つれづれなるままに  814  6年生小学校最後の運動会

2009-05-30 19:12:17 | 季節感

朝雨、畑や庭には適度なお湿りでしょうか。昨日は札幌市の7割の小学校で運動会が行なわれました。孫も小学校最後の運動会、また「ごみゼロ」の日、そして12歳の誕生日、色々重なっていました。相変わらず運動会当日、小学校の近く手稲山から吹き降ろす風は肌寒くグランドは砂嵐、放水も効き目なし、それでも子供達は元気一杯に「玉いれ」「短距離走」「騎馬戦」と紅白に分かれて頑張っていました。孫、今年は1年生のお世話係りとか1年生の側に付き添い、トイレの引率、整列と張り切っていました。

      

       

幼稚園から運動会に参加、孫の成長の早さについて行けなくなりました。話す事も、もう大人、友達との会話もしぐさも立派な女性になりました。身長も私を通り越して、頼もしい女性に変身するのも、もうすぐでしょうか。いつまでも若々しく、元気で孫の成長見届けたいと思いつつ帰ってきました。


つれづれなるままに 813  血圧上昇

2009-05-29 23:13:08 | 雑記

病院で血圧の薬を頂いています。病院の女医さんは元YOSAKOIの仲間、130代でも高い高いと、次々薬の量を増やします。そう言えばこの頃仕事が多すぎる、考える事が多すぎた、毎朝血圧測定メモする、150過ぎの事も多々あるがその時はメモしない事にしていると、先生苦笑・・・毎回、毎回、様子を見ましょうねと言いながら雑談して帰ってきます。「先生、今晩も総会、また宴会料理に酒ですー」と笑いながら、先生の顔を見たさにYOSAKOI仲間は病院へ、毎回混んでいますが、皆、お構いなし、雑談で長々とおしゃべり、身近に何でも話せる、自分の主治医が居ると言う事はありがたいことです。

            チシマフウロウ         イソツツジ         3寸アヤメ

      

                    山ぼたん               クルマバソウ群落

             

 

              


つれづれなるままに 812  5月末の庭

2009-05-28 10:57:14 | 

毎朝早起き、花の手入れと言っても枯れた花柄を摘み、今日は何の花が咲き出したかと、小さな庭を見渡す、草の陰、木の天辺、たまに見落としてしまう事があります。今が最高の季節、暑くもなく寒くもなく、花達も競うように咲き出しています。うれしいですね。

                    黄色アヤメ                        ナルコソウ                       タイツリソウ

  

              ツツジ                         日の出 ツツジ            白ツツジ

   

       レンゲツツジ                                オオテマリ              赤のかんざし(ピンク)

   

 

          洋物コマクサ                             カラー           アガパンサス    

    

         センダイハギ                                          アツツ桜                       

         

                             ヤブレガサ            山野のヤブレガサ

               


つれづれなるままに 811  小熊秀雄の世界

2009-05-27 09:27:58 | 雑記

「北の詩をひもとく」と題して、昨日の講演でした。北とは青森、秋田、岩手、遠くは樺太、サハリンまでの事を言うそうです。    

   みぞれ降る  石狩の野の汽車に読みし   ツルゲネフの物語かな

石川啄木の詩集から、車窓は岩見沢近辺、みぞれが降り、啄木はロシアの文豪ツルゲネーフの小説をよんでいる事を詩に。1950年代には啄木の詩もロシア語に翻訳さて紹介されていたそうです。今回の講師はロシア文学者、詩人、岩手、黒石出身、今も94歳のお母様がご健在、津がる弁はロシア語に共通した発音、返事の「はい」はロシア語「ゥダ」と発音するとかユウモアを交えての講演、ロシア語での朗読、言葉は分からないながらも心に響きました。

初めて小熊秀雄の名前を知りました。

小樽生まれ、子どもの頃は樺太で過ごし樺太の学校をでて養鶏所などで働いていましたが姉が旭川にいることが分かり旭川に、その頃から、詩集のみならず、童話、漫画原作と精力的に活動をはじめ39歳(肺結核)の若さでなくなるまで多くの作品を残しました。

