つれづれなるままに   1549  メタボの原因は

2012-06-30 09:46:10 | 季節感

北国暑いとなれば猛暑が続きます。今日も30度だそうです。こんな時は、家でごろ寝がいいのでしょうが相変わらず出歩いて、今日もこれから観劇鑑賞会、暑さ真っ盛りの中出て行こうとしています。

昨夜は「第九」のアルトのみの練習日。116人中98名参加だそうで、暑い中会場は熱気でムンムン・・汗が噴き出ました。13時から会議、昼飯も小さなパン1個・・終わってすぐバスに飛び乗り練習会場に・・お腹がすいて・・これでは声も出ません・・・反省しながら・・帰って、もう22時それから食べるのも肥満の原因・・・・冷蔵庫を開けたり閉めたり・・・・なんか食べるかなと思案・・娘が曰く・・我慢して寝ることだね・寝る前に食べてどうするのと・・・。

所で先日健康診断、どこが悪いわけでもないが太りすぎと病院で・・来ていた服の分引いてくださいと、笑いながら・・それでも多いですよ。もっとすごい友が、彼女巨乳の持ち主・・両方のおっぱい10キロ引いてと頼んだとか・・それでもまだメタボと言われ・・・・メタボの限界は元気であれば個人差があってもいいんじゃないかな。

庭は夏の花に代わりました、日中出歩くことが多いので朝6時に起き、花の手入れ水やりなどこまめに・・花は正直なもので手をかければ答えてくれます。

           

          

          

          

  


つれづれなるままに   1548 これ何かわかりますか

2012-06-28 13:04:09 | 雑記

北海道もやっと夏らしい季節になってきました。私はドサンコではありません。杜の都仙台・・たまに仙台弁、発音が違い辞書など調べる時に・・惑うこともあったりと方言はふるさとを離れ50年近くなっても思わず口から出てしまいます。

先日栗山での研修会、栗山町開拓記念館に隣接している泉記念館の展示物、当時の生活用具の中にこれを見つけました。北海道に赴任したのお風呂場にありました。洗濯機です。使ったことはあるでしょうか。

学校卒業と同時に地元の学校に付随する図書館に勤めました。しかしその年の8月、子ども達との触れ合いを求めて北海道の漁村に赴任してきました。当時熊に襲われた小学生が話題に・・熊に食われに行くのかと大反対の家族を説得、2学期からと汽車、連絡船に乗り北海道の地を踏みました。22~23歳ぐらいでしょうか。8月とは言え寒々として家には夏なのにストーブが、大変な所に来てしまったと後悔しても戻ることは出来ませんでした。それ以来私もドサンコの仲間入りをしてしましました。

冬は―20度、ドアを触れる度手にくっいて・・トイレには長い棒が有りました。自分の排泄物は自分で均す、そのままにして置くものなら見る見るうちに山のごとく突起物が、お風呂場にこの洗濯機が有りました。ふたを開け洗濯物、石鹸を入れ、手動で手回し、風呂の入る度にくるくると洗濯したことをこの洗濯機をみて懐かしく思い出しました。

 


つれづれなるままに 1547  ロンサム・ジョージの死

2012-06-27 20:21:02 | Weblog

今年の10月南米エクアドル領ガラパゴス諸島に行くことになっています。

もちろん目的はガラパゴスゾウガメとイグアナ、しかしガラパゴス諸島のピンタ島で唯一生き残ったガラパゴスゾウガメの固有種で、観光客の人気者だった通称「ロンサム・ジョージ」が24日、飼育先のサンタクルス島プエルトアヨラで死んでいるのが見つかりました。
推定年齢は100歳以上、死因は不明で、解剖して死因を突き止めるため、死骸は冷凍保存するといいます。
ロンサム・ジョージは1972年、ピンタ島で唯一生き延びているのが確認された雄ガメで、英語で「独りぼっち」という意味を持つロンサムのあだ名が付けられました。何とか子孫を残そうと、近縁種の雌を使って卵を人工ふ化させる試みが近年続けられましたが、いずれも失敗、世界的にも絶滅危惧種として知られています。世界一有名なゾウガメだそうですが、残念なことです。ジュージの死でピンタ島のゾウガメは絶滅してしまったとのことです。

写真:エクアドル・ガラパゴス諸島にある保護施設で2001年2月、首を持ち上げてゆったりと歩くゾウガメの「ロンサムジョージ」=ロイター

 

ちなみにガラパゴスゾウガメの寿命は150歳、オーストラリアで飼育されている、ガラパゴスゾウガメは175歳、ジュージはまだ人間の年にすると60歳ぐらいでしょうか。

しかし今もなお生存の危機にさらされています。現在の個体数は1万5000頭もみだそうです。島の名前のガラパゴスとは、スペイン語の「galapago(陸ガメ)」に由来しているとか、1535年に島を発見したスペイン人の水夫が、島に生息する多数のカメを見て名付けたと言われています。


つれづれなるままに    1546  ホスピス病棟を考える

2012-06-26 19:37:36 | 雑記

UHB大学「愛と尊厳・・」どの様に死を迎えるか死を覚悟したホスピス病棟での患者との会話、末期がんなど治療の困難な疾患にかかわった患者とその家族が快適な生活を送れる様な支援やケアをするのが「緩和ケア病棟」全国で5ヵ所、今は200近いケア病棟があると言われています

日本でホスピス緩和ケアを提供しようとしているホスピス緩和ケア病棟は少なく、1年間にホスピス緩和ケアを受けることのできる患者数は約2万人と推定されます。一方で、日本の年間がん死者数は2008年の時点で約33万人に達しています。このことは、望んだとしても、癌死者の約6%しかホスピス緩和ケア病棟でのケアを受けられないことを示しています。

ホスピスの歴史は中世ヨーロッパにさかのぼります。当時、ヨーロッパ各地にあった修道院は、聖地エルサレムに向かう巡礼者たちが旅の途中で疲れたり、病気に倒れたとき、一夜の宿と食事を提供した、この修道院の活動が近代ホスピスの源泉といわれています。

私の経験から

ホスピス病棟、ほとんどガンの末期患者に対するケアを中心に行われていると言いますが、助かる見込みのない患者が病院から追い出され行き着くところが「ホスピス病棟」のある病院でした。あと1~2週間の命とわかっていても大病院は、置いてはくれませんでした。もう治療の方法はありません。治療を待つ患者が大勢待っています。その方の為に病室を開け、他の病院へと迫られました。次の病院をと、どうにか探したのがホスピスのある病院でした。主人を説得するために病院を訪れました。ホテル並みの一泊料金個室、結構お高いのですねとの私のつぶやきに、看護婦さんそのために皆さん保険を掛けているのでしょうとの冷たい答えでした。それでも「病院が変われば治療方法もあるかもしれないので、病院を変わろうと」主人にはホスピス病棟とは言えませんでした。

7月12日、大病院からホスピスのある病院へ移りました。病院には痛みのないようにだけお願いしました。病院泊まりになりました。静まり返った真夜中、すすり泣く声と共に毎晩のごとく廊下をベットが移動していきます。今日もまた・・・次は・・とついに8月1日1時何も言わず静かに永遠の眠りにつきました。

ホスピス緩和ケアは最期まで患者がその人らしく生きてゆけるように支えると言いますが、治療方法もない末期がんの患者にはホスピス病棟は死を意味しているようなものでした。

今日の講義はホスピス病棟に長い間関わってきた総婦長さん・・看護婦さんから見た患者・・ガン患者を抱えた家族の心までは分からないことでしょう。

 


つれづれなるままに   1545    花々に囲まれて

2012-06-25 17:14:49 | 

 花の株数は余りありませんが花の種類は数知れず、至る所に花が咲いています。混ざり合った花達、ごじゃまぜの庭も、また乙なものです。

気温20度・・このままお天気が続けば、どんどん花芽をつけることでしょうか。

              

             

                

               

            

             

             

            

            


つれづれなるままに  1544  車入れ替え

2012-06-24 14:05:38 | 雑記

10年間お世話になった車、まだまだ乗れば乗ることができるとは思いながら、新車に変えました。いざ手放すと思うと別れがたく6月初めには届いていたようですが、今日取りに行きました。

10年間乗ったカローラ、亡き主人と山に行くために買った新車、主人は一度も乗ることがなくあの世に旅立ちました。それから10年、娘が引き継ぎ無事故で無事使い終えたことに感謝しながら手放しました。

 

   

新車です。まずは墓参り報告、安全を頼んできました。

 


つれづれなるままに   1543  福祉活動情報交換会

2012-06-23 16:44:48 | 季節感

栗山町との福祉活動の情報交換会と勉強会、栗山での一泊研修会を行いました。栗山は札幌市内から1時間の道央圏に位置しています。栗の木が繁茂しているところ、ヤム・ヒ・ウシのアイヌ語からきているとか、自然豊かな田園都市でした。

開拓の歴史は明治21年、宮城県角館藩士の泉麟太郎らが鍬をおろしたことが始まり、仙台藩主伊達家との関わりがあるとのこと、仙台藩主伊達家と関わりを持つ私としては興味のある町でした。

記念館には開拓期に使用された生活用具や農機具など展示されていました。

     

栗山の歴史と言えば「北の錦記念館」小林酒造、北海道最古の蔵元、北海道で錦を飾ってやろうと、銘酒「北の錦」が誕生したそうです。

敷地内には築100年を超える西洋建築のレンガ蔵や札幌軟石の石蔵が点在しています。

 

今年の大雪で小林酒造の一部の蔵も大分痛手を負い中に入ることが出来ない建物もありました。

 

雨煙別小学校、コカコーラ環境ハウス、戦前1936年に建てられた木造2階建て校舎としては歴史的建造物の建物、1998年コカ・コーラ教育、環境財団の支援で生まれ変わり、宿泊施設として活用されています。

    

研修、情報交換会がメ-ンですが、夜の懇親会も、貴重な情報交換会の場となりました。

 


つれづれなるままに  1542  100億対14億

2012-06-20 08:47:22 | 雑記

UTB大学昨日は「北海道フットボールクラブ」会長の講義 市民クラブチーム・コンサドーレ J1昇格したものの今は最下位に留まっていますが、是非応援に来てください、皆様の力が欲しいと。

日ハムとコンサドーレの事務所は隣同士とか、隣の賑やかさに比べ、何時も静まり返っているとのこと、日ハムは年間140試合、2連戦、3連戦、6連戦、9連戦までありますがコンサドーレは年間40試合、それも土・日のみ、試合がない時はホームグランド、コンサドーレ札幌宮の沢白い恋人サッカー場などで練習しているとのこと、無料なのでぜひ見学に来てほしいとのことでした。地域活動も活発に、施設訪問、学校訪問、コンサ100年森づくり、またサッカー教室、ジュニア育成にも力を入れているようです。

6月23日厚別公園競技場にて試合があるそうです。1度足を運んで応援してくださいと。サッカーは45分の試合中目が離せません、ビールなど飲んでいる暇などないようです。ビール売り子が通るのさえ・・・じゅあま・・見えないと・・どのスポーツのフアン同じですね。

日ハムはスポンサー付、コンサドーレは市民の寄付金がかけがえのない力だそうです。年間100億円の日ハムに対してコンサドーレは14億の予算、一度観戦に行かねばと思いながら話を聞いていました。


つれづれなるままに 1541 まさかの一発

2012-06-18 15:41:32 | 季節感

9回、勝ちの赤い風船を膨らませながら勝利間違いないと3万9千の観客は今か今かと風船飛ばしを待ちました。

まさかの一発・・会場からは風船の空気がぬける音のみ・・静まり返ってしまいました。

久しぶりでファイターズの応援に行きました。赤いタオルをいただき赤い風船も、ファイターズの打者が立つ度に応援、まずは赤いタオルを全員で振ります。タッタタタタ タッタタタタ・・・。

  

7回、赤い風船は天井まで届く勢いで上昇・・お隣さん何やら大きな袋、けんすけの時はけんすけ用プラカード、稲葉選手の時はウチワに41の文字等全ての選手のプラカードやタオル、次々と選手が変わる度出てきます。見ていても忙しそう・・フアンはこれでなくてはね。

  

 

ヤクルト応援団・・・ヤクルト応援団もビックリ、全員言葉なし、ドット疲れが来ました。

  

 

 

 


つれづれなるままに   1540 女性だけの懇親会

2012-06-17 10:11:14 | 季節感

珍しく町内の女性部がカラオケ設置の居酒屋で懇親会を開きました。昼はいろいろな行事とぶつかり町内の行事には不参加が多い中、今回は夜と言うことで参加をすることにしました。役員も世代交代、女性部も若返りました。前は手芸教室、喫茶店でのランチ、お茶会に留まっていましたが、昨晩は飲み放題、カラオケ歌い放題・・日頃お会いすることのない方々も参加・・・ビックリするやら驚きの連続でした。女性のみ・・歌う、踊る、飲む、お酒の飲み方は男性顔負け・・ビール3杯は当たり前、歌う人は一人で満悦、誰も聞いていなくとも満足な顔して歌っています。

   

えてピンボケを出しました。こんなに主婦は外ではハジケルのでしょうか。終わって2次会へみな連れだってまた歌い飲みに行きました。帰りの送迎バスには半分もいたでしょうか。

帰って布団中・・電話が鳴りました。今日のご年配の参加者から、これでいいのかと・・女性としての恥じらいはないのかと・・抗議の電話でした。

私たちの年代とは違う10歳違っただけで考え方違ってくる・・若い方でも町内の役員を引き受けて私たちのために企画した今回の懇親会、主婦の皆さんが楽しむことができた「いいんじゃないの」と興奮している彼女をなだめました。話が出来たのでスッキリした、これでグッスリと眠れるわと。

カラオケを歌う場所などに行ったことがない主婦はあの雰囲気には付いていけないかもしれません。昨晩は女性のみ・・歌う人は声高らかに・・おしゃべりする人はまた一段と歌に負けじと声を張り上げ・・その中にいるだけで私も疲れました。

 

 


つれづれなるままに  1539  子育てボランティア

2012-06-15 16:13:54 | 雑記

10時から14時までの5時間、月1のボランティア、4ヵ月の乳児から3歳までの幼児、子どもは子ども同志、おもちゃの取り合い、同じものを欲しがります。

  

親から離れられない子供もすぐお友達に、大型自動車、滑り台、キッチンセット何でもそろっています。

  

トランポリン、一人乗ればわれ先と場所の確保、・・ニラミアイ・・お母さんや私たちは、怪我のないように見守るだけです。結構疲れます。

 


つれづれなるままに  1538 おかしぞ 今年の天気

2012-06-14 11:32:41 | 季節感

抜けるような青空にさわやかな風薫る6月、今年は少し違います。日差しがあっても気温が上がらない、冬も寒かった、さくらも梅も遅かった。

6月・7月の気温は植物の生育に左右されます。アスパラもサクランボも、地植えの家庭菜園も影響が出ています。地元のイチゴも2週間遅れだそうです。

6月に入って衣替え、半そで姿が目立つ時期、しかし朝・夕ストーブが欲しい。天候不順と言えばすぐ「やり玉にあがるのがエルニーニョ」南米沖の海面水温が数年に1度、大規模に上昇し、世界的な天候不順を招く現象として知られています。日本には、長梅雨、冷夏、暖冬をもたらされていると言われますが、そのエルニーニョ、今年は発生しているかまだ分からないそうです。ともあれ早く暖かくなってほしいものです。

