれに乗じて話題作りに客寄せするのには全く抵抗がない。同時に社会的に様々な宗教や民族性が渦巻くベルリンにおいて、こうした68年代に西側では最も大きな運動となったフリーセックスが今こうして性の多様化の中で改めて話題作りになる社会的素地がある。フランスの企業にとってはその文化性をも示す好機ともなっている。

ドイツの大都市において例えばミュンヘンの老舗の店舗などではこうしたものは似合わない。やはり保守性というものがそこには存在する。同じことを銀座の目抜き通りの展示としたらどうだろうと考えるとやはり賛意が得られないということは容易に想像できるのではなかろうか。

早速チャットのパートナーにこれを転送しておいた。まだ既読やその反応はないのだが、公共プールの対応についてはクールと答えていたが、これについてはなんと反応するのだろうか。やはり羨ましいと思うのではなかろうか。勿論私もただでは転送しないでしっかりとここぞとばかりに口説く。FKKといっても決してその性的な効果や意味合いが払拭される訳ではないので、それにはそれなりの意味がある。だから客寄せにもなるのである。それが社会文化的な意味合いということになるだろうか。



参照:
Weihnachtsbäume mit Penissen statt Kugeln dekoriert, Christian Gehrke, Berliner Zeitung vom 07.12.2023
やるべきことを達成 2023-12-09 | 音
MTBを抜き切る 2017-11-28 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やるべきことを達成

2023-12-09 | 
ミラノからシーズン初日の中継があった。時差中継で幕間をカットしてあるのですんなりと長いオペラ「ドン・カルロ」を何かする傍らで流した。音楽的には冴えず、気になるのは友人のソロ奏者が乗っているかどうかぐらいだった。いつも目が行っていないことを確認するので一年おきで変わるのだろう。来年計画されているペトレンコ指揮「ばらの騎士」には乗っていると思う。

演出も芝居以前に舞台設定や服装がミラノファッションにもならずで興味がわかなかった。敢えて暗くしているのだろうが、シラーの原作にしてもなんでも今更そうしたところに感情移入できる人がいたらおかしい。ああいう舞台でもト書き通りと尊重する人がいたならばオペラのドラマテュロギーには無関係な人だろう。そのドラマの為に全ては作曲されているので、要するに音楽にも無感傷なのだろう。

流石にお歴々を集めて、国歌から始まる催し物であるからそれなりの歌手陣で、本愛ならなそれにふさわしい公演となる筈なのだが、冴えない。歌を熱唱に持ち込むでもなく、ヴェルディの音楽の権力抗争とか力もそこには抒情もなかった。奈落もしゃきとしないだけでなくて全てが指揮者の責任で、最後に一人だけ盛んにブーを浴びていたのが音楽監督のシャイーだった。例年このような公演が為されている。

指揮者シャイーに関してはアバド時代の業績になくてはなかったトレーナーである、コンセルトヘボー楽団を聴いてきてその指揮以上に素晴らしいアンサムブルは聴いたことがなく、名門ゲヴァントハウスでも現在も通用するように為したとされ、指揮者アバドの死後もルツェルンの音楽祭の臨時楽団を鍛えている功績は誰も否定しようがない。しかし同時にこの指揮者の演奏会に二度と出かけようとも思わないのはその音楽が詰まらないからであり、プログラムが上手に鳴らす為のような曲目しか並んでおらず全く興味がわかないのである。そういう意味からも最も優れた管弦楽団トレイナーでそれ以下でも以上でもない。

シャイーの指揮するオペラもあまり記憶にないので聴いていないのかもしれないが、こういう何をやっているのか分からないオペラ公演ならばお断りである。同時にこういう楽団がペトレンコが振ったとしてもどこまでの演奏が出来るのか不信感を抱く。そこがミュンヘンなどとは大きな差が開くところとなっている。

そのキリル・ペトレンコがジルフェスタ―コンツェルトのその前にノルウェーのベルゲンで復活祭新制作「エレクトラ」の練習の為に演奏会を振る予定で到着した様なのだが、不慮の体調不良でキャンセルしたとの情報が流れた。何らかの急性の症状があったととられる表現なので、慢性の症状などが悪化したものではないのだろう。まだ年齢的に五十歳を超えたところで大病は考え難い。


