つれづれなるままに   1261 被災地にも桜・梅の花が咲いたそうです

2011-03-30 11:41:53 | 季節感

大津波に襲われた石巻市、津波に耐えて梅、桜咲いていました。頭から津波をかぶった2本の木は隣り合ってお互いにが無事を確かめ、自分達もこの災害から皆が立ち直る為にと・・言っているかのように美しい花を咲かせていました。・・木の側で災害に遭われた人々は生きる勇気を頂いたと報じていました。災害地にも確実に春が訪れようとしています。いろいろな所から草木が、そして花が咲きだす事でしょうか。塩害に遭った地にも草木は生きようともがいているのです。

札幌も暖房は朝晩のみ、日中は8度と暖かくなりました。温室の花も春を待ちかねて咲き出しました。

                  ランの一種で小花がびっしりと咲き出します。繁殖力が旺盛いろいろな方に株分けしています。花キリンは可愛い花です。

                  

ゼラニュウームも咲き出しました。24種類ありますがその一部分です。

  

                 

  


つれづれなるままに 1260 ふるさと仙台の復興を願いつつ・・。

2011-03-28 18:37:51 | 雑記

私の育った「杜の都」仙台、伊達政宗に築かれた城下町仙台は、農民の割合に対して武士の割合が日本一高い、「武士の都市」であったそうです。そのため、侍屋敷に植えられた屋敷林が仙台城下を美しく覆っていたと言われます。 伊達政宗による仙台開府以前、この土地は「宮城野」と呼ばれており、仙台平野が広がって緑に囲まれた美しい街でした。

この町が大災害にあって2週間仙台市だけでも300名近い人が亡くなっています。昨年の4姉妹旅行、生まれ故郷仙台に集合・・鳴子温泉、松島観光、松島から塩釜まで観光船で塩釜の散策、塩釜神社、海岸の近くの威勢のいいお寿司屋さん、おいしいとの評判、並んで待ちました。地震でどうなったのでしょうか。

名取市、札幌に来る前に1年ほど高校の図書館に勤務した事があります。名取市668人の死亡・・行方不明は1000人にも、あの学校の高台から眺めた閖上(ゆりあげ)の街全てが津波で街がなくなくなりました。

仙台空港も・・新幹線が通り自慢の仙台駅も・・テニスの試合、苫小牧からフェリーで仙台湾、仙台での全日本大会・・故郷はいつも元気であって欲しいものです。死者6565人・・行方不明6144人・・避難者8万人、何年かかるか知れない復興・・しかし日本人はいろいろな災害に立ち向かって復興を成し遂げてきました。希望を捨てず困難に向かって頑張ってください。故郷の復興のために私たちもお役に立ちたいと思っています。

                    札幌も春の気配が感じられるようになりました。朝の日差しをあびて・・・幸せそうな にゃんこ

                          

                  窓の外から・・黒猫ちゃんも遊びに来るようになりました。

        


つれづれなるままに   1259 病院への付き添い 

2011-03-26 16:49:40 | 雑記

ヨリさん82歳・・病院の予約日、いつも付き添っていく弟のお嫁さんが急に用事が・・お昼までには終わるとの事付き添って行く事にしました。タクシーで1,650円介護タクシーを頼みました。1ヶ月定期健診のようなものです。循環器、整形外科、機能を確かめるのでしょうか、足や足首、両手の上げ下ろしたり、手を後ろに回したり・・異常なし。

整形外科・・・股関節の痛みはどうする事も出来ない・・痛いときは痛み止めを飲んでと、でも運動も適度な歩行訓練をとの事でした。

循環器心臓には異常なし・・歳よりは130位では血圧が低すぎるとの事、血圧の薬を80ミリから半分の40ミリにします。様子を見てくださいと・・中々親切な先生で丁寧に説明していただきました。私は日本に居る娘で今夜アメリカからもう一人の娘が帰ってくるので説明をしておきますと冗談を言いながら・・・

