つれづれなるままに  1813  「第九ボランティアコンサート」も 追い込みに入りました

2013-08-31 11:05:20 | 第九「999人」のボrンティアコンサート

秋の夜長・・もう4時には部屋の中、灯りが欲しくなる季節がやってきました。毎日毎日飽きずによく降る雨です。お日様の顔が見たいですね。

「第九」合唱も追い込みに入りました。本番入れてあと5回の練習、昨夜は今年の指揮者梅田俊明氏、2時間、先生の指導についていくのが大変でした。毎年指揮者が変わります、ドイツ語の発音、間の取り方、息継ぎ・・指揮者によって違います。私たちは毎年その指揮者の指導のもと歌いますが、前の指揮者の歌い方なかなか直せるものではありません。先生の怒りを飼いながら皆必死、皆疲れ果て・・今年は地方の団員を含めて325名、昨晩は250~60名は集まったでしょうか。本番さながらの練習に汗が流れました。

指揮者、梅田 俊明は、東京都出身の指揮者、指揮を小澤征爾、秋山和慶、尾高忠明、コントラバスを小野崎充、ピアノと室内楽を三善晃に師事する。桐朋学園在学中にはN響で鍵盤楽器を担当していろいろな指揮に親しむ。その後1986年にウィーン国立音楽大学の聴講生としてオトマール・スイトナークラスに出席し、同時にウィーン楽友協会の練習に通い指揮の研鑽を積む。1988年に帰国し仙台の外山雄三の下で更に実地の研鑽を積む・・ネットで

私たち素人の合唱団とは言え、入場料を出して聴きに来ていただいている、妥協は許されない声が出ない人は歌うな、合唱団にいる資格がないと。

指揮者梅田敏明氏は「ベートーベン:交響曲第7番イ長調作品92より 第1楽章」の「のだめカンタービレ フィナーレ」のテレビドラマの中で、登場はしていませんが指揮をしているとのことです。

毎年有名は指揮者の指導のもと歌える幸せなことかもしれません。  今年も頑張ります!

 

  999人の第九

   曲  目: ベートベン交響曲第九ニ短調作品125「合唱付き」

   指揮者: 梅田 敏明

   管弦楽: 札幌交響楽団

   日  時: 平成25年9月28日(土)  開演15:00  会場14:00

   会  場: 札幌コンサートホール kithara大ホール

                 是非ご来場をお待ち致しております。


つれづれなるままに  1812  季節の移り変わり

2013-08-30 10:22:42 | 

気候が不順、雨が多くて庭には入れません、見えない隅っこで小さな花が咲いてはいますが可愛そうです。

玄関先の花の中にどこから飛んできたのか丈の長い花が咲きました。見る見るうちに背丈は1m待宵草かと思っていましたら、「ビロードモウズイカ」と言う名前だそうです。ヨ-ロッパ原産、野原や道端に咲いているとか、どこからか飛んできたようです。

              

                              ギボシも秋の花ですね。

          

                           ダンゴぎくやホクシャもう少し楽しめます。

              

アメリカの友のブログ

#109:親離れ子離れ

親なんて哀れなものです。しかし子どもの成長を楽しみに、結婚して子どもができせ幸せな生活を送ってくれれば親もこんな幸せなことはないのです。

平凡でいいのです。今、日本は結婚しない30代40代の男女が増えてきました。この人たちが60・70歳を迎えた日本想像してください。

クンちゃんも子供の幸せを考えるなら、平凡ながらも家庭を持つことを喜んで受け入れてくださいな。

ヨリさんだって子どもたちが幸せな家庭を作っていることを確認・・・いつお迎えが来てもいいといつも行っています。

 


つれづれなるままに  1811  災害は忘れたときにまた起きる

2013-08-27 20:39:07 | 雑記

寺田寅彦は、「天災は忘れた頃にやってくる」とは言わなかった、と本当は「災害は忘れたときにまた起きる」のだそうです。今日の講義「自然災害と人間」日本には災害が多いのはなぜか北大流域防災学の教授の話でした。今年8月に入ってからゲリラ豪雨が続いています。予測、予知早めの対策が必要とのことでした。