基本的には元気そうではあるのだが体格的にもそれ程頑丈そうな印象はなく、そもそも父親のヴィデオなどを見るところ、痩せていて早く亡くなったのも納得のいくような感じなので、本人もここ十年程がなによりもの活躍期だと思われる。時間の無駄を話す天才としてはやはり仕事の質を厳選して、仕事量を減らしてもやるべきことを達成して貰いたい。
Kirill Petrenko forced to withdraw from Elektra due to health issues ― Due to unexpected serious health problems Kirill Petrenko, who arrived yesterday in Bergen, was forced to withdraw with his deepest regret only a few hours before the rehearsal start from the project to which he was looking forward so much since a long time and which was extremely important to him. He promised to come back to Bergen and the Bergen Philharmonic Orchestra as soon as possible for a new project.


参照:
職業音楽家のルーティン 2023-02-21 | 文化一般
避けがたい芸術の力 2023-01-01 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アシスタントとしての実力

2023-12-08 | 
ミュンヘンからクリスマスチャリティーコンサートが生中継された。モーツァルトの「イドメネオ」が初演されたキューヴリエ劇場からだった。昨年「ブルートハウス」の再演で音響も確かめたが素晴らしい劇場で、同じモーツァルトの所縁のあるシュヴェツェインゲンの夏の離宮のロココ劇場のように軋まない。それだけ手が入っているということでもあろう。そしてそこの主がミュンヘンに移ってからの自作自演初演だった。因みにそこでモンテヴェルディの曲を挟んでのハース作曲「ブルートハウス」こそはオペラの三大作曲家として歴史に残る上演となった。

さてそこでフランクフルトの市立劇場の音楽監督に抜擢されたグックアイスが指揮するということでお手並み拝見であった。11月にも就任最初の新制作「グランマカーブル」の評判も悪くなくて出かけようかどうかの選択肢もあったのだった。

結論からするとその音楽を聴きにフランクフルトまで出かける様な指揮者ではないということだった。少なくとも世界最高の座付き管弦楽団を振りながらアンサムブルの妙味も聴かせずになにも楽譜も読めていない指揮をさせるべきではないということだった。それでもフランクフルトの支配人が老衰のバレンボイムに代わって指揮したのを観て抜擢するだけの才覚を魅せたかどうかとなる。

なるほど歌手が上手ければそれに合わせて伴奏するだけの力はあるようで、アシスタントとしての下準備もある程度できるのだろう。バルティックからの歌手がデズデモーナの「柳の歌」を歌ったが若干問題があっても中々表現として出来ていた。敢えて言えば少し合わせた時にそうした傷を何故最初に手当てするだけの力量がこの指揮者にはなかったのかとなる。恐らくそこ迄の余裕がこの指揮者にはなくて自分が指揮することで手一杯かに思えた。

流石にイントロ当てクイズまでにはならないのだが、指揮台でやっていることは声部のダイナミックスや強調だけのようで如何に楽譜が読めていないかが分かる。同じフランクフルトで阿波踊りのように振っていたマルヴィッツなどの方が読めていると思わせる。そして本人が出来ていないのが分かっていない様子が一番痛い。

ドイツ最年少の音楽監督となったのはヴッパータールの現在日本の新国立劇場で客演指揮をしているパトリック・ハーンであるが、こちらも演奏会放送中継などを観ると問題もあるのだが、少なくともやろうとしていることもはっきりしていて、キリル・ペトレンコが最も信頼をおけたアシスタントだけの音楽の基礎が出来ている。だからコロナ期間中で流れてしまった復活祭での高度に音楽的に難しい新制作「フィデリオ」上演でそのアシスタントの実力が評価されるところだったのである。

故ヘルムートコール首相の夜食の残りあったので、ザウワーボーネンを温めて食した。やはりその脂や煮凝りがその熱で溶けだす直前の旨味が最高である。それをまだ一年も経っていないプリュミエクリュのモンツィンゲンのニーダーベルクのまろみのあるリーズリングで食するのだから堪らない。勿論本格的な辛口の醸造とは言いながらもその新鮮な酸に調和するだけの糖は残っていて、アルコールも12パーセントと喉越しがよい。特に零下へと向かう夜にはこうした食事で温まる。その後まだ足りなかったのでジャガイモを残ったソースに付け合わせて、更にダルマイヤーのケニア産の最後の一杯のコーヒーを淹れた。それ程味は落ちていなかったが、香りは飛んでいた。



