湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

☆プロコフィエフ:バレエ音楽「道化師」組曲

2017年06月22日 | Weblog
◎ゴルシュマン指揮セント・ルイス交響楽団(EMI)1953・CD

この時代の指揮者に異常なテンションとスピードで聞かせる人が多いのは何故だろう。トスカニーニの影響といってもヒトコトでは片づけられない幅の広さがある。少なくともゴルシュマンのスタイルはトスカニーニとは違う。とにかく打楽器系に力が集中させられておりリズム性がかなり強調されている。叙情的な旋律も騒音に近い凄まじい音響によって強靭なバーバリズム音楽へと昇華?されてしまっている。だがロジンスキを思わせるこの演奏スタイルに強い魅力を感じるのは私だけではないだろう。ここには更にフランス風の洒落た音色も宿っている。この曲というとやはり終曲だが、ある意味出色である。私の評価はここに対してのみ付けられている。終曲の異常な音楽には誰しも唖然とするだろう。いちばん旋律的でわかりやすいボレロ的構造の曲であるにもかかわらず、ソロヴァイオリンから提示される奇怪な旋律がどんどん騒々しい圧倒的な音響に呑み込まれてゆき、音がほとんど暴力と言ってもいい力で耳を刺激し続けるクライマックスは凄絶のヒトコト。まあ、音楽的とは言えないかもしれないけど、バーバリズムの線を貫いたゴルシュマンの彗眼に平伏。◎。

※2004年以前の記事です
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ベルリオーズ:幻想交響曲

2017年06月22日 | Weblog
フレスティエ指揮セント・ソリ管弦楽団(GRANDSLAM他)1957/4/8-9・CD

ベートーヴェン的に抽象化された演奏。響きはフランスだがしっかり構築的に、古典的に組みあがったよくできた演奏で、ワルツの生臭さや行進曲の血なまぐささもなく、ベルリオーズの作風的な部分での拡散的傾向もきちっと整え、曲をしっかり楽しむことができるよう仕上がっている。これは復刻したくなる気もわかる。朝から晩まで何の抵抗もなく、この曲が嫌いな向きも文学的背景や伝承を無視して楽しめる演奏。オケはたとえば峡谷で角笛のやり取りをする場面など意図が伝わらない(録音のせいもあるが)、押しの弱さは否めないが基本的に過不足ない。グランドスラムは時代なりの砂ノイズこそ残るもののきわめてクリア。
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プーランク:バレエ音楽「牝鹿」組曲

2017年06月22日 | Weblog
デゾルミエール指揮パリ音楽院管弦楽団(cherry他)1951/6・CD

デゾの戦後録音は病気のせいもあって少ないが旺盛な活動の甲斐もあってこのように同曲の古典的名盤となっているものもある。スピードもリズムも切れがありモノラルという点を除けば実直に音符を音にしたような戦中までの録音活動と違ってスマートですらある。プーランクはオーケストレーションなど癖があり、気まぐれともとれる即興的表現から変なむずかしさがあって上手く演奏できない向きもあるが、これはよくできたバレエ音楽で、舞踏用としてオーダーメイド作品のように、きっちり構造的にもできているから単品の管弦楽曲としても「無害な小品として」新古典主義音楽の妙味を楽しむことができる。新古典主義時代(擬古典的作風)のストラヴィンスキーを極端に簡単にしたような作品。
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オネゲル:交響的運動第3番

2017年06月21日 | Weblog
デュトワ指揮バイエルン放送交響楽団(erato,naxos)CD

鋭さが少し足りない気もするが、近代映画音楽の祖の一人としての腕の発揮された、抽象音楽でありながらあざといくらい、ヒンデミットの日和った曲くらいアピールするフレーズや派手な響き、立体的構造をアピールして進む行進曲的な曲で、かっちり出来上がっているから演奏によってそうそう崩れることはないし、オケがバヴァリアなので、本来中欧にて演奏されることを想定していたことも考慮すると似合わないわけがない。
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オネゲル:夏の牧歌

2017年06月21日 | Weblog
デュトワ指揮バイエルン放送交響楽団(erato,naxos)CD

ゆったりと、美しい響きを楽しめる。曲だけでなく演奏もだ。デュトワはどんなオケでもこういう音にできるらしい。仄かな感傷性をくゆらせ、末尾も静かに余韻を残す。デュトワはわかりやすいので、ほんとに万人向けとしてすすめられる(この曲はそもそも近代の管弦楽のための田園牧歌としては最も親しみやすい作品だが)。夏と言わず、晴れた日にはよく似合う澄み切った、スイスの風。
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ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌ

2017年06月21日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1952/10/27・CD

モノラル。ホルンをはじめとして管楽器の音色表現は柔らかくも味がないが、弦楽器の震えるようなヴィヴラート、フレージングは感動的。もっとも音色が均質すぎてそこの綾はあまり味わえない。
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ルーセル:バレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」第二組曲

