シェヘラザード(1888)
<リムスキー・コルサコフの代表作。「千夜一夜物語」に基づく4つのエピソードを曲にしている。組曲ではあるが、シェヘラザードを象徴するヴァイオリン独奏旋律が全楽章を統一しており、交響曲的なまとまりが感じられる。各楽章の表題はほんらい付けられていない。ワグナーの影響下にありながらもエキゾチックな素材を利用して独自の色彩的な世界を描いており、効果的な管弦楽法はロシア国民楽派の到達したひとつの頂点を示している。>
ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団(VOGUE)1928/7/6,1929/4
~品のいいおちょぼ口のシェヘラザード。私はこれくらいのほうが好きである。ゴーベールはこれ以前にも抜粋録音しているそうだが、雑音をカットしたおかげで茫洋としてしまった録音の奥からは、リムスキーの色彩的な管弦楽法を十分に生かした立体的な演奏が聞こえてくる。けっしてこなれた演奏ではないし、2楽章のリズム、3楽章の歌、終楽章の感興などもっとはじけてもいいと思うが、まるでラヴェルのダフクロあたりを思わせる香気立ち昇る雰囲気が全体を包んでおり、また颯爽とした指揮ぶりにも自信がみなぎり魅力を感じる。ただ、ヘタなものはヘタ。ヴァイオリン・ソロの高音の音程がアヤシイしボウイングもぎごちないのが何より気になる。管楽器のソロは割と安定してはいるもののミスが無いわけじゃない。アンサンブルもわりとばらけがちで集中力が散漫な感じがする。これは録音のせいという気もしなくもないが、それを割り引いても「ヘタ」という印象は変わらないと思う。でも、いい演奏ですよ(自己矛盾)。
○フリート指揮伝モスクワ放送交響楽団(DANTE,LYS)1928
20年代と古いのに録音はかなり善戦。40年代位の感覚で聞けるから嬉しい。オスカー・フリートがどうしてソヴィエトのオケを振ったのかわからないが、引き締まった演奏ぶりはフリートの「なんとなく中途半端」のイメージを覆すものとして目から(いや耳から)ウロコが落ちる思いだった。ソリストの音色も細かいところまでは聞き取れないが美しい。オールドスタイルな演奏法は意外にも目立たず、全般にけっこうシャープである。デロデロ節もなきにしもあらずだが、どちらかというと一本筋の通ったドイツ的な演奏だ。3楽章もけっこう歌ってはいるがよたってはいない。シェヘラザードが好きな人だったら一度試してみても面白いと思う。○。それにしてもモスクワのオケはこの時点ではロシア節炸裂爆演というわけではなかったんだな。。
(後註:オケはロシアオケではないとのことです。)
○シュヒター指揮北ドイツ交響楽団(MHS)LP
珍しい録音をいろいろ出していた新しい会員頒布制レーベルからのこれは再発か。オケ名も不確か。がっちりした構成でしっかり聞かせる演奏。まさに純音楽指向で艶や感興とは無縁。このストイックさにごく一部のマニアは惹かれるのだろう。N響時代のことなんて誰も覚えちゃいないだろうが、統率力の大きさと無個性な解釈のアンバランスさに、忘れられても仕方ないかな、と思う。いつも後期ロマン派以降の曲の演奏でみせる杓子定規的な表現は、この珍しいステレオ録音では意外と悪い方向へ向かわずに、曲が本来持っている生臭さをなくして非常に聴きやすくしている。はっきり言って「普通」なのだが、そのまま気持ち良く聞き流せてしまう、何も残らないけど気持ち良い、そんな演奏もあっていいだろう。〇。
○カール・ルフト指揮ベルリン放送交響楽団(LE CHANT DU MONDE)LP
覆面指揮者と話題になった、いかにもフルヴェン時代のドイツを思わせる強い推進力をもった威圧的な演奏。ソリストもものすごくソリスティックに個性をアピールしてくるのが印象的。ただ、私の盤質がものすごく悪いのと、やっぱりドイツだなあ、というような渋さがつきまとい、好みは分かれると思う。派手にリムスキーの色彩感をあおる演奏が好きなら南の国の演奏を聴かれるがよい、もしくはロシアの。○。
◎クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1946/4/6live
怒涛の剛速球、凄まじい名演。とにかく速く、カットがあるのかと思うほど。ラフマニノフのシンフォニー2番ライヴに近いスタイルで、これは弛緩した楽曲にはうってつけのやり方である。ボストン黄金期の機能性と馬力が最大限に発揮され、ミュンシュライヴと聴きまごうほど。統制が凄く、専制君主的な存在であったことを伺わせるが、聴く側にとっては清清しい。ミュンシュのような柔軟な統制ではなく一直線なので確かに単調な側面はあるのだが、ロマンティックなグズグズの曲やパズルのような構造をきっちり組み立てないとならない現代曲にはこのような直線的スタイルはあっている。ほんとにあっという間に聴き終わり、終演後の大喝采も演奏の成功を物語る。ロシア臭が無いというわけでもなく、濃厚な味がぎゅっと凝縮。3楽章ではねちっこいまでの自在なルバートが詠嘆のフレーズに織り込まれる。いや、私はこのシェヘラザードなら何度でも聴ける。録音がかなり悪いが、◎。
コンドラシン指揮コンセルトヘボウ管弦楽団(PHILIPS)1979/6
~コンドラシンらしい凝縮された密度の濃い演奏だ。クレバースのヴァイオリンソロが細いながらも美しい音色で一服の清涼剤たりえている。この人の演奏はその芸風からか小さく凝り固まってしまう場合も多いが、ここでもそんな感じがしなくはない。テンションこそ高いものの渋い演奏で派手さはなく、かといって哲学的なまでに内面を追求したわけでもなく、どことなく中庸な雰囲気が漂ってしまう。まあ、ブラスの鳴らし方などにロシア流儀が聞き取れるし、「中庸」は適切な言葉ではないかもしれないが、なぜか音色的に地味なのである・・ACOなのに。アンサンブル力や各セクションの素晴らしい表現力がコンドラシンの豪快な棒に乗ってとても高精度の演奏をやっつけているが・・・思わず寝てしまった。。録音のせいとしておきたい。
ラフリン指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA)LP
なんとも鈍重で、薄い響きの目立つ弛緩したような始まり方をするが、ソリストは正確にやっており、オケも進むにつれ情緒テンメン節を忠実に表現しようとし始める(板につくまでに時間がかかっているということだ)。人工的な、ドイツっぽいガチガチしたシェラザードだ。ぶつ切り継ぎ接ぎ録音編集ではないか。モノラルだがこのオケの怜悧な音だと更にモノトーンに聞こえてしまう。2楽章でもしっかり型にはめ正確に吹かせようとするごときラフリンのやり方に青臭い不自然さが漂う。前のめりの感情的な盛り上げ方をしないから、少し飽きる。テンポ的な起伏がなく実直な遅さもロシアらしくない。終盤前に間をたっぷり使ったハープとフルート等のアンサンブルが幻想的で美しい。こういう印象派的表現はガウクも得意としたところだが、たんにゆっくりやっただけとも言える。素直な3楽章はゆっくり時間をかけてちゃんと歌っている。重いけれども。テンポが前に向かわない中間部ではあるが附点音符付きのリズム感はよくキレていて、バレエ音楽的な処理である。旋律の歌い方が未だ人工的なのは気になるがそうとうに神経質に整理されたさまが伺え、細かい仕掛けが聞こえる楽しさはある。スケールはでかい。4楽章も実直さが気にはなるがソリスト含め表現に荒々しさがあり民族臭が強くなる。全般褒められた演奏ではないが、精度を気にしためずらしい演奏ではある。
○パシャーエフ指揮ボリショイ歌劇場管弦楽団(?)LP
ゆったりした雄大さはないが、パシャーエフの強力な統率力の発揮された熱演。そのリズム良さは速い楽章で発揮されている。3楽章などちょっとしっとりした抒情も欲しくなるが、コンドラシンらの乾燥しきった演奏とは違い「人間らしい音」が出ており、とても感情移入しやすい。いい音出すなあ、ボリショイ管。このオケを下手オケと思ったら大違い、指揮者によってはここまでしっかりやるのだ。アクの強い他のロシア系指揮者にくらべて決して特色のある指揮者とは言えないけれども、感心して最後まで聞けてしまうのは優れた指揮者である証拠。勢いのあるいい演奏です。○ひとつ。個人的には◎にしたい・・・。でも盤面悪くてそこまではつけられない・・・。CD-R化されたことがある。
スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)
○スヴェトラーノフ指揮ロンドン交響楽団(BBC)1978/2/21LIVE
~というわけでロシア系最後の巨匠スヴェトラ御大の登場である。とはいえ手元にはメロディヤの、ステレオではあるがやたら雑音の入るLP(CD化もしてます)と、外様のオケを使ったライヴCDしかないのだが(他にはあるのだろうか?)紹介ぐらいはできるだろう。前者はもうロシアオケにロシア式奏法にロシア式録音+スヴェトラ御大という組み合わせ、くどくなることうけあい。と思ったのだが、起伏には富んでいるものの案外いやらしい音楽にはならない。色彩感はぎらぎらと極限まで強調されているけれども、それはモザイク模様のように組み合わされる音のかけらの集積、けっして様々な音色が有機的に溶け合う生臭い感じの音楽ではない。現代的なシャープな感覚と過剰なまでのデフォルメをうまく使い分けてコントラストのきつい音楽を仕上げるのがスヴェトラーノフ流だ。この2盤に共通するでろでろのロシア節、3楽章冒頭からの旋律はこの曲でもっともロシア的な解釈を施されているが、音色をハッキリと決めてからテンポ・ルバートだけを思い切り自由に使っている。つまりテンポ的にはデロデロだが、音的には比較的あっけらかんとしている。まあ前者はそれでも「いやらしい歌」に聞こえなくはないのだが、なにぶんマイクが物凄くオケに近いためにヴァイオリンのばらけや雑味が思い切り聞こえるし、他にも些細なミスや突出した音が良く聞こえる状態だから、それがほんとうに「いやらしい歌」だったのかすら定かでない。巧い奏者だらけだけれども合奏がいかにも雑なオケ、というソヴィエト国立の悪い面が出てしまっている前者は、無印としておく。後者はロンドン響があまり敏感に反応しないのがイライラするが、おおむねソヴィエト国立と同じような解釈が施されていて、精一杯指揮にあわせて外様のオケとしては考えうる限り最善の演奏を行っているさまが聞き取れる。音のよさと盛大な拍手に敬意を表して○ひとつ。個人的には・・・やっぱりちょっとくどい。
ダヴィド・オイストラフ(Vn)伝アノーソフ指揮ボリショイ管弦楽団(IDIS/MULTISONIC)1950LIVE
~はっきり言ってロシア系の演奏は敬遠したい。ただでさえ体臭のキツいロシア国民楽派(といってもリムスキーはずいぶん洗練されたほうだが)の楽曲に、わざわざロシア系のこれまた体臭のキツい演奏を選ぶ気になれない。多分に夏のせいではある。暑苦しいのだ。だがまあ、このくらい古い演奏になると音色だのなんだのはどうでもよくなってしまう。せっかくオイストラフがソロを弾いていても、その分厚い音色はちっとも伺えず、ただむちゃくちゃに巧いボウイングと危なげない左手(とはいえわずかでも音程が狂わないかといえばウソになるが)だけが感心させるのみ。アノーソフはロシア臭もするがとても骨太でかつ合理的な演奏を指向しており、録音のせいで音色感はよくわからないが、普通に聴きとおすことができる。やはりと言うべきか、冒頭のシャリアール王のテーマ、ロシア的下品さとでも言ったらいいのか、ブラスの重厚だがあけすけに開放的な咆哮は、このアノーソフ盤でもしっかり行われている。まあ、ロシア国民楽派特有の「お定まり」である。色彩性のない録音がマイナス、無印。
(註)この演奏は現在はゴロワノフの伴奏とされている。ソリストがオイストラフに決まった理由はボリショイのコンマスが指揮者の要求に答えられず、「オイストラフを呼んでこい!」の一言で辞めさせられたためということだ。ちなみに私の手元にはゴロワノフと明記された別のCDもあるが、まだ聴いていない。恐らく同じ演奏なのだろう。
○ズーク(Vn)イワーノフ指揮モスクワ放送フィル交響楽団(THEATRE DISQUES:CD-R)1978/3/16LIVE
これはMELODIYAで流通していたLP原盤なのだろうか?何故か縁無いうちに裏青化したので買ったが、明らかな板起こしである。取り立てて名演ではないが何故中古市場にそれほど出回らなかったのか?
