つれづれなるままに   2520    明けましておめでとうございます

2018-01-03 14:28:50 | Weblog

31日、家族連れは殆ど帰郷、飛行機は若者達で満席、休みを利用してグループでの旅行でしょうか。そういえば我が家の娘もグループで奈良、京都での正月と旅立っていきました。羽田から品川経由にて新宿待ち合わせ場所へ、朝、千歳マイナス10度、一っ跳びでプラス8度暖かい、コートもブーツも脱ぎ捨てて歩きたいそんな気分になりました。

新宿特急あずさ、松本行、列車はお土産を持った乗客で満席、窓の景色は暮れとは思えない穏やかな風景、甲府盆地、ぶどう棚が立ち並び、ここは日本一のブドウの産地です。

この木の袋は何なのか気になりました。至る所の木に着いています。

これは何なのかと思い調べてみましたら、これは桃の木の袋、雨やひょうなどから果物を守る為の袋だそうです。
木に袋が有る無しは桃の場合木から取る場合袋ごと取る農家や桃だけ取る農家がいるからです。又ぶとうも同じでうです。

不思議な風景でした。

小渕沢駅下車、ここは高原リゾート地、ホテルのみならず、周りは素敵な別荘が立ち並び、東京から車で2~3時間、別荘でのんびりと正月、それにしても雪がないのにはびっくりしました。

敷地何千坪でしょうか、紀文のお屋敷が、今は誰も住んで居ないようですが、

            

文化財として残してほしいような、かやぶき屋根の大きなお屋敷でした。

年越しは5時から始まりました。

年越そばをお代わりして2杯、カウントダウンコンサート、ペルーの音楽、オカリナとはいきませんがシャンペンを飲みながら、ケーナによる演奏に耳を傾け、

その後抽選会、我々はあたらず、残念残念。 

何もせず・・上げ膳据え膳・・いいですね。 明日は、待望のご来光を見るために12時床に就きました。

 

 

 

 

 

 


つれづれなるままに 2447   桜の名所 寒地土木研究所構内

2017-05-06 12:03:03 | Weblog

毎年楽しみにしている桜の名所 寒地土木研究所構内に生育している千島桜、開花時期にあわせて構内を開放しています。開放期間はその年によりますが一週間程度、7日までと言うので早速見に行きました。

ここは普段は直接かかわりの少ない場所ですが、この敷地内には、知る人ぞ知る桜並木スポットが存在しています。敷地内には精進川という小川があり、その川沿い両岸に千島桜約200本が植樹され桜開花のシーズンになると、構内駐車場が一般開放されています。

 

 当時の職員が、構内美化の一環として末永く楽しめる植物を、ということで、千島桜が選ばれたそうです。

植樹されている桜は、苗木から育てた桜で千島桜ということもあって、木の高さ3m~4m程度とそれほど大きくはありません。

咲き始めはピンクの花を咲かせ、満開時に白に変化するのが特徴だそうです。

そろそろ散り始めました。

 当研究所の千島桜は昭和59年に道東の厚岸郡浜中町霧多布の苗木を植樹したのが始まりで、  植樹から約30年が経ち徐々に花の付きが悪い木が目立つようになったため、平成25年から病気になっている木の伐採や枝打ちを行い、桜の木を保護するとともに、新たに苗木を育生するなどして、千島桜並木の再生に向けた取り組みを始めました。

このチップの中が新しい苗木、今年からはこの中には入ることが出来なくなりました。末永く楽しませてほしいものです。

 

 


つれづれなるままに   2445 北方植物園

2017-04-30 20:30:02 | Weblog

チオノドグサが毎年現生する北方植物園玄関前、今年も群生を見ることができました。

サクラもモクレンも満開まであと少し

その後ファイターズ応援 ひよこ色・・いや夕張の黄色いハンカチ一色に染まりました。

昨日は勝ち・・そして今日はまた負け・・あ、あ、あ

 

 

 


つれづれなるままに  2242  あけましておめでとうございます。

2015-12-31 13:07:31 | Weblog

 31日の下書きがそのままブログにアップされたようで改めて

あけましておめでとうございます。

 