午後の撮影会「モエレ沼公園」天気予報は午後から豪雨、雷・・大通から地下鉄に乗る時は晴れていましたが、地下鉄を降りた途端激しい雨、連絡バスに乗るか否か迷いました・・がまずは集合場所へとバスに乗り込みましたが雨はますます激しく、雷までなりだす始末、ズブ濡れになり集合場所の公園に到着しました。

短時間に局地的に降るゲリラ豪雨、全国的に高温傾向のため、湿った空気が南から道内上空に入り、北から寒気と混ざり合って大気が不安定になり、積乱雲が発達しやすく局地的に大雨を降らせるそうですが、降り出したら水しぶきが一面に飛び散る勢い・・と思いきや・・お日様が・・こんな天気でした。

               雨、モエレ沼公園ピラミットの中での撮影会になりました。晴たかと思うと豪雨

             

             

                               一瞬の晴れ間

今日も朝から雷、豪雨、ラジオ体操は無理かなと、しかし6時28分晴れ間が出かけてみました。元気な若者?が5人・・・体操が終わるやいなやまた降り出しました。今は青空。

  小江戸川越を満喫   

東京見物、こんな場所もいかがでしょうか。            


つれづれなるままに  1810 マルク・シャガール展

2013-08-26 11:39:43 | 雑記

動物園から直行最終日とあって多くの方が鑑賞超満員、札幌11万人の方々がシャガールの代表作を堪能したようです。マルク・シャガールは、20世紀のロシア(現ベラルーシ)出身のフランスの画家です。愛の画家、色彩の詩人と言われるシャガールは妻を一途に愛し、愛や結婚をテーマにした作品を多く残しました。

シャガールの絵は好き嫌いがはっきりしているようです。宗教的なあの雰囲気にはついていけないと言いますが、自分が見た感じた個々の感じたままで楽しめればと思いました。

青色がとても印象的、そしてまたあの鮮やかな朱色、色や雰囲気がとても気に入りました。どの絵もふわふわと浮いているような、天使になったような気分で鑑賞してきました。

 

 


つれづれなるままに   1809  日々の出来ごと

2013-08-25 19:20:27 | 季節感

今年最後の夏祭り、朝から降るでもなし、降らぬでもなし相変わらず天候が不順、ヨリさんの嘗ての同僚も居ることからお誘いを、ビールは1杯と、おでん、焼きそば、鳥串、枝豆と夕食には十分な量、このご満悦な顔、焼き鳥を食べながら・・。

   

昨夜はビール4~5杯飲みましたか、コップが小さいのか、悪酔いもせず20時にはご帰還・・朝は早々と家を出ました。

今日は「おもちゃラーブラリー」会員の札幌の子どもたちを動物園に親子連れで招待、南区では15組の親子が楽しみました。

              

もちろん私の目的はシロクマ・・名前が決まりました。ポロロとマルル12月生まれ、9ヶ月来年早々子別れの時期が来るのでしょうか。

突然雷が子どもたちは一目散に母親の胸元へ、やんちゃとは言えまだまだ子ども・・母親も子どもから離れずに、まだ手の係るやんちゃな子どもたちですね。

              

             


つれづれなるままに 1808  自分たちでできる支援・・

2013-08-23 09:00:23 | 雑記

研修会に参加する機会が多くあります。参加者であったり主催者だったりと、昨日はグループワーク、ブレーンストーミング、ブレーンストミングとはグループのメンバーがある問題について自由にアイデアを出し合って全員が意見を出し合う。