1楽章は落ち着いたテンポで足取りしっかりとドイツっぽさすら感じさせる。この人はベートーヴェン指揮者であることをしっかり意識して、余り拡散的な灰汁の強い表現をしないときのほうが多い(もちろんするときもある)。楽器の鳴らし方は全盛期スヴェトラとまではいかないが豪放磊落で倍音の多い分厚い音響を好む。だがこの頃のメロディヤのステレオ盤は盤質のこともあり心持軽く薄い響きがしがちで、これも例えばミャスコフスキーの新しい録音で聞かれたものと同じ、ロシア人指揮者にしては相対的に個性が弱く感じるところもある。中庸ではないが中庸的に感じられるのである。
中間楽章では1楽章ほどに遅さは感じず、でも常套的な気もする。ブラスの鳴らし方は思ったとおり、といったふうでロシア式。ヴァイオリンソロはすばらしい、D.オイストラフを思わせる安定感もあるし変なケレン味を持ち込まないのがいい。3楽章はでろでろしているのだが、生臭くない。これは不思議だが中低音域を強く響かせる少し中欧ふうの感覚の発露かもしれない。
4楽章は想定どおりの大団円をもたらしてくれる。これは勿論この人だけではなく同じような盛り上げ方をする人はいくらでもいるんだが、素晴らしく盛り上がる、とだけ言っておく。○か。強くインパクトを与える感じはしない。強いて言えばラフマニノフのシンフォニー2番と同じようなスタンスの録音と思った。
○ストレング(Vn)シェルヒェン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(Westminster)CD
非常に良好なステレオ録音である。演奏はこのコンビらしいコントラストをはっきりつけた飽きさせない内容。スタジオでは比較的マトモといわれるシェルヒェンだが流石に3楽章ではデロデロにテンポを崩し真骨頂を見せている。ただ、このコンビではしばしばあることだが音が醒めていて人工的な印象も受ける。CD復刻の弊害かもしれないので演奏のせいとばかりは言えないだろう。オケは達者なので総じては楽しめると思う。ちょっと弦が薄いのはオケ都合か。○。
○ベイヌム指揮ACO、ダーメン(Vn)(PHILIPS/IMG)1956/5・CD
20世紀の名指揮者シリーズで復刻されたモノラル末期の名録音。スタジオ。速いテンポを一貫してとり、流麗で色彩感に富む演奏を聞かせてくれる。木管ソロのいずれもニュアンス表現の素晴らしさは言うに及ばず、再興ACOの黄金期と言ってもいい時代の力感に満ちた素晴らしくスリリングなアンサンブルを愉しむことができる。ベイヌムは直線的なテンポをとりながらも構造的で立体感ある組み立てをしっかり行っており、同傾向の力感を持つクーセヴィツキーなどと違うのはその点であろう。もっとも録音状態が違いすぎるので(スタジオ録音は有利だ)安易な比較はできないが、リムスキーの管弦楽の粋を聴かせるにステレオでなくてもここまで十全であるというのは並みならぬものを感じさせる。
表現も直裁なだけではない、2楽章の変化に富んだアゴーギグ付け、その最後や4楽章の怒涛の攻撃はライヴ録音を思い起こさせるし(あのライヴは色彩感が落ち流麗さを強引さに転化したちょっと違う印象の録音だが)、ソロ楽器を歌わせながらオケ部には派手な情景描写をバックに描かせ続ける、そういった劇的表現が巧みだ。まさに絵画的な、オペラティックな印象を与える。人によっては純音楽的表現とし表題性を気にしていないと評するかもしれないがそれはあくまで全般的にはスピードが速め安定で構造重視、という側面だけで得られる印象であり、もっと表題性を無くした演奏はいくらでもあるのであって、これは十分表題を音で表現できている。たくさん褒めたが直感的に○。私の好みはクーセヴィツキーのような表題性無視完全即物主義シェヘラザードなのです。シェヘラザードが物欲女というわけではありません(謎)
◎ベイヌム指揮ACO(movimente musica,warner)1957/4/30アムステルダムlive
イワーノフのシェヘラザードを手に入れ損ねて不完全燃焼の状態にふとこの盤を手にとる(イワーノフはかなりリムスキーをいれているのだが復刻が進まない。時代が悪かった、スヴェトラ前任者でモノラルからステレオの過渡期にいただけに陰が薄くなってしまった)。びっくり。
物凄い力感である。そうだ、アムスはこんなオケだった。シェフ次第ではこんなに剛速球を投げる名投手だったのだ。もちろん音色的には必ずしも目立ったものはなくソリストも特長には欠ける(ヴァイオリンソロのとちりには目をつぶれ!)。しかしベイヌムという非常に求心力の強い指揮者のもとにあっては、ひたすらケレン味も憂いもなく、アグレッシブに(3楽章でさえも!)強烈な音力をぶつけてくる。録音も非常に強い。撚れなどもあるが生々しさこの上ない。とにかく気分を発散できる演奏で、まるでライヴにおけるドラティのように「中庸でも玄人好みでもない」ヘビー級の剛速球を投げつけてどうだ、と言わんばかりの感じ、もちろんリムスキーの色彩のフランスライクな側面が好きな「音色派」や、解釈の起伏を楽しみたい「船乗り型リスナー」には向かないが、単彩なコンセルトヘボウを逆手にとった「とにかくこれが俺のシェヘラちゃんなんだよ!オラ!」と言わんばかりの男らしい演奏、私は決してこれが一般的に名盤とは思わないが、個人的に◎をつけておく。飽きません。コンドラシンですらこざかしい。
○ストコフスキ指揮ロンドン交響楽団(LONDON)1964/9/22
この演奏に特徴的なのは旋律の極端な伸縮である。ソリストが自由に旋律をかなでるように、著しく伸び縮みするフレージングは、それがソロ楽器ならともかく、弦楽器全体が一斉に、だったりするので初めて聞くとびっくりする。また耳慣れない表現が混ざるのはスコアをいじっているせいだろうか(スコアを持ってないので確証なし)。明るくあっけらかんとした演奏ではあるが、とても個性的で、まさにストコフスキという人そのものを象徴するような解釈のてんこもりだ。それがちょっと人工的であまりスムーズに動いていかないところがあるのが惜しまれるが、オケは十分な力量を持っており、聞きごたえのある演奏になっている。ヴァイオリンのソリストが余り浮き立ってこないのは録音のせいか。それも解釈のうちかもしれない。こういうものは今の時代だからトンデモ演奏扱いされるわけで、かつて大昔にメンゲルベルクらがやっていた作為的な演奏様式に近いものであり・・・というか
ストコフスキもキャリア的にはその世代に属する指揮者なのだが・・・その点で貴重なステレオ録音であるといえよう。迷ったが○ひとつ。
○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1962/5/21live
非常に臨場感のあるステレオ録音で、いちいち楽器配置を変えて演奏しているのか、音楽が意表を突いたところから聞こえてきたりといった面白さもよく聞き取れる。多分、会場で聴いているアメリカ人に最もわかりやすいように、どぎついまでに表現を色彩的にしようとしたのであろう。ソリストのメドレーのようにメロディラインが強調され、それがまた物凄いうねり方をするために(スタジオ盤もそうだったが相手が最強のパワー楽団(しかもオーマンディ時代のボリューム・アンサンブルを誇ったメンツ)なだけに尚更!)1楽章くらいは「青少年のための管弦楽入門」のように楽しめたが、3楽章では「もういい・・・」と苦笑。しつつ結局いつものアタッカ突入で楽章変化すら定かじゃない流れで物凄い終局にいたるまで聴いてしまった。弦楽器はいくらなんでも反則だよなあこの力感。。まあ、会場は喝采だろうなあ。録音の限界というものを「逆方向で=どぎつさが更に強調されるようなキンキンした音で」感じさせられた次第。いや、ストコ/フィラ管のステレオでこの曲を聴けるというだけで最大評価されても不思議は無いと思う。○。
○ストコフスキ指揮モンテ・カルロ・フィル(DA:CD-R)1967/7/26live
オケは集中力が高くまとまっていて、各ソリストの技量も高い。ギトギトの脂ぎった光沢をはなつストコの音楽を実に忠実に勢いよく表現しきっている。拡散的で非常に色彩豊かな音響を作るストコの特徴が過度にならず出ていて面白い。ライヴなりに精度には限界があり、ストコらしい彫刻の雑さも耳につく。録音はエアチェックにしてはおおむねよいほうだが撚れや電子雑音が目立つ箇所もある。従ってけしてストコの録音として万全とは言えず、別にこれを取り立てて聴く必要はないが、ダイナミックで異様な迫力に満ちた派手派手なこの音楽が、80台半ばを迎えた老人の指先から生まれてきていることを思うと感動すらおぼえる。耳の確かさ、頑丈さは尋常ではない。これは手兵による演奏ではない。なのにここまで指示が行き届き実演にて統制がとれれば十二分である。下振りによる入念なリハや勝手な指示が山ほど書き込まれた譜面が配られていたにせよ。○。
チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(DG)1982/2/18LIVE
~雄大にして緻密なチェリの美学が生きた演奏だが、まず録音状態が、新しいものにしてはあまりよくない。ホワイトノイズが入るし、オケの音は平板。チェリの気合声が気分を高揚させるものの、客観が優る演奏であり、それほどのめり込むことはできない。が、構築的な演奏はまるでひとつのシンフォニーを聴くようで曲にふさわしくないとも言える高潔さや哲学性まで感じさせる。響きの美しさは比類が無く、この時代のリムスキーが世界の最先端を行っていた事を裏付ける和声的な面白さもぞんぶんに味わえる。ハマればとことんハマりこむ演奏であり、私もその一人なのだが、好みで言えばロココ盤や同じシュツットガルトとの海賊盤のほうが自然で好きかも。無機的な感じも恐らくリマスタリングのせいだろう。録音マイナスで一応無印としておく。
