作曲家指揮ハレ管弦楽団他、ハーティ(P)(SYMPOSIUM/Pearl/EMI他)1930/1/11・CD
同時代要素をこれでもかとつぎこんだメドレーのようなバレエ音楽ふうカンタータ(ピアノソロ付き)で、同世代のウォルトンに似て極めてプロフェッショナルに処理しているため雑多な感じはせず、内容空疎と言われればそれまでだが、素直に楽しめる音楽を志向し成功している。素直に受け止められないような書き方はしておらず、新古典主義的といえば新古典主義的で、リズムなどけして単純ではないが、作曲態度はフランスのフランセを思わせるところがある。短命だったが作曲生命はさらに短かったのは己に対しても批評精神を強く持っていた英国人ならではの気質によるところもあろう。師匠RVWの前期合唱曲の趣も僅かにあるがほぼ影響は受けておらず、ディーアギレフに曲を提供していることからもわかるとおり外に目を向けるタイプで、民族性へのこだわりは無い。そこが作風を確定させられず通俗作曲家の範疇を出ない(それでもアメリカのアンダーソンくらい「レベルの高い通俗作曲家」であったのだが)で終わってしまったところでもあるかもしれない。この人の作品の大部分の基調としてアメリカのジャズがあり、同曲は本人がガーシュインより成功していると盛んに主張したシンフォニックジャズのそのとおり、リズムと一部ハーモニー(全部ではない、音色表現は全くクラシカル)にそれなりに組み込まれている。合唱が入るとカンタータというよりミュージカルの趣も出る。ただたとえばディーリアスのアパラチアであったり、後の作品だがウォルトンのベルシャザールであったり、場面場面で剽窃したような書法によりがらりと雰囲気を変えてくる。13分程度の曲なのにここまで目まぐるしく変えられると、ラヴェルの皮層だけ掬ったようなピアノ協奏曲ふうの部分など、ちょっと頭がついていかないし、ランバート本人の個性は無いのか、と言いたくもなるが、この人は20世紀の作曲家なのである、これも一つの個性の在り方なのだ。ランバート自演はロメジュリ抜粋にホロスコープという組み合わせのEMIのLPを愛聴していて、特に後者は非常に好きな曲だったが、なぜかまったく感想を書き残してなかったので、音源もどっかいってしまったし、「子供じみた玩具のような駄作」というネットの風評に抗えないのが残念である。何度も聞いて楽しむ作曲家ではないが、はまれば熱にうかされる可能性はあります。ガーシュウィンがジャズ寄り過ぎる(ランバート自身もそう主張していた)、という向きはどうぞ。シンフォニックジャズの先行事例としてよく挙げられる、ミヨーの作品ほど書法上の個性が投入されていないので、同じ通俗的でも聴きやすいと思う。