大晦日17時神社にて除夜祭に出席、戻って22時からの町内会奉仕当番、社務所でお札売り、参拝者にお神酒を振舞う係りです。

22時社務所には御札を求める方がチラホラとしかし除夜の鐘と同時に参拝者が多くて写真を撮る暇なし、御札売、お神酒と仕事に終われました。

2時戻り仮眠・・また元日10時に神社 歳旦祭に出席・・これで元日のお務めは終わりました。

元日穏やかな雪の少ない良き日です。おみくじ「大吉」でした。

このおみくじを引いた人は、自分に必要とする項目をお読みください。吉と出れば更に幸を増し、たとえ凶でも努力することによりその身に吉が訪れると書いてありました。

運勢は、今まで通りに続けていけば全く安泰な時、むしろここで新しい変化を求めると結果が得られません、平凡に見えてもその堅実さが平和な日々を約束してくれると。

急いで事をはかろうとすると失敗、順を追って手堅く勧めていけば問題なし、自信を持って進め・・。

要するに平々凡々な生活をせよと言うことでしょうか。 性格はセッカチ・・肝に銘じて今年は。

健康、体調申し分なし、全く心配なし・・・。お墨付きです。


つれづれなるままに     2183  大雪ガーデンツアー ④ 紫竹ガーデン ⑤六花の森 ⑥ 真鍋庭園

2015-07-29 11:24:50 | Weblog

紫竹ガーデン  平成元年、帯広の郊外の牧草地を「北海道のフラワーアイランド」にしようとはじめた、紫竹昭葉さん27年目規模も大きく花の数も種類も多く・・四季を問わず次々と咲き続けるお庭です。

お泊まりは幕別温泉、夕食はバイキング・・品数多いバイキング飲むのも忘れてカニ・・カニ食べまくり・・最後の締めは自分で作るソフトクリーム3回のおかわり・・痩せる訳がありません。

早朝出発・・朝食は紫竹ガーデン、生野菜、ハーブティー、ホテトジョュキ、パン、冷やししるこからおはぎ・・十勝は豆どころ 肉あり、魚なり食べきれないほどの種類が

またまた・・お腹がはちきれそうになりながら食べました。

てっせん・・ゆり・・宿根草・・管理人が曰く・・いろいろな種を撒き散らす・・その中から芽が出てきたのがその畑にあった植物なのでいろいろな種類の花がまぜこぜに

道を歩いていてもいろいろな花が楽しめました。

  

 六花の森

六花亭の包装紙に描かれている山野草の森、十勝六花といわれる6種の花が咲くそうです。

考える人「ロダンから」・・彫刻家坂東憂さんの作品

十勝六花に代表される山野草や十勝の山々を集めた、クロアチアの古民家を移築したギャラリー

花柄包装紙館 画面いっぱい・・天井にも

真鍋庭園

明治29年の開拓で移り住んだ第1世代から今は4代の世代に、庭園の広さは24,000坪とてつもない広さの中に日本庭園、西洋風庭園、、色とりどりの落葉樹、開拓以前から残る古木

雨上がりのせいでしょか、木の香りが、大きく深呼吸、森林浴を楽しみました。

 

    


つれづれなるままに  2181  大雪の森ガーデンツアー  ①

2015-07-28 10:05:18 | Weblog

雨の予報でしたがお日様も顔だし・・時折小雨が降る、花の撮影には最高の旅でした。2日間で8ヶ所、どのガーデンを見ても特徴があり同じ花でも組み合わせによって違い、感心しながらの花見学、余りの数の写真、これは一部分、後はムービーストリーにしようかと思います。