◎チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(GREAT ARTISTS:CD-R他)1980/2/29LIVE
~この演奏で私は目からウロコが落ちた。シンフォニックな組み立てが生臭い雰囲気を一掃し、格調高い「交響曲」を聞かせている。また非常にこなれている。少々異端ではあるが、名演。
○チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(ARLECCHINO)1972LIVE
~モノラルで録音はやや悪いが、演奏はチェリ壮年期の覇気に満ちたもので共感できる。Vnソロに妖艶さが足りないのはいつものことだが、シンフォニックな演奏は物語性から脱却して純粋な音楽として楽しめる。まあ、以前挙げたいくつもの演奏と比べて大差ないのだが、しいていえばロココの盤に近いか(同じかも・・・)。チェリのかけ声が気合が入っていて良い。これも音楽の内だ。シュツットガルトはやや鈍いがおおむねしっかり弾き込んでいる。好演。2楽章に少し欠落あり(原盤)。シュツットガルト・ライヴには1975年のライヴもあるが未聴(ヴィデオも有るらしい)。
○チェリビダッケ指揮交響楽団(ROCOCO)?LIVE
~演奏時間がシュツットガルト(1980)のものと余り変わらず、音色的にも南欧ではなさそう。となると新しい録音のはずだが、ロココのこと、演奏団体名は伏せられ(一応このようなリリースを行う事に対する釈明文が添付されている)録音年月日も不明なうえに、モノラル。モノラルとしても決していい録音状態とはいえないが、曲の概要がわからないまでではない。ライヴ盤にしては見通しの良い精度の高い演奏で、シンフォニックな解釈が私のような表題音楽嫌いにも聴き易くしている。ソロヴァイオリンがかなり巧みで、殆ど1、2箇所くらいしか危うい所が無い・・・ここでシュツットガルトの演奏を思い出すと、音程がけっこう怪しいところがあった気がするので、別録音と判断したいが・・・のはこの演奏の価値を高めている。ワグナーの影響やボロディンふうのエキゾチシズムが横溢する楽曲を、チェリは敢えてそれらと隔絶した、唯「リムスキー」という個性の発現した楽曲として描いている。だからそれらに生臭い感じを覚えることなく、ただモチーフの数々~いい旋律を楽しませてもらった。佳演。拍手は通り一遍。
チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(METEOR/CULT OF CLASSICAL MUSIC:CD-R)1980'S?LIVE
~録音悪すぎ。激しいノイズはエアチェック物であることがバレバレ。これではチェリの目した完璧主義的な音響には遠く及ばない。とにかくこのことが気になってしょうがなかった。また、アンサンブルが緩みがちというか、固くて軋みを生じているというか、作為的な感じがして仕方なかった(1楽章は素晴らしかったが)。シュツットガルト放送響の演奏には強い集中力があり、音響も録音としては理想的であったから、それより後と思われるこの録音の出来は残念としか言いようがない。がんばって手に入れた盤だけに、拍子抜けも著しかった(泣)。ソロヴァイオリンもあまり旨みがない表現。盤評本ではシュツットガルトの録音よりこちらを推しているものもあるが、録音状態をひとまず置いたとしても、この盤がシュツットガルトに比べて更に壮大で迫力があるかというと疑問である(単純な時間の長短の問題ではない)。まあ、聞きたい人は聞いて下さい。私は無印としておきます。
○チェリビダッケ指揮トリノ放送交響楽団(HUNT)1967/2/24LIVE
~なんとステレオだから嬉しい。チェリの解釈のせいかラテンの雰囲気は極力抑えられているが、それでも十分熱気の伝わる演奏になっている。以前挙げたROCOCO盤と同じだと思ったのだが、雑音の入りかたが違うため、これとは違うようだ。チェリの剛直な解釈は客観的な態度も維持しつつ十分劇的で、迫力満天だ。まだ壮大さはないが、しっかりと地面に足をつけた演奏ぶりは後年の悠揚たる演奏を予告している。○ひとつとしておく。
○チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(euroarts)DVD
恐らく70年代後半の映像か。見た目の「窮屈さ」と音にみなぎる覇気の間に少し違和感をおぼえるがテンシュテット同様そういうものだろう。まさかカラヤン方式(別録り)ではあるまい。スピードも縦の強さもチェリ壮年期のかっこよさを体言しており、スタジオ収録映像にもかかわらず掛け声をかけたり気合が入りまくりである。シュツットガルトもかなり精度が高い。まあ、チェリのシェヘラザードはたくさんあり、その芸風の範疇におさまる記録ではあるので、見た目にこだわらなければこれを入手する必要はないとは思うが、生気ある白髪チェリを拝みたいかたはどうぞ。モノラル。
◎フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(DG)1956/9
~実に男らしいシェヘラザードだ。男臭いと言ってもよい(誉め言葉です)。白黒写真のように単彩ではあるがメリハリの効いた演奏で、ギチギチで火花が飛び散るようなアンサンブルはとくに終曲において圧倒的な迫力を見せつける。楽曲のはらむ生臭い部分はすっかりアクを抜かれており、そもそも「情感」というものを排したものとなっている。スヴェトラーノフなどとは対極の演奏だ。それでもなおたとえば3楽章のアンダンテ主題はかなり作為的にテンポが揺れ動くが、ただ揺れるだけで歌っているわけではない。そこがまた独特の美しさを見せる。計算ずくであることは言うまでもない。テンポ、というのはフリッチャイの演奏に欠かせぬファクターである。この曲でも速いテンポで突き進むところ~終楽章など~は基本的にはタテノリなのだが軍隊行進曲のような心地よい前進性を持っており、耳を惹きつけて離さない。これはフリッチャイ会心の出来だ。言ってみれば表題性を押し退けて、まるで「合奏協奏曲」のように演奏させているといえる。極めて高度な構成感を持った演奏であり、とくに民族音楽的な部分を精緻なアンサンブルの中に昇華させているところはバルトークの演奏法を思わせる。こういう演奏で聞くとリムスキーの現代性が浮き彫りになり、エキゾチシズムや民族性といった生臭い部分は影をひそめる。私はそういう演奏が好きだ。オケは(最高とは言わないが)機能的であり、色彩感はないが、総合の合奏力はそれを補うものがある。このソロヴァイオリンはいたずらに情感を呼ばないところが好きだ。
◎クアドリ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(WESTMINSTER)
いやー、派手です。爆発してます。しかも響きの重厚さも持ち合わせている。三楽章をはじめとして弦の深く美しい音色の魅力が炸裂。録音もいいので(私の盤は雑音まみれだが)大きな音で浸りきりましょう。とにかくケレン味があって面白くてしょうがない。鮮やかな解釈だ。音もじつに鮮やか。と言っても過度に変な解釈や改変デフォルメのようなものはない。ただ発音の仕方、フレージング、デュナーミク変化などにとても説得力があり、耳を掴んで離さないのだ。繊細さとか、柔らかな響きには欠けているかもしれない。また、表現主義的な厳しさもない。しかしここにはあきらかに息づいている音楽そのものがあり、音を楽しむ以外の何物も表現されていない。リムスキーはこれでいいのだ。今までで一番感動した演奏です。◎。
○ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団、フックス(Vn)(COLUMBIA /LYS)1939/12/20
筋肉質で速い演奏だ。いやー、力強いのなんの。クリーヴランド、巧い巧い。細かいパッセージまでしっかり棒に付けてくる。細かい動きまでびしっとあっているアンサンブルのよさに驚嘆。このコンビ、じつはあまり好きではなかったのだが(NYPのほうが好きでした)これは聴くに値するダイナミックな熱演。3楽章のスピード感、4楽章の畳み掛け、緩やかな部分が無いのが弱点といえば弱点だが、休む間もなく40分強。CD化していたのかもしれないが見たことは無い。モノラルだから単品では出難いかもしれないが、ドキュメントあたりでボックス化したさいは収録必至の演奏です。○。イタリア盤で一回CD化している。
マルケヴィッチ指揮シュタッツカペッレ・ドレスデン(EN LARMES:CD-R)1981/2/25LIVE
地味な演奏である。ドイツ臭さも感じる。だがリズミカルな楽想においてはマルケヴィッチの本領発揮、弾むようなテンポで心を沸き立たせる。付点音符の表現が演歌寸前ギリギリの感覚で面白く聞かせる。さすがディーアギレフの目にかなった音楽家だ。4楽章など月並みだが面白い。また、3楽章は意外に情緒的で美しく、この盤の一番の聴きどころと言える。低音の安定した音響が聴き易い。オケの技術はそこそこといったふうで、とくに特徴的なところはないのだが、音色はさすが綺麗。ソロヴァイオリンも1楽章で失敗?しているが全般に歌心に溢れた演奏ぶりで美しい。総じてこの曲の演奏としてはやはり地味だが、マルケ好きは聴いて損はなかろう。ロシア臭やロマン派臭が嫌いな向きにはおすすめ。録音にぱつっという音が入るところが二個所ある。無印。
○クレツキ指揮フィルハーモニア管弦楽団(HMV)