もう終わりかと思い二人でホットココアを「おいしいね」とロビーで寛いでいたら・・また呼ばれました。

認知症の経過を調べるのでしょうか。

歳を聞かれました。歳は幾つですか。・・83歳と・・本当は82歳です。 ブー

今日は何年何月何日でしょうか。平成23年3月28日と・・・ブー3月25日でした。

1234これを逆に4321・・ピンポン

100ー7は93ピンポン・・・93-7は ブー

言葉を3つ言います思い出していってみてください。   さくら・・ねこ・・電車  ピンポン

袋の中から5種類のものをだしました。えんぴつ、はさみ、くし、10円 そこまで、ハブラシは思い出せず私の顔を見るので唇で合図を送りましたが時間切れ ブー

野菜を10種類言って下さい。 ほうれん草、はくさい、だいこん、にんじん、いも、ねぎ、たまねぎ、レタス、キャベツ・・もうひとつ ブー

ヨリちゃんの好きなさつまいもだってあるでしょう・・と言ったら・・サツマイモはあれ野菜かいと・・・反抗する脳はまだまだ健在のようです。

診察2時間、薬を頂いて・・やっぱり一人の病院通いは無理かもしれません。往復タクシーを使いますが、お金の出し方、1万円・・千円と小銭で支払う事が難しく・・小銭入れは絶えずパンパン・・服の脱ぎ着・・コート、手袋、帽子などは置き忘れ・・薬の説明も良く理解できないようで医師は付き添いさんに説明せざるを得ないのかもしれません。

時間があったら「また付き合ってあげるわ」といいながら、昨夜アメリカから娘が戻ってきました。5月1日まで居るとの事・・遠く離れてしまうと親を思う娘も他国での生活落ち着かない事でしょう。後5年か、いや10年もあるでしょうか。

 


つれづれなるままに 1258  サプリメントは本当に効くのだろうか

2011-03-24 23:13:51 | 雑記

今年に入り急に視力が衰えました・・2.0 、1丁先まで見えていた視力も、かすみ・近くの眼科に・白内障は予備軍ではあるがまだ大丈夫・・全て精密検査・・異常なし・・・・それでも納得いかず・・総合病院の眼科に・・事情を話して再度検査・・視力は劣ってきてはいるが異常なし・・それではとメガネも持参し・・・7年前に作ったメガネを取替え新しいメガネを作ることにしました。病院からメガネ屋さんに直行した日が津波が押し寄せてる最中の3月11日、12時、メガネ屋さんのコンピュウター、通信網全てお手上げ、こんな所にも影響があるのだと思いながら・・やっと今日出来上がったようです。

サプリメント、パソコンに向かっている時間が多いので疲れ目にもいいかなと「えがおのブルーベリー」テレビで盛んに宣伝・・・次の日から・・すっかり視力がパッチリとの歌い文句・・視力減退もあり、つい買うことにしました。買い求めて4ヶ月・・異常なしとでも言うべきか・・現状維持・・・4ヶ月前と少しも変わらず・・同じ病状・・飲んではいますが・・このまま飲んで少しはよくなるのでしょうか。それとも飲んでるお蔭で現状維持なのかしら・・・。

高校時代バスケットをして痛めた右膝が痛み出しました。2年前はヒアルロンサンの注射1本で痛みとれ回復・・今回は5回通うはめになりました。先生曰く・・ヒアルロンサンは飲んでは効き目がない・・飲んだらアミノサンになってしまうとの事・・注射に使うヒアルロンサンを手に塗ってくれました。ゼリー状のもの、肌につけるとつるつるお肌になると・・足もったいないね・・顔につけるクリームはないのかと・・看護婦さんと笑いながら・・・痛くなったらまたコイヤーと。一応5本病院通いも終わりました。塗り薬は3個、飲み薬も2週間と・・それこそ「馬に食わせるほど」頂きました。  そう目薬は疲れ目10本・・白内障予防の目薬6本・・朝晩点眼しても・・目は2つしかないのにね。1ヵ月後いらして下さいと言われ。

それにしても今年は寒さが続きます・・雪も舞い・・春はまだ・・ダウンコートもまだ・夜のお出かけには手放せません。2年前も膝が痛んだのが寒さ厳しき冬でした。今年も寒さ厳しいこの時期・・・・春よ来い、早く来い・・・。


つれづれなるままに 1257  一人暮らしにも限界があると思う

2011-03-22 20:29:05 | 雑記

一人暮らしにも限界があると思う。暖房が入らない・・行って見てはくれないだろうか、どうも灯油タンクが空になったようだと・・灯油満タンにしたが・・タンクに空気が入ったようだ・・部屋は相変わらず寒い・・エアぬき・・また灯油屋さんに来てもらいエアぬき・・暖房が使えるか、夜来る約束をして・・灯油屋さん4万何がしのお金はまだいただいていないと、お金が手元に無かったようです。町内の方なので後でもとは言いながら・・本人は支払い済みと思っているようです・・娘さんに電話をして、支払うようにと・・