ロシア語の詩をこよなく愛した小熊秀雄、今回の講師の先生とダブりました。朗読していただいたのは「飛ぶ橇」24篇からなっている叙事詩です。樺太時代の貧しい開拓民の生活を詠んでいます。1篇は冬の準備から始まり、晩秋、もう冬将軍が迫ってきています、貧しい者も、金持ちも、それなりに冬の準備に家の周りを風や雪から守るため、新聞紙や習字の紙など風が入ってこないように、穴を塞ぐ、描写が目に浮かびます。24篇中15編までそれで時間切れ、途中で講演は終わりましたが、後は本を買って詠んでくださいとのことでした。「飛ぶ橇」最後はこの開拓村が雪崩に襲われ、偶々この村に滞在していた国の役人が家の下敷き、腕を挟まれて身動きできなくなり、腕を切断、橇引き犬10頭、役人を橇に乗せて10里の道を病院めがけてひた走り、まるで空を飛ぶ橇のようだと・・・。

続きが聞きたくなりました。後は友が会場で本を買ったので読ませていただくことにしました。

今回は是非皆さんに詠んでいただきたくてネットの中からブログに紹介させていただきました。時間が有ったら詠んでください。心がジーンとなぜかしら涙がでます。

童話集の中から

「焼かれた魚(さかな)」

白い皿の上にのつた焼かれた秋刀魚(さんま)は、たまらなく海が恋しくなりました。 あのひろびろと拡がつた水面に、たくさんの同類たちと、さまざまの愉快なあそびをしたことを思ひ出しました、いつか水底の海草のしげみに発見(みつけ)てをいた、それはきれいな紅色の珊瑚は、あの頃は小さかつたけれども、いまではかなり伸びてゐるだらう、それとも誰か他の魚に発見(みつ)けられてしまつたかもしれない、などと焼かれた秋刀魚は、なつかしい海の生活を思ひ出して、皿の上でさめざめと泣いて居りました。 ことに秋刀魚にとつて忘れることの出来ないのは、なつかしい両親と仲の善かつた兄妹達のことでした、秋刀魚が水から漁師に釣りあげられて、その時一緒に釣られた秋刀魚達と石油箱にぎつしりとつめられたまゝ、長い長い汽車の旅行をやりました、そしてやつとの思ひでうすぐらい箱の中から、あかるい都会の魚屋の店先にならばされました。 そこには海の生活と同じやうに、同じ仲間の秋刀魚や鯛や鰈(かれい)や鰊(にしん)や蛸(たこ)や、其他海でついぞ見かけたことのないやうな、珍らしい魚たちまで賑やかにならべられてゐましたので、この秋刀魚は少しも寂しいことはなかつたのでしたが、魚達は泳ぎ廻ることも、話しあふことも出来ず、みな白らちやけた瞳をして、人形のやうに、病気のやうに、じつと身動きの出来ない退屈な悲しい境遇にゐなければなりませんでした。 それから幾日か経つて、この家(や)の奧さまに秋刀魚は買はれました、そしていま焼かれました。やがて会社から旦那さまが帰つて来るでせう、さうしたなら食べられてしまはなければなりません。 焼かれた魚は、『ああ、海が恋しくなつた、青い水が見たくなつた、白い帆前船(ほまへせん)をながめたい。』 ときちがひのやうになつて皿の上で動かうとしましたが、体のまんなかに細い鉄の串がさしてありましたし、それに、焼かれた体が、妙に軽るくなつてゐて、なにほど尾鰭(おひれ)を動かさうとしても、すこしも動きませんでした。 それで魚は皿の上であばれることを断念してしまひました。しかしどうかしていま一度あの広々とした海に行つて、なつかしい親兄妹に逢ひたいといふ気持でいつぱいでした。『ミケちやんよ、なにをさうわたしの顔ばかり、じろじろながめてゐるの、海を恋しいわたしの心をすこしは察して下さいよ』 と魚は、この家(や)の飼猫のミケちやんにむかつて、言ひました。 それは猫がさき程から、横眼でしきりに、焼かれた秋刀魚をながめてばかりゐましたからです。 