プレートル指揮シュツットガルト放送交響楽団(WEITBLICK)1998/6/24-26live・CD
前半プレートルらしく前のめりにならず一歩引いて整えた感じがある(単楽章の曲にもかかわらず複数回のライヴを継いでいるのでそこは斟酌すべき)。先ずはそこまでやるかという丁寧なフレージングが聴きもので、緩徐主題のほうが耳に残る。デロデロな演歌ではなく、晩年のワルターのような懐深い表現である。冒頭も含め激しく叩きつけるような箇所では少しぼやっとするところがあるが、ホール残響が過剰なせいかもしれない。プレートルが単独で前プロに使っていたとおり、「復活」の一楽章の原型、「巨人」の続編、ではなくひとつの管弦楽曲として構成されており、この単独曲の中での劇的効果を狙った創り上げ方をしている。中盤から後半になると突如極端にスピードを上げたり、ホール残響問題も気にならないほど派手に、開けっぴろげな音響の拡げ方をして、昔のプレートルならやらなかったであろうダイナミックな表現には雑味すら混ざるが、プレートルのものとしてはそこまで濃くならなかったマーラーの、「体臭」に肉薄している。静謐からの駆け下りる結部は、次に繋げるというよりそのまま奈落に墜ちる雪崩状の感じが出て、なるほど復活一楽章とは違うな、という箇所もわかりやすく示されるし、復活の一楽章が長過ぎる、という向きもこういう「交響詩」として聴けば、リヒャルト・シュトラウスの初期作品群と肩を並べた作品として楽しめるだろう。マーラー指揮者ではなく珍曲指揮者としての腕の現れた佳演。別のオケ、特にフランスやイギリスだったら全くマーラーに聴こえなかったかもしれないな。
前半プレートルらしく前のめりにならず一歩引いて整えた感じがある(単楽章の曲にもかかわらず複数回のライヴを継いでいるのでそこは斟酌すべき)。先ずはそこまでやるかという丁寧なフレージングが聴きもので、緩徐主題のほうが耳に残る。デロデロな演歌ではなく、晩年のワルターのような懐深い表現である。冒頭も含め激しく叩きつけるような箇所では少しぼやっとするところがあるが、ホール残響が過剰なせいかもしれない。プレートルが単独で前プロに使っていたとおり、「復活」の一楽章の原型、「巨人」の続編、ではなくひとつの管弦楽曲として構成されており、この単独曲の中での劇的効果を狙った創り上げ方をしている。中盤から後半になると突如極端にスピードを上げたり、ホール残響問題も気にならないほど派手に、開けっぴろげな音響の拡げ方をして、昔のプレートルならやらなかったであろうダイナミックな表現には雑味すら混ざるが、プレートルのものとしてはそこまで濃くならなかったマーラーの、「体臭」に肉薄している。静謐からの駆け下りる結部は、次に繋げるというよりそのまま奈落に墜ちる雪崩状の感じが出て、なるほど復活一楽章とは違うな、という箇所もわかりやすく示されるし、復活の一楽章が長過ぎる、という向きもこういう「交響詩」として聴けば、リヒャルト・シュトラウスの初期作品群と肩を並べた作品として楽しめるだろう。マーラー指揮者ではなく珍曲指揮者としての腕の現れた佳演。別のオケ、特にフランスやイギリスだったら全くマーラーに聴こえなかったかもしれないな。