○ケンペ指揮ベルリン放送交響楽団("0""0""0"CLASSICS:CD-R)1974LIVE
引き締まった響きとそつのないスマートな演奏ぶりが印象的。硬いオケだけれどもケンペは柔らかい響きをよく引き出している。終始ショスタコを聞くというよりは近代クラシック名曲の一つを聞くといった趣が強く、何物にも意味を見出そうとするショスタコマニアには食い足りないだろうが、非常に聴き易いことは確かで、何度も聴くに耐えうると思う。この曲の1楽章が苦手でいつも3楽章や4楽章だけ聴いてしまう私も、最初から最後まで一貫して聞くことができた。ショスタコの「縛り」をことごとく外しているように思える。諧謔もあまり聞こえないし、音楽の美しさだけをつたえようとするかのようだ。ライヴなだけに「軋み」も少なからず聞こえるし、録音もかなり悪いのだが1、筋のとおった解釈はそんなことをものともしない。全楽章速いけれども起伏が絶妙で(自然ではないのだが)一本調子な感じはしない。とくに終楽章、冒頭から遅いテンポで始めたのが初めのピークを乗り越えたあたりで凡人はテンポを落とすところ逆に急激にアッチェルをかけて雪崩れ込む。「証言」以後の解釈というべきか、これはどんな人もやっていない。テンポはそのまま速いまま終わる。特徴的な解釈だ。また、どことなくマーラーを思わせるひびきがあるのはこの人がけっこうマーラーも振っていた証左か。私はあまりこのひととは縁がないのだが、感心することは多い。録音マイナスで○。
○ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(WEITBLICK)1986/10/7LIVE
いまいち重みが足りない1楽章冒頭のフーガから、あれっと思うようなところが散見される。テンポの極端な変化(ディジタルな変化)、ピンポイント的なレガート奏法の導入、いろいろと小細工がなされている(小さくもないか)。オケはけっこうあわあわしているように聞こえる。どうも指示を巧く演奏の中に溶け込ませられず、ぎしぎしと軋み音を鳴らしている。とはいえケーゲルの改変を含む個性的な解釈の面白さは特筆すべきで、評価すべきものだろう。1楽章はやや違和感を感じたが、2楽章以降はまあまあ。○。
○A.ヤンソンス指揮レニングラード・フィル(ALTUS)1970年7月1日LIVE、大阪フェスティバルホール・CD
明るく流麗でそつのない速いインテンポが持ち味の指揮者。でもドラマの起伏は大きなスパンでここぞというところにつけられている。レニフィルの迫力と威力に圧倒されつつ、特にペットを始めとするウィンド陣の野太いロシア声に心煽り立てられることしきりである。こんなオケを生で聞いたらそれは感動するはずだ。ムラヴィンスキーのような凝縮と抑制がなく、かといってグダグダなロシア指揮者の系譜とは隔絶した、しっかりした密度の高い演奏ぶりは1楽章クライマックスあたりで既に胸のすく思いというか、猛々しい気分とともにどこか清清しさすら感じる。終盤の静謐な美しさも筆舌に尽くしがたい。幻想味とともに生身の演奏の肌触りがするのがいい(もちろん録音のせいもあろう)。テンポ的にはちょっとあっさりしすぎの感もあり、編集上の都合かアタッカのノリでそのまま2楽章に突入してしまうこととあいまって1,2楽章が同じテンポで同じ気分で繋がれているような、楽想の切替の面白さがやや減衰している感もある。ただ単品として2楽章の演奏を聞くならば最高にイカしている。やはり速めのテンポで強力な弦(ソロの美しさ!!)のガシガシ迫ってくる力強さや一糸乱れぬアンサンブル、そこに絡む管打のまるで軍隊のような規律と激しさを兼ね備えた演奏、そして全体に実に自然に組み合わさりこなれて流麗な音楽の流れに、マーラーのエコーと呼ばれたこの奇怪な楽章にもっと前向きというか、急くように突進してケレン味がない、いい意味で聞き易い音楽に仕立てていることは確かだ。
