つれづれなるままに   2506  あの余でもこれからもボランティア

2017-11-30 15:01:39 | 雑記

死後、家族が悲しみにひたる時間さえ与えられず、すぐ葬儀の準備が斎場の方の手で行われます。坊さんは・・戒名はと矢継ぎ早に・・棺はどれ、着せる着物はどれ、写真は写真の枠まで

事務的に行われる葬儀の準備・・まだ動揺している家族にとっては、あれもこれもとしてあげたい・・お金が掛かることも忘れます。

戒名必要なのでしょね。仏教において、仏門に入った証し、戒律を守るしるしとして与えられる名前だそうですが、自分の名前ではいけないのでしょうか。

ヨリさんの位牌も出来上がってきました。墓石にも戒名が掘られました。

位牌は四十九日まで準備とか、この日で死後の霊の行き先が決まる日とされています。

もうあの世に着いたことでしょう。全て四十九日まで整いました。上の文字光で見えませんが「寿峰浄道大姉」

 

いそいそとあの世でもボランティア楽しんでくださいな。


つれづれなるままに 2505  騒がしい世の中

2017-11-29 17:31:11 | 雑記

アメリカ娘は戻って右翼か左翼かそんなブログを発信しています。

日本に住んでいる我々は、目まぐるしく変わる毎日のニュース

今は大相撲の暴力同じニュースを毎日、何時間も、どのテレビチャンネルをひねってもおなじ・・ついテレビは観ず

コメンテーターが違えば話はますますややこしくなって・・・言いたい放題・・いずれ収まるところに収めるのでしょう。

日本海は次々と木造船が漂着、頭の上はミサイルが飛んでくる・・足元だってツルツル路面、毎日病院に担がれる人が多発

2ヶ月に1回の割で行く内科・・先生はヨサコイ仲間

インフレエンザどうする・・注射したことないから・・あそー、でおわり

肺炎は・・もう年齢が過ぎたので高いわよ・・そのうちねと

血圧120なのに・・いいねと薬をくれる・・飲んだり飲まなかったりしているのに

先生の顔を見に行くようなもの・・ヨリさん死んじゃった・・私のヨサコイ半纏を着てと報告

位牌は我が家にお泊り・・我が家の皆さんと食事を共にしているよと。

今年の「つぼてんグループ」の忘年会は12月29日(金)先生の仕事収めの日に。

12月、またまた慌ただしい日々、忘年会に明け暮れて終わるのでしょうか。

岩沼コンサートに久しぶりで参加12日から18日実家仙台に一週間、楽しみも。


つれづれなるままに  2504  綿雪

2017-11-26 20:35:43 | 季節感

今年は暖冬だと言われながら毎日雪に見舞われています。第4回目の子育てサロンフェスタも無事終わりました。

朝起きたら雪景色、手で綿をちぎったような大きな雪の塊が落てきています。・・気温は4度とか   

 

水分を含んでいるので重い・・今日の参加者はこの雪・・遊びに来てくれるか心配しながらの開催でした。

スタッフ、ボランテイアのお蔭で何とか子どもさんに喜んでいただけたかなと思っています。

これはスタッフ一同でチラシプールに使うチラシをほぐす仕事・・・楽しみながら・・・。

皆さんのご協力ありがとうございました。


つれづれなるままに   2503  三七日忌(みなぬか)

2017-11-22 19:18:07 | 雑記

ブログを書くには、疲れて夜遅く帰還、昼は26日のフェスタの行事に明け暮れています。

今日こそはと机に向かいパソコンを徐に開いて、さーてと・・・ブログを

まて・・今日は22日、夫婦の日だとか、大工さんの日だとか言っているけど

ヨリさん三七日忌でしよう。

忙しいとは言え、仏壇にいつも、美味しいお菓子がお供、でも我が家の方たちの分のなです。

さてさて・・

亡くなってから21日目故人が集まって偲ぶ日だとか・・私の所に催促にきたかな・・。

亡くなって49日までは7日間に一度、審判の日が来るとか・・

よい審判が下るようにと法要が営まれる、最終日は7日目の四十九日をもって浄土に旅立っていく

そして喪が明けるのだそうです。

四十九は11月29日、それまでには位牌も出来上がってくることでしょうか。

それから・・お供え奮発しましょうか。

 

 

 

 


つれづれなるままに   2502   ふたなのか(27日目)

2017-11-16 14:16:54 | 雑記

あわただしい日々が続いた1ヶ月、ヨリさんが亡くなってふたなのか(27日目)早いものです。昨夜はアメリカから到着の電話、14日に日本を発って、地球の裏側、気温も差ほど札幌とは違わないようです。ただ雪が少なく気温は低く、苫小牧、浦河など日高方面とあまり変わらないのかもしれません。