2017年06月21日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1952/10/27・CD

何故か同年録音として組み合わされているオネゲルと違い疑似ステレオ処理が加えられている。悪いとは言わないが、オネゲルとルーセルの両曲の単調だが強靭なリズム、和声の微妙なクセに似たものを感じる私には違和感があった。時代なりの古びた音でもあるが、オネゲルにくらべれば十八番という感じで楽想の赴くままに起伏を作り明暗を描き、気楽さすら感じる。(いい意味で)中身のないルーセルとオネゲルには歴然たる違いがあるけれど、ミュンシュは楽しいダンスを床板を踏み抜くほど激しく踊らせて、ペットなど管楽器もスピードに力感まで保たせてよくついてゆく。ラストのカタルシスはミュンシュならでは、音質的にもこのくらいの曲なら十分。ハデハデに楽しく終わる。
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オネゲル:交響曲第5番「三つのレ」

2017年06月21日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA)1952/10/27・CD

ミュンシュらしいオネゲルで、中音域の異様に充実したズシリとくる演奏。惜しむらくはモノラル録音だが、オネゲル生前の時代の空気をそのままに伝えるドキュメントであり、またミュンシュの作る中心に寄った響きにも合っている。強い求心力は抒情味を押し退けてでも激情の迸りを表現し、ハーモニーの精妙なバランスや構造の明晰さより、オネゲルが交響曲で一貫して表現してきたベートーヴェン的な強靭な世界の芯を捉え、3楽章においては輝かしい勝利、そして謎めいた終演のレ音まで明確に打ち出している。この曲は明るく軽くやることもできなくもないと思うがミュンシュは2番3番と同じふうにやり、これがスタンダードであるべき、と有無を言わせず聴かせにかかるのである。
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ラヴェル:ラ・ヴァルス

2017年06月21日 | Weblog
ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(BSO,IMG)1962/2/2放送 live・CD

放送日との表記があったので演奏日としなかったが詳細不明。荒いステレオ。なまなましく明晰だがノイジー。演奏は前半落ち着き気味で、壮年から晩年への過渡的な感じもする。録音がそういう状態なのでボストンの音だと少しやかましく、ブラス、打楽器系がとくに耳障りなのはけして演奏のせいではない。派手な響きにテンポがあってきて速い流れができるも、緩やかになるとアンサンブルも緩やかになるというか、雑味があり、バレエ音楽として重要なリズム感も失われがちになる(元よりバレエ音楽として同曲を演奏したことはないだろうが)。浮き立つ気分はリズムに裏打ちされるもので、難曲なところをスピードと力で押し通すミュンシュとしては、力は十分だがスピード変化に楽団の表現がしっくり合ってこず、リズムのキレというか、その流れ、まとまりがない感も否めない。最後の方も、録音バランスのせいかもしれないものの弦楽器にもっと張って欲しい。物凄いアッチェランドで強引なブラヴォ誘導。
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☆プロコフィエフ:バレエ組曲「道化師」

2017年06月21日 | Weblog
○アルベール・ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(VOX)LP

プロコらしい不明瞭な音響にごつごつした不器用な転調、さらに名作ロメジュリでも感じられるような生臭いロマン派臭が漂う楽曲だが、プロコらしい美しい旋律に圧倒的な力感、派手なリズムはロメジュリに優るとも劣らない。作品としては1915年着手の作品番号21番(スキタイ組曲が20番、作曲家プロコフィエフのパリ初披露はこの二曲のどちらかで争われスキタイ(アラとロリー)に軍配が上がった)と比較的古いものなのだが、既にプロコフィエフを構成する要素は出揃っているように感じる。ディアギレフの依属作品のひとつ。ラヴェルのダフクロなどとはおよそ対照的な粗野な作品だが、バレエ音楽作曲家としてのプロコの並ならぬ腕が発揮された最初の作品である。派手な終曲だけ抜粋して演奏されることもある。子供じみた平易な旋律にストラヴィンスキー張りの不協和音が加わりとても聞きばえがする。ヴォルフ(ウォルフ?)はフランス流儀でこの曲を美しく響かせることに専念しているようだ。アクの強い部分や粗野な部分はいくぶん丸められており、聴き易い。逆に爆発的な力感に欠けるとも言えそうだが、録音のせいかもしれないのでなんとも言えない。終曲だけであれば他にもっと盛り上がる面白い演奏もあるのだが、組曲版でいくとこの演奏が上位にいくか。○。モノラル。

※2004年以前の記事です
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ラファエル:合唱交響曲「大いなる知恵に」Op.81

2017年06月21日 | Weblog
ツヴェトゥカ・アーリン(alt)ライムント・グルムバッハ(b)ギーレン指揮バイエルン放送交響楽団&合唱団(cpo)1965/12/22ミュンヘン・ヘルクレスザール・CD