台所では何か沸騰、枝豆を茹でているようです、お父さんが今帰ってくるのでビールのつまみにと、見るとおかずはお皿に2人分、二度目の訪問の時間は20時・・お父さんは6年前に亡くなりました。帰ってから一緒に食べるので夕食はまだ待ってると・・・お父さんは鍵を持っていないので鍵はせず・・外灯も一晩つけたまま・・お父さんは鍵を持っているので心配しないで鍵はかけて寝るようにと言いながら戻ってきました。

次の日まだ様子を、床暖も暖かく・・仏間を開けた時チラット・・お父さんの布団が敷いてあり、パジャマもきちっと枕元にお部屋は暖かく・・・

土曜日は高齢者配食サービスを受けています。11時頃安否確認をしながら弁当を届けてくれますが・・留守のと連絡・・・娘さんから連絡を受け行ってみると鍵が・・・配食センターの方も困って・鍵を開けて入る事にしました(鍵の置き場所は聞いています)。家の中を探し留守を確認・・食事はテーブルの上にセット・・鍵を閉めて・・また夜訪問する事を係りの方に・・19時頃行ってみました。すっかり忘れて友と会う為に街まで行ったようです。行きはタクシーで約束の場所まで・・帰りはバスと地下鉄で帰ってきたとか・・私もホットしました。

先日もデーサービスの日を忘れて、行方知れずになりました。

ペルパーさん3回、訪問看護婦1回、デーサービス1回、配食2回と毎日ですが・・ヘルパーさんは1時間、また曜日で来る方も違うようです。

ごみ出しは私がします。除雪はお隣さん達が・・これから暖かくなって外出が多くなり、またまたいろいろな問題が出てくることでしょうか。戻ってこれなくなるかも知れません。娘さんには引き取れぬ事情もあるようですが。


つれづれなるままに  1256 地震?熊も目覚めてしまいました

2011-03-21 13:05:00 | 季節感

震災・・遠く札幌・皆様の1日も早い復興を願いつつ生活・・今まで以上にこまめに節電、暖房も最小限度にと、昨日スパーに行って驚きました。トイレットペーパー、カップめん、電池、棚がガラガラ・・お米もだそうです。これも買いだめではなく・・遠くの被害を受けた親戚、姉妹に送る為だろうと思いつつ・・10日ぶりで助かったおばあちゃんと孫、命をつないだ冷蔵庫の中身・・お店が近い事もありいつも新鮮な野菜、果物が手に入ります。今まではその日食べる分だけと思っていましたが・・これからはせめて1週間は生き残る、食料などと考えるのは私ばかりでしょうか。

今わが町内新聞をにぎわしています。公示地価、札幌3年連続下落、それもわが家の近辺、子育て世代が減少、これも道路事情のアクセスが悪く、またバスの運賃が日本3本の指に数えられるほどの高運賃、中心まで出るには往復1千円では足りません。それでは子育て世代の新規移住者は遠のいてしまします。小学校全校生徒290人・・今年の卒業生は52名でした。今年は何人の新1年生が入るのでしょうか。

しかし高齢者が住むには最高の町です。 大型スパー、衣料店 病院、銀行、郵便局、あらゆる公共施設また老人施設も整っています。高いバス賃をだし町まで行かなくとも不自由はないのです。国道230号線・・バスの本数も増えました。右手は山・・左手は豊平川・・20分もバスに乗ると定山渓温泉街・・温泉無料バスも運行・・このバスを利用しゆっくり温泉に浸かり、食事、ビールを飲んで無料バスで送ってもらう・・最高などと言っている高齢者もいます。なにせ自然が豊かです・・四季折々の花が咲き・家々の玄関は花で飾られます。これからの季節、是非訪ねてみてください。とても住みよ街です。

何にせ熊もでます・・今日の新聞ヒグマの痕跡が・・熊の足跡が発見されたそうです。親子の可能性があるとか・・昨年秋もこの近くで同じように熊の足跡が・・まだ寒くて近くには食べ物が無いのにと・・地震で目覚めてしまったのでしょうか・・可愛そうに餓死しなければいいのですが・・親子共々・・ここにも援助物資を送りたくなりました。

孫、ようちゃんが突然訪ねてきました、4月3日私の誕生日、プレゼントを持参して もう中学2年生になります。役員会、委員の方の子供さんが中学2年生になるとが・・私の孫と同じだねと言いながら・・世代のギャップを感じつつ仕事をしています。早くから親離れ・・自分の事は自分で勉強もスポーツもおしゃれも・・やるときはやるのだから・・おばあちゃん心配はいらないよと・・中学生活謳歌しているようです。


つれづれなるままに   1255  通学路

2011-03-19 09:55:42 | 季節感

昨日は地元の小学校の卒業式に参列しました。被害にあわれた皆様に黙祷をささげてからの卒業証書授与式、あの子も、この子も、スクールパトロールでの顔見知り・・・1年生に入学「わかば学級」の子供達、初めての集団生活・・通学路にしゃがんで学校を拒み頑固として動かなかった子供も・・日に日に送り迎えの母親から離れ、今年・・巣立っていきました。6年間で挨拶も出来るようになり、同じ「わかば学級」の下級生のお世話も進んで・・成人して自分一人でもで生きていける知恵をこれからも学んで欲しいと思います。

 通学路        舘内 聖美 作詞 作曲

あたたかな日差しと 少し冷たい風    空を見上げたら心はずむ青空

いつも歩く道を 今日はゆっくりと行こう  思い出いっぱいの ぼくたちの通学路

きっと忘れないからね いっしょに拾った くりの実の味

さよなら さよなら 元気でいてね

おとなになったら またみんなで 歩こうね  

           パトロールのおじさん 散歩していたおばさん 名前も知らないけれど 私たちの友だち  

                  いつもあるく道を 心の中にきざもう  思い出いっぱいの  大切な通学路

きっと忘れないからね 見守ってくれた 人たちのことを

さよなら さよなら 元気でいてね

おとなになったら またみんなで歩こうね

さよなら さよなら  さよなら さよなら

通学路 心にいつまでも 大切な通学路

 

 

 


つれづれなるままに 1254  ブログも沈みがちです

2011-03-17 18:45:17 | 雑記

家に戻り、温かい部屋なのに暖房の温度をさらに上げ、テレビにスイッチを、お湯を沸かしてお茶をゆっくりと飲む・・こんな当たり前の生活が出来なくなった多くの災害地の皆さん、東北地方はもう春・暖かくなる時期だと言うのに、無情の雪が降り続いているようです。

近郊の店からは食料品が消え、値上がり、夜は暗闇と東京も、仙台も・・姉妹に食料を送ってやりたくとも出来ずこんな時はジット耐え忍ぶしかないのかもしれません。

札幌も毎日のように雪が降り冬に逆戻り、ブログも沈みがちです。今日も見舞金の話が・・街頭募金をする為のボランテイアを募集していますと、いろいろなところで募金がしかし・・今この時間、すぐすぐ救いの手が食料・・水・・温かい食事が欲しいのだと思います,が・・私達はそれを満たしてやる事は出来ません。せめて復興のお手伝いだけでもと・・ボランティアを考えています。

当たり前の生活が・こんなに幸せに感じるのもこのような時だけではダメとは思いながら・・。


つれづれなるままに 1253 僅かでも見舞金を

2011-03-15 21:01:39 | 雑記

まだまだ寒さが続きます。今朝も雪でした。今日は中学校の卒業式、札幌で1万5千人の生徒が巣立ちました。この卒業生と同じ数の行方不明と死亡者、もしかしたらそれ以上かもしれません。

足元からは津波が、頭の上から放射能が降り注ぎ、いったいどうしたらいいのでしょうか。放射能漏れはなし、安心して冷静な対応と報じていますが、1号機、2号機、3号機、4号機も破損、5,6も要注意とのこと、説明もあいまいで安心のできない状況、報道を信じていいのでしょうか。

しかし今日は5日目、テレビや新聞で見る被災地も不明者を探しながら少しずつ復興の兆しが見えてきたようです。昨日の役員会、私たちも少しでもお役に立ちたいと、見舞金を出す事に決まりました。一人ひとりのわずかな金額、集まれば多くの見舞金が集まる事だと思います。

                  3月10日ガザニアとマリーゴールドの種を植えました。15日もうマリーゴールドの芽がでました。

           

        被害者の皆さん、かつてない重大な災害ではありますが負けないで乗り越えてください・・日本中のみんなが応援しています。


つれづれなるままに 1252  いまだ掴み切れない実態

2011-03-13 21:17:23 | 雑記

仙台夏、荒浜や野蒜は私たちの海水浴場、父に連れられ姉妹と泳ぎに・・地元の一番近い海水浴場でした。

やっと携帯で通話、今回の津波は荒浜から市街地若林区まで到達・友の家の裏手まで来ていたとの事・・近くのお寺で津波は止まり町内の方達は難を逃れたとのことでした。何十キロもすごい勢いで流れ込んできた津波後には遺体が4~5百もあったと恐怖を語っていました。

宮城野区の友は電話回線が故障しているか、切れています。HTTのからのお知らせ、家が倒れて電話どころではないのかもしれません。

富谷町、弟の家とは直接ではありませんが無事のようです。電話は伝言サービスになっていました。

宮城県だけでも死者、不明一万人になるだろうとの事、備えあれば・・と備えはチリ地震で十分にあったと思いますが、あまりの速さの津波になすすべも無く、いまだこの惨状の実態がつかみきれません。


つれづれなるままに   1251 役にたたない携帯電話

2011-03-12 10:53:11 | 雑記

巨大地震、宮城県7、実家は仙台、同級生達が仙台に住んでいます。昨日から電話で安否を確認と思っても通じません。

実家は青葉区・・山沿いではないので大丈夫とは思っていますが・・連絡は取れません。

亡くなったは弟の家族は黒川郡富谷町に住んでいますが連絡とれず、お嫁さんの実家は女川全滅の危機に・・

もう一人は宮城野区、住民が小学校や中学校などに避難しているとの情報・・・

もう一人は若林区、津波が近くまでとか、そして我が家と同じ青葉区、彼女の家は山を崩して宅地にしたところ・・どうなっている事か心配です。

こんな時の通信手段、何も無いのですね。もう少し待つ事しか・・。


つれづれなるままに  1250  遠野のカッパ

2011-03-10 12:06:55 | 季節感

柳田國男の「遠野物語」で知られる民謡のふるさと遠野・・一度は訪れてみたいと思っています。

とおの昔話村では4月から11月まで毎日昔話を聞くことができます。
「むがす あったずもな」で始まり「どんどはれ」で終わる遠野の昔話「オシラサマ」や「カッパ」「ザシキワラシ」など、やわらかな方言で語られてゆく昔話、是非聞いてみたいと・・いつも・・あたたかくなると旅心がムズムズと。

岡本太郎流の仲間が今度は陶芸、カッパだとか馬の首だとか、挑戦とのこと・・どうせカッパを作るなら・・このぐらいリアルに作って欲しいものです。

 

        

 

朝方5時ごろから雪が降りだしたとの事、外は吹雪、傘を差してのスクールパトロール、子供達も歩きにくそうです。20cm位積もっていたでしょうか。

降りしきる雪の中、ヒヨドリは夢中でりんごを啄ばんでいます。いただいた三脚、外のバードテーブルに狙いを定めてセット、お蔭様で三脚重宝しております。人の気配が気にならないようです。今年はスズメやヒヨドリのみ、むくどり、シメ、シジュウカラ、ゴジュウカラ、キレンジャク、ヒレンジャク、カケスやコゲラと楽しませてくれた鳥達もほとんど姿を見せなくなりました。何所に行ったのでしょうね。

        

  

                      


つれづれなるままに  1249  早春賦

2011-03-09 09:17:17 | 季節感

UHB大学最後の講座でした。「アリアと日本の歌曲を楽しく」と題してピアノ、ソプラノ、すばらしい歌声を聴きながら終了しました。最後に全員、発声練習の後、立ち上がり大声で「早春賦」大合唱

早春賦

   春は名のみの 風の寒さや  谷のうぐいす 歌は思えど

        時にあらずと 声もたてず   時にあらずと 声もたてず

 氷融け去り 葦はつのぐむ さては時ぞと 思うあやにく

        今日も昨日も 雪の空 今日も昨日も 雪の空

  春と聞かねば 知らでありしを 聞けばせかるる 胸の思いを

        いかにせよと この頃か  いかにせよと この頃

この歌の通り春はなかなかやってきません。今朝も10センチほどの雪が積もりました。春は行きつ戻りつのようです。

                 我が家の猫の窓・・積もった雪を掻き分けながらパンやりんごを食べにヒヨドリがやってきます。

            

                                   家の中から道行く人、バードテーブルを眺めながら・・

               

                                     外から・・・


つれづれなるままに  1248  東京スカイツリー

2011-03-06 21:10:52 | 雑記

関東地方の地上デジタル放送は2003年2月より放送されていましたが、都心部の林立する200m級の超高速ビルの影響をうけ、600m級の新タワーが必要になりこの電波塔、スカイツリーが建設されたそうです。

江戸期の景観を代表する隅田川を背景に、日本の伝統的な美意識のもと最新技術を駆使して造形した東京スカイツリー、浅草や錦糸町、両国などの隣接し地域とともに活力のある街づくりに一役買っているようです。両国何所からもスカイツリーが見渡せました。

今日は604m、私たちが両国に泊まった2月28日は594m、完成まであと30mだそうです。

                

これまで世界で最も高かった台湾の「台北101」を抜いて3月1日、世界一になりましたが、世界にはまだもっと高い高層ビルが建っています。ドバイにある超高層ビル、なんと828m、この中には、マンション、オフイス、高級ホテルなどが入居する予定だとか・・スカイツリーも世界一の座、王座を譲るのもあとわずかでしょうか。


つれづれなるままに  1247    五木寛之の講演から

2011-03-05 22:32:40 | 雑記

札幌市民ホール1500席、応募総数1900人、私達は前もって申し込み出来ましたが、一般の方は抽選だったそうです。

講師、作家五木寛之氏 「いまを生きる力」昨日16時の飛行機で東京を、しかし昨日の大雪、やっと札幌に到着・・やっぱり北国ですね・・と。

今回は自殺予防講演会、会場は最上階、白板に書く文字も見えず、お顔もボンヤリト・・お歳は78歳位でしょうか。

飛び出す言葉は歯切れが良く・・いろいろな作家や著作が出てきました。思い出した言葉のみで・・。

「日本人は余り泣かなくなった」そんな状況を観察した、柳田國男さんが次のように書かれています。涕泣史談(テイキュウシダン)」の中で、主に、人間が泣くということの歴史について書かれた文章です。昔は、悲しいなどといっては、直情的に泣いてしまうことが、現代よりも多かったそうです。しかし、昨今においては、この泣くという手段が過剰に濫用され、悲しいからといって直ぐに泣くのではなく、何故、悲しいのかを言葉で説明しなさい、といった遣り取りが増えたといいます。
その結果大人は勿論、子供でさえも少なくなったと書かれています。確かに、自分も子供の頃は、特に人前で泣くことには抵抗がありました。泣いたら恥ずかしいなどといった意識が自然に働いて、泣くことを自制してしまいます。しかし、昔の方は、このような意識が、(大人も含め)一般的に希薄だったようです。(柳田國男の文より)

また本居宣長の著作の中に、涙をながして、悲しい時は泣け・・・嘆くときは嘆け、涙を流すときは大声で泣け・・と

身近な人や妻、友など相手に喜びを語るときは、同じように悲しみもかたれ・・。

雪が降る前に、温かい金沢を訪れたそうです。
金沢兼六公園、雪つりがもう施されていたそうで、この雪つりは観光の為ばかりではなく金沢の雪の湿った重さに耐えれるように、硬い木はこの雪の重さに折れてしまいます。しかし竹や柳、柔らかな木々は雪の重さにつぶされてもなえて折れず春を待ちます。

これも体の悲哀・・・硬い木ほど折れやすい・・頑固人ほど・・うつになりやすい・・・そして自殺にと・・・追い込まれるそうです。

人間は生きていく限り、楽しい事ばかりではなく、苦も悲しみはあります・・本当に悲しみに出会ったとき・・はっきりと意識し・・大声で・・人に叫べとも・・心に閉じもめておかない。

             さー、ため息を1日20回大きく深呼吸しながらついてください。・・・よき呼吸法だそうです。

まだまだ名言がありましたが、聞き漏らしたのも多く・・いかに書物を熟読しているか・・すばらしい講演でした。