飼猫のミケちやんは、『実はあまり、秋刀魚さんが美味(おい)しさうなものだからですよ。』 と猫はごろごろ咽喉(のど)を鳴らしながら、秋刀魚の傍に歩るいて来て、しきりに鼻をぴく/\させました。 魚はいろいろ身上話をして、自分を海まで連れていつて貰ふわけにはいくまいかと、飼猫にむかつて相談をいたしました、猫はしばらく考へてゐましたが『それぢや、私が海まで連れていつてあげませう、そのかはり何かお礼をいたゞかなければね。』 と言ひました、そこで秋刀魚は、報酬として猫に一番美味しい頬の肉をやることを約束して、海まで連れていつて貰ふことにしました。 焼かれた魚は、海へ帰れると思ふと、涙のでるほど嬉しく思ひました。 そこで猫は焼いた魚を口に啣(くは)へて、奥様や女中さんの知らないまに、そつと裏口から脱けだしました、そしてどんどんと駈け出しました、ちやうど街端(はづ)れの橋の上まできましたときに猫は魚にむかつて『秋刀魚さん、腹が減つてとても我慢ができない、これぢやああの遠い海まで行けさうもない。』 と弱音を吐きだしました。魚は海へ行けなければ大変と思ひましたので『それでは、約束のわたしの頬の肉をおあがりよ、そして元気をつけてください』 と言ひました。 猫は魚の頬の肉を喰べて了ふと、どん/\後もみずに逃げてしまひました。 魚はたいへん橋の上で悲しみました、そして誰か親切なものが通つたなら、海まで連れて行つて貰はうと思ひましたが、さびしい街端(はづ)れの橋の上はなかなか通りませんでした、そしてその日は暮れてしまひました。 翌朝(あくるあさ)幸ひ早起きの若い溝鼠(どぶねずみ)が通りましたので、魚はこのことを頼んで見ました。 溝鼠は『それはわけのない話だ、しかし道程(みちのり)もかなりあるし、私もまだ朝飯前だから』 と言ひましたので、魚は自分の片側の肉を喰べさして、そのかはりに海まで運んで貰ふ約束をいたしました。 溝鼠は魚の片側の肉を喰べてしまひました、それから魚の胴に長い尻尾を巻いて引きだしました、その日の夕方にひろい野原につきましたが、溝鼠は『とても私の力では、あなたを海まで運べさうもありませんから。』 と言つて、魚を野原に捨てて、どんどん逃げて行つてしまひました。 魚はたいへん悲しみました。 その翌朝(よくあさ)、いつぴきの痩せこけた野良犬が野原を通りましたので、魚は海まで運んでくださいと頼みました。 野良犬は意地悪るさうに、じろりと魚をながめながら『ふつかも喰べ物をたべない野良犬さまが、から身で歩るいても、ひよろひよろするのに、お前さんなどを遠い海までなど運べるものか、しかし相談によつては、運んでやつてもよいさ』 と言ひました、魚はそれで溝鼠に喰べられて残つた片側の肉を、この野良犬にやつて、海まで運んで貰ふことにしました。 野良犬は、秋刀魚の片側の肉を美味しさうに喰べ終へると、魚の頭のところを啣(くは)へて、どんどん海の方角へ馳け出しました。 野良犬は足も細くて馳けることが、なかなか上手でしたから、路は思つたよりもはかどりました、しかし野良犬は、こんもりと茂つた杉の森まできたときに、魚を放りだして逃げてしまひました。 秋刀魚はたいへん悲しみました。それに魚の頬の肉は猫にやり、両側の肉は溝鼠と野良犬にやつてしまつたので、肉がきれいに喰べられて魚の骸骨になつてゐましたので、こんどは何が通つても、お礼として肉を喰べさして海まで運んで貰ふことが出来なくなりました。その日は森のなかにねむりました、夜なかに雨が降つてまゐりました、骨ばかりになつた秋刀魚はしみじみとその冷たさが身にしみました。 その翌日一羽の烏が通りましたので、魚は呼び止めました。