湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ドビュッシー:ピアノ三重奏曲

2018年11月07日 | ドビュッシー
シャマユ(P)カプソン(Vn)モロー(Vc)(warner)CD

なんの引っ掛かりもないロシア的なまでにロマンティックな作品で習作的堅さが終始耳につく。「春」より保守的だ。ガッツリ型式を守り響きは軽やかなものを選んでいるが用法にも進行にも何ら冒険はなく、音線の一つ一つを取り出せばドビュッシー風にも思えるし2楽章のピチカート進行などトリッキーなものはあるが、譜面で見る以上に凡庸だ。演奏は控えめでガッツリロマン派をやるように派手な歌いまわしをすることがない。そのためどこを集中して聞いたらいいかわからなくなる(型式的ゆえ普通に聞けばよいが)。あと録音のせいかもしれないが弦の音色が硬い。紹介盤という意味以上のものは見いだせない。
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ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

2018年09月20日 | ドビュッシー
アンセルメ指揮ハンガリー国立交響楽団(放送)1965/9/20live

ネット配信されている音源でベト7,マルタンの管弦楽のための4つのエチュードの後、という変則的な順番の放送。アンセルメだからドビュッシーをメインとしたのか。オケがやや弱く、それに晩年アンセルメ自身の現代的な解釈も加わって固く融通のきかない演奏に聴こえる。融通無碍にされすぎた曲だから、あと、客演だけに解釈を堅くしたのか、面白みは無い。透明感ある響きは水晶のような輝きを放ち、それは一楽章で顕著だ。オケのせいか解釈か、稀に奇妙なバランスの解釈はあるも、終盤を除けば(ここはアンセルメの別の顔を見せている)熱気より精度をとったが如くで、それにもかかわらずオケが熱してしまい軋みを生じている。ライヴにしては堅牢に出来上がっている演奏なのでステレオ良録音であることも加え楽しめないとは言わない。客席反応はすこし良い程度。
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ドビュッシー:古代のエピグラフ

2018年09月16日 | ドビュッシー
ゴールド&フィッツデール(P)(columbia/sony)1953/1・CD

前奏曲集を彷彿とさせる人好きしそうな神秘的な曲集なのにあまり聴かない。このコンビは全く危なげなく、やや強めに弾ききっているが残響が多いので冷えた幻想味がよくつたわる。後半強くなるスペイン風のメロディや、ゴリウォーグのケークウォークを思わせるリズムはオリエンタル(死語か)な情緒を醸すための装置で、それらを彩るハーモニーや動きは全てを石化させるように、蒼く輝いている。この異化作業を否定してミヨーやサティが(一時期)アイデンティティを確立したことを考えると、たしかにこのやり方は袋小路でマンネリになりそうではあるが、とにかくドビュッシーこそコレ、というそのもので、このコンビは過不足なくドビュッシーを提示することに成功している。これはマッチしている。
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ドビュッシー:管弦楽のための映像〜Ⅱ.イベリア

2018年07月14日 | ドビュッシー
アンゲルブレシュト指揮ORTF(SLS)1959/3/19シャンゼリゼ劇場live

前へ向かわない遅いテンポはアンゲルブレシュトのこの曲の解釈であり、引き締まったリズムパート、無機質的な透明感がアク抜きされたラテン風味を引き立てる弦楽器、時にからかうような時に情感を引きずるような管楽ソロ陣、バラバラのベクトルを持った演奏様式がアンゲルブレシュトのむりやり縦を揃える方法により纏まる、いつもの解釈ではある。第一部でやや危なっかしいところがあり精度的には別にこれを取り立てて聴く必要はなかろう。情緒的で、第二部のネットリしたところや第三部の散文的な構成(決して弛緩はしない)は強引さを感じさせない強引さで聴かせてしまう一種豪快さが楽しい。客席反応は普通。録音はモノラル、やや悪い。第二部に瑕疵あり。
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ドビュッシー:バレエ音楽「遊戯」