グループに分かれて、①独居高齢者一軒家ひとり暮し、②知的障がい者のある高齢者、③高齢夫婦との関わりについて勉強しました。

高血圧、両膝と腰に痛み、物忘れ、子どもは道外、買い物や病院に行きたいがいけない、食事面で心配、ゴミだしの日も、ゴミも分別ができない、自宅付近で何度も道に迷う、年金、預貯金の管理が不安、これらの人は他人の関わりを嫌がります。このような方にどのように関わったらいいのか。

いろいろな意見がグループででました。高齢化が進み地域で支えあうには、福祉マップを作成、町内の高齢者、支援を必要とする人の把握が必要であること、地域ネットワーク作りも必要である、支援者のボランテイア、配食サービス、ゴミ問題、高齢者用のゴミ袋には曜日とゴミの種類、ごお近所の協力をお願いするなど、また専門家、予防センター、包括支援センター、区役所などの専門機関の力も借りながら地域で支えあっていこうと、意見が活発にでました。

高齢化が進んでいます、今は高齢者が高齢者を見守る時代になりました。認知症になったら施設に入れてくれと簡単言いますが、入居できる施設も数が限られています。何年も待たなければならない施設もあります。

今は自宅で地域のボランティアの力、専門機関のお手伝いを借りながら人生の締めくくりを・・皆、我が身・・人ごとではないと言うことです。

              

アメリカに戻りまたいつものマイペースに戻ったようです。

#105: 今日はハッピーアワー


つれづれなるままに   1807   日本とアメリカで違う単位~気温・体温~

2013-08-21 20:24:57 | 雑記

アメリカからのブログも101回、日本に戻り介護だ、遊びだと疲れ果て戻って、疲れがたまり熱が出たと、それも101度、日本人熱など101度などとは言いません。101度?

洒落にもなりません・・お大事に

アメリカで暮らしていると日本とは違うもの気温と体温の温度の表示の仕方が違うようです。

アメリカの温度の単位、日本で使われている摂氏 (C: Celsius) ではなく、華氏 (F: Fahrenheit)

101度と言えば38.3度・・ 高いね。

気温・体温などの温度の表示の仕方がネットに出ていました。

95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109

35.0 35.6 36.1 36.7 37.2 37.8 38.3 38.9 39.4 40.0 40.6 41.1 41.7 42.2 42.8

 今年最高の四万十川の気温は107度、札幌だって90度でしょうか。

#101:熱が101度あります。

 


つれづれなるままに   1806 子ども達も元気に登校、二学期が始まりました

2013-08-20 09:13:58 | 季節感

二学期が始まりました。子どもたちは夏休みの作品をお互いに見せ合いながら登校、私たちもスクールガードの仕事が始まりました。次の休みはもう冬休みそれまで子ども達との朝の会話が、子どもたちもまた背丈が伸びたようです。

お盆が過ぎても真夏日、雨が多いせいでしょうか、蒸し暑さが続いています。庭はジメジメと、草取りにと庭に出るなり蝦の攻撃、蝦に刺されやすい体質なのでしょうか。朝も夕も蝦、昼は暑くてと、庭の手入れもまならず。

今朝、庭に出たらきのこが生えていました。ミヤマナナカマドの実も、白玉の木の実も、色付き、稲の穂先も実をつけて確実に季節は移り変わっています。

            

                           

                   盆花などと言うのでしょうか。その中に北海道では珍しいミュウガが今年はミョウガ花がつきませんでした。

                     


つれづれなるままに  1805  終戦のエンペラー

2013-08-17 17:52:39 | 雑記

今頃になると戦中戦後のTVドラマを目にする機会が増えます。映画「終戦のエンペラー」見に行きました。

物語の舞台は終戦直後の日本、上陸したGHQ最高責任者マッカーサー元師は部下の一人にその後の日本、秘密調査を命じました。開戦直後に首相が交代したのはなぜか。真珠湾攻撃直前の御前会議では何が語られたのか、戦争を始めたのは誰で、終わらせたのは誰なのか、わずか10日間という期限の中、懸命な調査で日本国民ですら知らなかった太平洋戦争にまつわる事実を突き止めます。