『烏さん、お願ひですからわたしを海まで連れて行つてくれませんか。』 と頼みましたが、烏はあまりよい返事をいたしませんでした。 それで魚は背筋のところに、すこし許り残つた肉をあげますからと言ひました。『そればかりの肉ぢや駄目だよ』 と烏は言ひましたので、『わたしのだいじな眼玉をあげませう、もうこれだけより残つてゐないのですもの』 と魚が悲しさうに言ひました、それで烏は魚の眼玉を嘴(くちばし)で突いてふたつ取りだしました。しかし魚の眼玉は、からからに乾からびてとても喰べられませんでしたが、烏は首飾りにでもしようと考へましたから、これを貰つてぽけつとにしまひこみました、それから背筋の肉やら、体ぢゆうの肉と云ふ肉を探して、きれいに喰べてしまひました。 けれども皆が喰べた後ですから、烏にはいくらも肉のお礼をやることができませんでした。 烏は魚の骨をたくましい手で掴んで、どんどんと海にむかつて空を飛びました。 だいぶ来たと思ふころ、烏は不意に魚を掴んでゐた手を離して一目散に逃げてしまひました、幸ひ魚の落ちたところが柔らかい青草の丘の上でしたから怪我をしませんでしたが、魚はたいへん悲しみました。『あゝ、海が恋しくなつた、青い水が見たくなつた。白い帆前船をながめたい』 と、この丘の上で秋刀魚は口癖のやうに言ひました、ふと何心なく耳を傾けますと、この丘の下のあたりで、どうどうといふ岸をうつ波の音が聞えるではありませんか、なつかしいなつかしい波の音が、そして遠くのあたりからは賑やかな潮騒がだんだんと近くの方へひびいてきます。 烏に眼玉をやつてしまつた魚は、盲目(めくら)になつてしまつたので、そのなつかしい波の音を聴くばかりで、青い水も白い帆前船もながめ見ることが出来ませんでした、そして海風のかんばしい匂ひにまぢつた海草の香などを嗅ぐと、秋刀魚はたまらなくなつて、この青草の丘の上でさめざめと泣き悲しみました。 魚はまい日まい日丘の上で、海鳴りを聴く苦しい生活をしました。 或る日のこと、魚のゐる近くにお城をもつてゐる蟻の王様の行列が、魚のつい近くを長々と通りましたので、魚は行列の最後の方の一匹の蟻の兵隊さんにむかつて、自分の身の上を話して海まで連れて行つて欲しいと頼んでみました。蟻の兵隊さんはこのことを王様に申し上げました、蟻の王様はたいへん秋刀魚の身の上に同情をしてくださいました。そして早速承知をして、家来の蟻に海まで運ぶやうに下知(げち)をいたしました。 蟻は工兵やら、砲兵やら、輜重兵(しちやうへい)やら、何千となくやつてきて魚を運びだしました、烏や野良犬や溝鼠のやうに運ぶのに早くはありませんが、それでも親切で熱心に運んでくれましたから、幾日かのち、丘続きの崖のところまで運んでくれました。 この崖の下はすぐまつ青な海になつてゐました、魚は海に帰れると思ふと嬉しさで涙がとめどなく流れました、親切な蟻の兵隊さんになんべんも厚くお礼を言つて、魚は崖の上から海に落ちました。 魚はきちがひのやうに水のなかを泳ぎ廻りました。前はこんなことがなかつたのですが、ともすれば体が重たく水底に沈んでゆきさうになりますので、慌ててさかんに泳ぎ廻りました、それに水が冷めたく痛いほどで動くたびに水の塩が、ぴりぴりと激しく体にしみて苦しみました。 その上すこしも眼が見えませんので、どこといふあてもなくさまよひ歩るきました。 それから幾日かたつて、魚は岸にうちあげられました、そして白い砂がからだの上に、重たく沢山しだいにかさなり、やがて魚の骨は砂の中に埋(うづ)もれてしまひました。 さいしよは魚は頭上に波の響きを聴くことができましたが、砂はだんだんと重なり、やがてそのなつかしい波の音も、聴くことができなくなりました。

