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この前、「イングロリアス.バスターズ」以来となる映画館での映画を観に行って来た。二年ぶりくらいか。観たものは「ドラゴンタトゥーの女」という映画。監督はデヴィッド.フィンチャーという「セブン」「ソーシャルネットワーク」(これは未見)などを作った人で、今や人気監督である(知らなかったが)。「セブン」しか観たことないが、巷の評判とは逆に、特別良いとも思わないし個性的とも感じなかった。唯、映像処理などに上手さがあるとは感じた。
で、何故この映画を観たかというと、たまたま本家のスウェーデンの「ミレニアム ドラゴンタトゥーの女」を観ていて、どう違うのかという好奇心がむくむく湧いたからであった。こちらの方は、いつものように無料動画で。原作は本国では人気ミステリーとして大ヒットしたらしい。本家の映画も結構な人気ということらしいが、その時は何も知らずに、この二時間を越す長尺映画を果たして飽きずに観られるかと懸念しつつ観たのだった。結果は、最後まで観られてそれなりに良く出来ていると思った。特に前半の一時間半ほどは、緊張感もあり、サスペンスとしてはかなり良いほうではないかと思っていたが、実際の犯人が判った辺りから、それも緩み、後半はご都合主義的娯楽映画の色合いが強いという印象だった。
今回観た映画は果たしてどうだったか。基本的に筋は分かっているので、話の展開がどうなるのかという興味はない。ミステリー好きであればこの点だけで興醒めなのだろうが、どう見せるかという視点でなのでそこは問題ない。実際細部の違いはいくつかあったが、大筋は同じであった。スケールの大きさは、勿論今回の映画の方が遥かに上(金のかけ方が違うのだから当たり前)。この点だけで迫力があるなどと高評価を受けてるようだが、個人的には、大仰さが邪魔に感じる。これはセブンでも感じたこと。それによって緊張感が増すかと言えばそんなことはなく、むしろ、緻密な描写の積み重ねがの方が大事と感じる。本家の役者の方が見かけがしょぼい分リアリティーが増すというのもあった。ヒロインとなるドラゴンタトゥーの女の描き方も、本家の方がよりニヒルで(人間嫌い)、抱えてる闇の部分の大きさが分かるようになっていた。今回はいやに人間的であった。
そして犯人が判った辺りからは、これは本家と同じで大分緩いと感じた。あそこで、ドアの開けっ放しはないだろうとか、直ぐに逃げればいいだろうとか、細部の嘘っぽさが目立つ。結果、そんな細部への視線で、どうでもいいこと、例えば出てきたプリンターがEPSON(本社が地元なので何故か嬉しくなる)とか、電卓がCITIZENであったとかそんなことが印象に残ってしまった。因みに本家の方で主人公が乗っていたのはプリウスだった。
ということで、今回も、デヴィッド.フィンチャーってそんなに良い監督か?と疑問に感じるような結果となってしまった。上手さがあることは認めるが。後、オープニングで流れるツェッペリンの移民の歌(ロバート.プラントではなくホニャララ{要するに知らない}と言う人が歌っている)は印象的。
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