つれづれなるままに  412  年の瀬

2007-12-30 15:28:13 | 雑記
歩いて渡れるほどの浅い所を「瀬」と言いますが、川は岸が近く浅いほど流れが急で早い事から、新しい年へ渡ると言う意味で「年の瀬」と言うのだそうです。

今年も気がつけば、あっと言う間の「年の瀬」新しい「年神」をお迎えするお正月の準備は整いましたでしょうか。

伝統行事、元日は「大正月」1月15日は「小正月」といって女性のお正月とも言われています。いづれも新年の豊かな実り願う儀式でもあります。

おせちの準備は出来ましたでしょうか。
おせち料理の材料は「縁起をかつぐ」意味もあり「きんとん」は小判など黄金などの財宝、錦糸卵は「金と銀」かまぼこは「紅白」で平安、黒豆の黒は魔よけの意味でもあります。

昔は正月三が日はお店もお休み、したがって4~5日分の食料の買い込み、一家総出で料理を作ったり掃除をしたりと、私が実家に居た頃も、女の子は母親の手伝い、父は神棚の掃除、外回りとみんなで手分けして、その日に外出などしようものなら、父から「大目玉」娘達を怒るのではなく、母にお小言がいく様で、母から家に居るように言われておりました。とは言え私は三女、上の姉が料理の手伝い、下の妹は小間使い、私ときたら、ぶらりぶらりと、あちこて見てあるく程度

お雑煮の中身は、にんじん、切り干し大根、いとこん、肉、しみ豆腐、からどり、そしてだしは「ハゼ」干した魚、それに御餅が入り、なると、みつ葉と入る具沢山、それに御汁粉、こしあんに決まってます。こしあんは大量に作り保存、食べる分だけお鍋に入れて砂糖を加えてぐっぐっと、これはお鍋を常にかき混ぜて居なければ、焦げるので、この仕事は喜んで私が、味見をしながらやっていました。正月にお雑煮、おしるこを食べる習慣は仙台地方のみで北海道に嫁ぎびっくりされました。もう一つ大晦日「お歳取り」には欠かせない「ナメタかれい」の煮付け、意味は分かりませんが、大晦日食卓に必ずのっていました。

父を中心に、紅白を聞きながら(ラジオ)お酒が入り、娘達が揃い上機嫌の父、まだ忙しそうに立ち振舞っている母の懐かしい姿が浮かんできました。

今年も、孫はお嫁さんの実家での正月、昨日喜んで帰っていきました。1日にはもう店が開きます、娘と二人今年も静かなお正月、料理も余り作らなくても、ご近所さんからいろいろな差し入れがあったりして、間に合いそうです。ただ御汁粉だけは、たっぷりと作り、小分けして冷凍庫に保管、結婚当初は、張り切って仙台の正月料理でしたが、大好きな御汁粉、これだけになりました。

今年もブログ良く書きました。つたない文章、誤字脱字に関わらず多くの皆様に読んでいただけた事に感謝しております。ありがとうございました。また来年も元気でブログ書き続けたいと思います。


  来年も皆様にとってよき年でありますように、心からお祈り申し上げます。

つれづれなるままに  411  お霊供膳(おりくぜん)

2007-12-28 14:39:53 | 雑記
近所、友のご主人が亡くなって、今日は初七日、お坊さんが10時に来ると言うので、早めに出向きました。
お花もある、お菓子も「お霊供膳」も・・・「お霊供膳」のお茶碗から何かがはみ出ている、よーく見ると、何かパンの切れ端にジャムが付いたのが載っているよう、改めてお膳の中を見ると、お煮しめの椀にはぶつぎれのだいこん汁が入り、お茶碗の蓋には卵焼の切れ端が・・・。
「お霊供膳」の中身は普段食べているものなら何でもいいとは言え、友は80歳、ある程度常識をわきまえている友であったが、春頃から少しずつ痴呆が進んできたようで、子供とくれば、日本を離れ、アメリカ生活20年、学生時代から日本に戻ることなく、ましてやアメリカ人との結婚、日本の風習など分かる訳もなく、「お霊供膳」のお茶碗の並べかたや中に盛り付ける物など、母親の助言なくては出来ないのは当然、しかしそれすら、娘に助言できないのでは、何か心配になりました。
朝炊いたご飯、味噌汁、酢の物、煮しめ、豆等、そしてお茶か、お水、普段、口にする食べるものであれば、なんでも良いとは言え、今日はおかしいよ、今日だけでもご飯にしなきゃあー。
ご飯も円く盛る、これは墓のイメージ、亡くなった時自分の茶碗にご飯を円くこんもり盛る、これも墓のイメージだとか、せめて49日までは何とかしなさいと言いましたが、
娘は後10日ほどで、母一人置いて帰っていきます。これからが「お霊供膳」どころではなく、一人の生活、自分の食生活もまま成らぬ事に成りそうな友の事を案じています。

つれづれなるままに  410   巻き戻し

2007-12-27 11:29:09 | 雑記
     忙しい年の瀬なのでしょうか。いやいやもしかしたら・・・・

         探し物をしに、二階へ行きました。

         何を取りに来たか忘れました。

         私の頭のネジを順番に巻き戻しましたら

           思い出しました。

         そしてまた二階に行ったら忘れました。
     

つれづれなるままに 409 年賀状

2007-12-25 19:30:53 | 雑記
人類社会には、古代から年賀の習慣があったようで、エジプト、メソポタミアいわゆる四大文明にも新年を祝う宗教的な儀式があり、人類が狩猟民族から農耕民族になり、種まきや刈り取りなどの時期を知る為に「暦」が誕生し、天体の運行から1年は365日あると発見されました。「暦」は世界的に統一されている訳でもなく、「正月」にあたる季節は国によって異なります。


年賀の習慣は、当時家族内の狭い範囲でお互いに顔を合わせて行いましたが、社会構成が複雑になり、その日に直接会えない親戚や知人に年賀の意を伝える為、また文字、紙の普及と共に、書状が交わされるようになりました。


日本は百済から中国式「暦」が伝えられたのが6世紀、大和朝廷が採用したのが7世紀、紙が比較的容易に手に入れることが出来るようになったのが7世紀半ば、これから考えると日本に年賀状が取り交わされるようになったのは7世紀以降、その後「駅伝」「飛脚」などの制度が確立し、大名や武士が「賀詞」を述べる書状など多く出されていましたが、庶民も手紙を出すようになりました。しかし必ずしも1月1日ではなく結構のんびりと。


1702年に編まれた雑俳撰集に
   「六月に年賀の礼は かえり花」
      年賀の返礼が、梅雨のときに届いたのでは狂い咲きの花のようだと。



その後1937年、日中戦争が始まり、次第に年賀状どころではなくなり、1940年には取り扱い中止になり、1941年、太平洋戦争突入「年賀状」は戦争と共に消えました。


今は「年賀はがき」と言えばお年玉付き、これは1949年。年賀状が戦前のように復活すれば、お互いの消息も分かるだろうと、この発送は一般市民のアイデアで実現しました。年賀状も歴史をたどると、1年の始まりを祝い、また平安を祈る、平和の象徴の証なのかもしれません。


今日まで、年賀を出してください。と

毎年木版画、まだまだ思案中、1月7日までは「年賀」、それ以降になると、「寒中見舞い」 立秋(2月4日)を過ぎると「余寒見舞い」となってしまうそうです。
さてどうなりますか。

つれづれなるままに 408 今、サンタさんは何処の国を回っているかわかりますか。

2007-12-24 23:23:45 | 雑記

フィンランド、ロヴァニエル郊外の村サンタクロース村からの生中継のテレビを観ながら2年前オーロラ、サンタクロースに会いにフィンランドを訪れた事を思い出しました。

 

         

 

サンタクロース村 、サンタさんがいつも住んでいます。サンタさんが働くオフィスには世界中から子供たちの手紙が届く郵便局があり、今日はその手紙の選別に多くのサンタさんが働いていました。テレビ生中継で日本時間21時、サンタさんがトナカイに乗って出発しました。フィンランドの時間は、時差は7時間、1時頃でしょうか、

 

今、サンタさんが何処を飛んでいるか分かります。

NORSD(ノーラッド:北米航空宇宙防衛司令部がサンタクロースをレーダーで追跡し、サンタクロースの現在位置や行動をつぶさに報告しています。サンタクロース村を1時に発ち3時間ほどたちました。

 

この時間はMalaysiaの子供たちにプレゼントを配っている所です。お疑いの方は

  http://www.noradsanta.org/jp/default.php  これでみてください、明日は何処に居るの

か。日本にはいつ来るか分かるかも知れません。夢があっていいですね。

 

サンタクロース村のサンタさんの家です。トナカイぞリにも乗りました、すごいスピードでした。
  

                      トナカイ牧場でサーメ人の方と

 

 

 今日はテレビを見るまでクリスマス忘れていました。

今年のクリスマスは、ツリーもリースも飾らず、心のゆとりがなく日々を過ごしてしまいました。

昨日身近な人が旅立たれました。今日はもう壷の中、骨を拾い骨壷へひとつひとつ入れながら、夏は一緒にビールを飲んで「うまい」などと言っていたのになーと、人間の儚さを感じました。

 


つれづれなるままに 407  「星の王子さま」

2007-12-22 09:33:09 | 雑記
 

 「星の王子さま」

 

 

昨晩 BS千住真理子と過ごすハイビジョンの一日「星の王子さま」南果歩さんがフランス、リヨンの生家や子供の時遊んだ場所、この物語の行方不明になったサハラ砂漠、最後に亡命し執筆したニューユークのアパート、彼の足取りをたどる2時間ドラマでした。

 

先日箱根サン=テグジュペリ「星の王子さまミュージアム」を訪ねたばかり、本も買い読みました。懐かしくドラマに見入ってしまいました。

 

「この本は大人に捧げたいと言うのも大人は誰でも、もとは子供だったから」書き出しは始まっています。

 

この物語は砂漠に不時着した飛行士の前に、不思議な金髪の少年が現れます。その少年と話している内に、その少年の事が次第に分かってきます。星から来た「星の王子さま」でした。

バラとの諍いから住んでいた星をさって幾つもの星を巡り地球に降り立った事、その旅の途中で様々な出会いを話してくれる、王子さまの言葉に耳を傾けている内に、いつしか喉の乾きも、命の危険も忘れてしまいました。最後の一滴の水がそこをついた時、王子さまは、井戸を見つけてくれます、水は命そのものと

 

サン=テグジュペリが実際にサハラ砂漠で飛行機が不時着した体験をもとに書かれています

   「心でみなけれが よくみえない 大切なものは 眼にはみえないのです」と

 

 

物語は幾つもの短編に分かれています。大人も読んでも意味を理解するには難しい気がします、しかし子供にも理解しがたいと言うのではなく、子供は子供の心で読むことでしょうし、大人とはまた違った感情を持つかもしれません、でもこれで良いのだと思います。大人になり、またこの本を手にした時、改めて本の良さを理解する事でしょうから。

 

 

クレスマス家族でこの本を改めて読んでみるのもいかがでしょうか。家の本棚の中、何処かに眠っているかもしれません。


つれづれなるままに   406 眼の見えない「めんめちゃん」

2007-12-20 21:30:13 | 
道新の夕刊、獣医さんの話、生まれつき病気の猫ちゃんの話が載っていました。私は、猫好き、子供の頃から、我が家には猫が居ました。寒い冬など寝る前、姉妹で湯たんぽの代わりに猫の奪い合い、しかしわがまま猫、私達が眠るや否や、自分の居場所に移動、それでも朝の寒い日は、ドロだらけの足で、布団の中に、私達の布団はざらざらと汚れ、びっくりして飛び起きた思い出があります。

東京から転勤、団地に落ち着きました。ある時、主人が2階の階段に蹲っている、子猫を連れてきました。団地は生き物禁止、しかし可愛そうなので内緒で飼う事に、女の子なのに「太郎」と付けました。この猫肩の上が大好き、いつも私の背中に飛び上がり、すまし顔で、そのまま外を散歩、道行く人を驚かせました。

その後郊外に引越し猫様の環境はバッグン、彼氏も見つけ、子供を生みました。男の子、1ヶ月、2ヶ月たっても眼が開きません。目玉がないのです。可愛そうなので「めんめ」と名付けました。もう2匹猫が居ました。めんめちゃんが外に行くときは3匹一緒、走るのも、歩くのも泣き声で誘導、木にだって一緒に登り下りる時は、足のほうから上手に降りて、下では3匹心配そうに待っているのです。猫にもやさしい気持ちがあるのだとしきりに感心したものです。外で何か悪いものでも食べたのでしょうか、そこまでは親猫も、目が行き届かなかったのでしょう、3年で亡くなりました。

後の2匹の中の白い猫「しろちゃん」この子も真っ白な子猫を産みました。名前は「ゆきちゃん」、元気な男の子で母親と庭を駆けずり回りやんちゃな可愛い子猫でした。ある時外出から戻ると玄関前、箱の中に花が添えられタオルで包まれているゆきちゃんを発見、車に撥ねられたようで、近所の方が病院へ直ぐ連れて行ってくれたそうですが、だめでした。その夜みんなで泣きながら庭に葬りました。母親のしろちゃんは子供の分16年も長生きし、老衰で眠るように亡くなりました

結婚してから、昨年15歳で天に召された「てっちゃん」そして今居るダニーちゃんが7匹目、猫も長生きするようになりました。ダニーちゃんは7歳、この子が最後でしょうか。看取ってやれるのも。

つれづれなるままに    405  ビリケンさん 100歳の誕生日

2007-12-19 10:08:01 | 雑記

大阪のシンボル「通天閣」の展望台に奉られている子供の神様

なんと今回、箱根旅行、箱根湯本のホームに、寒さに耐えながら毛糸の帽子をチョコッとかぶりっている、ビリケンさん なんでーここにと。大阪にしか居ないと言ってたのにとびっくりしました。顔そっくり、但しキンピカ、足の裏のヘッコミもリアルに、大分触られたようで、黒ビカリ、チョットだけおさわりしてきました。

 

         湯本のビリケンさん            大阪「通天閣」のビリケンさん  

               

 

ビリケンさんはアメリカの女性芸術家が夢の中にあらわれた妖精をモデルに作成したもので、足の裏をなでると、ご利益があるといわれています。ビリケンさんの名は1908年作者が制作した年の、アメリカ大統領のニックネームだそうで、来年はビリケンサン100歳のお誕生日だそうです。

 

日本では余り知られていませんが、アメリカ、セントルイス大学のマスコット、

ご存知の映画「哀愁」主演ヴィヴィアン・リート、ロバート・テイラーその中でもこのビリケン、マスコット2人の間を行ったり来たりしているそうです。もう一度確かめねば、映画を観て

 

兵庫県にも居るようです。まだどこかに居るかもしれませんね。


つれづれなるままに  404 箱根美術館めぐり  Ⅱ

2007-12-17 12:41:43 | 旅行

箱根彫刻の森美術館 1969年に富士箱根伊豆国立公園の中に開館した野外美術館、さしずめ札幌の芸森の野外美術館と同じだと思います。70,000平方メートルの広々とした、芝生の中に沢山の彫刻が展示、札幌と違う点は、近代・現代美術を代表する世界的な巨匠達、ロダン、プールデル、ミロ、ムアー、岡本太郎など名作がそこかしこに展示され、のんびりと、椅子に座って鑑賞もよし、お弁当もよし、疲れたら、天然温泉足湯まであり、子供たちが心行くまで作品に触れ遊べる作品がいっぱい。

 

       広々とした園内                         岡本太郎「樹人」

   

 

 

 

 

ボクシングをする2匹のウサギ                  使者たち

 

 

 

        横たわる像                        密着          

 

 

 

                   ミス・ブラック・パワー

 

 

ピカソの長女マヤ・ピカソから購入した188点の陶芸作品を中心に、油彩、素描、版画、彫刻、ガラス工芸、タピストリー、とコレクションを展示され、またピカソの新しい作品にも出会いました。

  

  

札幌はすっかり雪景色になりました。箱根の12月半ば、この暖かさか豆柿がたわわに実り、芝生では親子づれ、カップルと楽しげに芸術鑑賞、雪のない生活もいいものだなーと、しばし、私達も楽しみました。

 

 

6回目の旅は、さー何処にしましょうか。姉妹とはいいものです。全員元気で来年、また会いましょう。


つれづれなるままに  403  箱根美術館めぐり Ⅰ

2007-12-17 10:27:45 | 旅行

箱根には多くの美術館があり、今回の目的もその美術館を訪ねることにありました。

 

ポーラ美術館

「箱根の自然と美術の共生」アプロードブリッチを渡ってエントランスホールへ

2002年9月オープン

 

 

このポーラ美術館は化粧品で有名なポーラグループのオーナーでもある鈴木常司氏が40年余をかけて収集した美術作品、総数薬9,500点を所蔵、半年後とに展示を入れ替え、今回は開館5周年記念として、「モネと画家たちの旅ーフランス風景画紀行」展フランス各地の美しい風景をモネの作品「睡蓮の池」、ゴッホ、「アザミの花」、ルノワールの「レースの帽子の少女」、ルソーの「異国風景」セザンヌ、ジャガール、エミール・ガレ、日本の画家達の作品も多く、岸田劉生の「麗子坐像」これだけの幅広いコレクションをわが国で鑑賞できるすばらしい事です。たっぷり2時間見とれました。

 

 

 

箱根ガラス館

クリスマス、クリスタル・イルミネーションの真っ最中、ライトアップの時間が最高だったのでしょうが、ベネチアン・グラスの伝統技法、レース・グラスやミルフェィオリ・グラスて作られた「聖母マリヤ」のレースの装飾、レースこれがガラス工芸かと思うほどの細かさ、初めて見ました。

 

 

 

 

箱根ラリックス美術館

 

 

ルネ・ラリックス、フランスを代表する宝飾とガラスの工芸家、私は名前も知りませんでしたが、姉達はこの美術館ではこれを観るのだと、「蝶の女」羽ばたく蝶の中に女性像、ネックレス「ツバメ」、髪飾り「麦の穂と蜂」繊細な作品で、これがガラスでできている事自体不思議な気がしました。香水のビン、これもガラスの装飾がすばらしい、老眼鏡をししっかりと見てきました。お見せしたい。

 

 

アガサ・クリスティーやマレーネ・ディートリッヒ、各界の有名人が魅了した、青いプリマドンア「オリエント急行」の内装はラリックスの150枚以上の豪華なガラス・レリーフで飾られています。特別展示、予約制、見ることが出来ませんでした。

 

 

 

「星の王子さま」ミュージアム

王さまの星のスタチュー「B612広場」この星の王さまはB612番目の星小惑星

 

 

「星の王子さま」子供の頃この絵本を手にしたことがあることでしょう。サン・テグジュペリ生誕100年を祝って1999年6月、1930年代から彼が歩んだ風景を再現、街は「星の王子さま」の名がついた通りになっています。

  「大切なことわね、目に見えないんだよ・・・」「星の王子さま」は語りかけます。

     あなたにとっても、目に見えない大切こときっとあるはず。

 

 

「地理学者通り」                     1900年代のリヨンを再現した通り

 

 

 

成川美術館

芦ノ湖と富士山が目の前に見えるすばらしい所に建ったいます。

昭和63年、成川實氏、自分が収集したコレクションを多くの方に見せたい、見ていただきたいとのことで実現、今年は20周年記念の年、現代日本画家の第一線で活躍している方々の作品、日本画の魅力も再発見しました。館内の展望室から芦ノ湖富士の大パノラマを眺め疲れを癒してきました。

 

         

 


つれづれなるままに  402 4姉妹の旅

2007-12-16 17:21:05 | 旅行

携帯は便利な物で、3日間、毎日、携帯で簡単な写真文章ブログ送りましたが、写真がイマイチ、小さい、これは仕方がないのでしょうか。

 