2018年07月12日 | ドビュッシー
アンゲルブレシュト指揮ORTF(SLS)1955/2/17シャンゼリゼ劇場live

驚きの演目で否応にも期待が高まる。アンゲルブレシュトの構築的で透明感溢れる芸風が前衛的な曲にあっているようにも思える。が、結果、情緒的であった。もちろんアンゲルブレシュトも手練なので、特に得意のドビュッシーで曲によりアプローチを変えるのは当然なのだがモントゥとまでは言わないまでも結構この時代(録音は篭もって悪いモノラル)このような、バレエ音楽的な演奏は録音されてもいて、そこから離れたものにはならない。でも録音さえ良ければ普通に楽しめるレベルではあると思う。オケはORTFらしい少し無機質だが技巧はフランスでは高い方のそれ。ソリストによっては時代なりの懐かしい音はする。次に収録されているイベリアがいつもの客観性を感じさせる引いた演奏なだけに一際アンゲルブレシュトはバレエ音楽であったことを意識してやっているんだな、そしてあまりこの曲を好きではなかったのかもしれない、と思った。
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ドビュッシー:映像第2集〜Ⅰ.葉ずえを渡る鐘(コッポラ管弦楽編曲)

2018年07月12日 | ドビュッシー
コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(lys/warner他)1935/3/12・CD

Warnerではオケ名を管弦楽団のままとしており原盤表記はおそらくそうなっているのだろう。この時代の楽団表記はマストではなかった。曲があまり編曲されないたぐいの繊細なものであるからしてこの前のグラナダよりもさらに静かな編曲で、とりとめもない感じもする演奏となっている。コッポラ自身の編曲だから同じようなソリストを繋いでいくような形であるが、趣はすこし異なる。
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ドビュッシー:版画〜Ⅱ.グラナダの夕べ(コッポラ管弦楽編曲)

2018年07月12日 | ドビュッシー
コッポラ指揮パリ音楽院管弦楽団(lys/warner他)1935/3/12・CD

ビュッセルの編曲とは違うコッポラ自身によるもの。即物的なコッポラらしさは希薄。曲の穏やかさと編曲の妙で雰囲気音楽的であり情緒的である。職人的なわざで換骨奪胎とでも言うべき厚みある音楽を作り出している。ギター模倣のフレーズを担うハープなどソロ楽器が効果的に活用されているが、ファリャが賞賛したスペイン風のところはあくまで技法的に中東風のものが入っているというだけで、完全にフランス的な上品さのうちに収まっている。いや、肯定的な意味で書いている。昭和初期の録音でこれだけ幻想を味わえれば十分。オケも良いのだろう(Warnerではオケは無名となっている)。
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ドビュッシー:喜びの島(管弦楽編曲)

2018年07月12日 | ドビュッシー
コッポラ指揮交響楽団(lys他)CD

ビニェスの初演もかくありなんというスピードと水際立った音の弾け方、南欧的な明るさが素晴らしい。SPでこれを実現したのはコッポラや楽団もさることながら録音・プレス側の腕も優れていたということにほかならない。冒頭からしばらくはつんのめるようなテンポ感がありSP期特有の揺らぎが気持ち悪いが、後半は気にならなくなる。いや、この高速インテンポはコッポラの短所にもなりうるのだが、この曲はこれでいいのだろう。旋法的な動きを際立たせて雰囲気音楽に持っていくには明確すぎる輪郭を持っており、やや浅くも感じさせるだけに、勢いが大切だ。この編曲もいっそ南欧風のカラッとした感じがしてファリャを少し思わせ、モリナーリの編曲としたらドビュッシーの指示も確実に入っているのだから、正しいのだろう(コッポラの編曲かもしれない)。サティと違ったストレートなシテール島への船出、楽しい航海、である。
Comments (4)
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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2018年07月11日 | ドビュッシー
プレートル指揮フランス国立管弦楽団(ERATO/icon)CD

大人しい。この曲はそれでいいのだが穏やかで、一部表現にプレートル独自のものが出ていなくもないのだが、ごく一部であり、ソリストの個人的表現の範疇にとらえられなくもない。正規録音なので神経質に音質にこだわる人でなければ、この曲を最初に聴くのには向いているかもしれない。曖昧模糊とした「印象派」なるものを実感できるだろう。
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☆ドビュッシー:弦楽四重奏曲

2018年03月13日 | ドビュッシー
○パレナン四重奏団(EMI)1969/7・CD

テンポが「遅いほうへ」伸縮する独特のスタイルを持ち、2楽章などかなり生硬ではあるものの、ラヴェルに比べるとずいぶんと情緒的な音色の感じがするのは曲のせいか、師匠カルヴェの影響か、ファーストのヴィブラートのかけ方が甘い古いスタイルのせいもあろう。この団体は技術的に特にすぐれているわけではなく、旋律勝負なところのあるこの曲のようなものでは、ファーストの音が細く弱いのは難しいところだと思う(もちろん録音当時のことであるしデジタル化時に痩せてしまった可能性も高い)。情熱的な表現が苦手なのかもしれない、と思った。テンポが遅く感じるのは勿論演奏があるていど制御されたレコーディングとして行われているという点が大きいだろう、終楽章最後のプレストで異常にテンポアップするところを聞いてもけっして技術的に速いテンポをとれなかったわけではなかろう(最後のファーストの駆け上がりでクレッシェンドが足りないし、頂点で音が揺れすぎとは感じた)。情緒的演奏ではあるのだが客観的に情緒を演じているように感じさせてしまう。3楽章は印象的な沈潜の仕方をする。今ひとつ乗りきれなかったが、独特さを買って○。

※2007-02-28 16:42:22の記事です
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☆ドビュッシー:弦楽四重奏曲

2018年02月19日 | ドビュッシー
○パガニーニ弦楽四重奏団(KAPP)LP

非常に惹かれた演奏である。ストラディだからというわけではないだろうが音色に情感篭りまくりであり、結構即興的な(でも弓いっぱいに使った大きなフレージングが目立つが)ルバートがつけられ、起伏はあるが、ポルタメントで歌い上げる戦前の演奏スタイルとも違い各音符の分離は明瞭で、この曲ではそこが非常に強みになっている。ピチカートが美しい。ドビュッシーの繊細な響きは普通にやろうとすると曖昧模糊になりがちだし、かといって精緻すぎてもまた物足りなくなる。この曲は比較的初期のものということもあって国民楽派のような激情の表現も必要だから、精緻が過ぎても心に残らないということがおうおうにして起こりがちなのだ。これは現代的な整理された演奏ではないし、かといってファーストヴァイオリンが突出して歌いまくる古いスタイルでもなく(パガニーニ伝来のストラディヴァリウスの線の細く音量の無い音が全体のセピア色の響きに溶け込み不思議な感傷を与えるのは特記できる)、「艶めかしいがからっとしている」イタリアふうで、特に弱音部の余韻といったらない。そう、弱音の表現においてこの演奏は非常に秀でている。全楽章中最も凄い出来ばえの1楽章からこの点に気づかされる。弱音に激しい感情を篭めることの難しさを思えば、凄いことをやってのけている。ところどころなんとなく稚拙に聞こえるのは古い楽器独特の生音のせいだろう。生木の楽器を弾いているような感じがあるのだが、録音も古いし(といっても50年代と思うが)やむをえまい。私はそういう音が寧ろ非常に好きなのでこれは大好物だった。確かに何度も聴いていると独特の音に飽きてくるが(「独特の音」特有の弱みだ)、「鳴らない楽器を鳴らそうとしたとき」の「鳴る楽器以上に深く響く」という感覚が味わえる。ただ、私の盤は余りに状態が悪い。音飛びまくりだ。CDになっていればぜひ入手したいところ。◎にしたかったが、何度目かで飽きがきたことや盤面の問題で正確な評価を下せない点を割り引いて○。

