湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ヴォーン・ウィリアムズ:ノーフォーク狂詩曲第1番(1914年改訂版)

2018年12月07日 | ヴォーン・ウィリアムズ
イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団(dutton)CD

民謡を前面に打ち出したRVWここにありというような曲で効果的だ。北欧的な雰囲気もある。ちなみに2番も不完全な形であるが編曲されたものが演奏録音されることがありこの盤にも収録されている。イギリス民謡は日本と同じ五音音階を使うため日本人にとってもちょっと気恥ずかしい場合がある。NHKの早朝番組で日本の農村を映したようなもので使われていてもおかしくない、いやひょっとするとこのあけすけな管弦楽編曲をまねたところもあるのかもしれない。坂本龍一にもあったと思うがしばしば日本人作曲家はオシゴトにRVWに近似した響きの民謡風音楽を書いていて驚かされる。「もののけ姫」を見た時、「これノーフォークラプソディじゃん!」と思ったものだ。民謡は同じ音階を使うというだけで似たり寄ったりになるものだけれど、管弦楽を伴うとその手法に先人の影を感じさせられざるを得ない。曲を知らない方はこう書いておけばどんな曲かわかるだろう。とても親しみやすいものだ。1906年の作品を14年編曲したもの。このすっきりしたさまは明確にラヴェル後の作風だとわかる。演奏はこのオケの美質がよく出ていて、弦もきれいに歌い、耳にしっかり届く。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:青い鳥組曲(イエイツ2017年版編曲)

2018年12月07日 | ヴォーン・ウィリアムズ
イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団(dutton)CD

1913年作品というとフランス後のはずだがラヴェルの影響はあまり感じられない。9曲からなり、従前の(だがやや北欧的な)ロマンティックな作風によるもので、編曲により後年の民謡と明るさによるヴォーン・ウィリアムズっぽさを出しているのだろう、雰囲気はなかなかよいが、まさしくヴォーン・ウィリアムズである、という引っ掛かりはない。無害。演奏はなかなか綺麗。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナーデ(管弦楽版)

2018年12月06日 | ヴォーン・ウィリアムズ
〇イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団(dutton)CD

これは美しい。大部分がソロヴァイオリンに誘われた美麗きわまる音楽の妙なる流れ、声楽よりも抽象的に、シンプルに迫ってくる、これこそ全盛期ヴォーン・ウィリアムズであり、実験的な習作より本道の作品を聴くのが正しいと思わせる。わずかにディーリアスの半音階が混ざったり、タリスを思わせる未だ生硬な無機質さもあるにはあるがそれもまた魅力。ソロヴァイオリンはディーリアスのようにラプソディックに動き回ったりはしない。ほのかに感傷的な流れの上を揺らぎおだやかに、管弦楽を悠久の流れにいざなっていく。演奏がまたRPOを思わせるとても曲にあった音で、まばゆく美しい。派手に迫ってはこないし録音状態はそんなによくはないが、RVWはこういう曲できちんと評価しないとな、と思った。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:ヘンリー5世序曲(イエイツ編)

2018年12月06日 | ヴォーン・ウィリアムズ
イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団(dutton)CD

ブラスバンド曲で他に録音もある。イエイツ編としておいたがどのあたりを編曲しているのか不明。おそらく弦楽が入るあたりなのだろう。1933年作品でまだ派手派手しい作風に至ってはいないが、「野の花」「4番交響曲」にみられた不穏な響き、焦燥感ある動き、管打の激しい表現が特徴的。民謡も織り混ざり田園交響曲や5番交響曲を思わせる弦楽と木管の平穏な牧歌は言うまでもなく美しい。どうにもイエイツ盤の録音状態はノイジーに聞こえるが私の機材の問題かもしれない。演奏は溌溂としっかりしている。秘曲におさまらないこの時期のヴォーン・ウィリアムズを端的に表した作品。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:管弦楽組曲「太った騎士」〜歌劇「恋するサージョン」よりイエイツ編曲

2018年12月05日 | ヴォーン・ウィリアムズ
イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団(dutton)CD