 


つれづれなるままに   810  日ハム中田翔選手の追っかけ

2009-05-24 19:01:52 | 雑記

別に日ハムの熱狂なファン、また中田のファンではないのですが、1軍登録されながらもまだデビューを果たしていない中田選手、2軍のロッテ戦でるかもしれないと、娘に誘われて札幌ドームに出かけました。本当の目的は球団マスコット、C・B(カーヴィー)逢いに、かまやすから2軍の試合のために来るマスコットだそうです。

                                C・B君

             

事故のため交通渋滞に巻き込まれながら、会場入り、試合は始まっていました。2軍は1000円全席自由、何時も座る事がない高い席に陣取り観戦、お客さんはまばら、入場数5000人との事、中田選手が1塁 に早速エラー、ブーイングされながらそれでも頑張っている姿がみえました。真っ黒でデカイ、3回に13号ソロホームランを打ち拍手を貰いながらその後は退場してしまいました。

試合も観客ものんびりと、スコアをつける人、弁当を食べる人、こんな観戦も有りかなと思いながらの午前中の観戦、8:3で負けましたが、これらの2軍の中には昨年までは1軍で活躍していた方たちが多く、皆、頑張って1軍目指しているのだなと思いました。

      一塁中田選手                              ホームランを打ち走る中田選手

  

会場を出て、時間まで近くの花屋さんで花の苗など買い、夕食を済ませて、今後は1軍ヤクルト戦を観戦するために17時、また会場入り、観客の数が違います、もう、人、人、熱気でムンムン今日は3万1千人が入ったとの事、1軍中田のデビューを心待ちにしているファン、当番のダルビッシュのファンでしょうか、1軍、2軍の違いを目の当たりに選手の熾烈争い、怪我などするものならすぐ登録抹消、新しい選手にポジションを奪われてしまう大変な世界なのだと改めて思いました。

      

          

試合はダルビッシュも完封、1軍指名打者でデビユーの中田選手も初打席初安打、試合も3:0と勝ち、朝9時半家をで、途中会場を出ましたが試合終了21時、長い1日の野球観戦でした。1軍マスコットB・Bにも逢えました。

会場何時も周りの観客席をみるのも楽しみです。皆個性が合って面白い、ビールを飲みにきたのか、おしゃべりを楽しみに来たのか、ついでのデートなのか、座るなりすぐファイターズに衣装に衣替え、弁当、ビールと・・コンビニで買ってきたのか、一個目の弁当を平らげ、次30%引きのシールの付いた弁当も平らげ、次は袋に入った菓子パン、袋に落ちたパンクズを集めて口の中に、食べ終わり、飲み終わった後は携帯でなにやら、試合を観に来たのかなーなどと余計な事を考えながら、周りのの方たちを眺めるのも楽しいものです。

         B・B君                      稲葉が子どもたちにサインボールを    完封しインタビューを受けるダルビッシュ選手

     

  

   マスコット B・Bの弟がC・Bです、今日から二人とも我が家の家族になりました。

 

 


つれづれなるままに  809  我が家の花

2009-05-22 22:17:08 | 

花愛好会にも所属し、花好きな人たちとの交流、花講習会、花交流会と参加してきました。

公園緑化協会の方達の講習会、色の組み合わせ、一緒に植える花の組み合わせ、株分け、挿し木と勉強になりました。四六時中花に囲まれた生活をしたいと思っている私、また交流会で愛好会の皆様が寄付していただいた鉢物、苗物、種と頂いて来てしまいました。

          

 

我が家の花もいつの間にか咲き出して、ブログに紹介しきれなくなってきました。今朝、花達の顔を撮りました。

    満開のスオー        桜今年は満開            シオン                                                      恵山ツツジ

   

              すずらん               すずらん水仙                              たかねナナカマド

        

             洋しゃく                ヤマブキ                       イソツツジ

        

                 ナルコソウ                                イカリソウ

                

              やぐるまそう                           ノビネチドリ                エビネ                                     

                 

 


つれづれなるままに  808 初夏を彩るライラック祭り

2009-05-21 09:31:18 | 季節感

昨日は朝から気温が上昇ライラック祭りの開催に合わせたように、初夏を思わせる暖かさになりました。

朝電話で「街に出ることが無くなった」とのヨリさんとの会話、「じゃーお天気も上々、今日は街まで二人でライラックを見に大通公園迄行って見よう、友が似顔絵を書いていることだし、書いてもらおうと」話が纏まりました。

昼は「市役所14階のレストランから街並みを眺めながらお食事をしよう、安いしね」と早速バスで、「敬老パスもあるけど、中々使うことが無くなった、使うのは病院へのみ」だと笑いながら、80歳も超えると本当にそうかもしれませんね。

市役所14階のレストラン、昼時、皆、窓の景色を楽しみながらおしゃべり、隣のおじ様、私達に、「日替わり弁当」600円が500円の割引券をくれ、安いから弁当にしたほうがいいよと、ラーメンがいつの間にか日替わり弁当に、ふたりで苦笑しながら、安い弁当に・・でも景色は最高でした。