(後日記)KARPとあったのはKAPPの誤記の模様。但しチャント確認していないので別録音だったりして(KAPP名の別ジャケ欧州盤を入手したんですが、たぶんアメリカ盤のほうがリアルで原盤に近いいい音です)。

※2006-01-31 17:43:43の記事です
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☆ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

2018年02月14日 | ドビュッシー

トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィル(MUSIC&ARTS)1936/4/16,19LIVE・CD

はっきり言って鑑賞に値しない音質であるが、トスカニーニは若い頃のほうが全然いいという説もあり(実際聞いたんですか?と問いかけたくなる怪しげな言説ではあるが)、いちおうドビュッシーファンなら古い記録として聞いておいても毒にはならないかと思う。けどですね、そんな状態ですので、トスカニーニの覇気は感じられてもオケの威力は感じられず、何かうすっぺらいものを聞いた感触すら残る。よほど曲に造詣のない方には不要、造詣のあるかたは頭の中で音を補って聞いてください。たぶん、後年の録音と解釈的な差はありません。無印。ブラヴォーは凄い。

※2005-03-25 20:01:08の記事です
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☆ドビュッシー:3つの交響的エスキース「海」

2018年01月27日 | ドビュッシー
○ミュンシュ指揮シカゴ交響楽団(000classics/DA/SLS:CD-R)1967/7/15レイビニア音楽祭live

DAは日付表示が無いがシカゴとの記録はこれしかない筈(シューマン4番、リスト(アンリオ・シュヴァイツアー)1番との組み合わせ、DAには牧神も収録されている)。

この凶悪さというのは何なんだろう。もうこのくらいの年になってくると何でもありなのだろうか。シカゴは機能性のオケである。それでも雑然と聞こえるのは録音のせいだけでもあるまい。しかしその雑は力感からくるものなのだ。やる気が凄い。キンキン金属音をたてる弦楽器も海がどうこう言うよりミュンシュの音楽をやるんだという意気を感じる。1,2楽章も凄まじい何かいじってないのにいじりまくっているような生々しいリアルさをもった迫力演奏ぶりだが、終楽章冒頭の緊張感も何か切羽詰りすぎているというか、ミュンシュにしては何故か専制君主的で陸軍指令官のように指示をとばしまくるさまが聴いてとれるようだ。ベートーヴェンの吹くラッパが進軍を指示するなり逆側から聞こえてくる(爆)弦楽器が轟音をたて始める。ヒステリックで観念的で、原譜検証とか合理的指揮法とかもうそういうのは半世紀以上前に勉強しました、といわんばかりに荒れに荒れまくる。音がまたヒステリックに生々しいのだ(いいとは言わない、エアチェックのレベルだから)。やがて海が凪いで延々我慢のフラジオをヴァイオリンが奏でる下でフルートが凄まじく伸び縮みしながら終盤へ向けて一くさりやるところの実に繊細な雰囲気にはかつてのミュンシュの「フランス派指揮者」としての面目躍如たる部分が出ている。しかしそれが終わると弦の「やっときたかよ!!」というような雪崩れ込みで全ての繊細な夢はぶち壊れる。それはまるで大波と大波の間の束の間の静けさだったのだ。そしてどんどん走っていく。音楽はどんどん走っていく。それでいいのだ。怒涛の海は海岸の木々を薙ぎ倒し、全ての砂が奪われていく。朝には天空を焼き尽くす太陽のもと、黒々とした大海原と、新しい地層をあらわにした海食崖が白く光り輝くのみ・・・燃え尽きた灰のように。これがミュンシュの行き着いた「海」である。

※2007-02-10 19:19:30の記事です
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☆ドビュッシー:小組曲(ビュッセル編管弦楽版)(原曲1888ー89)