終戦後のことはこれまでも、幾度も語り伝えられてきました。特に天皇に対する戦争犯罪の有無の立証など、TVドラマで幾度も見ていますが、最後のマッカーサーと昭和天皇が面会するシーンは緊迫感があり、天皇がマッカーサーに対して発した言葉にはもらい泣きしました。

焼け跡の荘厳、皇居など映画ならでは迫力あるシーンでした。

映画もたまにはいいものですね。


つれづれなるままに   1804  猫屋敷

2013-08-16 20:38:48 | 雑記

おもちゃライブラリー、お盆の最中、夏休みももうすぐ終わり、いつもの幼児から少しお兄ちゃん達、さすが動きが早い活発、小物のおもちゃはなしにして大きい車のみ、所狭しと車を乗り回していました。6組の親子、30度の今日ですが、北国の夏休みもあとわずかとなりました。

 

午後ある家庭を訪問しました。玄関先で、カッパ、マスク、ゴム手袋を手渡されました。靴はそのまま履いて入ってくださいと、そこは猫屋敷、猫の住居に人が住んでいるようなところでした。家は思いのほか広く、居間を挟んで両隣りに6畳程の部屋、2階もあり、居間の両隣の6畳の部屋は床にはダンボール、猫の爪でボロボロ、押し入れの戸もボロボロ、猫があちこちに寝そべって、今年生まれた子猫も入れれば12匹だとか・・猫の餌缶詰はダンボール箱3個大量に、本人はどこで何を食べているの分かりませんでした。帰り際、カッパ、マスク、ゴム手袋、回収されて戻ってきました。家具らしきものは何もなく・・ゴミではなく・・・猫が自由に飛び回っての結果でしょうか。ともかく猫が主役、猫の家でした。


つれづれなるままに   1803 終戦

2013-08-15 19:36:02 | 雑記

1945(昭和20)年の今日、日本のポツダム宣言受諾により、太平洋戦争(第二次世界大戦)が終了しました。戦死者約212万人、空襲による死者約24万人でした。この悲劇は二度と繰り返すことのないようにしたいものです。私が生まれたのが1941年、12月日本軍、ハワイ真珠湾攻撃、日米宣戦布告、太平洋戦争が始まった年です。妹が1943年(昭和18年)私達姉妹は満州生まれ、翌年1944年無事日本に戻ってきました。4歳、空襲、防空壕に逃げたこと、おぼろげながら覚えています。薄れていく戦争の記憶を若い人たちに伝えていくことも私たち、戦争体験者の使命かもそれません。

散策に出てみました。家から車で20分八剣山の麓、乗馬を楽しむ牧場、元、「第九」のドイツ語の先生の農園におじゃましました。釣り堀、ジンギスカンなど広い農園は一般に解放され、乗馬の馬は人懐こく、人参1カップ100円・・子供に混じっ楽しんできました。ビアンカ先生には残念ながらお目にかかれませんでした。

                

              

                

 

 


つれづれなるままに   1802 盆棚

2013-08-14 20:35:03 | 季節感

8月お盆を過ぎると日増しに秋の気配が濃くなります。土用波などといってこの時期から海に入ると波が荒く波にさらわれると言われてきました。それにしても今年は異常気象、あすも30°とのこと・・しかし朝夕はめっきり涼しさをましてきました。

周りはお盆で帰省している家族で賑やかです。旧の7月15日ではなく8月のお盆が多い事には、農作業や、お供え物も大きく影響していると思われます。初物が出回る季節、とうきびも枝豆も、果物だとて最盛期、ご先祖さんの好物をお供えできます。

真菰で編んだ盆ござ、あるいはハスの葉に料理をいれます。

お盆のお供え物のとして特有なものに、馬と牛のお飾りがあります。
キュウリ、ナスに、割り箸で足をつけ、馬と牛に見たてます。
我が家にお帰りになられる送迎のお車でしょうか。お迎えする時には早く来て欲しいから馬、帰りはゆっくりお帰り頂くために牛と云う配慮です。

