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(沖縄)
・1768年改築時の首里城の設計記録があったのね。鎌倉資料は聞いたことあるけどかなり具体的に残っているとすれば、内地の素人がゴチャゴチャいちゃもんつけてた首里城復元の話はやっぱ、素人が口出すな案件だった。先島地方の征服に関する話が添えられてて意外だった。わたしは初沖縄が西表島だったので八重山ベースに沖縄を見ていた時期があり、オヤケアカハチの乱(乱?)は波照間や小浜、石垣島と遺跡の残るのとともに記憶に残った。何十年もたってるからネットを検索したほうが記憶をほじるより確かだし、Twitterで少し話題になった人頭税だってそれを怨みだとかなんだとかあまり言う人がいなくなって、沖縄全体で首里城を県民のアイデンティティの拠り所と考えよう的な空気を感じたりもする。もう先島行くこともないだろうが、本島は行きやすいので、その機会にはものすごいひさしぶりに首里とか寄ってもみようか。本島だって人に言われて本部の今帰仁城跡(まだ整備完了してなかった)行って、ここが北山王朝の中心地ね、と思ったのが首里城より先だった。それも何十年前。とうとつにおわる。消火活動遅れの原因追及とかなんかいやなのでスルー。
・アーティスト側がよほどまともにかんがえてたんだなあ、と。一定の方向づけをする思惑を持って主催した人々、ひたすら政治利用した人々、のせられてクレーマーになっただけの人々。これこそアーティストっぽい取り組みだと感じた。議論を経ない表現をもって受け容れさせるなんて、きわめて一握りの天才にしか不可能。
忘れてはならない事件だと思います。当時いわゆる煽り芸でブログ等閲覧者を増やす、今で言うインフルエンサーになろうとする人は多くて、ほとんどそれだけでトップのブロガーになり一時期テレビまで出てた人もいた(そこまで行く人は漏れなく2ちゃんねる黎明期からネットに根をはやしてますが)。この人も手法として煽りを使うも、それは誹謗中傷度が低く、自分の人気を背景に、ネットの邪魔者、厄介者への攻撃的な書き方をするようなかんじだった(クリーンに誹謗中傷一切なしでアルファブロガーになる人もいたので、これは当人の好みの問題もある)。悪いことにこのひとは(当時のアルファブロガー特有の行動として)出版や講演会などリアルの世界に向かった。今はネットの怖さへの対策はデフォルトなので、本名や連絡先、行動の類推できる書き込みをする人なんて皆無でしょうが、当時は宣伝のひとつ、またお客さんへの誠意の示し方として個人情報出しがちでしたねたしか。そうしてこの事件があったわけです。ネットはご存知の通り現実社会でうまくいかない鬱憤を晴らすために万能人格を作成して他人をくさしていくスタイルのユーザーが山程います。それでは物足りなくなり、あるいは区別がつかなくなり、リアルにはみ出る人もいることはいる。虚偽の情報にもとづいたネットの誹謗中傷が芸人さんを十年以上苦しめ続けている事件はご存知でしょう。最近だとフェイクニュース関連ですね、高速道路で恫喝してきた男の横にいた女について、別人を犯人と決めつけネットに流す。これらは正義感からやったと思われがちですが、自分の鬱憤晴らしです。確実に、まさに叩いていい相手が叩ける形でネットの手元にいて、万人が叩いていいと思っていて、叩いたらみんな拍手してくれる完全なる悪を誰よりも強く派手に叩くことで承認欲求を満たす。正義感は初期だけです。正義感って、自分が調べあげて納得して抱くものであって、ネットで読んだから抱いた、ってのは漠然とした軽微な感情であり、それが叩かなきゃならない、って行動になるのは、その行動を見せたいという自己顕示欲でしかない。問題化するような行動はもうそれしかない。正義感だけなら他人に頭おかしいと思われるほどの粘着はしないですよね。。
犯人は今もって腹を立て納得していないようですが、おそらく自分を有名人だと思っていて、多少変な形ではあれどネットで幅をきかせていたのに、上から攻撃されたからプライドを傷つけられたんでしょう。こういう人がネットは少なからずいましたが(Twitterには有名人に絡む卑劣アカウントがいくつか話題になりました(消えました))、刺すまでいったというのが驚きでした。ひょっとするとブロガーが減ってTwitterやインスタやユーチューブなどのインフルエンサーが増えたのは、この事件が曲がり角だったのかもしれませんが、リスクは顔出し動画のが遥かに大きい。似たトラブルが出ないことをねがいます。ユーチューブコメントなんか見てるとハラハラする。