3楽章は無茶苦茶美しい。これは録音のよさもさることながら、個人技の勝利といおうかオケの勝利といおうか、アンサンブルを構じるのが非常に巧いこの指揮者の流麗で緻密な設計の上で、静謐で、それでいて歌心に溢れた感情表現を各セクションが競うように尽くしている。これは素晴らしい音世界。こういう感情的な暗さを表現するためにあのちょっと浅めの2楽章があったのか、と思わせるくらいだ。それにしてもレニフィルは減点のしようがない完璧さである。やはりムラヴィンスキーとはどこか違う、これは主観もあるかもしれないが、ムラヴィンスキーよりも現代的であり、なおかつテンポ以外の部分での「感情の幅」というものがより大きい気がする(ムラヴィンスキーのほうが起伏は大きいと感じるものの)。微妙なニュアンスのつけ方とかになってくるのだろう。その積み重ねが印象の大きな差となって出てきているわけである。とにかく美しい演奏だ。
4楽章は案外遅いテンポで始まり、ちょっとだけ弛緩を感じる、特にブラス。ノリはしかしすぐに定着してきて流れが構成され始めると分厚い弦楽陣の力強い表現がぐいぐいと音楽を押し上げていく。フルートの音色がいい。最初の「かりそめの勝利」にいたる道筋はすんなりとしているが、かなり気分は高揚っせられる。勝利の崩壊を示すティンパニ・イワノフの連打の生生しさを聞くに録音の勝利の気もしなくもないが、ムラヴィンスキーよりやっぱり新鮮に聞こえる。娯楽的な要素はないはずなのだが娯楽性を感じるのは、いいことと言っていいだろう。静寂があたりを覆ってくると、ヴァイオリンのpの過度に緊張感がなく、でも絶対乱れないという恐ろしい音で、気持ちのよい流れが形作られていく。音楽は偉大な盛り上がりを見せ始め、大きな本当のクライマックスまでの道のりはじつに自然で、扇情的だ、特に最後のコーダに至るまでのリタルダンドの凄さ(急激にかかるタイプではありません!!設計上大きくかけられていくリタルダンド)、真のクライマックスにふさわしい勝利の表現にはもはや何の言葉もいらない。この指揮者はフィナーレが本当に巧い指揮者だ!ブラヴォー嵐。半分はレニフィルに向けてのものだろうけど、ヤンソンスの技術にも拍手を贈りたい。○。それにしてもaltusの海外向けサイトがぜんぜん更新されないのはやはり状況が厳しいのだろうか。世界中でいちばんマニアックな日本のファン向けのタイトルでは・・・。日本では結局キングが扱っているので磐石なのだが。
父ヤンソンス盤と推定される盤が他にも出たことがあるが、断定されていないので未聴。
○ハワード・ミッチェル指揮ナショナル交響楽団(RCA)
ステレオ。軽量級の演奏で割合とさっさと進むが、早めのテンポは好み。オケはうまい。味が有るという意味ではなく、技術的に。この人もテクニシャンだが、奇をてらわないので余りファンの付くタイプではないな。ただ、3楽章までは非常にスムーズに聞けた。朝からこの曲を聴きとおせるってのはそうそうないことで、まずは○ですなあ。ただ、終楽章が遅すぎる。それがなければもっといいのにね。でもどっちみち、個性派ではないので、そつなく聞きこなせる、という意味でしか評価をつけようがないかな。
○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(bbc,img)1963/2/22live・CD
カップリングの運命と違って無茶はまるのがおもしろい。直球勝負のトスカニーニぽい演奏ぶりだが3楽章はしっとりしたバルビらしい悲歌が聞き取れる。予想の裏ぎらなさ(盛り上がりかた)が安心して聴ける反面職人性が出てしまっているようでバルビらしさがないと思うが、ハレ管ともども攻撃的に攻め立てるさまはおもしろくないと言ったらうそになる。録音は古いがかなり耐用度(何度も繰り返し聴ける)の高い秀演奏。
引き締まった響きとそつのないスマートな演奏ぶりが印象的。硬いオケだけれどもケンペは柔らかい響きをよく引き出している。終始ショスタコを聞くというよりは近代クラシック名曲の一つを聞くといった趣が強く、何物にも意味を見出そうとするショスタコマニアには食い足りないだろうが、非常に聴き易いことは確かで、何度も聴くに耐えうると思う。この曲の1楽章が苦手でいつも3楽章や4楽章だけ聴いてしまう私も、最初から最後まで一貫して聞くことができた。ショスタコの「縛り」をことごとく外しているように思える。諧謔もあまり聞こえないし、音楽の美しさだけをつたえようとするかのようだ。ライヴなだけに「軋み」も少なからず聞こえるし、録音もかなり悪いのだが1、筋のとおった解釈はそんなことをものともしない。全楽章速いけれども起伏が絶妙で(自然ではないのだが)一本調子な感じはしない。とくに終楽章、冒頭から遅いテンポで始めたのが初めのピークを乗り越えたあたりで凡人はテンポを落とすところ逆に急激にアッチェルをかけて雪崩れ込む。「証言」以後の解釈というべきか、これはどんな人もやっていない。テンポはそのまま速いまま終わる。特徴的な解釈だ。また、どことなくマーラーを思わせるひびきがあるのはこの人がけっこうマーラーも振っていた証左か。私はあまりこのひととは縁がないのだが、感心することは多い。録音マイナスで○。
○ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団(WEITBLICK)1986/10/7LIVE
いまいち重みが足りない1楽章冒頭のフーガから、あれっと思うようなところが散見される。テンポの極端な変化(ディジタルな変化)、ピンポイント的なレガート奏法の導入、いろいろと小細工がなされている(小さくもないか)。オケはけっこうあわあわしているように聞こえる。どうも指示を巧く演奏の中に溶け込ませられず、ぎしぎしと軋み音を鳴らしている。とはいえケーゲルの改変を含む個性的な解釈の面白さは特筆すべきで、評価すべきものだろう。1楽章はやや違和感を感じたが、2楽章以降はまあまあ。○。
○A.ヤンソンス指揮レニングラード・フィル(ALTUS)1970年7月1日LIVE、大阪フェスティバルホール・CD
明るく流麗でそつのない速いインテンポが持ち味の指揮者。でもドラマの起伏は大きなスパンでここぞというところにつけられている。レニフィルの迫力と威力に圧倒されつつ、特にペットを始めとするウィンド陣の野太いロシア声に心煽り立てられることしきりである。こんなオケを生で聞いたらそれは感動するはずだ。ムラヴィンスキーのような凝縮と抑制がなく、かといってグダグダなロシア指揮者の系譜とは隔絶した、しっかりした密度の高い演奏ぶりは1楽章クライマックスあたりで既に胸のすく思いというか、猛々しい気分とともにどこか清清しさすら感じる。終盤の静謐な美しさも筆舌に尽くしがたい。幻想味とともに生身の演奏の肌触りがするのがいい(もちろん録音のせいもあろう)。テンポ的にはちょっとあっさりしすぎの感もあり、編集上の都合かアタッカのノリでそのまま2楽章に突入してしまうこととあいまって1,2楽章が同じテンポで同じ気分で繋がれているような、楽想の切替の面白さがやや減衰している感もある。ただ単品として2楽章の演奏を聞くならば最高にイカしている。やはり速めのテンポで強力な弦(ソロの美しさ!!)のガシガシ迫ってくる力強さや一糸乱れぬアンサンブル、そこに絡む管打のまるで軍隊のような規律と激しさを兼ね備えた演奏、そして全体に実に自然に組み合わさりこなれて流麗な音楽の流れに、マーラーのエコーと呼ばれたこの奇怪な楽章にもっと前向きというか、急くように突進してケレン味がない、いい意味で聞き易い音楽に仕立てていることは確かだ。
