湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ

2016年12月20日 | Weblog
ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1976/10/6放送 live

随分落ち着いた演奏ぶりだが、やがて一音一音慈しむような絃楽器の官能に耳を奪われ、後半にさしかかるとその法悦的な表現に浸りこんでしまう。非常に美麗な響きはラヴェルの弟子ロザンタールの細心を払ったバランス感覚に手兵が応えている、まさにフランス的な音楽であり、ラヴェルそのもの。年齢を重ねても瑞瑞しい音楽表現は変わらない。
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ストラヴィンスキー:三幕のバレエ音楽「オルフェウス」

2016年12月20日 | Weblog
ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1965/12/16放送 live

優しく暖かいストラヴィンスキー。時期的にも作品的にもロマンティックな響きや聴衆を意識したようなわかりやすさを持ち込んで、筋書きに忠実に描かれていく音楽。少々長いので痩せた演奏だと聴きづらいかもしれないが、今は良い録音がある。私はストラヴィンスキーは基本的に自作自演かロバート・クラフトしか聴かないので(ブーレーズは一枚聴いて以後二度と聴いていない)この曲がこんなにキャッチーだったとは発見で、しかしロザンタールの華やかで、耳ざわりのすこぶる良いふくよかな演奏ぶり(ノイズは無くはないが放送録音としては最上級のステレオであるせいもあるかも)によるところも大きいだろうか。何故かハルサイのコンサートプログラムを所持しているがロザンタールがやるとさぞ耳に楽しい躍りになっていたことだろう。一声ブーイングが入るし聴衆反応は穏やかだがこれは曲に対するものだろう。
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☆シベリウス:弦楽四重奏曲「親愛な声」

2016年12月20日 | シベリウス
○スメタナ四重奏団(INA)1956/6/12ヘルシンキ・シベリウス祝祭live・CD

ピアノトリオなどをやっているとつくづく弦楽四重奏のアンサンブルとしての面白さに気づかされる。やはり同じ音質・音数の楽器同士であわせるというのは絶対的な支配者になりうるピアノをまじえたアンサンブルに比べて「簡単」であるからこそアンサンブルとしてより高度なやりとりができ、また求められるものだなあという感慨を持つ。スメタナは凄い。ライヴならではの熱気もある。ただ、解釈自体は生硬で抽象化されすぎている感がある。シベリウスの作風過渡期のものであるからこそ、多少のロマン性も残されるべきだし、それは単なる音量変化やアーティキュレーション変化の付け方に留まらず、ロマンティックな観点から自主的にのめりこむような態度を必要とするものだ。1楽章の無味乾燥にとくにそれを感じた。楽章がアーチ構造の組曲風のものであることから、急峻な2、5楽章についてはスメタナここにありといった非常に緻密で集中力の高い演奏ぶりが胸のすく思いをさせてくれるが、5楽章の最後にしても古典風の楽曲の盛り上がりにもう少し気持ちがついていっていてほしいし、また緩徐楽章である3楽章にはいくぶん気分がのっているところも感じられはするが、ラフマニノフを想起するような後半部などやはり、この団体の芸風の一種「限界」を感じさせる。そもそもこの曲を余りやらなかったのもわかる気がする。アンサンブル的にさすがシベリウスでマニアックな構造やら響きやらがつぎこまれ面白いことは面白いのだが、スメタナQ的には物足りなかったか。激烈とまでもいかないところもこの団体らしい。○。

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ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲

2016年12月20日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1952/10/27・CD

ミュンシュが初演した組曲で、ルーセルの体臭が純音楽的に洗練されロマンティックなパセージも含む汎用性の高いバレエになっている、その過渡期的な特質をフランスオケではない機能的なオケでやることにより、さらに万人に受け入れられるような表現に昇華させている。ルーセルの押し付けがましい単調なリズム、空疎な嬉遊性をただ突きつけるのではなく、構造の強固なところも見せつける録音となっている。モノラルは惜しい。
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オネゲル:交響曲第5番「三つのレ」

2016年12月20日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1952/10/27・CD

緻密なヒステリーと言ったら言い過ぎだけれど、それまでの交響曲に比べて客観的にまとめたようで(あっさり終わるところなどミュンシュだとブツ切れに感じなくもない)結構激しい表情も織り交ぜた曲であり、他の同時代の凡作交響曲とは一線をかくした魅力のある作品である。他の指揮者であればマニア向けで終わってしまうところ、目の詰まった(モノラル)響きは凝縮力を感じさせ、オネゲルらしさがよく演出されている。十八番たるところを示している。
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ラヴェル:ラ・ヴァルス

2016年12月20日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1950/4/11・CD

ミュンシュ/ボストン交響楽団のいくつかRCAに残されたモノラル旧録音のほとんどは、迷惑なことに何度もバラで(!)発売されたRCA録音全集の最後の時、大量購買者特典でCD化されたのみでSP以来の再発がないもので、無駄な買い物のできない庶民にとってはコンプリートの夢を諦めざるを得ず得意気なネットの評判にほぞを噛むしかなかった(これは国内盤なので海外マニアにとっても同様である)。それが今年なんと新旧引っくるめた全録音~しかもフィラデルフィア管との録音まで含まれる~超廉価ボックスに入るという大逆転。もちろんミュンシュ全集なんて半分は要らないとはいえ、元のとれる値段。昨今の正規音源による往年の録音廉価ボックス化(しかも新リマスター)の流れは前からのCDコレクターにはやる気をなくさせ、中古で売り払うにも30分の1の値段にしかならないという破局的状況ではあるのだけれど、お金を出しても手には入らない特典盤については大歓迎だ。モノラルだとミュンシュの作り出す音のマスの迫力が倍増し、ここでの解釈はひたすら力で押し通すもので、ミュンシュのイメージ通りのものを堪能することができる。実像はともあれライヴ感のあふれる、ミュンシュファンには受けること間違いない録音であった。データが錯綜しかつては間違った録音年月が記されたがSP期なので年月表記はもともと怪しい。確認したところこのデータが正解。
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ラヴェル:スペイン狂詩曲

2016年12月20日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1950/12/26・CD

ミュンシュ/ボストン交響楽団のいくつかRCAに残されたモノラル旧録音のほとんどは、迷惑なことに何度もバラで(!)発売されたRCA録音全集の最後の時、大量購買者特典でCD化されたのみでSP以来の再発がないもので、無駄な買い物のできない庶民にとってはコンプリートの夢を諦めざるを得ず得意気なネットの評判にほぞを噛むしかなかった(これは国内盤なので海外マニアにとっても同様である)。それが今年なんと新旧引っくるめた全録音~しかもフィラデルフィア管との録音まで含まれる~超廉価ボックスに入るという大逆転。もちろんミュンシュ全集なんて半分は要らないとはいえ、元のとれる値段。昨今の正規音源による往年の録音廉価ボックス化(しかも新リマスター)の流れは前からのCDコレクターにはやる気をなくさせ、中古で売り払うにも30分の1の値段にしかならないという破局的状況ではあるのだけれど、お金を出しても手には入らない特典盤については大歓迎だ。モノラルだとミュンシュの作り出す音のマスの迫力が倍増し、この演奏はとくに緩急の差が激しくついていて、ミュンシュらしさを堪能することができる。実像はともあれライヴ感のあふれる、ミュンシュファンには受けること間違いない録音であった。データが錯綜しかつては間違った録音年月が記されたがSP期なので年月表記はもともと怪しい。確認したところこのデータが正解。
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チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

2016年12月19日 | Weblog
ミルシテイン(Vn)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA他)1953/3/27live

チャイコフスキーのコンチェルトは長い、めんどくさい、マンネリの三拍子が揃った難物である。だからこそプロが聴かせる必要がある。ミルシュテインはロシア往年の名手だが録音には「大丈夫?」というものもある。これも冒頭からしばらくはぱっとしない。今の耳からすると技術的に眉間に皺が寄ってしまう方もいるだろう。だが技術を聴きたいならピアノを聴いていればよいのだ。弦楽器は音色だ。音色表現の豊かさが魅力の総てであり、それを邪魔しない技巧を保つだけである。つまりプロのレベルで(かつライヴで)指が回るだのなんだのは二の次。という擁護の仕方でいくとミルシテインの音は変に豪快さや生々しさのない艶が光っている。どんなパセージでも音色は損なわれない。嫌いな曲なのに一楽章は聴いていられて、客席からもいったん大喝采が入り調弦にいく。この曲なんて二楽章がじつは大事で三楽章はぶっ飛ばしていけば出来上がる、訓練だけでいけるもので、その点はどっちとも言えないところがある。その論理でいけば三楽章の凄まじい技巧の発露も実は指を回せば音楽になってるだけと言えなくもないが、前記のとおりの魅力的な音が絶えずに終わりまでいくから、名演のように聴こえる。それでいい。せっかく歌っているところで弓を落としたの誰だ。録音は良くはない。
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ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番

2016年12月19日 | Weblog
クライバーン(P)ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(melusina/DA)1958/10/5live

この長々しい曲をよくもまあ最後まで飽きさせずに聴かせる。録音時代初期にはホロヴィッツの専売特許みたいになっていた同曲を、おのが物として現代にリヴァイヴァルしたのはクライバーンであり、粒立った明快な音で些かの翳りもない音楽〜2番に比べ緻密かつ洗練された作品ではある〜を提示してくる。相手がミュンシュということでコンドラシンよりロシア色も薄まり、かといってアメリカナイズされたドライな演奏でもない。この指揮者慣れしたオケの力感に(音色においてラフマニノフ向きかどうかはともかく)ソリストも歩調が合い、勢いも憂いも万人受けする表現に昇華されている。技巧的な安定感は円熟をも示し、そりゃミスが皆無かどうかは聴いてみればわかるが誤差範囲内である。録音状態は残念だが(モノラルで高音が潰れるノイジーなもの)大ブラヴォもむべなるかな。
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ブラームス:交響曲第1番

2016年12月19日 | Weblog
バルビローリ指揮ハレ管弦楽団(rare moth)1954プロムスlive

ハレ管と侮るなかれ。タイタンの録音で見せたダイナミックで重厚な演奏ぶりが聴ける。時期的なものだろうが、この頃のバルビは表層的な歌謡性(だがこれを徹底させるのはバルビにしかできない離れ業)に拮抗すべきブラスや打楽器への緻密な配慮、バランスの非常に良い構成、そのうえで全体の凝縮力と重心の低い響きから中欧音楽を表現するのにふさわしい構造的なアンサンブルを見せつける。ソロ楽器を聴けばよい中間楽章はとばして終楽章だ。弦楽器の旋律表現はもはや歌謡的とも言い難い分厚くスケールの大きなうねりで圧倒してくる。ブラ1はこういう流れで聞かせるべきだ的なものは全てそなえた上を超えてくる。一番盛り上がるところで瞬断があるのが実に惜しいし、終始シャカシャカノイズが入るエアチェック音源で、時折聞くに堪えない録音撚れがあるのは残念だけれども、終止音直後大ブラヴォは納得の出来である。これがハレ管というのが驚きだ。モノラルだがリバーブなどかけずマスの迫力を味わった方が録音の悪さも気にならなくていいだろう。音の情報量はそれなりにある。
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レスピーギ:ローマの噴水

2016年12月18日 | Weblog
モントゥ指揮ボストン交響楽団(melusina他)1960/4/8live

モントゥーの十八番だけにハズレがない。ライヴ品質なので終楽章超高音コンマスソロの音程が怪しかったりはするがおおむね現代的なテクニックの高さを持ったオケがプラスに働いている。硬質の透明感があり色彩的ではあれど、オケ特有の匂いのするような色が無いので、レスピーギ的にはフランス音楽ふうの上品さとラテン音楽的な本質の世俗性がうまく調和した(まあ前者が強いが)録音として、海賊音質ではあれど印象派的な余韻をのこす。
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スメタナ:組曲「我が祖国」~モルダウ

2016年12月18日 | Weblog
シェルヒェン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(tahra他)1957/5・CD

大人しいモルダウだな、と思ったら大間違い。中間部後半でえんえんと管楽器がユニゾンに近い形で吹き続ける場面、その響きといったらワグナーかな?マーラーかな?というくらいキツい現代的な表情で、シェルヘンがニヤつき始めるのが目に見えるようで、まだ続くのかよと思ったら弦による主題再現の圧倒的なことといったら、まあほんとウィーンの響き込みでモルダウの国民楽派的野暮ったさを払拭する設計である。これはセッション録音か。録音は意外と悪い。解像度は低い。
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ドヴォルザーク:交響曲第7番

2016年12月18日 | Weblog
セル指揮クリーヴランド管弦楽団(DA)1967/10/6live

ノイズを除けばまったく素晴らしい記録だ。セルの十八番であるドヴォルザーク。録音が古くても新しくても必ず耳を惹き付けることができる完成度を持っている。厳しく筋肉質に仕上げられたオケをドライヴして、ドヴォルザークについてはセルのイメージと異なる情熱的な解釈を施し、この曲の白眉である二楽章には実際にはブラームスから離れたドヴォルザーク特有の旋律とひびきの簡潔さに対して的確な肉付けをし、表情付をし、そこにはセルには似つかわしくない、心に残るものがある。激しい楽章はお手の物、ニューヨークフィルかと思うような分厚さと音の重量感に天性のリズム感が宿っている。四楽章ラストでテンポに大ルバートがかかるなど、主情的なところがライヴ感を煽り大喝采につながっている。正規盤化されているのではないか。
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☆ストラヴィンスキー:レクイエム・カンティクルス

2016年12月18日 | ストラヴィンスキー
○ミュンシュ指揮パリ管弦楽団(Altus)1967/11/14シャンゼリゼ劇場live・CD

Altusのやらしい再発盤に収録されたトラックで渋々これだけのために買った。ミュンシュのストラヴィンスキーというとペトルーシュカとアゴンくらいしか手元にないが他に何があるんだろうか。初物好きだし嫌っていたというわけでもなさそうなのは、この最晩年作、十二音技法を取り込んだ「ちっとも楽しくない音楽」を、「音楽は楽しい」を体現してきたようなミュンシュがパリ管デビューの演目に選んだということからもうかがえるようにおもう。そして演奏がけっこう、しっかりしていて、かつ「楽しい」のだ。たとえばギーレンがやってもこうはならないだろう。前奏曲のポリリズムにハルサイを想起するなと言うほうがおかしい。ここからしかし、ストラヴィンスキー「らしくない」響きが、前衛的な雰囲気を醸していく。といっても、合唱や独唱には前衛の匂いは薄いし、最小限に抑えられた楽器の用法は他の作曲家にも、ストラヴィンスキー自身にもみられなかった独特の「面白み」がある。この「面白み」を引き出す、「前衛の匂いの薄さを突く」のがミュンシュは上手いのか。典礼が進むにつれ本来の意図であるレクイエムに沿った作品構成であることに気付かされ、あっという間に終わってしまうのだが、つまりはポケットレクイエムなのである。

分析的なことはよそでいくらでもやっていると思われるのでここでは触れない。ただ、ミュンシュマニアなら聴いておいて損はない。中古を探してください<おい
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バルトーク:管弦楽のための協奏曲

2016年12月18日 | Weblog
ホーレンシュタイン指揮ORTF(M&A)1961/12/19live放送・CD

好き嫌いのハッキリする指揮者だと思う。曲や時期によってスタイルが変わる指揮者でもあり、莫大で欠伸の出るようなマーラーをやるかと思えば、このように思わず前のめりになるような力のある演奏もする。現代曲指揮者としての側面があり、マーラーにあっても理知的な構築性が背景に存在していて、バルトークではそれが足を引っ張ると思いきや、前進性も損なわれず、色彩は強調されないが間奏曲あたりはしっかり言わんとしていることを言わせていて、ホーレンシュタインの一寸聴わかりにくいスタンスが意外と良い方向に働いたものとして特筆できる。スケールの大きさはいつものこと、ここでは凝縮の余り勢いで終わらせてしまうのではなくたっぷり交響音楽として聞かせている。技術的にもこのオケにしてはよくできている。モノラルだが情報量はある。
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