参照:
くっつかない米粒ヌードル 2023-12-07 | 料理
何時の間にドイツの森に 2022-09-15 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くっつかない米粒ヌードル

2023-12-07 | 料理
最初の寒気は過ぎた。それでも咳をしている人は増えた。走るにも僅かな陽射しの間に済ましたい。谷の林道は陽射しが強く当たる所以外は真っ白になっていて、自転車ともう一人に続いて三人目の足跡で、動物のそれはほとんど見かけなかった。バムビなどもどこかで過しているのだろうが分からない。

季節柄安売りのモッツァレッラの賞味期限が来たので、食し方を考えた。ネット情報ではオーヴンにかける方法もあり、以前は茄子の上に乗せた。茄子もないので先日購入したバリラの米粒ヌードルを合わせてみることにした。スープの為に購入していたのであるが、時間通り10分茹でて、同時に準備したトマトのソーズに刻んだそれを入れて、ヌードルの上に全てを掛けてオーヴンにかけた。

心配していたのは、米粒ヌードルがくっつくことだったが、そういうことはなくて、綺麗に皿に取れた。味はベーコンと玉ねぎも効いているのでまずい訳もなく、綺麗に満遍なくモッツァレッラが伸びていて、食感と言い風味と言い文句なしであった。何よりも寒い時に熱いグリルものを楽しめるのが一番だった。雑炊風のものしか思いつかなかったので更なる使い方が出来ることが分かって得をした気持ちである。これならば付け合わせにカレーとかサフラン風味で米代わりにも使える。米よりも早く付け合わせれる。

来夏のザルツブルク音楽祭のプログラムが発表となった。何よりも関心があったのは秋にスカラ座でやる共同制作「バラの騎士」が入っているかどうかだった。日程的には難しいもののキリル・ペトレンコが新制作指揮をするならばその前に他の指揮者ではあり得ないと思ったからである。そしてミラノでの配役などが明らかに落ちていて、決して話題となる制作とはならないだろうと予想がついている。

結局ペトレンコのザルツブルクオペラデビューは伸ばされた。勿論再来年に同じ制作をザルツブルクで指揮するとすれば手間は省けて、ヴィーナーフィルハーモニカーに練習と付ける時間により時間を割けれる。少なくとも独語圏では大物独語歌手でないとお話しにならないので、ディアナ・ダムラウが予想される。

少なくと2024年も今年に続いてザルツブルクに出かける必要はなさそうだ。ここ暫くはアスミク・グリゴーリアンを引き上げたヴァルサーメストも病気もあってか来年も入っておらずに、批判にさらされ続けているロシアンマネーの影響から足を洗えないようなプログラムとなっている。

これで再びプーティンバンクの支援が明らかになると可也危ないことになって、大きな体制の改革が為される必要が生じてくるかもしれない。

嘗てから中心となっているヴィーナーフィルハーモニカーの負担を如何に減らして沢山の催し物を執り行うかが課題だったが、結局そこにブラック労働の賜物である露西亜の楽団を上手く振り別けるようになっていて、それらの楽団の活動にプーティンの銀行の支援が欠かせないとするならば、ザルツブルク音楽祭もその経済的な恩恵に授かって開催されているということになる。

嘗ては大きなスポンサーによって運営されていてメディアの投資がそこに乗っていたような状況が既に朽ちたということである。



参照:
回答が出される週末 2022-12-14 | 生活
立ち眩みでメガネ屋へと 2022-07-17 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若い時からの伝記

2023-12-06 | 文化一般
寒い、籠り部屋への避難を考える。階下でヒーターを強くかけるなら狭いところに籠った方が効率が良い。しかし日が明けると寒気は緩む。氷点下から抜け出る。12月であるから陽射しがないうえに、零下数度はあまりこのワイン街道ではない。年が明けての陽射しが射す厳寒とはまた異なる。特に階下は陽射しが勝負で、屋根の雪で明るくても直射日光とは異なる。流石に走りに行く危険は冒さなかった。明けてからも足元が悪くても氷点下とは違う。

これだけ冷えるとヒーターにくっついていても寒い。小さな部屋に籠りたくなる由縁である。仕方がないのでカロリーのあルヘルムートコールの好物に濃くのあるリースリングを合わせた。それでも温まらないので熱いダージリンを淹れて、トリノから中継されたベルクの作品六を大きな音で流す。チョコレートでも甘いものを摘ままなければ落ち着かない。