2018年01月26日 | ドビュッシー
ビュッセル指揮

◎フランス国営放送管弦楽団(COLUMBIA/PATHE)1952:LP

SPではパリ交響楽団と表記されていたようだ(下記andante復刻盤かもしれない、またこのPATHE盤はandante復刻とおなじく名称上はColumbiaでも出ているので、そもそもデータ誤りの同一録音の可能性もあるが個人的には別と思う)。ビュッセルは作曲家の友人(指揮、作曲)で、これはその指示を受けながらピアノ連弾の原曲より1907年管弦楽編曲されたもの。春のうららの平明で晴朗な曲感はわかりやすくきれいで、作曲家のオーケストレーションではないにも関わらず人気者。アマチュアでもよく取り上げられる。1楽章:小船にて、2楽章:行列、3楽章:メヌエット、4楽章:バレエ。対照的な楽章をはす違いに配し、いずれも小粒ながら旋律はきわめて明確でしっかりした形式感を持っている。ドビュッシーらしい冒険はまだ控えめだが、ビュッセルの施した水彩画のような色彩はこれが新しい時代の音楽であることを改めて認識させる。この演奏はそんなビュッセルの指揮だから軽やかで耽美的と思っていたが、意外と重量感があり、充実した響きにびっくり。ドイツふうだなとさえ思った。オケの明るい音色からも、いわゆる鈍重な演奏になることはないのだが。奇矯な音を響かせるよりも全体の構成感を大事にしているようだ。そのため輪をかけて聞き易くなっているのは確かで、ちょっと違和感はあるもののこれが編曲者の意図だったのかとハッとさせられるところがけっこうある。ゆったりしたフレーズのニュアンス付けがロマンティックで情緒てんめんだが、弦が薄い?せいかあまり目立たない。バイオリンの旋律にはしばしばばらけたような音が混ざるが気にはならない。この時代でこの抜けのよい明晰な音であるということは紛れも無く優秀録音ということなのだが、私の手元の盤は傷多く雑音が多い。◎。この盤は高額なら手に入る可能性がある。ビュッセルは100歳以上も長生きし、1970年代まで健在だったが、指揮記録はごく古いものしかない模様。

○コンセール・ストララム管弦楽団(COLUMBIA/ANDANTE)1931/5/26・CD

急くようにつんのめり気味なのが時折気になるがこの無理したような速いテンポは収録時間の関係だろうか。新録より若々しいとも言える。素朴な音だけど作曲(編曲)時期に近いだけの生々しさがあり、とくに4楽章は荒さが味になっている。上手いオケではないが音や表現に実に雰囲気があるから、技術や音質にこだわりがなければ楽しめるだろう。

※2004年以前+2005-03-27 11:55:20の記事です

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☆ドビュッシー:六つの古代のエピグラフ(アンセルメ管弦楽編)

2018年01月24日 | ドビュッシー
○アンセルメ指揮シカゴ交響楽団(DA:CD-R)1968/1/25live

シカゴとは思えない生身の力強さを感じる。アンセルメは理性の指揮者のように思われがちだが音作りがオケに左右されがちなだけで割りとロシア的な太い音による男らしい演奏を指向するところがある。この演奏はアメリカ交響楽団のものとさほど期間をおかずに行われたものだが、芸風は同じだけれどももっと何か、適性を感じるというか、求める音を持ってなおかつ技量もプロフェッショナルな意識も高い、そういう楽団を相手にアンセルメもドビュッシーの初期的な安易さのみならず和声の複雑な様相を高精細に表現し、機微のよりはっきりした幅の広い表現を行っている。ちょっと世俗的に盛り上がってしまい尻切れのように終わるが、聴衆反応もいい。録音はこのてのものにしては極上。ただエアチェックなのか、天井がやや篭る。○。

※2008-10-24 10:20:00の記事です
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