余り思い出に涙ぐむこともなく・・施設に行けば会える、そんな気がしてなりません。仕事も追い込みに差し掛かりました。そんなこんなで気がまぎれているのでしょうか。

携帯写真、ブログ、手帳などよく登場していたヨリさん

9月30日はロビーでくつろぎ・・コーヒーとクッキー

10月13日は旅行仲間病室で大声で・・ドイツ旅行の思い出サンタルチアを合唱

その後は娘の差し入れ・・大学いも・・毎日のように食べていました。マクドナルドの時も

10月20日おはぎ2個・・これが大食いの最後だったでしょうか。

後は徐々にアイスになり、ぷりんになり、ジュースになり、がりがりクンキャンデーと食が細くなっていきました。

亡くなる一週間前・・葬儀はと本人の目の前で話を・・・聞こえていたかどうかは分かりませんが、本人が望んだ通りだったかもしれません。

遠く放してしまった娘を思い、もしもの時娘が居ない時は頼むと涙ながらに二人で手を握り、

ハイハイ・・私に任せ安心して全部やってあげるからと心落ち着かせ・・

でも私も内心は不安でいっぱいでした。でも、もう安心、今頃本人が一番ポットしていることでしょう。

雪が降り始めました。全てが雪に覆われ銀世界にもうすぐなることでしょう。

雪が解けるまで会いには行けませんね。

毎日喪中のハガキが届きます。その中に

テニス、長年組んでいたパートナー4月に亡くなっていました。

私達も、私もそんな年齢になってしまったのですね。


つれづれなるままに 2501     全てを済ませて  

2017-11-11 13:28:56 | 雑記

亡くなって10日目、速いもので悲しみに浸ることなく、アメリカ娘は名義変更手続きに追われながら帰国の準備を始めました。

もうヨリさんの名は全ての書類から消えました。

国々によって葬式の違いはあれど、日本は日本流と葬式にも拘ってしまいますが、そこはアメリカ生活40年近く、

アメリカ式とでも言うのでしょうか、着せる着物も派手好み、首には上等な真っ赤なネックレス、

頬紅をつけ真っ赤な口紅.着物の上から私の着た、真っ赤なヨサコイ半纏、マニキヤも真っ赤なものをつければよかったかなあと、今に思えば・・・。

可愛らしく若返ったような顔でした。 娘が日本居る内にお迎えが来ること願い・・娘が帰国のチケットに間に合うようにも願い・・。

全て順調にヨリさんの思い通りになりました。安心してください。

13日には全てを終わらせ主人、子どもの待っアメリカに戻り

帰国後はゆっくりと思い出に・・・・悲しみに・・・。無理かな・・。

今度は自分の予定に合わせて、帰りたくなったら何時でもね。

 

 


つれづれなるままに  2500    まだそこに・・・

2017-11-05 19:42:19 | 雑記

考えたことがありますか・人は死んだらどこに行くのでしょうね。

死者の霊は49日位までには、この世を去らなければならないそうです

昔は多額に費用をかけてお通夜、お葬式、そして戒名をいただき、初七日、49日法要、お墓納骨 法事と当たり前のように行っていました

 今の時代は葬儀も家族葬や火葬だけでいい、お墓もいらない、樹木葬や散骨がいいなどと、

お墓を見る子孫が居なければ散骨もありうることでしょう。

ヨリさんは近くに墓あり・・11月8日には納骨

49日までこの世とあの世をうろうろして日がたって、ある程度期間が過ぎると霊体になる

まだそこらに居るのでしょうか・・ヨリさん。

 

 


つれづれなるままに  2499  死への旅路

2017-11-04 20:57:54 | 雑記

アメリカ娘が戻って1ヶ月、帰るキップは13日

娘が居るうちに死にたいともらしていたヨリさんついにお迎えが来ました。

11月2日 20時7分

大きく深呼吸をして静かに息を引き取りました。

2時間前医者が診察に・・・死への準備を始めています。・・と一言

10月17日には、おはぎを2個も食べたのが最後でした。

通夜は賑やかなものでした。家での葬儀、家族葬にもかかわらず・・お友達、ご近所さん、親せき、同級生

50数名も集まりました。遺影はヨサコイ、72歳の初出演、娘の一言で決まりました。

それならばと・・初出演の真っ赤な半被を着せました。

もちろん化粧はヨサコイ・・真っ赤な口紅をつけました。

もう今日は小さな骨壺に収まってしまいました。

連町の役員として会ってから40年近く、長い長いお付き合いでした。

海外旅行では母と娘・・好奇心の塊ヨリさん、どこかに居なくなってしまう事たびたび

うちの母知りませんかと・・何度訪ねたことか

想いでは尽きません  楽しいこといっぱい、いっぱい・・

いろいろありがとう