このシェヘラザードもいい!ステレオのいい録音のせいもあるが、名人芸的な揺らぎの美学が働いていて、これぞシェヘラザード!という派手な音楽をぶっちゃけちゃっている。3楽章の歌い込みも痛切ですさまじい。4楽章にくると少々そういうのにも飽きてはくるが、それでもたぶんきっと、これは爆演と言っていいのかもしれない。凝縮力はないものの、アクセントのしっかりした発音で鳴るべき音をしっかり鳴らしている。クリアな演奏ぶりが曲に立体的な厚みを持たせていて秀逸だ。○。
○ロヴィツキ指揮ワルシャワ・フィル(LYS他)1960-67・CD
この指揮者の荒っぽく派手好みで耳障りな音楽作りが私は耳にきつくて余り好きではない。LYSの復刻集成は加えて板起こしのやり方が荒々しくフォルテでの雑音や音色の汚さが聴くにたえない。しかしこの演奏も辛抱強く聴けば感情を揺り動かされないわけではない。聴き辛い部分と聞き込ませる部分がモザイク状に配置されている、といったふうだ。東欧的な硬い音色がとにかく気に入らないし雑味も気に入らない、でも、まあ、○にはすべきだ。
○シュミット・イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団(ACCORD)1957・CD
この指揮者らしくケレン味のない音により端正に組み立てられた立体的な演奏だが、純管弦楽曲としてダイナミズムを存分に発揮するよう意思的な起伏がつけられており、つまらないドイツ式構築性のみの聞き取れる演奏ではなく、制御された熱情が鋭敏で安定した技術感のあるオケにより巧く音楽的に昇華されている。ヴァイオリンソロなど安定しすぎて面白くないかもしれないが、音色感があり、3楽章など弦楽合奏含め珍しく感傷的な雰囲気を十分に感じさせる。リムスキーの管弦楽法の粋をそのまま聴かせようという意図(色彩感が非常にあるが生臭くならず透明で美しい・・・構築的な曲では無いのであくまで数珠繋ぎされるソロ楽器の音や交錯するハーモニーにおいてということだが)がうまく反映されている。テンポにおいて特にアッチェランドのような短絡的な熱狂性が無いのが気に入らないロシア人もいるかもしれないが、合奏部の迫力、凝縮と爆発のバランスが絶妙なところ含めこれで十分だと思う。いけてます。まあ、ロシア人には向かないけど。録音もよく演奏にあった綺麗な音で、◎にしようか迷ったが、オケの雑味に一流というわけではない感じを受ける人も多いかと思い、○にしておく。録音が高精細すぎるだけだと思うけど・・・放送オケはこれでいい。廉価盤でロザンタール指揮の小品2曲と共に再CD化。
○ハラバラ指揮チェコ・フィル(SUPRAPHONE/Columbia River Ent.)1953・CD
今はシャラバラと呼ぶのか?ずっとハラバラと呼んでいたので・・・ここではハラバラと呼ぶ。シェラザードだってシェヘラザードと呼んでるのでいいんです。千夜一夜物語と書いたら誰にも伝わらないし。LP時代の名盤で、数多い同曲の録音、とくに旧東側の録音としては聴き応えがある。お国ソヴィエトの演奏のようにばらんばらんに豪快でソリストが主張してばかり、でもなくかといって緊密すぎて面白みがなくなることはない、ソリストは誰もかれもオケプレイヤーとして非常にすぐれて必要な機能だけを発揮しており、ケレン味は必要なだけ盛り込まれ、ふるい録音なりの録音の雑味が山葵となってきいている。デロデロの甘甘になりがちな3楽章が重くも軽くもなり過ぎず音楽としてよく聴かせるものとなっていて印象的だった。ハラバラはリズムもさることながらテンポ運びが巧い。ルバートをルバートと感じさせないスムーズさで独自の揺らしを加えてくる。それがすれっからしの耳にも好ましく響く。4楽章がいささか冗長で、トータルでは○だが、いい演奏。ネットでは手に入るよう。
○スタインバーグ指揮ピッツバーグ交響楽団(capitol)LP
最初は余りに端整で制御された演奏振りにビーチャムのような凡演を想定していたが、楽章が進むにつれ異様な表現性とシャープなカッコよさが高度な調和をみせてくる。三楽章のハリウッド音楽張りのうねりには仰天した。しかも生臭さは皆無の程よい音色に、ピッツバーグがまた素晴らしい技術を見せ付けている。デモーニッシュなものが要となっているハルサイなどは私は余りにスマートすぎてピンとこなかったのだが、楽天的で開放的なこの楽曲には求心的でまとまりのよい演奏ぶり、ドライヴ感を実はかなり激しいテンポ変化と制御されたルバートの中であおり続ける。後半楽章の流れは大喝采ものだろう。録音のよさもある。前半余りピンとこなかったので○にしておくが、曲が人を選んだのだなあ、とも思った。ロシア人がロシア曲をやったところでロシア踊りになるだけだ。ロシア踊りに飽きたら、こういう大人の演奏もいいだろう。
グーセンス指揮LSO(everest)
とにかく野暮ったい。最初から何かだらしないというか、下手なシェヘラザードの見本のような解釈でどっちらけてしまう。ただ、ステレオなこともあり終楽章は派手にぶち上げてそれなりの聞かせどころを作っている。だが全般やはり凡庸で野暮だ。無印。
~Ⅰ抜粋、Ⅲ
イザイ指揮シンシナティ交響楽団(SYMPOSIUM)CD
しかし変な盤だな。イザイ晩年(昭和初期ね)のアメリカオケの指揮記録だが、粘らずさっさと進むだけの軽い1楽章後半抜粋、テンポは遅くついているが何故か重い響きの(速い場面はなかなかリズミカルだが)3楽章、お世辞にもプロらしさはなく、まあオケのアメリカぽさのせいもあるがシェヘラはこんなんか?というところもある。3楽章は速いとこはいいんだが、ロマンティックな揺れを入れようとして人工的になっちゃってるんだよなあ。コンマスソロが意外とうまいがイザイじゃないだろう。○。
(作曲家によるピアノ連弾版)
○ゴールドストーン&クレモウ(P)(OLYMPIA)1990・CD
シェヘラザードという曲の本質が浮き彫りにされる演奏だ。とどのつまり、ここには「旋律しかない」のだ。全ての楽章が旋律の流れだけで構成され、和声的な膨らみを持たせるがためだけに4手を必要としているだけで、結局単純なのだ。だが単純さの中に本質がある。単純で強く訴えられる音楽を書けるというのは並み大抵の才能じゃない。複雑にして音楽の本質を誤魔化している作曲家もいるが、リムスキーのやり方はここまでくると逆に清々しい。もちろんいい旋律ばかりなので、旋律しかないからといって面白くないというわけでもない。1、4楽章冒頭の強奏部にやや物足りなさを感じるがピアノでは仕方なかろう。19世紀末の段階ではまだエジソンがやっと蝋管蓄音機を発明したばかりで、新作を普及させるためには演奏会で取り上げてもらうことはもとより、聴衆に手軽なピアノ譜面を販売して試演してもらうことにより広めていくという回りくどいやり方をするより他なかった。この編曲も楽曲普及のための一手段として組まれたものと見るべきものだろう。これがはなからピアノ曲として構想されていたとしたらきっともっと複雑になっていたに違いない。シェヘラザードがわからないという人にはお勧め。かなり音が少ないので、アマチュアでも弾けるかも。
<リムスキー・コルサコフの代表作。「千夜一夜物語」に基づく4つのエピソードを曲にしている。組曲ではあるが、シェヘラザードを象徴するヴァイオリン独奏旋律が全楽章を統一しており、交響曲的なまとまりが感じられる。各楽章の表題はほんらい付けられていない。ワグナーの影響下にありながらもエキゾチックな素材を利用して独自の色彩的な世界を描いており、効果的な管弦楽法はロシア国民楽派の到達したひとつの頂点を示している。>
ゴーベール指揮パリ音楽院管弦楽団(VOGUE)1928/7/6,1929/4
~品のいいおちょぼ口のシェヘラザード。私はこれくらいのほうが好きである。ゴーベールはこれ以前にも抜粋録音しているそうだが、雑音をカットしたおかげで茫洋としてしまった録音の奥からは、リムスキーの色彩的な管弦楽法を十分に生かした立体的な演奏が聞こえてくる。けっしてこなれた演奏ではないし、2楽章のリズム、3楽章の歌、終楽章の感興などもっとはじけてもいいと思うが、まるでラヴェルのダフクロあたりを思わせる香気立ち昇る雰囲気が全体を包んでおり、また颯爽とした指揮ぶりにも自信がみなぎり魅力を感じる。ただ、ヘタなものはヘタ。ヴァイオリン・ソロの高音の音程がアヤシイしボウイングもぎごちないのが何より気になる。管楽器のソロは割と安定してはいるもののミスが無いわけじゃない。アンサンブルもわりとばらけがちで集中力が散漫な感じがする。これは録音のせいという気もしなくもないが、それを割り引いても「ヘタ」という印象は変わらないと思う。でも、いい演奏ですよ(自己矛盾)。
○フリート指揮伝モスクワ放送交響楽団(DANTE,LYS)1928
20年代と古いのに録音はかなり善戦。40年代位の感覚で聞けるから嬉しい。オスカー・フリートがどうしてソヴィエトのオケを振ったのかわからないが、引き締まった演奏ぶりはフリートの「なんとなく中途半端」のイメージを覆すものとして目から(いや耳から)ウロコが落ちる思いだった。ソリストの音色も細かいところまでは聞き取れないが美しい。オールドスタイルな演奏法は意外にも目立たず、全般にけっこうシャープである。デロデロ節もなきにしもあらずだが、どちらかというと一本筋の通ったドイツ的な演奏だ。3楽章もけっこう歌ってはいるがよたってはいない。シェヘラザードが好きな人だったら一度試してみても面白いと思う。○。それにしてもモスクワのオケはこの時点ではロシア節炸裂爆演というわけではなかったんだな。。
(後註:オケはロシアオケではないとのことです。)
○シュヒター指揮北ドイツ交響楽団(MHS)LP