「恋するサー・ジョン」というと英国で1,2を争う有名曲「グリーンスリーヴス」(原曲民謡、ここでは「幻想曲」ではないバージョンを収録)が含まれることで知られる。というかそれだけしか知られない。この一応の完成版はイエイツによる8曲からなる編曲だが、RVW壮年期の手札を散りばめたような内容で意外に魅力的な作品となった。「ヨブ」やピアノ協奏曲以降のガチャガチャした作風もおり混ざるし(ヒンデミットぽいところまで)、簡素で穏健な「ただの民謡編曲」ないし民謡調もある。予想では民謡編曲ばかりの恥ずかしい大曲というものだったので、しつこいところはしつこいが、それでもなかなか飽きさせない。タリスのような静謐さは殆どないが、これは譜面にどれだけ書いてあったのかわからないが、楽器の用法がこの人にしては挑戦的でホルストっぽいところもある(立体的な書法はイエイツが施しているのかもしれない)。ちょっと古風な、宮廷風というか明るくゴージャスなところも目立ち、弦楽アンサンブル偏重ではない。「晩年的ではない」ことは書いておくべきだろう。これがどういう意味を示すかはマニアがわかればいいということで、けっきょく全体としてはRVWに田園交響曲や素朴な民謡組曲みたいなものを求める向きにアピールするものだ。フィナーレのように「こりゃヴォーン・ウィリアムズじゃない」というのもあるけど。そもそもRVWにチャレンジングな作風を求めて聴く人はいないだろう。イエイツとロイヤルスコティッシュナショナル管弦楽団は規律正しく立派にやっている。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:映画音楽「南極のスコット」完全版

2018年12月04日 | ヴォーン・ウィリアムズ
イエイツ指揮王立スコティッシュナショナル管弦楽団&女声合唱団、ドミニク(sp)ニコル(org)(dutton)CD

イエイツによるRVW未完作品等の補筆編曲セッション録音の中の一枚。00年代以降の録音なのだが素朴で音場が浅く耳障りの若干よくない音は、せっかくRVWなのに透明感や静謐さが損なわれてもったいない。演奏はやや冷たいが技術水準も高く、資料としては十分。曲は通常「南極のスコット」としてまとめられる素材にさらにピアノスコアしかないような挿句も復活させ80分近くにわたる絵巻物に仕立てている。・・・しかしこの曲は最終的に「南極交響曲」として7番の番号を与えられている作品だ。その交響曲に親しんでいるとあまりに散漫で、SF映画というか異界的な響き(ブラスと打楽器の重用はまさに親友ホルスト)であるのに、世俗的な音楽が突然織り交ざる、同じようなフレーズがちょっとだけ変わってえんえんと顔を出し続ける、など、どこを重点的に聴いたらいいのかわからない。映画の進行に合わせていると思われるが、それなら「南極のスコット」サントラ組曲で十分だろう。RVWマニア用の録音。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:オックスフォード哀歌

2018年12月01日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ウェストブルック(ナレーション)ウィルコックス指揮ジャック管弦楽団他(EMI)

CDは抜粋としてコンピレーション・アルバムに収録されたことがある。ヴォーン・ウィリアムズの中でも秘曲の位置づけで(録音は比較的ある)音響的には「野の花」によく似ている。しばらくは無歌詞合唱が音楽をリードし、暗くも異界的な雰囲気が保たれる。しかしこれは戦後作品であり、ナレーションが入ると(野の花のヴィオラソロとは違い)詩文の内容を明確に伝えてくる。さらに合唱に歌詞が入ってくる。まったくオペラティックに主張する(構想的に歌劇にしようとしていたのはよくわかる)。そうなると野の花の幻想は失われ、南極交響曲の即物的神秘に近づいてくる。ホルスト、さらにはウォルトンを思わせる。かつての作風が持ち合わせなかった音響的な冒険は音楽を立体的にする反面、冷たく突き放したような職人性が気になる。今ひとつ刺さってこない。この曲が評価されないのはそのあたり作風が安定しないところにあるとも思うが、詩文あっての作品なので、あくまでオーケストラや合唱は伴奏なのである。演奏はリアル感がある。それは後期ヴォーン・ウィリアムズには向くが。。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:チェロと管弦楽のための暗い牧歌(マシューズ編)

2018年12月01日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ジョンストン(Vc)イエーツ指揮王立スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(dutton)2012版・CD

ヴォーン・ウィリアムズが第二次大戦中手を付けながら未完の緩徐楽章のみ残されたというチェロ協奏曲を、単独楽章のものとしてBBCの依頼によりマシューズが完成、2010年プロムスにて披露された(イッサーリス独奏、youtubeで聴ける)。dark pastralという題名はRVWがつけたのではない。duttonのRVW未完曲目発掘録音のメニューの中に取り入れられ、録音されたのがこの唯一のCDということになる。ヴォーン・ウィリアムズのこのての静謐な作品は必ずしもライヴに向かない。ノイズレスでたっぷり時間をとって、精緻に作り上げた音響をもって初めて味わうことができる。これはまったく、全盛期ヴォーン・ウィリアムズの牧歌である。40年代のRVWにしてはむしろ古風とすら言える。複調性で深みを出してきた「野の花」よりは田園交響曲や揚げ雲雀の世界で、旋律はけして「ダーク」ではない。これが暗いなら、タリスの主題〜も暗いことになる。奇麗過ぎて諦念を感じさせる点で、ヴォーン・ウィリアムズ好きにはたまらない曲で、ヴォーン・ウィリアムズにしてはチェロの使い方が上手いと言えるかもしれない。音域的にチューバ協奏曲を彷彿とさせるかもしれないが、中身にシニシズムはゼロである。むしろドヴォルザークの協奏曲を思わせるところがある。ヴォーン・ウィリアムズは似せて作ることが比較的容易とみえてパスティーシュが多く作られるが、これもそこを汲み取って作ったのだろう。演奏はゆったり、よくできている。ヴォーン・ウィリアムズ好きならどうぞ。それ以外は他の曲と区別がつかないだろう。「チェロ協奏曲」です。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:グリーンスリーヴス幻想曲