大雪山系を望む丘陵に広がる森の中に創られた庭広大な敷地に咲き乱れる花々

ドレスガーデン カンテ

カンテはジュンプの踏み台を、大雪の偉大な風景に向かってあなたの思いをと、しかしこの人、人の波、同じことを考えながら山の上に進みました。

ひまわりは嘗てこの場所はひまわり畑だった、その名残でそうです。

これがドレス  番号札を渡され、ドレスの下にはプロのカメラマン・・観光客のカメラでも撮りますが・・あとはお買い上げ

全員でと言うことになりました。ドレスを着て、ではなくなりました。晴れていれば大雪の山々が望めたことでしょうが。3人団子で

森の木琴  一個300円 森の中にこだまして素敵な音色でした。

フランス人の作品「神々の遊ぶ庭」 カムイミンタラ・・季節によって次々と自然と咲き乱れるお庭のようです。

 

 

 


つれづれなるままに  2159  6月の花達

2015-06-14 20:03:27 | Weblog

 写真を大きくしてみました。今までの倍、アメリカ娘の要望です。

バードテーブル、毎日すずめが2~3羽 窓越しカメラを向けると一目散に・・・。

 

あまりにも花数が多く、写真のシャッターを切るのが大変です。


つれづれなるままに  2119  仲間よければ全てよし 二股らじうむ温泉

2015-03-31 10:39:02 | Weblog

快晴全員日頃のオコナイ良し・・でしょうか。八剣山も羊蹄山も見事

 

中山峠を過ぎると雪解けは早く、畑の雪を溶かす追肥の融雪散布作業が始まっていました。今年も美味しい作物をつくるための準備です。

  

重たい積雪に耐えた雪どめもホっとしていることでしょう。

  

目的は二股らじうむ温泉歴史は長く

■温泉の由来

少し長いですが温泉にあった来歴の説明を引用します。



二股ラジウム温泉は北海道長万部二股駅より約8km二股川上流カシュリナイ川のほとりに湧出する温泉で純度の高い鉱泉水の湧出により、その沈殿物である温泉湯華の巨大なドームが形成されその大積層は雄大そのものであります。この種の温泉湯華は世界中でも珍しく、アメリカの国立イエローストン公園のマンモス温泉郡と二股温泉の二ヶ所のみと云われております。大正九年に東京帝国大学の脇水鉄五郎教授によって初めて科学的に調査研究されました。それによると温泉沈殿物は炭酸及びカルシウムが主成分で、貴重な有効ミネラル成分のみである事が解明され、さらに5.47マツヘというラジウムが含まれている事であります。これにより脇水博士は当温泉沈殿物にラジオシンターと命名されたのであります。

と書いてあります。

温泉の泉質は特異で炭酸カルシウムが大量に含まれ、それによって巨大な石灰華、石灰の湯の花ができています。この石灰華の上に温泉宿があります。宿はずいぶ古びた湯治宿で、明治時代に開かれ、今でも重い病気の治療のために熱心に湯治する人訪れるそうです。

浴室はいたるところが赤褐色、手すりの鉄パイプや桶まで湯花がついています。浴槽にも分厚く湯花がついて表面がデコボコ、お湯は赤褐色に濁っていて心持ちぬるめなのでゆっくり浸かる湯治には最適です。タオルもすぐに茶色に染まってしまいました。内風呂、露天風呂が女性専用、あとはずべて広々とした混浴でした。

露天風呂は石灰華をちょうど見られる位置に造られて、深めの湯船に入って原生林と石灰の巨岩を眺めていると山奥に来た実感が、ぬるめの露天風呂に1時間浸かって耳を傾けると、今日のバス仲間32名、夫婦有り、お友達と、一人でと様々・・皆、温泉通・・此処彼処の温泉談義・・・やっぱり日帰りバスツアー4980円弁当は最低でも手頃で、気軽に人気のほどがわかります。

  

おっと失礼・・女性の脱衣所から覗かせていただきました。混浴です。女性は堂々と・・男性は端の方で

   

全国でも有名な秘湯、温泉の効能は抜群、のみならず殊な景観に感動します。

また訪ねて行きたいと・・お勧めですが、湯舟までの階段40段・・昇り降りできる方でしょうか。

 

 

 

 