3楽章は無茶苦茶美しい。これは録音のよさもさることながら、個人技の勝利といおうかオケの勝利といおうか、アンサンブルを構じるのが非常に巧いこの指揮者の流麗で緻密な設計の上で、静謐で、それでいて歌心に溢れた感情表現を各セクションが競うように尽くしている。これは素晴らしい音世界。こういう感情的な暗さを表現するためにあのちょっと浅めの2楽章があったのか、と思わせるくらいだ。それにしてもレニフィルは減点のしようがない完璧さである。やはりムラヴィンスキーとはどこか違う、これは主観もあるかもしれないが、ムラヴィンスキーよりも現代的であり、なおかつテンポ以外の部分での「感情の幅」というものがより大きい気がする(ムラヴィンスキーのほうが起伏は大きいと感じるものの)。微妙なニュアンスのつけ方とかになってくるのだろう。その積み重ねが印象の大きな差となって出てきているわけである。とにかく美しい演奏だ。
4楽章は案外遅いテンポで始まり、ちょっとだけ弛緩を感じる、特にブラス。ノリはしかしすぐに定着してきて流れが構成され始めると分厚い弦楽陣の力強い表現がぐいぐいと音楽を押し上げていく。フルートの音色がいい。最初の「かりそめの勝利」にいたる道筋はすんなりとしているが、かなり気分は高揚っせられる。勝利の崩壊を示すティンパニ・イワノフの連打の生生しさを聞くに録音の勝利の気もしなくもないが、ムラヴィンスキーよりやっぱり新鮮に聞こえる。娯楽的な要素はないはずなのだが娯楽性を感じるのは、いいことと言っていいだろう。静寂があたりを覆ってくると、ヴァイオリンのpの過度に緊張感がなく、でも絶対乱れないという恐ろしい音で、気持ちのよい流れが形作られていく。音楽は偉大な盛り上がりを見せ始め、大きな本当のクライマックスまでの道のりはじつに自然で、扇情的だ、特に最後のコーダに至るまでのリタルダンドの凄さ(急激にかかるタイプではありません!!設計上大きくかけられていくリタルダンド)、真のクライマックスにふさわしい勝利の表現にはもはや何の言葉もいらない。この指揮者はフィナーレが本当に巧い指揮者だ!ブラヴォー嵐。半分はレニフィルに向けてのものだろうけど、ヤンソンスの技術にも拍手を贈りたい。○。それにしてもaltusの海外向けサイトがぜんぜん更新されないのはやはり状況が厳しいのだろうか。世界中でいちばんマニアックな日本のファン向けのタイトルでは・・・。日本では結局キングが扱っているので磐石なのだが。
父ヤンソンス盤と推定される盤が他にも出たことがあるが、断定されていないので未聴。
○ハワード・ミッチェル指揮ナショナル交響楽団(RCA)
ステレオ。軽量級の演奏で割合とさっさと進むが、早めのテンポは好み。オケはうまい。味が有るという意味ではなく、技術的に。この人もテクニシャンだが、奇をてらわないので余りファンの付くタイプではないな。ただ、3楽章までは非常にスムーズに聞けた。朝からこの曲を聴きとおせるってのはそうそうないことで、まずは○ですなあ。ただ、終楽章が遅すぎる。それがなければもっといいのにね。でもどっちみち、個性派ではないので、そつなく聞きこなせる、という意味でしか評価をつけようがないかな。
○バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(bbc,img)1963/2/22live・CD
カップリングの運命と違って無茶はまるのがおもしろい。直球勝負のトスカニーニぽい演奏ぶりだが3楽章はしっとりしたバルビらしい悲歌が聞き取れる。予想の裏ぎらなさ(盛り上がりかた)が安心して聴ける反面職人性が出てしまっているようでバルビらしさがないと思うが、ハレ管ともども攻撃的に攻め立てるさまはおもしろくないと言ったらうそになる。録音は古いがかなり耐用度(何度も繰り返し聴ける)の高い秀演奏。