ほおずきとそうめんも供えます。
ほうずきは提灯を表わしたもので、世を照らす智慧の灯りです。
ソーメンなどはお土産を結ぶ紐代わりに用いられると云われています。

今は盆棚の飾りも簡素化されました。市販の盆がし、積み団子、メロンに桃、おりく膳、馬と牛・・・・

 


つれづれなるままに  1801  台風去って

2013-08-13 11:24:48 | 季節感

朝、7時慌ただしくヨリさんの娘さんは息子を伴って台風のごとくアメリカに帰って行きました。これから2日間東京で友達と楽しみ、自宅に着くのは、今週末のことでしょうか。

1ヶ月の滞在、娘が来て帰り、入れ替わりに息子、アメリカから友達夫婦、私と富良野、友達夫婦と洞爺湖、同級生が来ての自宅でのパーティーと休む暇なく飛び歩き、還暦近いクンちゃんもお疲れのことと思います。

来れば家が心配、帰ればヨリさんが心配、私も子どもを連れて実家に長い滞在、同窓会だ、部活の友だとかこれ幸いにと遊び歩いていましたが、母も高齢になり今度は私がお世話をと・・入梅の時期は梅雨が明けるまでと、冬は我が家の方が暖かと、あれこれ理由をつけて滞在していたことを思い出しました。

”来てうれし帰ってうれし孫の顔”こんなことわざがありました。孫が来るのを待ち望み・・無事怪我もなく帰って行ったやっと静かにいつもの平凡な元の生活に戻った幸せな気分でしょうか。寂しいけれどホットする気持ち、母になり婆になりわかるようになりました。

台風が去ったあと、3人でおにぎりを食べ、パイン、トマト、冷蔵庫の煮しめ、お茶など飲んで戻ってきました。夕方洗濯物を取り込みながら様子を見てこようかと、静かな生活を満喫しているかも。


つれづれなるままに 1800  道端の「ノラニンジン」

2013-08-12 11:23:51 | 季節感

立秋とはいえ、北国もまだまだ暑さが続いています。短い夏もう少しの辛抱、この暑さを楽しまなければと思います。

道端や草むら・・美しい白い花が咲いています。ノラニンジン、レースフラワーに似ていますが、作物が野生化した「ノラジンジン」はニンジンになる前の野生種が帰化した植物です。セリ科、ホワイトレースフラーワー状の清楚な真っ白い花を咲かせます。涼しさを呼ぶ花です。

  

               セミの脱け殻が、夏の終わりを告げています。ナナカマド、くるみも豊作のようです

              

                           

 こんなところで、たまにはのんびりと1日アリと遊びながら過ごせたらいいですね。秋、紅葉の時期の真駒内公園まだ違った顔を見せてくれるでしょう・

            

                        


つれづれなるままに   1799 真駒内公園

2013-08-11 14:48:45 | 季節感

第二次世界大戦後はゴル場として開発利用されたいたものを公園として転用面積は85ha、園内には、2つの大きな競技場があります。

これらは、1972年に開催された札幌オリンピックのメイン会場として建設されたもので、40年前の旧真駒内屋外競技場、旧真駒内屋内競技場、名前こそ変わりましたがオリンピック終了後、市民の球技や運動などの使用のほか、アーティストやミュージシャンのコンサートやライブにも使用されています。

オリンピック当時真駒内に住んでいました。ここは子どもとの散歩コース、退院後のリハベリに少し軽いウオーキングと娘と出かけてみました。

40年前の聖火台も健在ですが、今はスポーツを楽しむ多くの人で賑やかでした。白樺林、かしわ林、桜林と市民のウオーキングや歩くコース、のんびりと白樺の林を散歩、森林浴も兼ねてリハベリをしてきました。