つれづれなるままに  2056  もみじ蔦黄

2014-11-03 18:57:33 | Weblog

今日は「もみじつたきばむ」・・七十二候の一つです。・・生憎のみぞれ・・時たま雨に混じり大粒のぼた雪が・・・いよいよ雪到来です。

昨日はムーミン展、今日は芸森に、「藤城清治の世界展」光と影のファンタジーを見に行きました。九十歳まだまだ制作意欲にあふれ、進化しずけているとか、STVの24時間テレビで作り上げた作品、大きな瞳の妖精や猫・・可愛らしい幻想的な世界に雨の中多くの人々で賑わっていました。

北海道では初めての大規模な展覧会とか素晴らしい作品の数々、来年1月18日まで開催、是非見て欲しい展覧会です。

     

       新しい作品が展示されていました、この作品の名前は・・忘れました。  思いだせません。

  

              これも新しい作品妖精が遊んでいます。妖精は5人遊んでいました。

冬囲いもまだ、もう雪が・・でもこの寒さもあと2~3日とか、また暖かな日が戻ってくるとの予報・・その時まで待ちましょうか。


つれづれなるままに  1946 オカリナ

2014-04-03 16:22:34 | Weblog

3日誕生日です。これからヨリさんの所,誕生祝い・・ジンギスカンが食べたいと言う事で肉になってしまいました.もちろんケーキはあります。

オカリナという名称は、イタリヤ語の「小さなガチョウ」に由来するといいます。イタリアや日本においては、名称から類推される通りの涙滴状の形をしたものが一般的ですが、世界的に見れば丸形や角形などのオカリナも存在しているようです。 

このオカリナは先生が貸してくれました。パソコンで指使いや初心者の練習用楽譜を探しました。

 

初めて手にとって見ました。簡単に音が出るものと思いましたが思っていたより難しく、まず楽譜が読めなくては演奏にはなりません。初心者は一人・・皆ベテラン2~3年のキャリアの持ち主、戸惑いました。ドレミもわからず・最初から「花は咲く」のパート1と2にわかれて演奏・・わたしは楽譜を目で追うのみ・・隣の方がドレミファソラシドの指使いを教えてくれました。これでは演奏どころではありません。穴は12・・皆さん練習をしている時は、ドレミの手の動かし方を一人で・・・この穴を指で塞ぐ・・これが大変、持ち方も指も肩も腕もガチガチ・・・私のために1時間早く来て教えてくれる方がいました。この次は17日・・1時間早く指使いなど教えてくれるようです。

帰ってドレミの練習、オカリナの持ち方・・凝り性の私、練習2時間・・腕も肩も動かなくなりました。

先生曰く・・優しそうにみえるけど、バイオリンやピアノよりも難しい楽器・・・ほとんど1~2ヶ月で挫折していく方が多いのですよ・・

私曰く・・・私も逃げ出すかもしれません、と言いながらオカリナを注文しました。オカリナ、月謝、音を取る器械・・締めて1万円也・・負けずに頑張らねば。


つれづれなるままに 1942  5時間半の激戦

2014-03-29 11:56:27 | Weblog

プロ野球の開幕チケットが手に入り応援となりました。仕事を終えて荷物を家の中に放込で、バスに飛び乗り会場に、観客は手馴れたものです.お隣さん着くやいなやユニホームに着替え手弁当、お茶ものみ、おやつはいもの干し、スルメイカ、荷物はビニールの袋に詰め椅子の下、ラジオを耳に、スタンバイ大声で応援、ここは年間シートの席毎回応援にきているのでしょう。

今日の観客は3万2千人、セレモニーで始まりました。1点リード9回、みんな勝ちを信じて黄色い風船を膨らませて、しかし武田久が追いつかれて延長、時間は9時を過ぎていました。延長12回、サヨナラ勝利、時間はもう11時半になろうとしていました。サヨナラ勝ち周りの人達とハイタッチ、長時間にも関わらず皆文句も言わずに小谷野選手に拍手を最後の最後勝利の打ち上げ花火をみて家に着いたのが1時、よくこんな長い時間応援していたののです。今日はまだボーとしています。今日はテレビで応援です。

        

   

         

  