2018年11月21日 | ヴォーン・ウィリアムズ
〇サージェント指揮LSO(warner/EMI)CD

これが決定版といっていいだろう。スピードが弛緩しない中で情緒的な伸縮を含めスムースに構成されており、手あかのついたこの曲をそれでもしっかり楽しませる力がある。情緒におぼれず、しかし無視せず、サージェントらしいかっこよさで、オケも締め付けが厳しそうな雰囲気はあるも、トスカニーニの時代とバルビローリの時代をつなぐような良さを持っている。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:イギリス民謡による6つの習作

2018年11月18日 | ヴォーン・ウィリアムズ
スコット(cl)ワーズワース指揮ロイヤルバレエシンフォニア(dutton)CD

新録音のみとなったduttonレーベル、英国音楽が多く秘曲好きは外せないだろうが如何せん日本で大手に出回ることは少なく、直接レーベルのサイトへ行っても既に廃盤が折り混ざる。日本のAmazonは品数は多いがこういう廃盤について法外なプレミアを載せた業者しか出してないので、あとはmp3配信もしくはアンリミテッドで聴くしかない。この曲の入った盤もレーベル在庫無しでデータも消えているが、RVWのこの曲はクラリネットのための協奏曲という珍しい作品なので他で聴けるといえば聴ける。たださすが新生duttonで演奏は素晴らしい。往年の指揮者のような癖もなく、雑味もなく、雰囲気は極めて平穏な民謡牧歌で(冒頭のみディーリアスを思わせる半音階が生臭く習作的)、ヴィオラのための組曲に似ているが、散文的にならず纏まって聴こえる。各章に題名もあるがそも短い曲なのでじっと聴く間がないし深くは触れない。クラリネット協奏曲というほどにはフューチャーされる部分がすくないし、とくに心に何かを訴えかけるのではなく、その場の空気に薄い色をつけて去る、そういう曲にうまく付けた演奏。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

2018年10月04日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○ハンドレー指揮王立リヴァプール・フィル(EMI)1986・CD

ヴォーン・ウィリアムズの今や最高傑作の扱いになる交響曲である(また作曲直後にもヴォーン・ウィリアムズに期待される絶美が、酸鼻を極める戦争直後に提示されたことで演奏されまくった)。しかし「タリス」「田園交響曲」と同じ世界を描きながらブラスの多用、立体的な書法による多彩な響きの晩年様式によるもので(裏腹にあけすけすぎて、かつての室内楽的な密やかさ、絶望の果の諦念は影を潜める…暗い6番ですら然り)余りのわかりやすさに首を傾げる向きもあるかもしれない。勢いだけだとそうなってしまうし、録音が古いとメリットが薄まる。同時代指揮者のものはそういうわけで曲を味わうには不向きで、では現代のものならヴォーン・ウィリアムズの人によっては疑問を提示するオーケストレーションを掌握したうえで、多少ロマンティックであればしっくりくるだろう。ロイヤル・フィル系の明るく透明な音ならこの美しい田園風景をしっかり耳に焼き付けることができる。そのスケール感、晩年様式の特長を明瞭に抉り出す高音ブラスのあけすけな発声(たまたまそういうオケなのかもしれないけど)、ハンドレー盤はかなり期待に応えることができている。特に三楽章は浅薄に落ちず、歌いあげられており心揺さぶられる。野の花とのカップリングだが、明暗を行き来する野の花よりもこちらのほうがハンドレー向きらしい。機会があればぜひ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲

2018年07月01日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ボールト指揮BBC交響楽団(EMI/warner)1940/4/9・CD

