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テレビのクイズ番組で、顔写真の人物を当てるという
のをやっていた。
そこに問題として出てきたのが「森鴎外」「正岡子規」。
他は「手塚治虫」「ブルースリー」「芥川龍之介」「太
宰治」「与謝野晶子」「湯川秀樹」の計八人。
「与謝野晶子」「湯川秀樹」以外は、結構ポピュラー
な顔写真と思ったが、ここでびっくり。
横浜国大出身のタレントが二人いたのだが、この二人
とも、誰も分からないと言うではないか。
辛うじて一人が「手塚治虫」を答えられたが、もう一
人は、「森鴎外」「正岡子規」を「夏目漱石」「野口英
世」などと答え、単に髭だけだろう共通点は、と突っ込
みを入れたくなる解答連発だった。
曲がりなりにも横浜国大出を謳っててそれは無いだろ
う、と怒りさえ覚えた。
理系ならまだしも文系だし。
それなりの大学を出てこの程度か、と呆れるしかなか
った。
確かに、こういう問題を答えられたかといっても、単
によく知ってるね、という程度の話ではある。
子供が、車の写真を見て車種を答えるのと、大して変
わりは無い。
決して、答えられたものをよく知ってるわけではなく、
決められたカードの名前を答えられた、という程度の
話なのだが、そこに至るまでの過程はちょっと違う。
子供の場合は、一生懸命暗記してのその結果だ。
しかし、大人の場合は、意図的に暗記するわけではな
い。
常日頃のその人間の興味の対象、そしてそれらの無意
識的な取捨選択、その結果がそれに表れてしまう、と
考えられるのではないか。
同じように目にしているはずなのに、一生認識できな
い人もいるし、系統的に認識する人もいる。
その差は大きい。
そうやって考えると、単にものを知っている程度だけ
ではないある違いが、こんなクイズでも表れてしまう
ものということになる。
「森鴎外」と「正岡子規」を間違えるのは許せるが、
それを「夏目漱石」と間違えるのはやはり許せないの
だ。
「夏目漱石」と「野口英世」を間違えるのは許せる。
「芥川龍之介」と「太宰治」を間違えるのも許せる。
「平林たいこ」と「与謝野晶子」を間違えるのも許せ
る(これは自分です)。
「湯川秀樹」と「朝永振一郎」は知らなくても、まあ
しょうがない。
世の中には、間違って良いものと、駄目なものはある
のだ、という大袈裟な話でもないか。
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