 

                公園内のライラックはちょうど見ごろ、紫や白の可憐な花が甘い香りを・・満喫

                   

 

開会式で市民に2000本のライラックの苗が配られたようです。濃い紫、薄紫、白と房の大きいのには驚きました。手入れがいいのでしょうね。15~16年前に我が家のライラックもここで頂いたものです。今は大きく成長、毎年楽しませていただいています。

                    

 

「似顔絵コーナー」友も含めて4人で書いていました。ヨリさんの似顔絵を頼み、女性の方に30分ほどで書いていただきました。実物よりよく書けていたように思いましたが、それがいけなかったのかな・・自分の顔には似ていない特徴がつかめていない・・と不満のようでした。今度、友をヨリさんの家に連れて行き、あなたの納得いくように書いてもらってあげると・・・・。

隣の「日本茶コーナー」狭山茶をいただき、ここでも、ヨリさんお茶について日本茶インストラクターに講釈、いつも京都から宇治茶を取っているベテランなので・・・・

81歳、三本足になり、忘れることも多くなりましたが、まだまだ口は達者のようでした。


つれづれなるままに    807    第25回記念ボランティアコンサート「第九」

2009-05-20 10:09:11 | 雑記
いよいよ今年の演奏会に向けての練習が始まりました。
「999人の第九」コンサート、「あなたを加えて千人です」との呼びかけに始まった、ボランティアコンサートも今年は25回を迎えることになりました。
私は21回から参加、一度でいい、「第九」を歌ってみたいと仲間6人で参加、いつの間にか5年目を迎えることになりました。昨晩は久しぶりで皆様とお会いし、言葉を交わしながら、今年もお互いに支えあいすばらしいコンサートにしようと誓い合いました。
毎週、火・金、18時30分から2時間、ドイツ語、パート練習、全体練習と、9月26日、本番まで延べ37回、帰宅は22時になりますが、今年も休むことなく、練習参加、当日は皆さんとすばらしいハーモニーをお聞かせできたらと思います。
記念コンサートと言うことで、今年は道内の会員のみ、それでも330人の合唱団員が集結、それに夕張から夕張合唱団を招待するとのことで総勢、約350名との事、当日聴いていただく方たちのためにも、私も初心に返りもう一度基礎練習をしっかりと、毎週休むことなく、日々練習に頑張りたいと思います。

つれづれなるままに  806    転倒予防の体操教室

2009-05-18 21:43:08 | 雑記

高齢者転倒予防のための体操教室、また前とは違う役職が回ってきました。一度も顔を出したことがない体操教室、午前中、時間が取れたので初めて参加してみました。

協議会の指導は10回、昨年10月に終了した方々が自主的にグループを作り、近くの会館でビデオを見て体操、今日はあいにくの雨交じりの寒い日、私たち役員を入れて5人でしたが、ビデオとにらめっこ、初めての私は、高齢者の皆さんに教えていただき、体の節々を伸ばして1時間30分汗を流しました。

たかが高齢者の体操と思っていましたが、ボールを使ったり、硬いゴムひも、錘を足に、結構体にこたえました。1週間に一回と、良い運動になるナーと思いながら、暇を見てこれからも、顔を出そうかと思いました。

 

      


つれづれなるままに   805 タフな一日

2009-05-17 10:20:49 | 季節感

花見のために前日からおでんの仕込み、カブ、きゅうりの漬物と、当日は他の総会出席、遅れて参加のために、チット気を使いました。朝、出来上がった品々を持参、役員さんにお願いして遅れる事を連絡、家を出ました。

 7月から家庭から出るゴミの有料に伴う、市の関連総会、「燃やせるごみ」「燃やせないゴミ」有料、無料そして曜日も変わりました。

6月からは指定袋がコンビニ、スーパー等で販売開始、その前に全世帯に①ゴミ分けガイド②収集日カレンダー③お試しゴミ袋が、5月25日から6月15日の間に配布されるそうです。