6月21日1泊研修旅行、7月5日から2泊3日東北旅行、8月27日3泊4日三重・奈良地方への姉妹旅行 、9月22日「第九」コンサート、 10月4日からガラパゴス(10名集まれば)、戻って18日から大分県での研修会、それが終われば、もう冬支度が始まります・・そしてまた年を重ねて行くのですね。


つれづれなるままに    1537  苗は植えたものの

2012-06-13 13:30:53 | 季節感

この数週間気温が低い日が続いています。1週間にわたり庭の木々を剪定・・いやただ切りつめただけですが、今朝はゴミ袋6個、枝の切れ端大量に出しました。

木、枝のゴミは無くなりましたが、上を見上げるとまだ木は伸び放題、おまけに毛虫が大発生、消毒薬を散布、庭の手入れは手間がかかるものです。

2~3日前に植えたキュウリの苗、ゴウヤの苗・・・どうにか伸びだしたようですが、この寒さ収穫は期待できるのでしょうか。庭は全て花のみ、お野菜はプランタンと言うことになlってしまいます。

 


つれづれなるままに   1536   花・花・花

2012-06-11 20:40:46 | 

果肉植物、冬は水やりを控えます。可憐な花、ボタンのような葉っぱがどんどん増えてご近所さんにおすそ分け。

        

                   5寸アヤメやトルコキキョウ余りの小粒に見落としそうになります。

  

                 黄色い茄子科の植物…バラ・・白・ピンクのハマナス

 

                  ミヤコワスレ・・切り花に最適ですね。

  

               破れ傘の花も満開…大手まり・・本当に真ん丸、真っ白です。

   

          玉ドウダン・・シャクナゲ今年は花付がイマイチです・

 

庭を見渡すと、いろいろな所から可憐な花が顔を出しています・・見落としそうな花を見つけるのが朝の日課、毎朝庭に出るのが楽しみです。

 

 


つれづれなるままに    1535 施設での生活

2012-06-09 20:32:39 | 雑記

一人になり施設での生活、3食昼寝付とは言え不満を言ったら切がありません。みな家庭に居られない何らかの事情があっての施設暮らし・・・土・日に息子さんが家に連れて帰る生活が1年、午後自宅に帰る前に我が家に顔を見せました。今日は自宅泊りとあって、我が家で夕食を食べてから、自宅まで送ると・・久しぶりで我が家で夕食をゆっくりと食べおしゃべり、施設での毎日の様子を話してくれました。

程度に差があるにせよ、認知症の方が大半を占めています。トイレまで間合わず垂れ流し・・夜など足元が怖くてトイレに行くのが恐ろしい・・その方が入った後の風呂は絶対嫌だ・・・食事は5時に終わり後は寝るまで時間が有りすぎる・・夕食の残りが朝出されることもある、パンが食べたいと言ったらパンだけ、バターも付いていなかった、会話がない、同じことばかり繰り返して聞き飽きた・・・私もうんうんと聞きながら・・あなたも余り変わりがないのよと言いながら

でもね・・あなたは幸せよ・・施設に入ることが出来、息子が毎週泊りに来てくれる・・だから家にだって帰ることができるのでしょう。施設に入りたくとも入れない人もいる・・家に戻りたくとも子ども達は迎えに来てくれない・・・バカ言ってんじゃないの・・・

食欲がないと言いながら・・天ぷらもご飯も味噌汁も・・すべて平らげ・・愚痴をこぼしてスッキリしたのでしょう・・・股関節が痛いとあまり歩かないヨリさん・・我が家からゆっくりと歩いて送って行きました。

今夜は口も体も十二分に動かしたので、ぐっすりと自分のベットでお休みでしょう。 また寄って・・・おしゃべりしましょ。