■ 豊洲市場への移転は「早くても1年後」 ■
小池知事が豊洲市場の移転は「早くても1年後、或いはそれ以降」と発表しています。もう笑いがと泊まりません、バカらしくて・・・。
何度も書いていますが、豊洲問題は安全上の問題でも、建築上の問題でも無く、単なる手続きとディスクロージャーの問題。ですから、11月に計画通り移転を行っても何ら問題は無かった。それを小池知事が都知事選に勝つ為に政治問題化しただけに過ぎません。
■ 月に4億掛かる業者の出費増と、さらに築地の補修費が掛かる ■
業者がまとめた豊洲移転延期の伴う経費は月額4億円程度だといいます。これは豊洲で稼働させている冷蔵庫の電気代や、豊洲移転を見込んで採用した人の人件費だと言います。豊洲移転が1年延びたのならば、冷蔵庫の電源は切っても問題在りませんし、人件費は・・・。「まあ、この際だから都に付けっておけ!!」って感じの4億円で、実際に都が精査すればもう少し低い額になるでしょう。
一方、老築化し築地は騙しだまし使っている状況で、あそこが悪い、ここが壊れたという感じで細かなメンテナンスコストを垂れ流しています。
さらに豊洲とて、開場せずともメンテナンスコストは発生しているはず。これらの経費を合計すれば月額4億円程度は掛かるはずで、移転を1年延期すれば少なくとも48億円の都税が無題に消費されます。
■ 築地市場の方がよほど不衛生で、アスベストの問題もある ■
はてさて、現状、築地と豊洲と比べてどちらら「安全」かと言えば、断然豊洲。
築地市場の問題・・・
1) ネズミ、ゴキブリの巣窟
2) 発がん物質であるアスベストが建築に使われている
3) 老築化により雨漏りなどが発生している
4) 大雨の日には下水道が逆流してくる
5) 外気を遮断出来ないので排ガス由来のベンゼン濃度は豊洲の室内以上
6) 古い建築基準法で建てられているので耐震基準を満たさない
7) 老築化により耐震性は低下している
もう築地市場は問題だらけ。だから豊洲移転が決まったのに・・・。
■ 「食の安全」「都民ファースト」と言いつつ都民に負担を強要する小池知事 ■
小池知事は「食の安全」とか「都民ファースト」などと良く口にされますが、豊洲移転延期のどこが「都民ファースト」なのか。実際は都政で優位な立場を確保するまでの間、象徴的な豊洲問題を解決せずに都民や国民を自分の見方に付けておく為の「自分ファースト」では無いのか?
その為に都民は少なくとも48億円の都税を無題に浪費させられる。これ、どなたか行政訴訟を起こしても良いくらいの問題。
■ 環状2号線の地上化はボトルネックとなる ■
築地市場の跡地を通るルートで建設が進められている環状2号線。オリンピックに向けて整備が進められていましたが、築地は地下トンネルで通過する予定でした。
しかし、地下トンネルの建設には時間が掛かるので、築地の移転が延期された事で地上化される方向で調整されています。新橋辺りまでの地上区間は既に工事がほぼ完了しており、片側2車線の立派な道路が出来ています。この工事の為の土地収用に都税の多くが長年つぎ込まれて来た事でしょう。
ところが、築地を地上化すると道路は片側1車線となってしまう。これは明らかにボトルネックになり交通渋滞を作り出す。さらには、地上部では交差点が増える為、今よりも周辺道路の混雑を増やす事にもなります。
都の道路行政は非常に長期スパンで計画されています。環状2号線もオリンピック開催前から長年かけて計画され、土地収用と工事が進められて来ました。別にオリンピックの為の道路では無く、都心と湾岸地帯を結ぶ幹線道路として計画されていたのです。
■ 「暫定的地上化」で2重のコストが生まれる ■
確かに道路を地下トンネル化すればコストは地上化に比べて大幅に増大します。コスト面だけ見れば地上化にメリットが無い訳ではありません。しかし、地上化する事で計画された交通上のメリットは生まれませんので、将来的には地下化されるはずです。都も「暫定的に地上化」と発表しています。
将来的に環状2号線が地下化されるならば、地上区間を一時的に整備するコストは余分となります。さらには、本来は地下化された道路の地上部は有効利用出来た処を、地上化する事で、その部分に将来的に建物を建てる事が不可能になります。多分、緑地帯や公園の様な形になるはずです。
■ ポピュリズムのコストは将来的には納税者が負う ■
トランプ氏の大統領当選を始めとして世界的にポピュリズムが台頭しています。ポピュリズムは日本語に直すと「大衆迎合」ですが、「大衆=個人の集合体」です。
個人にとって税金を払う事は無題以外の何物でもありませんし、補助金は貰うに越した事は無い。家の近くにバス停も欲しいし、自分の家の前に信号があれば便利だ。小学校だって近くにあった方がイイし、行政サービスの充実は絶対に必要だ。・・・・でも、増税は困る。
これが現在の「大衆」を構成する「個人」の価値観です。これが100年前の世界の人々ならば、国家の為に多少の不便は我慢するし、税金や兵役など国家の為に国民が負う義務は当然だと考えていました。
近代国民国家が機能していたのは、「国家は国民の生命と財産を守り、国民は国家を守り税金を不安する」という契約関係が成り立っていたからに他なりません。
しかし、現代では「戦争」の危機が遠のいたので、国民は「税金が無駄に使われている」と考える様になりました。「無駄に使われるくらいなら自分の為に使ってほしい」「無駄に使われるくらいなら払いたくない」・・・こうして、国家と国民の契約関係は崩壊し、ポピュリズムが支配する様になります。
しかし、個人と集団の間には当然の事ながら「合成の誤謬」が発生しますから、多くの人が個人的な利益を望めば望む程、集団の利益は損なわれ、結果的の集団の構成要素である個人の負担は増大します。
豊洲問題はポピュリズムの政治が招いた損失のわかりやすい例ですが、マスコミがこの事を国民や都民に知らせる事は在りません。マスコミこそがポピュリズムを煽っているのですから。