戦中録音であることを考えるとノイズも仕方ないか。ただボールトは後年の録音とスタイルを変えていない。ある意味、もっと動きのいい手兵としてこのオケを存分に動かしており、力みすぎている。力む要素の確かにある、感情的な旋律で、戦時中であれば祈りを叫びにして放ちたい気分もあろう(YouTubeにボールトやサージェントらが戦意?高揚的な舞台に立つ映像がある)。ただどうも、細部の分離の悪い古い音だから「気になる度」はステレオ録音の方が上なのだが、この曲は慟哭を表現するのは違う気がする。思ったより奏者をえらぶ曲なので、最初にワルターとかボールトを聴くと「何この曲」となるかもしれないので、あくまでセカンドチョイスにどうぞ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:音楽へのセレナード

2018年07月01日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ボールト指揮ロイヤル・フェスティバル管弦楽団他(EMI/warner)1951/5/3・CD

旧録、オケはRPOだろう。録音がいささか旧く、冒頭から弦楽器が薄くバラけたように聴こえるが、鄙びた(RPOとしたららしくない)音も音楽に生命力が宿ると気にならなくなる。管楽器はこのオケらしい軽やかな輝かしさが感じられる。ディーリアスの感傷的なうねりに前向きな旋律をのせ、ホルストを通してジョン・ウィリアムスに受け継がれる神秘的な響きも伴いつつ、完成期からのさらなる中期的な、不協和音や不安な調性が織り交ざるが、すべてがやはりディーリアス的な、そこにもっと民謡風の世俗性を入れて、しかし癖はなく、ボールトはそれをまったく他の同時代指揮者とは違い自然かつ魅力的に、いかにもRVWらしく仕上げている。小粒感はあるがこちらのほうをとる人もいるかもしれない。「原典版」である(合唱あり)。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:未知の地域へ

2018年06月28日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ボールト指揮LPO他(EMI/warner)1973/4・CD

「未知なる国へ」と最近は表記するようだがどれもしっくりこない。初期(といっても一旦地位を築いてからラヴェルに学びに行くまで)を代表する歌曲の一つで、海の交響曲(交響曲第一番)にはまだ通じるところがあるが、癖のない無駄のない、しかし個性は薄いロマン派音楽である。ヴォーン・ウィリアムズ批判で出る単純さ、オーケストレーションの薄さは、もともとヴォーン・ウィリアムズを構成する重要な要素である「簡素さ」の裏腹であり、ヴォーン・ウィリアムズは年下の師ラヴェルがそう言ったようにラヴェルを書かず好んだのはドビュッシーだったけれども、簡潔であろうとしたことは共通しており、ラヴェルは複雑にはしたが、ヴォーン・ウィリアムズは単純にした。だから剥き出しの響き、剥き出しのリズムがあり、メロディもはっきりしていて、それに対してリスナーに適性があるかどうかだけの問題になってくる。民謡編曲作品があまりに恥ずかしく感じるのはひとえにこの単純さが原曲のスッピンの恥ずかしさを倍増させているからだ。1905年作品のため殆ど行き詰まってラヴェルのもとへ行く直前だったのだが、この曲にも単純志向は出ている。ボールトは器用だったが、結果は比較的バラツキがあり、不得意なものは不得意に聴こえる。この曲はボールトの得意な「ブルッフのヴォーン・ウィリアムズ」の領域にあり、彼にとって未知ではなく、よって、演奏は合唱を伴うにもかかわらず自然に融合し耳に心地よい。十全の演奏である。まあ、そこにプラスは無い。(ブルッフはラヴェルの前のヴォーン・ウィリアムズの師匠である)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲

2018年06月28日 | ヴォーン・ウィリアムズ
ボールト指揮LPO(EMI/warner)1975/4/28・CD

正直、この曲はもっと客観的で透明感のある演奏のほうが望ましい。古風で(タリスの主題を使っているというのである)教会音楽的なものであればあるほど、むしろ心を揺り動かされる。ボールトは主情的だ。ドイツ風の重みある旋律表現が響きに雑味を呼び、まあハーモニーの雑さはこの前のセレナードでも感じられるが、そこが他の安定した後期曲ならいざしらずまだこの作風を会得して間もないヴォーン・ウィリアムズ相手には難しい。録音が良すぎるのも、悪い面を際立たせてしまっているかもしれない。ラストの装飾的な動きはなかなかまとまらないのだが、ボールトはしっかりまとめることで、却って不自然な原曲の一面をはっきりさせてしまっている。旋律音楽だからロマンティックに歌い上げるのはよい。こういう演奏をきくと某いえよう評論家が、ワルターがこの曲と大地の歌でプログラムを組んだことに対し、センスがあると言った意味はわかる。だが、虚無感は精密で繊細な演奏からしか生まれない(ワルターも異様にロマンティックだ)。この曲に満ち溢れる虚無をあらわすには、ボールトは余りに元気すぎたのかもしれない。最晩年ではあるが、この曲を得意としたストコフスキー同様、ボールトは最後まで覇気溢れる職人だった。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする