つれづれなるままに  751  アンコール遺跡群  Ⅱ

2009-03-31 22:23:42 | 旅行

スラ・スラン ジャヤブァルマン7世が改装した沐浴池、プールだそうです。当時は王と王妃が利用していた人工池、700m×300m、今は一般市民の憩いの場となっています。

 

 

バンテアイ・クディ塔門ではバイヨン様式観世音菩薩の4面仏が見れれます。、東メボン 周囲は水に囲まれていたとか、今は熱帯雨林の猛威を感じます。

           

 

 

         タ・ケウ ジャヴァルマン5世が975年着工、王の死と内戦により1000年ごろ工事が中断未完成

        

 

 

        アンコールワットの正面長く延びて参道の入り口に7つの首の蛇神ナーガを通り西参道入場、絶景ポイントで撮影

            

           

 

 

ここは墳墓第一回廊のレリーフにはインド古典叙情詩「マハーバーラマ」「ヒンドゥー教の天地創造神話、天国と地獄の物語が刻まれています。暑い中修復作業も続けられています。

         

 

アンコールワットの中央祠堂を始め、遺跡の塔の階段は急傾斜になっています。これは祭られている神に対して失礼がないように自然と頭が下がるような構造に成っているとか、一歩足を踏み外せばまっさかさ。

 アンコーロワットは朝、昼、夕と違った顔を見せてくれます。朝5時20分朝日を、ハスのつぼみを模した物塔の間からの太陽を見に出かけました。

塔の真上に朝日が昇るのは春分の日と秋分の日の2回のみ、チャンスでした。

 

 

アンコール王朝時代に生まれたとされる古典舞踊「アプサラ舞踊」遺跡のレリーフでおなじみのダンスは、踊る天女を意味しています。女性のみ、10歳から16歳まで練習をつみ16歳でデビュウー16歳から26歳までしか踊れません。

         

 

 


つれづれなるままに  750 アンコールの遺跡群 Ⅰ

2009-03-30 11:00:13 | 旅行

今回の旅行の目的は、アンコールワットを観ることにありました。3年前12月24日出発アンコールワット、丁度鳥インフレエンザの大流行、涙をのんでキャンセル、長い間待ち望んだ地、タイにてミニチアを見る機会はありましたが、アンコールの遺跡の広さにビックリ、東京都23区にも匹敵するほどのエリアに62の大遺跡群が発掘されているとの事です。

日本ではちょうど平安から室町時代、9世紀から15世紀にかけてインドシナ半島の中央部にアンコール王朝が君臨、漁業資源の宝庫であるトンレサップ湖の北側、今のシェムリアップに巨大な王都を構えていましたが、王朝滅亡後、この城都は放置され数世紀忘れ去られていまいた。やがて19世紀、樹海に埋もれていた巨大な遺跡群がフランス人によって発見されましたが国際情勢の渦に巻き込まれ、また内戦では戦場にもなり、今日、ようやく私たちが訪れる事ができるようになりました。

アンコールトム

アンコールワットの北、10万人が住み栄えた12~15世紀に栄えた王都で15世紀全半にアユタヤー王との戦いに敗れて放棄されました。木造の王宮や館は朽ち果て、また長年の風化で塔から幾つのもの仏顔が欠落してしまいました。

                       正面は4面仏顔、左が良い紙、右が悪魔の神

    

 

アンコールトムの中は象に乗って観光もできるようです。メンエリア、バイヨン寺院には54基の四面仏顔像があります。

         

 

              四面仏顔「哀れみ」「悲哀」「同調」「平静」の4つの顔の表情を持ち東西南北を見ています。

 

                レリーフ アプサラ天女や他の回廊の壁画は様々なレリーフで飾られていました。

                         

           

 

日本人はいろいろなところで貢献しています。これも日本人により復元作業がおこなわれている所です。全てが復元されるには気の遠くなる年月が必要でしょう。

日本人が始めてアンコールワットに足跡を残したのは江戸時代1632年、回廊の列柱に落書きをしています。肥州武士の森本右近大夫が父親の菩提を弔うために仏像4体を奉納、その当時はアンコールワットは仏教の聖地「祇園精舎」と考えられていました。

 

             

 

         象のテラスと呼ばれています。12世紀後半にジャバルマン7世が造営され、はすの花をつかむエラワン神像

     

 

 

ジャバルマン7世の母の霊を弔うために建てられた寺院ですが、巨大な石を踏みつけているガジュマルの根、長い年月を経て崩れ落ちた石はそのままに、しっかりと根を張っている木々を撤去すれば遺跡そのものが倒壊してしまうとの事です。この木の樹齢は3~500年、自然の破壊力の猛威に息をのみました。

       

 


つれづれなるままに  749 ベトナム報告 Ⅳ

2009-03-29 20:29:31 | 旅行

昨晩はニセコにお泊りしました。前から誘われていた温泉一泊、ようまー、遊び歩くものだと反省しながら、しかし日本はお料理、温泉、やっぱり最高ですね。海外帰って、改めて日本の良さを実感します。

ベトナム、ハロン湾の見学のあとは市内見学ホーチミン廟、生涯をベトナム南北の統一に捧げた、国民的英雄ホー・チ・ミンが眠っています。1975年の建国記念日に合わせ、ハスの花をモチーフにデザインされて廟には彼の遺体がそのままの姿で眠っていました。日曜日、ベトナム人の見学者も多く、外国人は専用に並び内部を見学する、カメラ、大きな荷物は持ち込み禁止、私語、ノースリーブも禁止、衛兵の警備が厳重でした。

      

 

文廟1076年ベトナム初の大学として開校、学生も見学、ベトナム人の体系は小さくて細い、肥満の方は殆ど見かけませんでした。食べ物のせいでしょうか。

      

 

                             ホーチミン博物館

 

一柱寺、1本の柱の上に仏堂がのせられています。

 

 

暑い中大劇場など見学、1911年パリのオペラ座を模して作られたフランス風の建物、この前で、結婚式の写真の撮影、プロのモデルさん風、幾パターンも撮るそうです。

結婚は女が16歳男は19歳、式費用は花婿が負担、結婚式会場は花嫁の家と決まっていて、結婚式は2日間かけ5~600人が集まるそうです。花婿はそのまま、花嫁の家で生活、お金があり独立できる人は、家を建てるそうですが、生活費が足りない時は親がお金を出すとか、日本では考えらません。

         

 

ベトナム最後のベトナム料理、ここは花モン族の衣装を着た店員さん達、色鮮やかな花模様の刺繍入りのプリーツスカートを穿いてのお出迎え、お料理も最高、早速アンコールビールで乾杯

        

        

 

           

 

 

 ハノイを訪れたら一度は観ておきたいハノイの伝統芸能「水上人形劇」今から1000年前には存在していたと言われています。演奏には伝統的な楽器が使われ人形の顔もコミカルな表情、水の中に入っているのではなく、周りの薄い布の奥に隠れていて人形に取り付けた長い竹ざおで人形を動かしている。人形たちのコミカルな動き、テンポの早さに圧倒されました。カメラ禁止、夕食後8時から長い一日でした。

       

今日でベトナムとはお別れです。またベトナムへ訪れる事があれば、その時は是非、南のホーチミンにも足を運びたいと思います。


つれづれなるままに   748  ベトナム報告 Ⅲ

2009-03-27 11:45:59 | 旅行

旅行先の本は1~2冊は必ず読んで行きます、しかし帰って、また手元に置いて読み返す、そうすると、改めてうなずける。ガイドの説明はメモしてきます。しかし現地ガイド、言葉がはっきり分からない、もちろんベトナム語での遺跡の名前など、なんて発音しているのかな・・・と、日本語で書くと、どう書くのかな、など・・改めて帰って本をひも解く、なるほどと思うことが沢山あります。

世界遺産、ベトナム随一の景勝地と言われるハロン湾、翡翠色の静かな海面に大小200近い島々が点在すると言われています。 波によって侵食された岩峰が海面に突き出ている、大昔、岩が隆起して盛り上がり、すき間に海から海水が入ってきたとか、島は石灰石のため、また何万年を経て少しずつ削られて奇妙な造形美が作られたと、ガイドさんの説明でした。

 

 

湾の中には水上生活者が家を並べ、魚を取り生活、この中には小学校もあり、子供たちが遊ぶ広場も設置されています。陸に上がることなく湾の中だけで、もちろん税金は取られるそうです。

 

別の船が近づいて来ました。新鮮なシーフードの時も有るそうですが、バナナ、まんごう、のような果物、バナナ一房1ドル、子供が船に乗り込んで売りに来ます。この船の屋根が売り場です。必ず子供が手に持って売りさばく・・子供には弱いものですね。

 

 

船を下りてテイエンクン鍾乳洞へ、ハロン湾の中にはまだ知られていない多くの鍾乳洞が有るそうですが、最も美しいl鍾乳洞、推定1億年ほど経っているとか、現在もゆっくり成長しているそうです 。奥が深く天井が高く、見ごたえの有る鍾乳洞でした。

     

 

水上レストラン、景色を忘れてベトナム料理に舌鼓を、船上での調理シーフードのメニューを中心に熱々、333と書いて「びーびーびービール」、蟹、えび、春巻き、あさり、魚と、この時の料理が一番美味しかったように思います。

最高はビール、この暑さ、水、ジューズとお値段は余り変わらず、これから毎日ビール三昧で行きました。日本のビールとは違い、苦味がなく飲みやすく、アルコール分が少ないようです。一缶、3$であったり、2.5$であったり、日本円にして2~3百円日本と余り変わらないようです。

            

 


つれづれなるままに  747 ベトナム報告 Ⅱ

2009-03-26 13:58:04 | 旅行

ベトナム、真っ赤な色に黄色い大きな星一つが付いた国旗、日本では余り国旗を目にすることはありませんが、何処に行ってもかならずベトナムは国旗が掲げられています。インドシナ半島、日本と同じように、南北に伸びた国北部のハノイ、南部のホーチミン、今回はハノイのみ観光観光する事になりました。

新千歳からソウル経由でハノイまで、便利になりました。日本を14時で発ち、ハノイ、ノイバイ空港には22時25分とは言え、時差が2時間、日本の時間にして真夜中12時過ぎに到着、すぐホテル直行、明日のためにシャワーを浴びⅠ日目は移動で終わりました。

朝、車の騒音で目が覚め、ホテルから道路を見ると車ではなくバイクの騒音でした。信号など在ってないようなもの、先を争ってクラクションを鳴らし、所狭しと走り去ります。バイクには、1,2,3,4人は当たり前、家族全員が一つのバイクに跨って、荷物も背中に、お互いに命がけ、事故も何件も見ました。Ⅰ日何十人も亡くなっているとか、うなずけました。譲り合うことなどない様でバスの間にもわれ先と狭いスペースに入ってきます。人口の半分はバイクを所有しているとか、それにしても新しいバイクが目に付きました。

        

     

ホアンキエム湖畔、金、土、日は夜の歩行者天国、この曜日だけバイクを気にせず歩く事が出来るそうですが、その日は土曜、それにしても何処に向かうのでしょうか、湖畔には人々が集まりその中をカップルのバイクが、クラクションを鳴らしスピードで通り過ぎていきます。カップルの行き先は居酒屋だそうでバイクを停めて、食事、ここが食事の場所・・・酒を飲んでまたバイクで家路に・・事故も多いわけです。

車中からの眺め

目に付いたのがこのような家、この1本が一軒、お隣との境は壁を半分ずつ共有しているそうで、税金対策、一階がお店か車庫か台所、湿気が多くて下には住めないそうです、2階が居間、3階が寝室、4階がテラス、吹き向け暑さ対策なのでしょうか、お店にさえ冷房はないところが多く、扇風機、家に冷房がある家は少ないでのでしょうから。人々は玄関前にテーブル、イスを置きそこでほこりにまみれながら食事、仕事をして時間を過ごしているようです。朝、昼は何処の家も外で食事を、夕食のみ作るそうです。

次に目に付いたのがこのような果物を売る人々、パインは小さめきれいにカットさて、やしのみは、穴を開けジュースとして飲みます。

   


つれづれなるままに 746  帰国報告

2009-03-25 19:35:41 | Weblog
38度の蒸し暑さ、サウナに入っているような暑さの中から気温2度の千歳に到着しました。
朝5時30分アンコールワットの日の出を見に、戻り朝食、9時にはホテルをでてアンコールワットの中の遺跡群を見学、日中の日差しは容赦なく肌を通し、ジリジリト照りつけ気温はグングン上昇、首に巻いたタオルも汗とほこりでグッチョグチョと水を飲み飲み遺跡見学、アンコールワットの周りには54もの遺跡がありそのうち49個が見学が出来るとか私たちはその中の、17~18の遺跡を見て回りました。
夕方プノン・バゲンからの夕日を見ようと高さ75mの丘に向かって歩く事15分、夕日に沈む遺跡を山の上から見ようを観光客が次々押し寄せて、場所取り、あふれかえっていました。
遺跡の階段を這う様に登り夕日を待ちましたが、雲がかかり始めました。でも雲の中ら薄らと太陽が沈むのを眺めながら汗を沈めてからの下山、夕食、そのまま、空港へ22時の便でハノイへ、朝5時到着、10時乗り継ぎ12時千歳にと、汗とほこりにまみれてのご帰還でした。13時間も動いた事になります。傾斜のある階段を上り下りするだけでも大変、元気でなければ来る事が出来ないと、皆うなずき合っての旅行でした。
ベトちゃん、ドクちゃんの国ベトナム、ベトちゃんも、もうパパに、50歳を過ぎているとのこと、今は平和なベトナムを・・・。明日から。

つれづれなるままに  744 小学校卒業式に参列

2009-03-19 15:06:49 | 季節感

     

17日は私の卒業式、今日は、地域の仕事をしている関係、小学校の卒業証書授与式に来賓として招待されました。朝、スクールパトロール、今日は1、2年は卒業式には参列しないようで、登校する子供たちもまばら、それでも6年生はお洒落をして元気に登校して行きました。

時の速さを感じます。卒業生は62名、子供たちの体格は大人なみ、すらりと身長が伸びて、もう一人前の女性、男性です。

     

卒業式も昔とは大分異なります。在校生と向かい合い、卒業生一人一人が思い出を、そして願い、希望を在校生に向かって陳べます。在校生からはまた一人一人が感謝の言葉を陳べ、全員が送る言葉、感謝の言葉を全員参加の卒業式です。式の中で歌われる歌も変わりました。

                     この地球に生まれて  坂本 竜一

           ① どんな言葉で 飾るよりも  生きるちからを 持ちつづけて

             はるかな空には 虹も輝くから つよく、つよく、歩きつづけて

             河はゆるやかに 時を旅する 広い宇宙の 風に乗りながら

                    夢をすてないで かならず叶うから

           ② 谷間の小さな 白百合でも  冬を耐えぬき 鼻を咲かす

              何かを探して この星に生まれた つよく、つよく、愛抱きしめて

              雲はおだやかに 海へ旅する  広い宇宙の 風に乗りながら

                     夢をすてないで かならず叶うから

そして「旅たちの日」、「さくら」、喜びも悲しみも分かち合い世界中が一つになってと「U&I」子供たちの歌声で幕は閉じました。未来を信じて、希望に向かって進んでください。

そーお友達のくるみちゃんもご卒業おめでとう。早いものですね。もう中学生になるのですね。楽しい中学生活を送ってください。

 

行事が続きました。いつも旅に出る前はこのようにバタバタとしています。家に戻り4~50もある鉢物に水をタップリあげました。1週間は大丈夫でしょう。明日は10時には家をでます。ベトナム・カンボジアへ出発、どんな所だろうか。憧れていたアンコールワットもしっかりと見てきたいと思います。報告はブログでお楽しみを・・・。

 


つれづれなるままに 743  研修会より「ふれあい・いきいきサロン」

2009-03-18 18:50:18 | 雑記

2000年の社会福祉法の改正以後、日々の暮らしにおいて、何らかの手助けや支援が必要な人々の為に、住み慣れた地域で自立生活可能にしようと言う取り組み、「地域福祉」が立ち上がりました。

見守り活動、そして今回の「ふれあい・いきいきサロン」ネーミングはいろいろありますが、暮らしの中で、ゴミが出せない、切れた電球が取り替えられない、家の前の除雪が辛い、誰とも話すことがないなど、制度によって対応する事が困難な福祉の課題を地域の住民で支援する事ができるのではないだろうか。それには住民参加の福祉活動を目指すべきではないか、それは小地域のエリアに「ふれあいサロン」のようなものがあればと、札幌市ではもはや30数件のサークルが活動しているとの事です。

高齢化社会を向かえ、人々のつながりが希薄になりつつある現在、住民のボランテア、町内会など身近の高齢者との交流、つながりを作り、保健、福祉、医療の協働し、地域ぐるみによる、高齢者福祉のまちづくりをしようと、そのための一環としてサロン活動が、注目されだしました。

地域の高齢者が出会う、お互いに知り合う場として、またそこで気づき合ったり、困りごとや暮らしにくさを解決しようと言うことです。

我が近隣の町内でも立ち上がりました。少人数で歩いて参加できる場所、デーサービスを利用するまででもない方、予防的なサービスを必要としている高齢者、精神障害者、子育て中の方、一人暮らし、それぞれ共通した課題を当事者とボランテイアが共同で企画、内容を決めて運営する事です。

しかしこの福祉活動の担い手も発掘しなければなりません。サロン開設、我が町内にもこの話をいたしました。65歳以上が4人に一人の我が町内、サロンの役割は十分に理解していただきましたが、リーダーの育成それから始めなくてななりません。

週1回気軽にお年寄りが集まってきてオシャベリが出来る環境、施設を開園、誰かがやらなければならないのかもしれませんが。


つれづれなるままに   742    大学院博士課程卒業

2009-03-17 19:46:07 | 季節感

 

「自由と創造」を建学の精神に明るく健康で、豊かな教養を目標に昭和63年4月、UHB大学が開学しました。UHB放送局が社会還元事業として生涯学習の場を開設、向学心に燃える、高齢者の集いとして今まで多くの人々が学びました。

90人ほどで発足選択講座も7講座から今は20近い講座、約600人ほどの学生が学んでいます。今日は卒業授与式、平成13年4月入学した私たちのグループ14期生、7名も無事8年目を向かえ、今日共に、大学院博士課程を卒業しました。

「グループ漣」の仲間の一人が卒業生を代表して、答辞を陳べました。

幾つになっても、何かに挑戦、生涯学ぶ意欲を忘れてはいけない、常に旺盛な好奇心を持ち続けることが大切です。と、私たちグループ7人も今年は研究科に籍を置き、これからも意欲的に学び続ける事でしょう。


つれづれなるままに  741  「999人の第9」団員募集

2009-03-15 20:46:58 | 雑記
1985年に北海道ボランテイアフェステバルのイベントとして「第9」を演奏、1989年に「999人の第9」が結成されて以来今年で25年目を迎えることになりました。
一度でいい、「第9」を歌ってみたいと思って入った合唱団、私も5年目を迎えることになりました。その間、国技館、大阪城ホール、鳴門と数多く出演させていただきました。
今年は節目の年、日本全国から集まってくる合唱団員はお休みさせていただき、道内の合唱団員で、道内のソリスト、管弦楽札幌交響楽団、指揮者も札幌交響楽団正指揮者、高関 健氏の下、今年もいよいよ練習が始まることになりました。
団員募集、練習日程表も手元に届きました。5月19日が結団式、次の日にはドイツ語の練習も始まります。
週2回の練習、今年もまた9月27日(日)キタラ大ホールで心の残る感動を仲間と味わうために、練習にしっかりと取り組みたいと思います。

つれづれなるままに   740  春からの園芸プラン

2009-03-14 11:02:19 | 季節感

まだまだ寒い日が続いています。昨日、今年度最後の環境部の講習会が行なわれました。

「春からの園芸プラン」、もうそろそろ、種を蒔く時期が来ました。この時期に家の中、暖かな、お日様の光が十分に当たる場所を選んで、花の種をホットに植えて置きます。2~3週間も経つと芽が、1本ずつ、大きな鉢に移植、或いは5月末には、お庭に植える事が出来る事でしょう。今回はマリーンゴールドの種まき実習をしました。

種1袋2~30粒もの種が今年はマリーゴールドの、オレンジ、イエローでお庭は一杯になる事でしょうか。

 

       


つれづれなるままに  739 カンボジア 地雷

2009-03-12 10:10:04 | 旅行
先日、テレビに「初めて義足をつけた象」の話が放映されました。タイの国境近くで作業中母親の象といた3ヶ月の子象が地雷を踏み、片足が不自由になりました。象は大人になると200キロもの体、片足では体を支えきれなくなるので、義足を付けて、元気に歩けるようになった話でした。
カンボジア旅行を控え、いつもその訪れる国の事を考えます。地雷の被害を受けた子供たちの話、世界に1億1000万ほどの埋められている地雷、そのうちの400~600万個がカンボジアにはあるといわれています。
国を守るために普通は国境に沿って埋められますが、カンボジアでは内戦があり西側半分は地雷で埋め尽くされていたとの事、今回訪れるアンコールワット遺跡付近も地雷の中にあったそうです。今は撤去作業も終わり安心とは言え、撤去は手作業がおもで、金属探知機を使っても1日、畳6畳分しか進まないそうで、これらを取り除くには1000年もかかるとの事です。
国内では月200~300人が地雷の被害にあっている、そこが危険地帯と知りながらも、貧しさの為、他の場所に行く事ができず、その中での生活、学校もその中に建っている、周りの危険地帯の境界線は、立て札と立て札を紐でつないでいるだけの情景もテレビで見ました。
今回はシェヌリアップに滞在、アンコールワット遺跡の美しさばかりに目を奪われていいのだろうか。
地雷は死にいたらなくても、手足だけ吹き飛ばされた住民の苦しみを思い、ダイアナ妃もかつて地雷撤去作業に積極的に参加したことを思えば、観光産業で成り立っている国と言え、私たちに何が出来るのだろうか、しっかりと見てきたいと思います。

つれづれなるままに   738  絆ー仲間を信じて

2009-03-11 15:27:02 | 季節感

雪解けが進み、快適な歩行が、足元も軽やかにと思いきや、今朝は一面の雪景色、まだまだ春はすんなりと訪れる様子はありません。

朝のスクールパトロール、子ども達から「春の音楽会」の招待状を頂きました。

テーマ「絆ー仲間を信じて」と題して、5年生のみの音楽会、5年生が全てを担当しての音楽会、先生は一切手をかけなかったそうです。

                

 

生徒数60名余り2クラス、全員の校歌で始まりました。子供の成長にはいつも驚かされます。もう立派な大人です。自分の役割を一生懸命果たしている子供たちを見て、私の孫も5年生、暫く会っていませんが、身も心も大きく成長している事だろうと、春休みが楽しみになってきました。

今の子ども達の歌は、私たちの時代とは大分違います。

星笛、U&I、星の世界、ピープル・オブザワールド、マイバラード、卒業生を送る曲、明日晴れるかな、桜、この星に生まれて、この星に生まれてよかった、この星を大事にしようと、子供たちの合唱が声高らかに響いていました。珍しくギターあり、アコーデオンと合唱のピアノの伴奏は全て子供たちが次々と、とても上手でした。

 

今日はヨリさんも誘って楽しい時間を過ごしました。閉会後、子供からのプレゼント、お礼状を一人一人子供たちから手渡されました。


つれづれなるままに  737 海外の絵本

2009-03-09 12:44:48 | 雑記

いろいろな国を訪問しました。必ず買ってくるのが孫のために絵本、字は読めなくても絵を見るだけで、心和ませてくれます。大分葉ちゃんにあげてしまい、家には余り残っていませんが、時々開いては楽しんでいます。

ウイーン、町を散策ブラリと立ち寄った本屋さん、余り可愛いので買い求めました。飛び出す絵本です。日本の本屋さんにもいろいろな国の飛び出す絵本も出回るようになりました。

          

                 

昨年のアフリカ旅行、本を探すのに苦労しました。南アフリカ、ケープタウンにてやっと、子どもの野生動物、子供や赤ん坊は可愛いものですね。

      

 

         フィンランドのタンペレ、ムーミン博物館にてムーミングッツと共に買い求めました。                    

 

 

         わいわいがやがや、役員仲間6人での台湾ツアー 、挿絵を見るだけ楽しくなるような絵本です。

 

      

 

            ドイツだったと思います。両開き、閉じたり開いたり、幼児の本でしょうか。

       

 

 1年に1回4姉妹旅行、一昨年は箱根でした。箱根の美術館を1日タクシーをチャーターして総なめ、「星の王子さまミュージアム」にて、日本語版を買い求めました。

 

           

今月20日からベトナム・カンボジアへ、どんな絵本があるのか楽しみです。いつも一人で見るのはもったいないなと思いながら、今回の展覧会、展示してもらおかな。