先日取り出したワインの資料をどのようにしようか考察中である。肝心なのは寝かしてあるワインに関わる収穫から醸造、貯蔵後のイムプレッションで、そこに様々な情報が詰まっている。これを消費する方が上手に関連付けれると、飲み頃の選定や熟成の方向性も瓶を開けずに予想可能となる。だからグランクリュワインに関して四半世紀程は保存して目を通さないと為にならない。それ以前に購買価格なども話しの種にはなる。醸造所ごとに整理しておかないと駄目なのだが、すると資料整理が面倒になるので、三年おきぐらいに閉じておくことになる。その様なことをしている時間があるだろうか。

就寝前に1986年のサイモン・ラトル指揮の実況中継の話しが出ていた。前年には初訪日があって話題になっていてNHKでも放送されたのだろうが記憶になかった。探してみるとエアーチェックのカセットがあった。流してみようと思うとデッキのゴムが伸びているようで動かない。暇な時にでも修理しようと思う。

その頃の事情を改めて最初の伝記本にあたると、背後事情に詳しい。日本公演中にフィルハーモニア管弦楽団と上手く行かなかったという節は、改めて読み返すと、上で放送された中継では既にクーリングオフ状態になっていて、1983年までのムーティから1987年以降のシノポリへとの流れが決まっていたとされて、既にその後任のサロネンの名前も出ると同時に当時のシベリウスなどの実況中継の録音も手元に残っている。

その時期には合衆国でのデビューを終えて、指揮者ジュリーニの後任としての名前が挙がっているにも拘らず拒否して、ベルリンでのマーラー十番でのデビューも予定されていたのだが、こちらは楽団の準備不足から六番に変更されたということだった。

クリーヴランド管弦楽団での1985年の二度目の登壇ではデビュー時のように明晰に振ることはなくなっていて、更にストラヴィンスキーで管楽器奏者を横に並ばせるなどのアンサムブル上無理な配置をさせたりで、馬鹿にされたと不平が上がったとされて決別。同様にフィルハーモニアとの日本公演では無理強いが決別に繋がったとなる。

これに関しては既に当時柴田南雄が指摘していた「最期まで変わらない」との批判が分からず仕舞いでいたのだが、ベルリンのシェフになってから初めてフィルハーモニーで聴いた指揮技術上の問題がそこに連なっていたとは長く理解できずにいた。今は漸くそれを理解している。



参照:
叶わなかった十八番 2018-06-21 | 文化一般
あまりにも壊れ易い世界 2020-02-23 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新鮮で刺激的な展開

2023-12-05 | 
承前)フランク・ザッパの命日は12月4日らしい。金曜日に演奏された録音を聴いている。最初の「While You Were Art II (1986) 」のシンセイザー擬きは名演であるが、調べると2016年にプラハで管弦楽団版が初演で、録音等がネットで容易に見つからないので、演奏回数は少ないのだろう。指揮者エンゲルは初演魔であるとともに、昨年のハース作曲「ブルートハウス」指揮のように再演若しくは再再演ぐらいで振ると決定的な演奏を行っている。

二曲目に演奏された「Revised Music for Low Budget Symphony Orchestra (1969) 」はイエローシャークという企画で、ザッパの死の直前にフランクフルトのアンサムブルモデル―ンで演奏するようにアスキンという人によって管弦楽化されたシリーズのようで、オリジナルの演奏はCD化されている。それを聴くと今回の演奏とは大分異なっている。第一印象はとても古びているという感じで、その専門楽団が当時前衛的に活躍していた響きを伝えている。現在も活動は続いているようだが、面子を見てもとても老けていて、前世紀の化石という感じが免れない。その様な演奏がそこでは展開されている。
Revised Music For Low Budget Orchestra


今回の演奏では戦後の新しい放送交響楽団ではありながらもそもそも古典的な交響楽団形態であって、新しい音楽の為のアンサムブルとは音楽的にも大分異なっているのが余計にザッパのオリジナルの音楽と1980年代に響いていた当該楽団を髣髴させる。それほどに今回の演奏がとても新鮮で刺激的な展開となっている。

取り分け興味深いのは、LPなどの発達で若しくは1960年代のステレオ録音技術などによって些か古めかしい響きとは言ってもそれも百年後にも耳に残る音として記憶に残るという嘗てなかったような体験をするようになって来ていることだ。嘗ては百年前の音などは誰も知らず、憶測で想っていたに過ぎなかった。