珍しい録音をいろいろ出していた新しい会員頒布制レーベルからのこれは再発か。オケ名も不確か。がっちりした構成でしっかり聞かせる演奏。まさに純音楽指向で艶や感興とは無縁。このストイックさにごく一部のマニアは惹かれるのだろう。N響時代のことなんて誰も覚えちゃいないだろうが、統率力の大きさと無個性な解釈のアンバランスさに、忘れられても仕方ないかな、と思う。いつも後期ロマン派以降の曲の演奏でみせる杓子定規的な表現は、この珍しいステレオ録音では意外と悪い方向へ向かわずに、曲が本来持っている生臭さをなくして非常に聴きやすくしている。はっきり言って「普通」なのだが、そのまま気持ち良く聞き流せてしまう、何も残らないけど気持ち良い、そんな演奏もあっていいだろう。〇。
○カール・ルフト指揮ベルリン放送交響楽団(LE CHANT DU MONDE)LP
覆面指揮者と話題になった、いかにもフルヴェン時代のドイツを思わせる強い推進力をもった威圧的な演奏。ソリストもものすごくソリスティックに個性をアピールしてくるのが印象的。ただ、私の盤質がものすごく悪いのと、やっぱりドイツだなあ、というような渋さがつきまとい、好みは分かれると思う。派手にリムスキーの色彩感をあおる演奏が好きなら南の国の演奏を聴かれるがよい、もしくはロシアの。○。
◎クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(DA:CD-R)1946/4/6live
怒涛の剛速球、凄まじい名演。とにかく速く、カットがあるのかと思うほど。ラフマニノフのシンフォニー2番ライヴに近いスタイルで、これは弛緩した楽曲にはうってつけのやり方である。ボストン黄金期の機能性と馬力が最大限に発揮され、ミュンシュライヴと聴きまごうほど。統制が凄く、専制君主的な存在であったことを伺わせるが、聴く側にとっては清清しい。ミュンシュのような柔軟な統制ではなく一直線なので確かに単調な側面はあるのだが、ロマンティックなグズグズの曲やパズルのような構造をきっちり組み立てないとならない現代曲にはこのような直線的スタイルはあっている。ほんとにあっという間に聴き終わり、終演後の大喝采も演奏の成功を物語る。ロシア臭が無いというわけでもなく、濃厚な味がぎゅっと凝縮。3楽章ではねちっこいまでの自在なルバートが詠嘆のフレーズに織り込まれる。いや、私はこのシェヘラザードなら何度でも聴ける。録音がかなり悪いが、◎。
コンドラシン指揮コンセルトヘボウ管弦楽団(PHILIPS)1979/6
~コンドラシンらしい凝縮された密度の濃い演奏だ。クレバースのヴァイオリンソロが細いながらも美しい音色で一服の清涼剤たりえている。この人の演奏はその芸風からか小さく凝り固まってしまう場合も多いが、ここでもそんな感じがしなくはない。テンションこそ高いものの渋い演奏で派手さはなく、かといって哲学的なまでに内面を追求したわけでもなく、どことなく中庸な雰囲気が漂ってしまう。まあ、ブラスの鳴らし方などにロシア流儀が聞き取れるし、「中庸」は適切な言葉ではないかもしれないが、なぜか音色的に地味なのである・・ACOなのに。アンサンブル力や各セクションの素晴らしい表現力がコンドラシンの豪快な棒に乗ってとても高精度の演奏をやっつけているが・・・思わず寝てしまった。。録音のせいとしておきたい。
ラフリン指揮モスクワ放送交響楽団(MELODIYA)LP
なんとも鈍重で、薄い響きの目立つ弛緩したような始まり方をするが、ソリストは正確にやっており、オケも進むにつれ情緒テンメン節を忠実に表現しようとし始める(板につくまでに時間がかかっているということだ)。人工的な、ドイツっぽいガチガチしたシェラザードだ。ぶつ切り継ぎ接ぎ録音編集ではないか。モノラルだがこのオケの怜悧な音だと更にモノトーンに聞こえてしまう。2楽章でもしっかり型にはめ正確に吹かせようとするごときラフリンのやり方に青臭い不自然さが漂う。前のめりの感情的な盛り上げ方をしないから、少し飽きる。テンポ的な起伏がなく実直な遅さもロシアらしくない。終盤前に間をたっぷり使ったハープとフルート等のアンサンブルが幻想的で美しい。こういう印象派的表現はガウクも得意としたところだが、たんにゆっくりやっただけとも言える。素直な3楽章はゆっくり時間をかけてちゃんと歌っている。重いけれども。テンポが前に向かわない中間部ではあるが附点音符付きのリズム感はよくキレていて、バレエ音楽的な処理である。旋律の歌い方が未だ人工的なのは気になるがそうとうに神経質に整理されたさまが伺え、細かい仕掛けが聞こえる楽しさはある。スケールはでかい。4楽章も実直さが気にはなるがソリスト含め表現に荒々しさがあり民族臭が強くなる。全般褒められた演奏ではないが、精度を気にしためずらしい演奏ではある。
○パシャーエフ指揮ボリショイ歌劇場管弦楽団(?)LP
ゆったりした雄大さはないが、パシャーエフの強力な統率力の発揮された熱演。そのリズム良さは速い楽章で発揮されている。3楽章などちょっとしっとりした抒情も欲しくなるが、コンドラシンらの乾燥しきった演奏とは違い「人間らしい音」が出ており、とても感情移入しやすい。いい音出すなあ、ボリショイ管。このオケを下手オケと思ったら大違い、指揮者によってはここまでしっかりやるのだ。アクの強い他のロシア系指揮者にくらべて決して特色のある指揮者とは言えないけれども、感心して最後まで聞けてしまうのは優れた指揮者である証拠。勢いのあるいい演奏です。○ひとつ。個人的には◎にしたい・・・。でも盤面悪くてそこまではつけられない・・・。CD-R化されたことがある。
スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団(MELODIYA)
○スヴェトラーノフ指揮ロンドン交響楽団(BBC)1978/2/21LIVE
~というわけでロシア系最後の巨匠スヴェトラ御大の登場である。とはいえ手元にはメロディヤの、ステレオではあるがやたら雑音の入るLP(CD化もしてます)と、外様のオケを使ったライヴCDしかないのだが(他にはあるのだろうか?)紹介ぐらいはできるだろう。前者はもうロシアオケにロシア式奏法にロシア式録音+スヴェトラ御大という組み合わせ、くどくなることうけあい。と思ったのだが、起伏には富んでいるものの案外いやらしい音楽にはならない。色彩感はぎらぎらと極限まで強調されているけれども、それはモザイク模様のように組み合わされる音のかけらの集積、けっして様々な音色が有機的に溶け合う生臭い感じの音楽ではない。現代的なシャープな感覚と過剰なまでのデフォルメをうまく使い分けてコントラストのきつい音楽を仕上げるのがスヴェトラーノフ流だ。この2盤に共通するでろでろのロシア節、3楽章冒頭からの旋律はこの曲でもっともロシア的な解釈を施されているが、音色をハッキリと決めてからテンポ・ルバートだけを思い切り自由に使っている。つまりテンポ的にはデロデロだが、音的には比較的あっけらかんとしている。まあ前者はそれでも「いやらしい歌」に聞こえなくはないのだが、なにぶんマイクが物凄くオケに近いためにヴァイオリンのばらけや雑味が思い切り聞こえるし、他にも些細なミスや突出した音が良く聞こえる状態だから、それがほんとうに「いやらしい歌」だったのかすら定かでない。巧い奏者だらけだけれども合奏がいかにも雑なオケ、というソヴィエト国立の悪い面が出てしまっている前者は、無印としておく。後者はロンドン響があまり敏感に反応しないのがイライラするが、おおむねソヴィエト国立と同じような解釈が施されていて、精一杯指揮にあわせて外様のオケとしては考えうる限り最善の演奏を行っているさまが聞き取れる。音のよさと盛大な拍手に敬意を表して○ひとつ。個人的には・・・やっぱりちょっとくどい。
ダヴィド・オイストラフ(Vn)伝アノーソフ指揮ボリショイ管弦楽団(IDIS/MULTISONIC)1950LIVE
~はっきり言ってロシア系の演奏は敬遠したい。ただでさえ体臭のキツいロシア国民楽派(といってもリムスキーはずいぶん洗練されたほうだが)の楽曲に、わざわざロシア系のこれまた体臭のキツい演奏を選ぶ気になれない。多分に夏のせいではある。暑苦しいのだ。だがまあ、このくらい古い演奏になると音色だのなんだのはどうでもよくなってしまう。せっかくオイストラフがソロを弾いていても、その分厚い音色はちっとも伺えず、ただむちゃくちゃに巧いボウイングと危なげない左手(とはいえわずかでも音程が狂わないかといえばウソになるが)だけが感心させるのみ。アノーソフはロシア臭もするがとても骨太でかつ合理的な演奏を指向しており、録音のせいで音色感はよくわからないが、普通に聴きとおすことができる。やはりと言うべきか、冒頭のシャリアール王のテーマ、ロシア的下品さとでも言ったらいいのか、ブラスの重厚だがあけすけに開放的な咆哮は、このアノーソフ盤でもしっかり行われている。まあ、ロシア国民楽派特有の「お定まり」である。色彩性のない録音がマイナス、無印。
(註)この演奏は現在はゴロワノフの伴奏とされている。ソリストがオイストラフに決まった理由はボリショイのコンマスが指揮者の要求に答えられず、「オイストラフを呼んでこい!」の一言で辞めさせられたためということだ。ちなみに私の手元にはゴロワノフと明記された別のCDもあるが、まだ聴いていない。恐らく同じ演奏なのだろう。
○ズーク(Vn)イワーノフ指揮モスクワ放送フィル交響楽団(THEATRE DISQUES:CD-R)1978/3/16LIVE
これはMELODIYAで流通していたLP原盤なのだろうか?何故か縁無いうちに裏青化したので買ったが、明らかな板起こしである。取り立てて名演ではないが何故中古市場にそれほど出回らなかったのか?
1楽章は落ち着いたテンポで足取りしっかりとドイツっぽさすら感じさせる。この人はベートーヴェン指揮者であることをしっかり意識して、余り拡散的な灰汁の強い表現をしないときのほうが多い(もちろんするときもある)。楽器の鳴らし方は全盛期スヴェトラとまではいかないが豪放磊落で倍音の多い分厚い音響を好む。だがこの頃のメロディヤのステレオ盤は盤質のこともあり心持軽く薄い響きがしがちで、これも例えばミャスコフスキーの新しい録音で聞かれたものと同じ、ロシア人指揮者にしては相対的に個性が弱く感じるところもある。中庸ではないが中庸的に感じられるのである。
中間楽章では1楽章ほどに遅さは感じず、でも常套的な気もする。ブラスの鳴らし方は思ったとおり、といったふうでロシア式。ヴァイオリンソロはすばらしい、D.オイストラフを思わせる安定感もあるし変なケレン味を持ち込まないのがいい。3楽章はでろでろしているのだが、生臭くない。これは不思議だが中低音域を強く響かせる少し中欧ふうの感覚の発露かもしれない。
4楽章は想定どおりの大団円をもたらしてくれる。これは勿論この人だけではなく同じような盛り上げ方をする人はいくらでもいるんだが、素晴らしく盛り上がる、とだけ言っておく。○か。強くインパクトを与える感じはしない。強いて言えばラフマニノフのシンフォニー2番と同じようなスタンスの録音と思った。
○ストレング(Vn)シェルヒェン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(Westminster)CD
非常に良好なステレオ録音である。演奏はこのコンビらしいコントラストをはっきりつけた飽きさせない内容。スタジオでは比較的マトモといわれるシェルヒェンだが流石に3楽章ではデロデロにテンポを崩し真骨頂を見せている。ただ、このコンビではしばしばあることだが音が醒めていて人工的な印象も受ける。CD復刻の弊害かもしれないので演奏のせいとばかりは言えないだろう。オケは達者なので総じては楽しめると思う。ちょっと弦が薄いのはオケ都合か。○。
○ベイヌム指揮ACO、ダーメン(Vn)(PHILIPS/IMG)1956/5・CD
20世紀の名指揮者シリーズで復刻されたモノラル末期の名録音。スタジオ。速いテンポを一貫してとり、流麗で色彩感に富む演奏を聞かせてくれる。木管ソロのいずれもニュアンス表現の素晴らしさは言うに及ばず、再興ACOの黄金期と言ってもいい時代の力感に満ちた素晴らしくスリリングなアンサンブルを愉しむことができる。ベイヌムは直線的なテンポをとりながらも構造的で立体感ある組み立てをしっかり行っており、同傾向の力感を持つクーセヴィツキーなどと違うのはその点であろう。もっとも録音状態が違いすぎるので(スタジオ録音は有利だ)安易な比較はできないが、リムスキーの管弦楽の粋を聴かせるにステレオでなくてもここまで十全であるというのは並みならぬものを感じさせる。
表現も直裁なだけではない、2楽章の変化に富んだアゴーギグ付け、その最後や4楽章の怒涛の攻撃はライヴ録音を思い起こさせるし(あのライヴは色彩感が落ち流麗さを強引さに転化したちょっと違う印象の録音だが)、ソロ楽器を歌わせながらオケ部には派手な情景描写をバックに描かせ続ける、そういった劇的表現が巧みだ。まさに絵画的な、オペラティックな印象を与える。人によっては純音楽的表現とし表題性を気にしていないと評するかもしれないがそれはあくまで全般的にはスピードが速め安定で構造重視、という側面だけで得られる印象であり、もっと表題性を無くした演奏はいくらでもあるのであって、これは十分表題を音で表現できている。たくさん褒めたが直感的に○。私の好みはクーセヴィツキーのような表題性無視完全即物主義シェヘラザードなのです。シェヘラザードが物欲女というわけではありません(謎)
◎ベイヌム指揮ACO(movimente musica,warner)1957/4/30アムステルダムlive
イワーノフのシェヘラザードを手に入れ損ねて不完全燃焼の状態にふとこの盤を手にとる(イワーノフはかなりリムスキーをいれているのだが復刻が進まない。時代が悪かった、スヴェトラ前任者でモノラルからステレオの過渡期にいただけに陰が薄くなってしまった)。びっくり。
物凄い力感である。そうだ、アムスはこんなオケだった。シェフ次第ではこんなに剛速球を投げる名投手だったのだ。もちろん音色的には必ずしも目立ったものはなくソリストも特長には欠ける(ヴァイオリンソロのとちりには目をつぶれ!)。しかしベイヌムという非常に求心力の強い指揮者のもとにあっては、ひたすらケレン味も憂いもなく、アグレッシブに(3楽章でさえも!)強烈な音力をぶつけてくる。録音も非常に強い。撚れなどもあるが生々しさこの上ない。とにかく気分を発散できる演奏で、まるでライヴにおけるドラティのように「中庸でも玄人好みでもない」ヘビー級の剛速球を投げつけてどうだ、と言わんばかりの感じ、もちろんリムスキーの色彩のフランスライクな側面が好きな「音色派」や、解釈の起伏を楽しみたい「船乗り型リスナー」には向かないが、単彩なコンセルトヘボウを逆手にとった「とにかくこれが俺のシェヘラちゃんなんだよ!オラ!」と言わんばかりの男らしい演奏、私は決してこれが一般的に名盤とは思わないが、個人的に◎をつけておく。飽きません。コンドラシンですらこざかしい。
○ストコフスキ指揮ロンドン交響楽団(LONDON)1964/9/22
この演奏に特徴的なのは旋律の極端な伸縮である。ソリストが自由に旋律をかなでるように、著しく伸び縮みするフレージングは、それがソロ楽器ならともかく、弦楽器全体が一斉に、だったりするので初めて聞くとびっくりする。また耳慣れない表現が混ざるのはスコアをいじっているせいだろうか(スコアを持ってないので確証なし)。明るくあっけらかんとした演奏ではあるが、とても個性的で、まさにストコフスキという人そのものを象徴するような解釈のてんこもりだ。それがちょっと人工的であまりスムーズに動いていかないところがあるのが惜しまれるが、オケは十分な力量を持っており、聞きごたえのある演奏になっている。ヴァイオリンのソリストが余り浮き立ってこないのは録音のせいか。それも解釈のうちかもしれない。こういうものは今の時代だからトンデモ演奏扱いされるわけで、かつて大昔にメンゲルベルクらがやっていた作為的な演奏様式に近いものであり・・・というか
ストコフスキもキャリア的にはその世代に属する指揮者なのだが・・・その点で貴重なステレオ録音であるといえよう。迷ったが○ひとつ。
○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(DA:CD-R)1962/5/21live
非常に臨場感のあるステレオ録音で、いちいち楽器配置を変えて演奏しているのか、音楽が意表を突いたところから聞こえてきたりといった面白さもよく聞き取れる。多分、会場で聴いているアメリカ人に最もわかりやすいように、どぎついまでに表現を色彩的にしようとしたのであろう。ソリストのメドレーのようにメロディラインが強調され、それがまた物凄いうねり方をするために(スタジオ盤もそうだったが相手が最強のパワー楽団(しかもオーマンディ時代のボリューム・アンサンブルを誇ったメンツ)なだけに尚更!)1楽章くらいは「青少年のための管弦楽入門」のように楽しめたが、3楽章では「もういい・・・」と苦笑。しつつ結局いつものアタッカ突入で楽章変化すら定かじゃない流れで物凄い終局にいたるまで聴いてしまった。弦楽器はいくらなんでも反則だよなあこの力感。。まあ、会場は喝采だろうなあ。録音の限界というものを「逆方向で=どぎつさが更に強調されるようなキンキンした音で」感じさせられた次第。いや、ストコ/フィラ管のステレオでこの曲を聴けるというだけで最大評価されても不思議は無いと思う。○。
○ストコフスキ指揮モンテ・カルロ・フィル(DA:CD-R)1967/7/26live
オケは集中力が高くまとまっていて、各ソリストの技量も高い。ギトギトの脂ぎった光沢をはなつストコの音楽を実に忠実に勢いよく表現しきっている。拡散的で非常に色彩豊かな音響を作るストコの特徴が過度にならず出ていて面白い。ライヴなりに精度には限界があり、ストコらしい彫刻の雑さも耳につく。録音はエアチェックにしてはおおむねよいほうだが撚れや電子雑音が目立つ箇所もある。従ってけしてストコの録音として万全とは言えず、別にこれを取り立てて聴く必要はないが、ダイナミックで異様な迫力に満ちた派手派手なこの音楽が、80台半ばを迎えた老人の指先から生まれてきていることを思うと感動すらおぼえる。耳の確かさ、頑丈さは尋常ではない。これは手兵による演奏ではない。なのにここまで指示が行き届き実演にて統制がとれれば十二分である。下振りによる入念なリハや勝手な指示が山ほど書き込まれた譜面が配られていたにせよ。○。
チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(DG)1982/2/18LIVE
~雄大にして緻密なチェリの美学が生きた演奏だが、まず録音状態が、新しいものにしてはあまりよくない。ホワイトノイズが入るし、オケの音は平板。チェリの気合声が気分を高揚させるものの、客観が優る演奏であり、それほどのめり込むことはできない。が、構築的な演奏はまるでひとつのシンフォニーを聴くようで曲にふさわしくないとも言える高潔さや哲学性まで感じさせる。響きの美しさは比類が無く、この時代のリムスキーが世界の最先端を行っていた事を裏付ける和声的な面白さもぞんぶんに味わえる。ハマればとことんハマりこむ演奏であり、私もその一人なのだが、好みで言えばロココ盤や同じシュツットガルトとの海賊盤のほうが自然で好きかも。無機的な感じも恐らくリマスタリングのせいだろう。録音マイナスで一応無印としておく。
◎チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(GREAT ARTISTS:CD-R他)1980/2/29LIVE
~この演奏で私は目からウロコが落ちた。シンフォニックな組み立てが生臭い雰囲気を一掃し、格調高い「交響曲」を聞かせている。また非常にこなれている。少々異端ではあるが、名演。
○チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(ARLECCHINO)1972LIVE
~モノラルで録音はやや悪いが、演奏はチェリ壮年期の覇気に満ちたもので共感できる。Vnソロに妖艶さが足りないのはいつものことだが、シンフォニックな演奏は物語性から脱却して純粋な音楽として楽しめる。まあ、以前挙げたいくつもの演奏と比べて大差ないのだが、しいていえばロココの盤に近いか(同じかも・・・)。チェリのかけ声が気合が入っていて良い。これも音楽の内だ。シュツットガルトはやや鈍いがおおむねしっかり弾き込んでいる。好演。2楽章に少し欠落あり(原盤)。シュツットガルト・ライヴには1975年のライヴもあるが未聴(ヴィデオも有るらしい)。
○チェリビダッケ指揮交響楽団(ROCOCO)?LIVE
~演奏時間がシュツットガルト(1980)のものと余り変わらず、音色的にも南欧ではなさそう。となると新しい録音のはずだが、ロココのこと、演奏団体名は伏せられ(一応このようなリリースを行う事に対する釈明文が添付されている)録音年月日も不明なうえに、モノラル。モノラルとしても決していい録音状態とはいえないが、曲の概要がわからないまでではない。ライヴ盤にしては見通しの良い精度の高い演奏で、シンフォニックな解釈が私のような表題音楽嫌いにも聴き易くしている。ソロヴァイオリンがかなり巧みで、殆ど1、2箇所くらいしか危うい所が無い・・・ここでシュツットガルトの演奏を思い出すと、音程がけっこう怪しいところがあった気がするので、別録音と判断したいが・・・のはこの演奏の価値を高めている。ワグナーの影響やボロディンふうのエキゾチシズムが横溢する楽曲を、チェリは敢えてそれらと隔絶した、唯「リムスキー」という個性の発現した楽曲として描いている。だからそれらに生臭い感じを覚えることなく、ただモチーフの数々~いい旋律を楽しませてもらった。佳演。拍手は通り一遍。
チェリビダッケ指揮ミュンヒェン・フィル(METEOR/CULT OF CLASSICAL MUSIC:CD-R)1980'S?LIVE
~録音悪すぎ。激しいノイズはエアチェック物であることがバレバレ。これではチェリの目した完璧主義的な音響には遠く及ばない。とにかくこのことが気になってしょうがなかった。また、アンサンブルが緩みがちというか、固くて軋みを生じているというか、作為的な感じがして仕方なかった(1楽章は素晴らしかったが)。シュツットガルト放送響の演奏には強い集中力があり、音響も録音としては理想的であったから、それより後と思われるこの録音の出来は残念としか言いようがない。がんばって手に入れた盤だけに、拍子抜けも著しかった(泣)。ソロヴァイオリンもあまり旨みがない表現。盤評本ではシュツットガルトの録音よりこちらを推しているものもあるが、録音状態をひとまず置いたとしても、この盤がシュツットガルトに比べて更に壮大で迫力があるかというと疑問である(単純な時間の長短の問題ではない)。まあ、聞きたい人は聞いて下さい。私は無印としておきます。
○チェリビダッケ指揮トリノ放送交響楽団(HUNT)1967/2/24LIVE
~なんとステレオだから嬉しい。チェリの解釈のせいかラテンの雰囲気は極力抑えられているが、それでも十分熱気の伝わる演奏になっている。以前挙げたROCOCO盤と同じだと思ったのだが、雑音の入りかたが違うため、これとは違うようだ。チェリの剛直な解釈は客観的な態度も維持しつつ十分劇的で、迫力満天だ。まだ壮大さはないが、しっかりと地面に足をつけた演奏ぶりは後年の悠揚たる演奏を予告している。○ひとつとしておく。
○チェリビダッケ指揮シュツットガルト放送交響楽団(euroarts)DVD
恐らく70年代後半の映像か。見た目の「窮屈さ」と音にみなぎる覇気の間に少し違和感をおぼえるがテンシュテット同様そういうものだろう。まさかカラヤン方式(別録り)ではあるまい。スピードも縦の強さもチェリ壮年期のかっこよさを体言しており、スタジオ収録映像にもかかわらず掛け声をかけたり気合が入りまくりである。シュツットガルトもかなり精度が高い。まあ、チェリのシェヘラザードはたくさんあり、その芸風の範疇におさまる記録ではあるので、見た目にこだわらなければこれを入手する必要はないとは思うが、生気ある白髪チェリを拝みたいかたはどうぞ。モノラル。
◎フリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団(DG)1956/9
~実に男らしいシェヘラザードだ。男臭いと言ってもよい(誉め言葉です)。白黒写真のように単彩ではあるがメリハリの効いた演奏で、ギチギチで火花が飛び散るようなアンサンブルはとくに終曲において圧倒的な迫力を見せつける。楽曲のはらむ生臭い部分はすっかりアクを抜かれており、そもそも「情感」というものを排したものとなっている。スヴェトラーノフなどとは対極の演奏だ。それでもなおたとえば3楽章のアンダンテ主題はかなり作為的にテンポが揺れ動くが、ただ揺れるだけで歌っているわけではない。そこがまた独特の美しさを見せる。計算ずくであることは言うまでもない。テンポ、というのはフリッチャイの演奏に欠かせぬファクターである。この曲でも速いテンポで突き進むところ~終楽章など~は基本的にはタテノリなのだが軍隊行進曲のような心地よい前進性を持っており、耳を惹きつけて離さない。これはフリッチャイ会心の出来だ。言ってみれば表題性を押し退けて、まるで「合奏協奏曲」のように演奏させているといえる。極めて高度な構成感を持った演奏であり、とくに民族音楽的な部分を精緻なアンサンブルの中に昇華させているところはバルトークの演奏法を思わせる。こういう演奏で聞くとリムスキーの現代性が浮き彫りになり、エキゾチシズムや民族性といった生臭い部分は影をひそめる。私はそういう演奏が好きだ。オケは(最高とは言わないが)機能的であり、色彩感はないが、総合の合奏力はそれを補うものがある。このソロヴァイオリンはいたずらに情感を呼ばないところが好きだ。
◎クアドリ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(WESTMINSTER)
いやー、派手です。爆発してます。しかも響きの重厚さも持ち合わせている。三楽章をはじめとして弦の深く美しい音色の魅力が炸裂。録音もいいので(私の盤は雑音まみれだが)大きな音で浸りきりましょう。とにかくケレン味があって面白くてしょうがない。鮮やかな解釈だ。音もじつに鮮やか。と言っても過度に変な解釈や改変デフォルメのようなものはない。ただ発音の仕方、フレージング、デュナーミク変化などにとても説得力があり、耳を掴んで離さないのだ。繊細さとか、柔らかな響きには欠けているかもしれない。また、表現主義的な厳しさもない。しかしここにはあきらかに息づいている音楽そのものがあり、音を楽しむ以外の何物も表現されていない。リムスキーはこれでいいのだ。今までで一番感動した演奏です。◎。
○ロジンスキ指揮クリーヴランド管弦楽団、フックス(Vn)(COLUMBIA /LYS)1939/12/20
筋肉質で速い演奏だ。いやー、力強いのなんの。クリーヴランド、巧い巧い。細かいパッセージまでしっかり棒に付けてくる。細かい動きまでびしっとあっているアンサンブルのよさに驚嘆。このコンビ、じつはあまり好きではなかったのだが(NYPのほうが好きでした)これは聴くに値するダイナミックな熱演。3楽章のスピード感、4楽章の畳み掛け、緩やかな部分が無いのが弱点といえば弱点だが、休む間もなく40分強。CD化していたのかもしれないが見たことは無い。モノラルだから単品では出難いかもしれないが、ドキュメントあたりでボックス化したさいは収録必至の演奏です。○。イタリア盤で一回CD化している。
マルケヴィッチ指揮シュタッツカペッレ・ドレスデン(EN LARMES:CD-R)1981/2/25LIVE
地味な演奏である。ドイツ臭さも感じる。だがリズミカルな楽想においてはマルケヴィッチの本領発揮、弾むようなテンポで心を沸き立たせる。付点音符の表現が演歌寸前ギリギリの感覚で面白く聞かせる。さすがディーアギレフの目にかなった音楽家だ。4楽章など月並みだが面白い。また、3楽章は意外に情緒的で美しく、この盤の一番の聴きどころと言える。低音の安定した音響が聴き易い。オケの技術はそこそこといったふうで、とくに特徴的なところはないのだが、音色はさすが綺麗。ソロヴァイオリンも1楽章で失敗?しているが全般に歌心に溢れた演奏ぶりで美しい。総じてこの曲の演奏としてはやはり地味だが、マルケ好きは聴いて損はなかろう。ロシア臭やロマン派臭が嫌いな向きにはおすすめ。録音にぱつっという音が入るところが二個所ある。無印。
○クレツキ指揮フィルハーモニア管弦楽団(HMV)
このシェヘラザードもいい!ステレオのいい録音のせいもあるが、名人芸的な揺らぎの美学が働いていて、これぞシェヘラザード!という派手な音楽をぶっちゃけちゃっている。3楽章の歌い込みも痛切ですさまじい。4楽章にくると少々そういうのにも飽きてはくるが、それでもたぶんきっと、これは爆演と言っていいのかもしれない。凝縮力はないものの、アクセントのしっかりした発音で鳴るべき音をしっかり鳴らしている。クリアな演奏ぶりが曲に立体的な厚みを持たせていて秀逸だ。○。
○ロヴィツキ指揮ワルシャワ・フィル(LYS他)1960-67・CD
この指揮者の荒っぽく派手好みで耳障りな音楽作りが私は耳にきつくて余り好きではない。LYSの復刻集成は加えて板起こしのやり方が荒々しくフォルテでの雑音や音色の汚さが聴くにたえない。しかしこの演奏も辛抱強く聴けば感情を揺り動かされないわけではない。聴き辛い部分と聞き込ませる部分がモザイク状に配置されている、といったふうだ。東欧的な硬い音色がとにかく気に入らないし雑味も気に入らない、でも、まあ、○にはすべきだ。
○シュミット・イッセルシュテット指揮北ドイツ放送交響楽団(ACCORD)1957・CD
この指揮者らしくケレン味のない音により端正に組み立てられた立体的な演奏だが、純管弦楽曲としてダイナミズムを存分に発揮するよう意思的な起伏がつけられており、つまらないドイツ式構築性のみの聞き取れる演奏ではなく、制御された熱情が鋭敏で安定した技術感のあるオケにより巧く音楽的に昇華されている。ヴァイオリンソロなど安定しすぎて面白くないかもしれないが、音色感があり、3楽章など弦楽合奏含め珍しく感傷的な雰囲気を十分に感じさせる。リムスキーの管弦楽法の粋をそのまま聴かせようという意図(色彩感が非常にあるが生臭くならず透明で美しい・・・構築的な曲では無いのであくまで数珠繋ぎされるソロ楽器の音や交錯するハーモニーにおいてということだが)がうまく反映されている。テンポにおいて特にアッチェランドのような短絡的な熱狂性が無いのが気に入らないロシア人もいるかもしれないが、合奏部の迫力、凝縮と爆発のバランスが絶妙なところ含めこれで十分だと思う。いけてます。まあ、ロシア人には向かないけど。録音もよく演奏にあった綺麗な音で、◎にしようか迷ったが、オケの雑味に一流というわけではない感じを受ける人も多いかと思い、○にしておく。録音が高精細すぎるだけだと思うけど・・・放送オケはこれでいい。廉価盤でロザンタール指揮の小品2曲と共に再CD化。
○ハラバラ指揮チェコ・フィル(SUPRAPHONE/Columbia River Ent.)1953・CD
今はシャラバラと呼ぶのか?ずっとハラバラと呼んでいたので・・・ここではハラバラと呼ぶ。シェラザードだってシェヘラザードと呼んでるのでいいんです。千夜一夜物語と書いたら誰にも伝わらないし。LP時代の名盤で、数多い同曲の録音、とくに旧東側の録音としては聴き応えがある。お国ソヴィエトの演奏のようにばらんばらんに豪快でソリストが主張してばかり、でもなくかといって緊密すぎて面白みがなくなることはない、ソリストは誰もかれもオケプレイヤーとして非常にすぐれて必要な機能だけを発揮しており、ケレン味は必要なだけ盛り込まれ、ふるい録音なりの録音の雑味が山葵となってきいている。デロデロの甘甘になりがちな3楽章が重くも軽くもなり過ぎず音楽としてよく聴かせるものとなっていて印象的だった。ハラバラはリズムもさることながらテンポ運びが巧い。ルバートをルバートと感じさせないスムーズさで独自の揺らしを加えてくる。それがすれっからしの耳にも好ましく響く。4楽章がいささか冗長で、トータルでは○だが、いい演奏。ネットでは手に入るよう。
○スタインバーグ指揮ピッツバーグ交響楽団(capitol)LP
最初は余りに端整で制御された演奏振りにビーチャムのような凡演を想定していたが、楽章が進むにつれ異様な表現性とシャープなカッコよさが高度な調和をみせてくる。三楽章のハリウッド音楽張りのうねりには仰天した。しかも生臭さは皆無の程よい音色に、ピッツバーグがまた素晴らしい技術を見せ付けている。デモーニッシュなものが要となっているハルサイなどは私は余りにスマートすぎてピンとこなかったのだが、楽天的で開放的なこの楽曲には求心的でまとまりのよい演奏ぶり、ドライヴ感を実はかなり激しいテンポ変化と制御されたルバートの中であおり続ける。後半楽章の流れは大喝采ものだろう。録音のよさもある。前半余りピンとこなかったので○にしておくが、曲が人を選んだのだなあ、とも思った。ロシア人がロシア曲をやったところでロシア踊りになるだけだ。ロシア踊りに飽きたら、こういう大人の演奏もいいだろう。
グーセンス指揮LSO(everest)
とにかく野暮ったい。最初から何かだらしないというか、下手なシェヘラザードの見本のような解釈でどっちらけてしまう。ただ、ステレオなこともあり終楽章は派手にぶち上げてそれなりの聞かせどころを作っている。だが全般やはり凡庸で野暮だ。無印。
~Ⅰ抜粋、Ⅲ
イザイ指揮シンシナティ交響楽団(SYMPOSIUM)CD
しかし変な盤だな。イザイ晩年(昭和初期ね)のアメリカオケの指揮記録だが、粘らずさっさと進むだけの軽い1楽章後半抜粋、テンポは遅くついているが何故か重い響きの(速い場面はなかなかリズミカルだが)3楽章、お世辞にもプロらしさはなく、まあオケのアメリカぽさのせいもあるがシェヘラはこんなんか?というところもある。3楽章は速いとこはいいんだが、ロマンティックな揺れを入れようとして人工的になっちゃってるんだよなあ。コンマスソロが意外とうまいがイザイじゃないだろう。○。
(作曲家によるピアノ連弾版)
○ゴールドストーン&クレモウ(P)(OLYMPIA)1990・CD
シェヘラザードという曲の本質が浮き彫りにされる演奏だ。とどのつまり、ここには「旋律しかない」のだ。全ての楽章が旋律の流れだけで構成され、和声的な膨らみを持たせるがためだけに4手を必要としているだけで、結局単純なのだ。だが単純さの中に本質がある。単純で強く訴えられる音楽を書けるというのは並み大抵の才能じゃない。複雑にして音楽の本質を誤魔化している作曲家もいるが、リムスキーのやり方はここまでくると逆に清々しい。もちろんいい旋律ばかりなので、旋律しかないからといって面白くないというわけでもない。1、4楽章冒頭の強奏部にやや物足りなさを感じるがピアノでは仕方なかろう。19世紀末の段階ではまだエジソンがやっと蝋管蓄音機を発明したばかりで、新作を普及させるためには演奏会で取り上げてもらうことはもとより、聴衆に手軽なピアノ譜面を販売して試演してもらうことにより広めていくという回りくどいやり方をするより他なかった。この編曲も楽曲普及のための一手段として組まれたものと見るべきものだろう。これがはなからピアノ曲として構想されていたとしたらきっともっと複雑になっていたに違いない。シェヘラザードがわからないという人にはお勧め。かなり音が少ないので、アマチュアでも弾けるかも。