                5ℓ(10枚)100円・10ℓ(10枚)100円・20ℓ(10枚)400円・40ℓ(5枚)400円

有料はこの指定袋に「燃やせるゴミ」 「燃やせないゴミ」 大型ゴミは修理手数料シールは同じ、しかし40リットルの袋に入る小型電気製品、金属製品、シールをj貼らなくても回収してくれるそうです。慣れるまで大変かもしれません。

今回加えられた「雑紙」、現在、生ゴミに混じって、包装紙やお菓子の箱、紙袋等の紙が多く、これらの紙類を取り除けば、生ゴミはほんの少し、これで一人一日640gから400gに減少、清掃工場の家庭からでる廃棄ゴミ、24万トンを15万トンにこれにより清掃工場が一ヶ所廃止することができるそうです。

慣れるまでは大変かもしれませんが、かけがいのない地球環境を守るために、生活の無駄を省き、限りある資源やエネルギーを有効に、私たちも一人一人の努力しなければなりません。

         

 

12時半到着、花見は宴会真っ盛り、今回は会場が十五島公園、昨年は町内での花見、参加者も多かったのですが、十五島公園は近くて遠い・・・高齢者には歩きは大変かなと・・反省しながら、桜の花も私たちのために待っていてくれました。

         

 

十五島公園、札幌では名の知れた公園です。川原ではこれからがジンギスカン、バーべキュウと賑やかな市民の憩いの場になります。ボランテイアの方々が野の花を植え、手入れ、名札もつけてあり、私もよくここに訪れます。この時期の豊平川は雪解けのため川原は危険、川原には下りないようにと係りの方が見回りをしていました。6月に入ればもう大丈夫、安心して水遊びもできます。

  

遅れていったのに次々お酒が回ってきて飲みました。ビール、にごり酒コップ3倍、焼酎、有名だとか言われて少し、自家製ブドー酒だといわれて少し・・久しぶりに酔いました。弁当も食べずに飲んだからでしょうか。12時から始まっていて3時半家に、3時間半も長い時間酒盛りしていた事になります。帰ってソファーに寝てしまいました。目が覚めたら7時、娘が帰って来て起こされ、また9時前にはベットに、朝までぐっすりと長い一日でした。


つれづれなるままに  804  低温

2009-05-15 17:52:41 | 

昨晩は4度まで気温が下がり霜注意報、夕方学校開放テニスに、しかし余りの寒さに身震いし、今夜はこのままでは花が可哀想とテニスもそこそこにも戻ってきました。

 早速、長いビニールを取り出して、全ての花にビニールを掛け玄関前の花たちを囲いました。朝、スクールパトロールの仲間、ニヤと笑いながら正解・正解と爆笑・・・、昼間でさえ14度これは4月下旬の気候とか、20日から「ライラック祭り」大通りの400本のライラックも間に合うのでしょうか。我が家のライラックも蕾が固く、白のライラックは早咲きと言いますが、つぼみも硬いようです。

             

 

やっと桜が咲きました。八重の桜は花数が多く花は白っぽいボンボリのような花です。南殿は今年は花付きが悪く葉のほうが多いようです。

        

 

 

                             くまちゃんを押しのけて日向を独占  

             


つれづれなるままに  803  春紅葉、春もみじ

2009-05-14 10:42:26 | 自然

定山渓中山峠には昨晩雪がチラつき道路は真っ白になったとか、5月は不安定な気候が続きます。

朝、子供達の見守り活動、スクールパトロール 寒さのため首をすくめて子どもたちは登校、「風邪引かないようにね」と声かけながら、何気なく周りの山並みを・・紅葉が始まった、秋の景色です。

先日友と、コーヒーを飲みながらオシャベリ、「今、きれいだよね。周りの山々、春紅葉まっさかり」と友が、そう・・そんな言葉があったよねと思い出しました。

この現象は新緑に交じり合って赤、黄色と見えるのは、若葉が芽を吹く時期、カエデ類などで短い期間だけ、これを「春もみじ」「春紅葉」と呼んでいるそうです。

 

         

 

芽吹いたばかりの葉が光合成で葉緑素を蓄える前に樹木がもっている本来の色素が現れる、新緑のなかに赤や黄に色づいた木々が交じり合った情景、遠くから見ると秋を思わせる風情です。我が家のカエデも同じように赤から緑に変わりつつあります。短い期間のみ、毎日観察していなければ見落としてしまう事の方が多いかもしれません。

          

