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第五福竜丸外伝

2021年06月20日 | 公園
アナザンスター様、コメントありがとうございます。今日の予告までして頂いて。もちろん見てきましたよ、第五福竜丸。でも私は史実としてこの船の存在は知っていましたが、ここに保存されていることは知りませんでしたので、まずここにあることにびっくり、そしてここにある理由にまたまた驚き、そんなアフターストーリーがあったとは・・・。今日の話は長くなりますが、週末だし、ゆっくりご覧くださいね。

緑甦る夢の島公園の一角に
カナディアンハウスのような建物が
カナディアンハウスにしては大き過ぎる



建物の外には



古めかしいメカが、エンジン?





建物名は「第五福竜丸展示館」
えっあのビキニ環礁の水爆実験の?



中に入ると船が丸々展示してありました



まずは第五福竜丸の図解
船体の色が違うけど、その理由はあとで



第五福竜丸は焼津のマグロ遠洋漁船



1954年3月
キャッスル・ブラボー



第五福竜丸に死の灰が降り積もります



その被害はマグロ市場にも及び



第五福竜丸は反核画家や



反核映画など





反核運動の旗印になりました



とここまでは私も知っていた史実、乗組員の方の話は映画や本で知っていましたが、肝心の船体の行方については全く知る術がありませんでした。あらためて船体各部をチェック。



甲板





船室



舵までもが木製



その後船は人の手に渡り



白く塗り替えられて



やがて廃船へ



そして当時ゴミの島だったここ夢の島に流れ着き、大量の家庭ゴミと一緒に地中深く埋められてしまうところでした。予定では15号地若洲だったらしい。よくみると船名も違うみたい。



そのとき朝日新聞に一編のコラムが・・・。このコラムが同じ志の人たちを動かし、船体は保存が決定。故郷の焼津ではなく、ここ夢の島に展示記念館が造られ、広島の原爆ドーム同様、反核の象徴となりました。



物語や映画では風化してしまいがちですが、このように形あるもので残すことこそ、次の世代に伝える有効な手段だと思います。でもゴミと一緒にここに捨てられそうだったとは初耳、いわく付きだと売れないから色や名前を変えたのかなとか、捨て場所に困ってここに来たのかなとか、いろいろ考えちゃいます。まずは若洲の土にならなくてよかった、よかった。