つれづれなるままに    1914  86歳の誕生日

2014-02-10 21:17:07 | Weblog

明日は「建国記念日」紀元節という名前で始まった記念日、初代天皇とされている神武天皇が即位された日と言われています。

ヨリさん86歳、ドブ太郎さん74歳も同じ誕生日、同じ辰年、お誕生日おめでとう

2月生まれの人は目立とう精神が旺盛で実行力があります。人のやらないことをやりたがり、しかも見事に成功させます。グループの中では中心にいたいほうで、大勢で写真をとるときは大体真ん中にいるでしょう。頭がよく、それが持ち前の実行力と噛み合うと、かなり大きなことを成し遂げられます。いわゆるやり手が多く、自立心も強いとのこと、いかがでしょうか。お二人さん。

ヨリさんを訪問、私のプレゼント、洋服一式、ズボン、セター、ベスト、久んちゃんからのプレゼント、ギンギンギラりのカーデガン、私のてぶくろの仕上げ中・・。

          

              

         アメリカから送られた写真を壁に貼りました。誕生日のために着た着物の写真も、誕生カード賑やか過ぎ・・。

     

1万円置いてきました。病院代とのことですが。3月までは大丈夫でしょう。

 


つれづれなるままに  1726 春はやて

2013-04-25 12:08:50 | Weblog

「春疾風」、「春はやて」、春の季節、特有の強風、烈風が吹く春の季語に使われています。日中は暖か陽射しを浴び、雪解けの庭の所々に顔を出す春の花、いよいよ春だと思っていたら、夕方には一気に気温が下がり冬に逆戻り、寒気と暖気が入れ替わるこの時期に強い風が吹き春の嵐を引き起こす・・昨夜はこんな夜でした。昨夜の「春はやて」でどこからともなく集まってきた落ち葉達・・今日は落ち葉の掃除に追われました。

        

幾度か「春はやて」が吹き、去っては行くこの繰り返し、季節の交代まであとわずか・・まだまだ「春はやて」の風は吹くことでしょう。

 

 


つれづれなるままに 1722  あぶら雪

2013-04-20 14:22:56 | Weblog

昨日 朝から雪・・芽が出たチューリップも寒そうに、わたち達とて仕舞いこんだ厚手のコート、手袋までまだ春は遠いですね。今日も10度との予報ですが、雨、雪・・寒い暖房もふる回転。でもこんな雪のことを「あぶら雪」と言うそうです。チョットお日様がすぐ溶ける。 なるほどいい言葉ですね。

             

こんな寒い中、子どもは少ないかなと思いながら「おもちゃライブラリー」のボランティアに・・お天気が悪いからこそ賑やかだと。

なるほど子供を伸び伸び遊ばせるには最高の場所、大型車、電池で動く乗り物、楽器が子ども達には人気のようです。

   


つれづれなるままに  1713  誕生日

2013-04-04 15:13:12 | Weblog

4月、別れと出会い、別れの寂しさと、出会いの期待、昨日も歓送迎会盛大にが行われました。

奇しくも3日は誕生日、1941年日本は戦争に突入、太平洋戦争始まる12月1日、御前会議で英米オランダに開戦を決定しました。2日、山本五十六連合艦隊指令長官、「ニイタカヤマノボレ」と発信。7日(日本時間8日)、ハワイ真珠湾空襲を開始し、「トラ・トラ・トラ(我奇襲に成功せり)」と発信した。アジア・太平洋戦争が始まり、第2次世界大戦は地球的規模に拡大した年でした。私は満州生まれ、昭和19年日本に無事戻ってきました。満州の記憶はありませんが、無事帰れたことに感謝しなければなりません。

歓送迎会の席、ついでに乾杯と、祝う年齢はとうに過ぎこれからは一つずつ年齢を差し引いていかねばと冷やかされながら、ケーキもプレゼントもありがとう。

                庭は春を待ちかねた花が雪の間から顔を出しました。

       

    庭の雪もまだ1mはあるでしょうか・・雪の布団は重くあと1~2週間でしょうか。