そうした現象と史観を扱って芸術作品としたのが、九月末に再演されたステン・アンデルセン作の「Play Big」であった。何故この作品が21世紀前半を代表する作品であるかの証明である。そしてそれはエンゲル指揮の再演で本来の効果を示していた。エンゲルが21世紀前半を代表する指揮者であることは、「ブルートハウス」の再演と共に最早否定しようがない。

指揮者と言えば、ザッパのところにブーレーズ作品の録音を持ち込んだのはアメリカに移ってからのストラヴィンスキーの傍らでアシスタントであった指揮者のロバート・クラフトと書いてあった。実は西海岸ではバークレー校などの音楽家ともコンタクトがあって、こうしたアメリカでの音楽創作がどのように流れているかには関心もあって、全く想像がつかないというものではない。思いの外小さな世界なのである。

YouToubeにもあるのだが、今回の生中継放送でやはりなんといってもアレクス・ぺクストンの話しやら、その二曲の作品がやはり奇異でもあって、最も評価するのも容易ではない新機軸のものだった。世界初演の曲で批判して切り捨てられるものは決して少なくない。寧ろもう二度と関心をもたないでいいという作曲家は幾らでもいる。しかしこの作曲家はもしやととても気になるところがあって、もう少しじっくり聴いてみないと判断が付かない。



参照:
タイヤ交換の予約完了 2023-11-25 | 生活
Play Bigの新たな指揮者像 2023-07-20 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

放射冷却の待降節初日

2023-12-04 | 
谷は摂氏零度だった。零下にはなっていなかったので足元がつるつるするようなことはなかったのだが、十分に寒かった。流石に口で息するのは憚られた。樵が入っていて早急に必要な薪用の丸太を切って積み込んでいた。クリスマスマーケットなどの木材等にも使うことがあるのだろうか。土曜日には広場でも何かをやっていたが寒くてもう一つ盛り上がっていなかったような。

冬タイヤはこうなると走り心地がよい。走る足元の靴下も厚いものを使ってもいいかと考える。靴を新しくするまでは筋を傷めたりと怪我をしないように注意すべきだろう。以前よりも寒さを感じるようになった気もするが、同時に体重も増えていて、夏前よりも5㎏は増えている。運動量は落としておらず若干食事量は増えたかと思うが、アルコール量は増えてはいない筈だ。基礎代謝量が若干落ちているのかもしれないが、寒いと空腹感は以前よりもより強い。身体が重くなると切れが悪くなるので注意しなければいけない。

セックスチャットの新入りで真面そうなのを観たら、アテネの大学一年生で近世文学専攻という子がいた。自己紹介を読むと、アジアへの興味があって東京での活動が夢という。個人的には少しかすかすした感じで好みではないのだが、日本男性の好みには合うかもしれないと思った。まだフォロワー数もまだ少なかったので口説くチャンスかと思って紹介しようかと思っていたら、今見ると急に増えて3400を超えている。この間に何をしたかは分からないが、常連さんもくっついている。ピアスも入れ墨も喫煙もアルコールも無しということで、手ブラ以上にどこ迄露出するのだろうかと思って集るおじさんも多いのだろう ― その時点で1000人も集まっている。そんなものに沢山払っている奴がいる。逆にチップを払って、それだけの見返りがないので、減点評価も少なくない。

さて我がパートナーはというと、熱を帯びた感じで早く切り上げてからはお休みしている。インフルエンザ症状の様ではあったが、感冒ならば心配は要らないのだが、またこの機にパートナーを替えるとするとまた危険性もある。悪くはなかったようだがもう一つ売れる要素はなかったので、もっと稼げる子が欲しいだろう。相棒に働かせて儲けるプロデューサーなのでボスと呼ばれていた。稼ごうと思うと限がないので判断が難しいところだろう。別ルートでメッセージを送っておいたが未だ既読にはなっていない。そこ迄気を掛けているものだから忙しい。若いとは言いながら、乾布摩擦ではないが昭和の戦時中の女学校生のように始終裸で健康で今迄元気そうであったので、特に喫煙もあり気になるところでもある。

