岩井俊二の『リリィ・シュシュのすべて』以来の衝撃だ。『14歳』というそっけないタイトルと、小さな出来事を積み重ていくスタイルは廣末哲万監督と高橋泉(脚本)のチーム(群青いろ)のいつものやりかただが、長編映画のなかで、この息詰まる見せ方をされると、さすがにつかれる。
点描として、綴られていく最初は名前も、顔の区別すらつかないような子供たちの行動。そのひとつひとつをさらりと見せつつも、そこにある . . . 本文を読む
クラスメートの悪ガキに虐められて、コズキまわされた弟が、同じように高校時代のクラスメートから、イジワルを言われ、虐められている姉の姿を目撃する。何も出来ないまま、ただ影から見ている。姉は女たちに、買い物してきた豆腐とかをぶつける。この場面がなんだか切ない。この後、2人がニュータウンの芝生の道を通って家に帰るシーンが続く。とても美しい場面だ。
もちろんこの映画の主人公は姉である蒼井優なのだが、 . . . 本文を読む
いつもの桃園会なら、もっと曖昧な形でストーリーを進めて行くところなのだが、今回は、明確なストーリーラインを提示する。顔が変わる、という話の基本部分も、ストレートに表現する。2人1役というやりかたは、従来の深津作品ならありえない。芝居の中で、はっきり顔が変わるのだ。深津台本ならこの設定でもそんな見せ方はたぶんしないだろう。
B級遊撃隊の佃典彦さんの書き下ろし台本を得て、いつもの自分のやり方では . . . 本文を読む
M・ナイト・シャマランがまたやってしまった。見る前から嫌な予感がしていたが、予想した通りの映画で、脱力してしまった。シャマランはもうしばらく映画はやめたほうがいい。というか、もう引退したほうがいい。映画作家として、終っている。これだけ貧困な発想しか出来ない以上彼に撮らせることは犯罪的な行為だと思う。
『ヴィレッジ』を見た時確信したことを、またまた確認することになる。嫌な予感は当然的中する。 . . . 本文を読む
僕にとっての今年のHPFはこの作品で幕を閉じた。三会場を使って20日間にわたり、22作品を上演した今年の高校演劇祭は例年以上にハイレベルな作品を多数生み出すことが出来たのではないか。状況が過酷になればなるほどその切実さが高校生達にも伝わり、そのピリピリするような緊張が作品を予想以上のレベルへと引き上げることとなったのかもしれない。
僕はたった5作品しか、見ていないから偉そうな事は言えないが、 . . . 本文を読む
こういうノーテンキなラブ・コメディーは嫌いではない。これはきっとなかなかよく出来た映画なのかもしれない。お客さんは劇場でもよく笑っていた。だが、僕はなんだか乗れなかった。アメリカで大ヒットしたらしい。さもありなん。きっと、僕だけがへそ曲がりなのだ。
だいたい、本当ならここまで当たり前に定石を踏まえた展開をされると、それはそれで気持ちがいいはずなのに。キャメロン・ディアスもアシュトン・カッチャ . . . 本文を読む
先週末にHPFの芝居を3本見ている。選りすぐりの3本だ。本当ならもっと冒険して、もっとたくさんの作品を見たいのだが、時間がなくどうしても安全圏で選択してしまったようだ。
もちろん、どうしても見たいのに見れない芝居もあった。その場合は仕方ない。諦める。金蘭会を見逃したのは悔しいなんてものではない。今はウイークデーになかなか職場を5時までに出れなくて仕方なくほとんどの作品をパスしてしまったという . . . 本文を読む
後半の40分程しか見れなかった。残念で仕方ない。だが、この作品の雰囲気は十分に伝わってきた。凄いものを見た、という印象に誤りはあるまい。この自由奔放な世界は芝居とも、ロックコンサートとも、コントとも、前衛劇とも、違うし、でもそうだとも言える。もちろんパフォーマンスだなんて言わない。そんな便利な言葉で括るほど単純ではない。
混沌とした世界が寺山修司というテキストを前提に展開される。昨年テラヤマ . . . 本文を読む
こういうお芝居がこの世界には確かに存在するのだなぁ、という当たり前のことに感動した。大人たちが無邪気にこういうヒーロー物のキャラクターショーのようなことを嬉々として楽しんでいる。その姿はおぞましいようでもあり、でも本人たちはとても楽しそうで、それが何より大事、なんて思う。今回で第20回公演らしい。よく続いたものだ。本当に立派だ。好きなことを続けていく。そのエネルギーに敬服する。
芝居自身はほ . . . 本文を読む