驚くべきことにモノラル録音なのである(しかもそれほどクリアではない)。構造こそ伴奏と合唱(独唱)という対比で進む単純な曲ではあるが、壮麗な音楽を楽しむのにマイナスであると言わざるを得ない。老子をテクストに使っているとは言え音楽は硬質のヨーロッパ現代のものでツェムリンスキーやマーラーの香りは全くといっていいほどしない(前者の突き放したような客観性、後者の木管の用法は似るか)。といって現代曲というほどではなく、前衛とは一線を置いている。しずかな響きの教会音楽的要素もあり、陰鬱な天気の日に流しっぱなしにするといい(とにかく同じような調性で長いのだ)。気分を害することはない、暗い雰囲気の変化のない大曲。変な政治的主張やささくれだった心情の深層の反映されない(一部楽章はダイナミックだが)、ストレートに重く、ある意味無害でもある。歌唱が楽曲的に主軸となるので刻んだり合いの手を入れたりするだけのオケ部とは違って、楽しめる人は楽しめるだろう。ギーレンは引き締まった音楽を作りとても若い頃の録音とは思えない。もっとも歌がメインとなるので管弦楽は二の次だろう。こういう単調な曲だから別に合唱指揮を立てている可能性は低いか。アメリカやフランスの20世紀前中期無名交響曲よりはよほどしっかり簡潔で耳に馴染む。立てたり貶したり面倒だ(長いのである)。
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☆ヴォーン・ウィリアムズ:あげひばり

2017年06月21日 | ヴォーン・ウィリアムズ
○イゾルデ・メンゲス(Vn)サージェント指揮管弦楽団(HMV)SP

ワイズとサージェントによるものが初録音とされているが、音の状態からしてさほど離れていない時期に録音されたものと思われる。これで同一録音だったら恥ずかしいが手元にワイズ盤が無いので確かめられない。。演奏は我が意を得たりというようなまさに小さな雲雀の田園の上を舞う、細い音に確かな音程、というヴォーン・ウィリアムズ向きのソリスト。堂々と野太く弾く最近のソリストとは違う、伝統を感じさせる。ただ録音都合だろうオケが余りにデリカシーがなく、生硬である。録音都合でなければ楽曲理解に問題がある。まあとにかく古い録音なので、参考程度にどうぞ。

※2013/6/9の記事です
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ドビュッシー:管弦楽のための映像〜Ⅲ.春のロンド

2017年06月20日 | Weblog
ツィピーヌ指揮ORTF(ina配信)1968/07/28放送 live

華やかでヒステリックですらある発音が楽曲の瑞々しさを際立たせて秀逸である。オケとの相性はすこぶるよい。ツィピーヌはこういういかにもフランス近現代の音楽の聴かせどころを押さえた演奏をする。初期的な楽想(歌曲の素材がつかわれているといわれる)ではあるが時期的にはイベリアなど他の曲と同じ最盛期のもので、なぜ小組曲ぽい無邪気さが響きの彩り方に出るかと言って、カプレにオーケストレーションを任せたとも言われている。確かにカプレの得意な管弦楽の響きのようにも聴こえる。映像第三集(管弦楽のための)の中では一番マイナーな三曲目ではあるものの、ツィピーヌの手にかかるととにかく楽しくもスマート。(ina.fr PHF07009293)
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オネゲル:交響曲第5番「三つのレ」

2017年06月20日 | Weblog
ツィピーヌ指揮ORTF(ina配信)1971/2/14放送

不可解な音源。ナレーションもなく、いきなり始まり、尻切れ気味(というかほとんどぶつ切り)に終わる。ライヴではなさそうで、音質は放送ノイズのわずかに入るレベルの普通の音場の狭いステレオ。つまり数年前の放送録音とは雲泥の差といってよい音源価値で、下手をすると同じものを別日に放送しただけかもしれない。音の良すぎるステレオを好まず慎ましくまとまった音響が好きならこちらを取ってもよかろうが、地味な印象は演奏の印象にまで波及する。これは悪い演奏とはいわない。しかし、どうせ聴くなら数年前の放送録音をどうぞ。とにかく尻切れは気に入らない。(ina.fr PHF07009568)
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オネゲル:交響曲第5番「三つのレ」

2017年06月20日 | Weblog
ツィピーヌ指揮ORTF(ina配信)1968/7/28放送

極めてクリアなステレオ録音。ライヴではない。ツィピーヌの統率力はまったくもって素晴らしい。勢いこそミュンシュに負けるが、音符を切り詰めてリズミカルに引き締めて、だが管弦楽の響きはかなりカラフルに盛大に、ロザンタールとの中間のような感じと言ったら伝わるだろうか。オネゲルの晦渋な面を映画音楽的に明るく開放的な音響と合奏の「強靭さ」によって覆い隠し、終楽章はすこし遅く客観的に整えた感もあるにはあるが、クライマックスへのわかりやすい持っていきかたは、ツィピーヌがマニア受けしたゆえんでもあろう。極端なものが好きな人はミュンシュへいくし、無難なものならもっと最近の録音へいくのだろうが、この演奏、とにかく録音がクリアで迫力があり完璧。素晴らしく突き抜けた音楽として楽しめるから、デジタル配信に抵抗がなければぜひ聴いてみてほしい。もちろん、オネゲル耐性がないなら無理は言わぬ。ツィピーヌにはモノラル録音もあったか。これはひょっとするとセッション録音として音盤化しているか、その目論見で録音されたものと思われる。別日の録音もina.frにはある。さて、謎めいたレ音でポツリ終わるところまでがオネゲルです。(ina.fr PHF07009291)
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