 

千歳をで、羽田、品川、と乗り換え、新宿集合12時、東京在住二人、仙台、そして私は札幌と4姉妹、10年、13年、16年、18年生まれ、と昔は姉妹5~6人はあたりまえ、4人もいると、性格も、顔かたちも、バラバラ、言いたい放題、それでも1年ぶりの再会、余り多くを語らなくても、お互いの健康を確かめる良きチャンスなのかもしれません。

今回は5回目、五島列島、四国、熊野古道、北海道、そして今回は13年生まれの姉の提案にて箱根芦ノ湖近郊3日間、タクシーをチャーター富士山を毎日眺めながら、登山鉄道、登山ケブルカーと乗り継ぎ、荒涼とした大地に白煙が昇り硫黄の匂いが立ち込める大涌谷(1044m)を一跨ぎ、桃源台駅、芦ノ湖まで往復、箱根に点在する美術館を楽しみました。

 

 

                朝、強羅から美しい姿の富士山

 

 

あっと言うまに雲が

 

 

 

朝、6時ホテルから眺めた赤富士

           

 

 

早雲山駅から大涌谷ロープウエーへ向かう途中、雲に隠れてしまいました。

 

 

車を降り大涌谷噴煙地帯を散策、卵が数分で茹であがります。

「黒たまご」一つ食べると7年長生きすると言う、曰くつきの卵も食べてきました。

「黒たまご」のお土産も買いました。

北海道にも、このような場所があちこちに、硫黄山、登別と日本がいかに火山国か分かるような気がします。この噴火口、今もあちこちで新しい噴火口ができ道路脇の石垣の中からも、噴煙がで、つい最近噴出したばかりとか。至るところにロープが張られています。この800度の湯の中に落ちた方がいたとか、そこら中、足元からも噴煙が立ちこめていました。

 

 

 

 

 

4~5年前にも訪れました。そのときは山越えの箱根ロープウエーは開通せずに芦ノ湖周辺、箱根、芦ノ湖スカイラインを、バスで箱根関所など見学、今回は、新宿小田急ロマンスカー、箱根登山鉄道、箱根登山ケーブルカー、そして箱根ロープウエーと大涌谷を越えて芦ノ湖桃源台まで、空中散歩、前日は雨模様、霧と、風が大涌谷をふき抜けロープウエーはぶらんこ状態、標高差が200mもあるとか、富士山が見えないばかりではなく、恐ろしいほどのスリルを味わいました。が・・・次の日は穏やかな空中散歩、富士山の姿も、前日の雨が富士山のすそのまで白く、美しく輝いていました。

 


つれづれなるままに 398 「サントリー1万人の第九」終へ

2007-12-12 10:15:22 | 雑記

 

 

 

一番先に、この事を取り上げなくていけませんでした。

今回は25回記念とあって、いろいろなイベントが組まれておりました。

1983年に産声をあげた「第九」初回からの参加者一万人の中に80名、立ち上がり皆さんの喝采をあびました。小学生の子供さんからシルバー世代まで、サラリーマンの方、熟年夫婦あり、学生と、全員ドイツ語、完全に暗譜での本番、初めはドイツ語などチンプンカンプン、覚えるだけで精一杯の私も、3年目、5回の出場、歌ですべての人達と分かち合える喜びは、自分達の合唱団では味わうのとは、また違った感動でした。

第一部は指揮者、佐渡総監督、この日の為に作られた、久石 譲作「ORBIS]一万人の合唱で、静かに幕をあけました。毎年さまざまな音楽ジャンンルのゲストを迎えているようですが、今回は「中島 美喜さん」オーケストラとの共演は初めて、「緊張しました」と、彼女の歌声のうつくしさ、可愛らしさ、改めてフアンになってしまいました。

共に歌った「きよしこの夜」「ホタルの光」ペンライトをいつまでも振りながら、胸にジーとこみあげてくるものがあり、参加して本当に良かった、”歌”うことのすばらしさを改めて感じました。当分やめられそうもありませんね。

12月23日(日)14時からのテレビの放映が楽しみです。