3月中旬のブログで、SLについて取り上げましたが、今日はそれ以外の鉄道について取り上げてみたいと思います。なお、私自身は、鉄道マニアではありませんので、写真がどうしても、スナップの域を出ませんのでご了承願います。
平成12-14年の二年半ほど八王子に勤務していたことはすでに述べたとおりです。立川市に住宅があり、中央線で八王子に通っておりました。乗車時間は10分ほどですが、車窓から富士山が見えるので、いつも先頭車両の運転手の後ろに陣取って、進行方向を見ておりました。
日野市を過ぎるあたりから、左右に富士山がちらちらみえてきます。いつもコンパクトカメラを構えては撮影しておりました。しかし、ブレたり、ガラスへの映り込みがあったり、架線と重なり合ったりして満足な写真が取れませんでした。
そこで、高感度フィルムに、一眼レフ、PLフィルターをつけて撮った一枚が上の画像です。正面に冠雪した富士山が写り、手前の黄色い保線用車両も良いアクセントになったかなと思っています。お気に入りの一枚になりました。
さて、私の利用している中央線は、殆どが高尾どまりです。高尾というと、東京都民のハイキングコースとして有名です。3月にはこの高尾山の火渡りが行われ、珍しい儀式のせいか外国人が多く見学に来ます。火渡りについては別の機会に譲るとして、高尾山の中腹までは、登山電車が出ています。
下の二枚の画像は、車内から映したものです。単線のために、途中で下りの列車とすれ違う瞬間です。もう一枚は車内の様子です。結構急勾配を登りますので、車内が階段状になっております。
次の画像はいずれも八王子駅の北口で撮影したものです。私の勤務先は駅正面口にありましたので、滅多に北口に行くことはありません。たまたまふらりと行ってみると、線路が複雑に絡み合って、絵になりそうだと思い、撮影したものです。
東京にいる折に、鉄道関係の写真をかなり撮っていると思ったのですが、いざ調べてみると、フィルムからCDに取り込んでいないものも多く、5枚に留まりました。撮影はいずれも、H12-14年で、フィルムによるものです。
最後に上げた二枚は、このゴールデンウイークの4日に、小樽市総合博物館(博物館、交通記念館、青少年科学館の三つが統合された)で撮影したものです。
ご存知のように、小樽手宮~幌内間の幌内鉄道は明治18年に出来た、日本で3番目の鉄道です。小樽築港駅にあった機関区がここ手宮に移され、手宮~南小樽間が廃線になった後も、色んな車両が保存されております。
明治の頃に石炭を牽引したであろう弁慶号、しづか号が、当時のまま保存されていますし、かつて活躍した機関車、車両が数多く保存されております。右の画像は、明治の頃アメリカから輸入された、アイアンホース号です。
いま、格納庫から出て、回転台で方向転換しているところです。これから、ちびっ子たちを載せた客車に連結され、敷地内を走るのです。
平成12-14年の二年半ほど八王子に勤務していたことはすでに述べたとおりです。立川市に住宅があり、中央線で八王子に通っておりました。乗車時間は10分ほどですが、車窓から富士山が見えるので、いつも先頭車両の運転手の後ろに陣取って、進行方向を見ておりました。
日野市を過ぎるあたりから、左右に富士山がちらちらみえてきます。いつもコンパクトカメラを構えては撮影しておりました。しかし、ブレたり、ガラスへの映り込みがあったり、架線と重なり合ったりして満足な写真が取れませんでした。
そこで、高感度フィルムに、一眼レフ、PLフィルターをつけて撮った一枚が上の画像です。正面に冠雪した富士山が写り、手前の黄色い保線用車両も良いアクセントになったかなと思っています。お気に入りの一枚になりました。
さて、私の利用している中央線は、殆どが高尾どまりです。高尾というと、東京都民のハイキングコースとして有名です。3月にはこの高尾山の火渡りが行われ、珍しい儀式のせいか外国人が多く見学に来ます。火渡りについては別の機会に譲るとして、高尾山の中腹までは、登山電車が出ています。
下の二枚の画像は、車内から映したものです。単線のために、途中で下りの列車とすれ違う瞬間です。もう一枚は車内の様子です。結構急勾配を登りますので、車内が階段状になっております。
次の画像はいずれも八王子駅の北口で撮影したものです。私の勤務先は駅正面口にありましたので、滅多に北口に行くことはありません。たまたまふらりと行ってみると、線路が複雑に絡み合って、絵になりそうだと思い、撮影したものです。
東京にいる折に、鉄道関係の写真をかなり撮っていると思ったのですが、いざ調べてみると、フィルムからCDに取り込んでいないものも多く、5枚に留まりました。撮影はいずれも、H12-14年で、フィルムによるものです。
最後に上げた二枚は、このゴールデンウイークの4日に、小樽市総合博物館(博物館、交通記念館、青少年科学館の三つが統合された)で撮影したものです。
ご存知のように、小樽手宮~幌内間の幌内鉄道は明治18年に出来た、日本で3番目の鉄道です。小樽築港駅にあった機関区がここ手宮に移され、手宮~南小樽間が廃線になった後も、色んな車両が保存されております。
明治の頃に石炭を牽引したであろう弁慶号、しづか号が、当時のまま保存されていますし、かつて活躍した機関車、車両が数多く保存されております。右の画像は、明治の頃アメリカから輸入された、アイアンホース号です。
いま、格納庫から出て、回転台で方向転換しているところです。これから、ちびっ子たちを載せた客車に連結され、敷地内を走るのです。