音楽PCの下にワイン購入の資料を入れていたのだが、音楽資料に入れ替えた。理由はバルコンのガラスの横に置いていた椅子をヒーターの方に移動させて、少しでも光を入れようと思ったからだ。するとその元々はTV受信機台にしていた足元をすっきりさせたかった。楽譜などの必要な書類や電化製品などは夏の陽も浴びる所なので置けないのだが、適当な資料には好適だ。そこで空いたスペースにまだ使えるような公演のプログラムや美術文化関連のあまり見ない資料を放り込んでおく。

陽射しがあって靴磨きにも良かったので、一月に使うまで綺麗に直しておく。衣装の方も来年までは使わないで済みそうだ。デジタルコンサートホールの恒例の待降節カレンダーキャムペーンで来年15日までの48時間無料券を集める。年末年始は大分無料で観れそうだ。



参照:
拍車がかかる食欲 2023-10-30 | 暦
最早創造性がなければ 2023-11-30 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凄まじい肉感的な音響

2023-12-03 | 
金曜日の生中継を聴いた。想定していたよりも名演だった。一つには音響が整えられていた。当夜のプログラムはスターロックミュージシャンのフランク・ザッパの命日に故人の曲二曲と世界初演一曲そしてドイツ初演、改訂版初演の五曲で構成されていて、大きな交響楽団とジャズ奏者そして声が組み合わされた作品が演奏されるものだった。

ジャズ奏者としてトロンボーン奏者で作曲家のアレックス・ぺクストンの二曲が自作自演で演奏されて、新曲には最後に演奏された作曲家のジェニファー・ウェルシュが声出しするという構成になっていた。毎年のようにこのシリーズを振っている指揮のエンゲルがこの企画にどのように関わっているかは分からないが、聴き甲斐があった。

ぺクストンの曲はリコルディ―で出版しているようだが、ジーメンス財団が奨励していて今年最も話題の作曲家かもしれない。ウェルシュの方は以前カールスルーへのZKMに女性作曲家として招かれていたので記憶にあったが、恐らく今後大劇場などで音楽劇場作品を発表していくような作曲家なのだろう。

そのトリの曲の演奏は感動的だった。アイルランドの人のようで英米圏の音楽には違いなく、バーンスタイン風でもあり、取り分け音楽的な新しさはないのだが、自身の声で語り歌う力強さがあって、先日言及したように自作自演の正統性でもある。そしてその曲自体がガンで亡くなった俳優の死因から今日のマイクロプラスティックや放射能のエントロピーからの影響などに懐疑の念を抱く内容となっていて、とても情感的でオペラティックな作品なのである。本人ではなくても英語圏の歌手が歌っても勿論効果があるだろうが、作曲家自身が番組で語っていたように指揮者エンゲルの肉体的な音楽を通して新たな世界が広がるというのはマイクを通じても認知された。

こうした声の入るもののエンゲルの指揮は二十年以上前から上手いのは分かっていたのだが、流石第一人者であっても英米系の音楽を此処迄上手に振るのも再確認した。既にミニマル音楽のフィリップグラスのアシスタントとしても大成功をしていて、アイヴスの制作でも有名ではあるが、初めて実感した。兎に角若いころからアジアの作曲家などとの直接の協調作業に勤しんでいて知らないものはないほどなので、賞を獲得した露西亜音楽を含めてものにしている。

そして、そこでは生中継された西部ドイツ放送協会のコンサートホールでもある大スタディオとそしてその収録技術からマイクを使った声も取り分け見事に捉えられていて、そのバランスや音響から必ずしも容易ではないこうした曲の演奏として最高音質の上演となっていた。それは一曲目の声とトロンボーンでも活きており、三曲目に演奏されたザッパの曲なども元々は楽器演奏が難し過ぎたためにシンセサイザー打ち込みによって演奏されている。そのザッパの曲が編曲されて大管弦楽が演奏するものは、そのエレキの音響などの迫力を活かしながらの演奏となっている。こうした音響の凄さは、中々放送の圧縮音源でも感知しがたいものであるが、少なくとも生放送では会場での音響を想像させるだけの中継となっていた - 残念乍ら質を落としたオンデマンドなどでは認知の難しいものであり、こうした新しい音楽での未知の要素は演繹が難しいので茶の間には伝わりにくい。(続く
Alex Paxton | Förderpreis Komposition / Composers Prize 2023

Jennifer Walshe — XXX_LIVE_NUDE_GIRLS!!! | Klangforum Wien | Kabinetttheater




参照:
黴取り処理で備える 2023-12-01 | 生活
最早創造性がなければ 2023-11-30 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする