湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

シベリウス:交響曲第7番

2016年12月18日 | Weblog
オーマンディ指揮ACO(eternities)1969/11/27live

オケ名は正しいのだろうか。どうりで底から唸り上がるような響き、最後の下品なペットの叫び(失礼)はいつものオーマンディではない激しさを示す。フィラデルフィア管の良い意味でも悪い意味でも安定した個性からはなれ、オーマンディは時折こういう客演記録が出るが、いずれ少し面白く感じる。この人はもっと客演をしたら評価は変わっていたのではないか。けして爆発的名演ではなく客席反応も比較的普通だけれど、ミュンシュ張りの凝縮力も含めて、ドイツ的な音が出ているのが面白かった。東欧の人だし、内面までアメリカナイズされてたわけでもないんですよね。しかもヴァイオリニスト出身だから弦のドライヴっぷり、統制がとれている。
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ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲

2016年12月17日 | Weblog
カペル(P)クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団(SLS)1943/10/30live

これは異常なノイズをまじえた録音状態をさしおいても、まずどこがいいのかわからない曲。バルトークから創意と魅力を抜いたような印象でとりたてて難曲でもなくカペルがやる意味も無い。そもそも解釈が悪いのかもしれないが通常のピアノ協奏曲に期待される形式的なものが伝わらず、え、この尻すぼみでお終い?という結部に拍手が始まると腰が砕けた。お好きならどうぞ。
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ミヨー:バレエ組曲「世界の創造」

2016年12月16日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(DA)1953/7/26タングルウッド音楽祭live放送

非常にノイジーな板起こしで、元はモノラルのくせに左右の揺れが酷い。拍手に重ねてナレーションが始まり、作曲経緯の説明がひとしきり行われて演奏に入る。訪米時ポール・ホワイトマン楽団との邂逅で初めてジャズを知りニューオーリンズで本場物に触れて帰国のち黒人音楽のイディオムを組み込んだバレエ音楽を仕立てた、時に1922年のことである、といったものだ(ジャズを採用したクラシック音楽としては非常に早いものになる)。題名はネイティブの伝承から取ったが本国では余り受け入れられなかったと、ウィキに書いてあるようなことも付け加えている。とある単語が耳についたが話の流れ的にも時代的にも他意はなかろう。ミュンシュは思い切り勢いづいて、この軽薄な音楽を押し通している。ミヨーらしくやかましく音を重ねる箇所は散見されるものの、セオリーを持ってやっているという感じは無い。イディオムがどうこうというか、世界的な先行事例なので当たり前だが二曲目など全くまんまのジャズである。終曲にかけてミヨーの浅い方の作風〜フランス組曲とかそのへんの感じ〜に巧く取り込んでまとめてはいるが、全体として所々に現れるのはガーシュインだ。尤もガーシュインに先行している部分もあろうので、ホワイトマンと言った方がいいだろう。厚くて強引だから聴けるのであり普段の私なら欠伸で終る曲なので、演奏的に成功はしてるはずだし、ナレーターもアメリカ音楽の影響下にあるものとして誇らしげにも聞こえるから、良い記録とは言えよう。多分もっとちゃんとした録音が復刻されていたと思う。
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チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」

2016年12月16日 | Weblog
ハイキン指揮レニングラード・フィル(Noginsk)1938・SP

ソヴィエトの力を見せつけるような重厚な録音で、交響曲という大編成にも関わらず弦管のバランスも良く、同時代のフランスの78回転盤と較べると雲泥の差だ。ノイズ慣れしていれば十分聴くに耐えうるものである。既にレニングラードに腰を据えていたハイキンはガウクにテンポ感を持たせたような(あっちはライヴ録音だが)力強さと勢いを制御する術を30代にして身につけており、レニングラード音楽院で教鞭をとるだけの技術的に安定したものを感じさせる(モスクワにも出向いていたと記憶しているが)。録り直しの概念の無い時代ゆえ緩い部分は出て来るが同時代の録音としては極めて統制がとれており、レニングラード・フィルの水準の高さ、やはり弦楽器の力量には感服させられる。四楽章のような音楽ではコントラストがうまくつかず勢いをそのまま持ち込んでしまっている感もあるが、大粛清時代的な陰鬱さは排除されソヴィエトソヴィエトした前向き解釈が是とされていたのかと夢想する。師匠マルコが10年後くらいに同曲をイギリスで録音しているがこちらの方が魅力的である。後年しばしば感じられたレニングラード・フィルの土俗性も無く西欧的な演奏でもある。
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☆フランセ:びっこの悪魔

2016年12月16日 | フランス
◎キューノ(T)コンラッド(B)作曲家指揮アンサンブル・インストゥルメンタル(vega)LP

セ・ラ・ヴィから始まる喜劇(うーんテキストが読みたい、あるいは見たい)。精妙かつ精密、ミヨーをオネゲル並みに揉んで組み替えてそぎ落としたような無駄の無い書法(オネゲルは同世代以下では「内容はともかく」フランセの技巧を非常に評価していた)が牧歌的な楽想をいっそう清清しく、またシニカルに盛り立てて素晴らしい。録音も明瞭でモノラルだけど恐らく本当はステレオで収録されたのではないか(ただ私のベガ盤は音とびする(泣))。ミヨーの陰りもオネゲルの晦渋もなく、世俗的雰囲気は殆どメタクラシックだが時代を感じさせこれがまたいい。ワンパターン?それでも美しさには異論はあるまい。とにかく無駄のない機械的構造にはラヴェルが世俗音楽に手を染めたかのようなすぐれた手腕が発揮され、そこにうまく台詞がのり韻律が実に楽しい。機械といっても部品は顕微鏡で眺めるレベルの繊細さだ。「兵士の物語」と結び付けられて考えられても仕方ない室内劇ではあるけれど、もっと軽く、もっと楽しく、BEAセレナーデを更に聞きやすくしたかのような美しい曲。演奏の楽しさ、スピード感は言うまでもあるまい。いささかの陰りもないフランセの世界を楽しもう。◎。「びっこ」は差別用語。
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ストラヴィンスキー:交響詩「夜鳴き鶯の歌」

2016年12月16日 | Weblog
シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)CD

初期バレエ三部作を煮しめたような(というか火の鳥からハルサイに至るまでの素材を切り取ってつなぎ合わせたような)オリエンタリズム、暴力主義、痩せた硬質な抒情、きつい色彩に彩られた少々散文的な作品で、若き才気の感じられる魅力的なフレーズや響きを持っているが、もともと三部作時代のオペラの素材を組み直して作られたものであり、その印象はそのまんまの背景を反映している。純粋な管弦楽作品としてのまとまりという意味では、20分という長さをつなぐにはちょっとわかりにくい数珠つなぎである。シルヴェストリも手練れオケ相手に適度に透明感をたもった色彩によりフランス的な調和をもたらそうとしている感もありつつ、いかにもバーバリズムな音響であったり東洋趣味の音階(東洋なのかアジアなのか)が突発的に破裂するのにはどうにもしようがなくそのままやってしまっているように思った。
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ストラヴィンスキー:三楽章の交響曲

2016年12月16日 | Weblog
シルヴェストリ指揮フィルハーモニア管弦楽団(EMI)CD

キレッキレ。厳しい統制のもと驚異的な明晰さとテンポやリズムの攻撃性、設計の的確さに加え良好なステレオ録音の迫力に、とにかく聴けとしか言えない。若いうちに世界を手中に収め、アメリカでの長い余生で聴衆に日和った書法、旋律やわかりやすさを新古典主義の名のもとに注ぎ込んだところ、的確に押さえたシルヴェストリには今更ながら人気も頷けてしまう。両端楽章とくに一楽章には全盛期フィルハーモニア管の美しい色彩と技術含めて聴衆を惹き付ける魔力がある。ドヴォルザークやチャイコフスキーもいいが、ラヴェル的な管弦楽の複雑さを備えた曲こそ指揮者としての技量が明確になる。名演。シルヴェストリ正規録音は廉価ボックス化したことがあり、入っていたかもしれない。
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☆フォーレ:チェロ・ソナタ第2番

2016年12月16日 | Weblog
○ジャンドロン(Vc)フランセ(P)(PHILIPS)CD

長々しい曲・・・。フォーレの曖昧模糊とした和声やディーリアスにも似た半音階的な動きには新しさが感じられるが、それ以外まったく後期ロマン派的で、構造も、旋律と伴奏という役割分担を愚直に守らせているため、アンサンブル的な楽しさが皆無である。飽きてくる。旋律が悪いとは言わない、フォーレだから、仄かな感傷性の漂う極めてフランス的な旋律は聴いていてけっして不快ではない。ただ、長いのだ。フォーレ晩年特有の晦渋性も感じられる。カルテット作品に通じるところである。終曲など冬の曇天を見上げるような音楽で、乾いた憂鬱といったところか(チャイコフスキーとはぜんぜん違う)。とにかくこの長い長い旋律というものが好きな向きには堪らないかもしれないが、私は一寸・・・。ジャンドロンの好演に○ひとつ。フランセはつまらなさそうだ。1962/2/13フランクフルト放送録音が2014年まで発売されていた(廃盤、meloclassic)。 ,
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ショスタコーヴィチ:呼応計画の歌op.33-2

2016年12月15日 | Weblog
デゾルミエール指揮合唱団&管弦楽団(le Chant du monde)1938/2・SP

この前後デゾルミエールは夥しい数の通俗曲〜主としてフランス歌曲や俗謡〜を録音しており、38年だけでミヨーのプロヴァンス組曲第一集を別としても21枚(42曲)の78回転盤をリリースしている。ケクランのものなど珍しい曲が含まれるがそれぞれ極めて短くマイナーなことから復刻はほとんどされていないと思われる。しかし、中にはこの曲のようにweb動画で容易に聴けるものもある。ショスタコーヴィチの一面通俗曲作家としてすら非凡な才能が発揮されており、浮き立つ楽天性を備えた耳に残る旋律である。現代日本でも、キーを変えても歌われているが、元々1932年のスターリン肝入り映画Counterplanの表題曲であり、フランスではAu-devant de la vieの題でジャンヌ・ペレが歌詞をつけ、動乱の30年代社会主義運動を象徴する合唱曲となった。デゾルミエールの思想性については興味のある人が調べればいいが、素っ気なく突き放すスタイルではなく、沸き立つような楽しい歌声をドライヴして、これはショスタコなのか?というくらい南欧めいた雰囲気も漂う。デゾルミエール自身ショスタコをほとんどやっていないので貴重ではあるが、ほとんどショスタコーヴィチ的ではないし、フランスの歌として愉しめばいいだろう。
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ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

2016年12月15日 | Weblog
マルコ指揮デンマーク国立放送交響楽団(HMV,RCAvictor/SLS他)1951・CD

オケの特性があまり現れず、録音も良くはなく、演奏的には無難で可もなく不可もなく。という感想を抱いたが参考でググったら10数年前の自分の感想文が出てきて、わりと評価していたので(LPでの評)録音復刻状態によるということだろう。言われてみれば曲の「引きの美学」を押して表現するような感もあり、そこはニコライ・マルコなのだ。多くの復刻があり、昔はともかく今私の手元にある音源はどの媒体から取ったものかわからない。少なくともSLSのような針音を残す方針の復刻盤は避けた方が無難かと。SPではコーカサスの風景とカップリングされていた。LPは忘れた。
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デュカス:魔法使いの弟子

2016年12月15日 | Weblog
ホルダ指揮ナショナル交響楽団(decca/DUTTON)1945/9/14・CD

トスカニーニ的にまとまった演奏。このオケはけして世界的に有名ではないがLPではよく見かける名前でもあり中庸のうまさがある。ダットンが縁のファリャ三角帽子やスペインの庭の夜(カーゾン)などとともに復刻したさいは大して話題にもならなかったが、復刻状態も良好で、モノラルでよろしければ、ストコフスキーみたいに拡散的な色彩を振りまくたぐいの演奏ではなく、求心力のある筋肉演奏としてイケますからどうぞ。デジタル配信販売されています。
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ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ

2016年12月15日 | Weblog
マルティノン指揮パリ管弦楽団(EMI)CD

ラヴェルはこのくらいクリアな録音で聴かないと本質的にはダメで、逆にクリアな音ならどんな指揮者でもそれなりのオケなら名演になる。と極論を言いたくなるがよく聞けば、聴く人によって長所と感じられる所、短所と感じられる所はある。じつに繊細な配慮の行き届いた演奏で、じっくり聴かせる音楽だが、舞曲的ではなく、あくまで一組の管弦楽曲として組み立てられたもので、世俗的なワルツの雰囲気も楽しみたい向きには「高雅過ぎる」だろうし、充実した響きは目の詰まったもので案外と内声がクリアに響いてくるものではなく、たとえばアンセルメふうの硝子細工にはなっていない。それでも、これさえあれば十分だし、物足りなくなって初めてミュンシュだのそっちの方へ行くべきスタンダードなものでしょう。オケは達者です。
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☆チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」

2016年12月15日 | チャイコフスキー
○バシュキーロフ(P)ベズロドニ(Vn)ホミツェル(Vc)(MELODIYA)STEREO

実に軽やかに自然な流れが出来ていて、非常に美しい。いい意味で聞き流せるというか、ヴィルツオーソの顔合わせの類の多い曲であるがゆえに、この「アンサンブルの手本」のような演奏ぶりには耳からウロコ。そう、ピアノ三重奏はソリストの顔合わせ用の編成じゃない、こういう各声部が完全に有機的に絡み合い、どこにも突出したところがない全体として非常に音楽性の高い「アンサンブル」に仕立てることが可能なのだ。バシュキーロフ先生をはじめとしてロシアの若きテクニシャンたちは殊更に自己主張するでもなく、まるで四重奏を演奏するようにこの曲を組み立てている。こういう観点から演奏する団体があっただろうか?少なくとも録音として残されているものには「ロストロ先生」「リン・ハレル」「百万ドルトリオ」などといったものばかりが目に付き、そのどれも魂を揺さぶられる熱演であったりもするけれど、いささか油っぽく胃にもたれる。はっきりいって変奏曲を全て聞きとおすのは至難のわざだ。しかしこの軽やかな演奏には無理が無い。無個性が逆に各声部の融合をいっそう緊密なものにして、おおらかではあるけれども技術的な隙は一切無い。この曲の「悲愴さ」が苦手な向きにはぜひお勧めできる。若手やセンセイがたにしかなしえない「無為の為」かもしれない。○。LPはモノラル盤もあるが同一演奏。フィナーレの提示部後半(再現部でオクターブ低い部分から始まる)が全カット(カット可と原譜指示もある箇所だが、指示より大きい気がする。。)という点は痛い。
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ラヴェル:スペイン狂詩曲

2016年12月15日 | Weblog
アンセルメ指揮NBC交響楽団(melusina)1948/12/18live

アンセルメの芸風にこの音質はきつい。ボロボロのモノラルで篭りっぱなし、ノイズもひどい。客席反応はブラヴォなのできっとトスカニーニと違った透明で水際立った演奏だったのだろうが、落ち着いて客観的に整えられた物足りない演奏にしか聴こえない部分が大半である。記録としての価値のみか。解釈を聴き取ることくらいは可能だろう。
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カバレフスキー:チェロ協奏曲第1番

2016年12月15日 | Weblog
メイヤーズ(Vc)作曲家指揮ボストン交響楽団(SLS)1959/11/14live

キビキビした指揮に応える優れたオケ、ロストロポーヴィチ張りの安定感と音色でひたすら旋律的な曲を雄渾に表現するソリスト、アンコールで二楽章が繰り返されるのも納得の聴き応えのある演奏。客席反応も凄い。青少年のために作られる曲というのはソヴィエト特有のもの(?)だが、わざわざ教育的に整えられた三部作の一つ一つ単独でも、プロがやっても聴き映えがする。部分的にプロコフィエフを思わせるがニ、三楽章など民謡旋律を美しく調えた音楽で、プロコフィエフのような変な創意がなく、すっきり構成されとにかく耳に心地よい。胸のすくような技巧的な箇所は常套的でも楽しい。モノラルだがそれゆえノイズは気にならず、分厚い弦楽器がよくとらえられ良好な録音。
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