昨日の「リラ冷え」や「春紅葉」、日本の言葉は風情がありますね。


つれづれなるままに  802  リラ冷え

2009-05-13 22:22:00 | 

寒さのため思わず暖房のスイッチを入れてしまいました。

「リラ冷え」リラとはフランス語、日本名ライラック、この花が咲く時期は、北海道暖かくなったと思えば、急に冷え込むこれを「リラ冷え」と言います。

北海道を代表する俳人、棒谷美枝子さんが1960年に読まれた句の冒頭に使われ、ライラックの花が咲いた頃に肌寒かったことから「リラ冷え」が生まれたようですが、これを広めたのが作家、渡辺淳一郎の著書、男女の恋愛を描いた「リラ冷えの街」で一気に広まりました。

季語にも使われ、これから暑くなろうとしている矢先の一瞬の寒さ、温度は20度から10度に一気に下がり、いよいよ初夏突入を告げる花でもあるのです。

「リラ冷え」なんて美しい響きの言葉でしょうね。

今日は まさしく「リラ冷え」、お日様が照っているのに風は冷たく時折雨が・・気温11度寒いわけですよね。 9時集合、1ヶ月1回のパークゴルフに参加、着膨れで午前中プレーを楽しんできました。

真駒内奥地、嘗て小高い丘と木々に囲まれた場所で、ここはクリ拾いやワラビ取りと子どもを連れ楽しんだ場所だったと思います・・いつの間にか山が削られてくぼ地がその中にパークゴルフ場36ホールができていました。この寒さにもかかわらず、殆どが高齢者、半日700円で弁当持参、高齢者にとっては良い運動、社交の場なのかもしれません。

  


つれづれなるままに 801  バラの似合う北海道

2009-05-12 22:19:34 | 
昨日の雨のせいでしょうか、バスの中から見る街路樹、雨でしっとりとした若葉がゆらゆらする光景は本当に美しいものです。今日訪れた大通り公園のライラックの花もいつしかほころびだしました。今、札幌は最高の季節を迎えようとしています。

今日の講演、「バラの魅力について」と題して、北国の環境とバラの適正についてのお話でした。「バラのあふれるお庭」と言えば、イングリッシュガーデン、バラの咲き乱れるお庭にウットデッキ、テータイムはガーデンテーブルで花と緑に囲まれて、ハーブ入りのクッキーやハーブティーをお友達と、毎年そんな事を思いますが、今だ実行できません。
我が家のバラ達、アンジェラ(つるバラ)は左右からアーチにしています。バラが終わっても楽しめるように、同じアーチにはクロマチスを、濃い紫、ピンクとかわいらしく咲くように、南側の窓を覆うように、真っ赤なバラ2株、赤花、白花のハマナスの花が、野バラも有りますがいまだ咲いたことはありません。たぶん他のバラで日陰になるからかと思いながら、バラの木の下は、宿根草、チューリップ、水仙など何種類もの花が入り乱れ咲いています。イングリッシュガーデンとは程遠くなんでも有りの庭、今年は少しバラの手入れに力を入れてみようかと思いながら話を聞きました。
北海道は日本でバラの栽培に最も適した地域だそうです。真夏でもそれほど弱る事がなく生育を続ける事ができ、気候や歴史から洋風の景観や街並みが多く、バラの似合う街だそうです。

つれづれなるままに   800  新たなスタート

2009-05-11 10:53:57 | 雑記

連町の総会が終わりました。保健部と言う名の下で16年間仕事をしてきましたが、今、市では保健福祉科と言うように保健部と福祉部が同じような仕事が多くなり、昨日総会をもって福祉部に仕事をゆだね保健部は閉じました。今年は役員改選の年でも有り、多くの役員が交代、昨夜は新旧交代のメンバーで、酒を酌み交わし思い思いの言葉を残して新しい役員にバトンタッチ、連町も新たなスタートを切りました。

朝の気温は10度、肌寒い日が2~3日続きます。それでも毎日何かしらの花が咲いています。

                ミニチュウ-リップ  5寸アヤメ                         クロフネつつじ

    

     すずめの鉄砲    エゾエンゴサク、カタクリ、エンレイソウ、アズキナ、マイズルソウ、クルマバソウ、アカバナエンレイソウ、山野草の群落です。