つれづれなるままに    835  焼尻島の花達

2009-06-29 10:09:56 | 旅行

天売島から泳いでも焼尻に行く事ができるとのこと、目の前に焼尻がフェリーで15分あっと言う間の到着です。

               

この島は天然記念物に指定されているオンコの原生林、手つかずの森が残されています。樹齢は300年、長きに渡り風雪に耐え、うぐいす谷と呼ばれた所はオンコとミズナラが入り混じった風景です。

  

焼尻はオンコの島でもありますが。島の中心部の広大な草地を利用して町がめん羊牧場を経営しています。海から吹き付ける風で育った牧草はミネラルが豊富、この草を食べているめん羊は最高の肉質、中々庶民の口には入らないとのこと、昼は早速注文して散策に帰ってビールとラム肉一人3,500円、ビール500円、高価な昼食でした。肉は最高でした。

      

おどろくほどの沢山の花が咲いていました。冬雪が2mも積もるそうです。この風雪に耐えていっきに咲き出すのでしょう。どの花も色鮮やか、茎は太くたくましく、これは鳥の糞が栄養になっているそうです。

エゾカンゾウ・エゾニュー・ヒメイチゲ・べにばなイチャクソウ、はまなすやクルマユリ、オニユリと7月にかけて花の島になるそうです。

     

                

 

 


つれづれなるままに  834  天売・焼尻

2009-06-28 14:13:35 | 旅行

一昨年7月「漣」グループのメンバーで訪れ今回は2回目です。お天気は最高、海鳥の島へ研修見学会と出かけました。

人口311人、人間の数より海鳥が多く、天売は人が住み始めて200年、まだ手つかずの自然が残っています。人は標高が低い東側に住み、鳥たちは100m以上の断崖絶壁が連なる西側に棲んでいます。草生えの崖の斜面に穴を掘る「ウトウ」、天売島はウトウのコロニー世界最大、30万つがいが繁殖しているといわれています。崖の草地の斜面に無数に掘った穴が住みか、夕暮れ餌を銜えて迷う事なく自分の巣穴に戻るそうです。口に銜えてくる魚はイカナゴ最高50匹銜えてくるウトウもいるそうです。

     

       

草の下が巣穴になっています。この巣穴で雛は夕方餌を運んでくる両親をじっと待っています。皆一人っ子だそうです。早速島巡りに、西側の赤岩観音岬へ、餌で「かもめ」を呼びましたが生憎くの風、中々食いつけません。

       

夕暮れ7時、旅館のバスで巣穴に餌を銜えれ戻ってくる「ウトウ」を観る為に再度「赤岩」生憎霧がかかり、視界0、それでも「ウトウ」は霧のなかから無数の集団で巣穴に戻ってきます。しかしウトウの巣穴にはウミネコが待ち構え、獲ってきた餌を略奪、掠め取る、凄まじい光景でした。

       

朝6時、海底深勝船「おろろん」で断崖絶壁を西海岸沿いに航行、そこには8種類100万羽のも及ぶ海鳥の繁殖地、海に浮かぶケイマフリ、断崖で営巣するウミウの様子、そして、絶滅寸前の「オロロン鳥」ウミガラスの繁殖地と見ることができます。

頭が石ころのように見えるのがアザラシ、海に浮かんでいるのがケイマフリ

  

岩にいるのが「オロロン鳥」のデコイ、本物の鳥ではありません、おとりのオロロン鳥です。今年は4羽、飛んできたそうですが、繁殖は難しいそうです。

  

 


つれづれなるままに  833 我が家の花々

2009-06-25 20:29:35 | Weblog

札幌は朝からグングン気温が上がり31.2℃、急に気温が上がり花達もあまりの暑さにバテ気味、そんな中、今日は老人クラブの町内の方々と長沼温泉日帰り旅行、温泉、パーク付、青空の下グリーンの感触を楽しみました。

我が家の花達も咲き出しました。

                 

  

            

                   

   

   

 

               

毎日庭の見守りをしないと、開花を見落とす花も、1日のはかない命の花もあります。昨日の花愛好会、植木を4種類ほど買い求めてきました。朝急いで鉢へ仮植え、明日からまた一泊研修旅行へ戻ったら改めて植えなおそうと思います。


つれづれなるままに   832  イコロの森

2009-06-24 20:26:36 | 季節感

「イコロ」とはアイヌ語で宝物を意味するそうです。苫小牧、千歳空港から程近い所に、イコロの森ガーデン、今日は「花愛好会」のメンバー100名ほど、バス2台で見学会が行なわれました。

イコロの森は苫小牧の奥深い森林の中、熊、鹿、リスなどの生育地の中だそうです。その中に、ローズガーデン、ホワイトガーデンなど10種類に分けた庭園を開園、まだ1年目とあって、苗ものは小さく、花付もまだ、これから開花の花が多く、残念ながらバラも殆ど咲いていませんでした。あと1ヵ月後にはバラもその他の花々も見事に咲きそろうていることでしょうか。庭園そのものがまだ造成中、後1年後にはしっかりと全ての植物が根付き、すばらしい森の庭園になっている事でしょう。その時また訪れて見たいと思いました。

            

      


つれづれなるままに   831  東北・北陸の旅 Ⅴ 石川県

2009-06-22 20:37:16 | 旅行

五箇山とは利賀谷、小谷、下梨谷、上梨谷、赤尾谷が五箇山と呼ばれ、平家の落人が隠れ住んだと伝えられています。人と里はなれた雪深い谷も今は国道156号線で高岡、白川郷と結ばれています。菅沼と相倉には世界遺産登録された合掌造りの美しい民家を見ることができます。

ここは相倉合掌造りの集落、地区住民約60人が生活しています。そのうち20棟の合掌造りが現存約100年から200年ものが多く、古いものは400年前に建造されたものも、屋根の勾配は急で60度、断面は正三角形雪が落ちやすいようになっています。

    

この新しい合掌造りは相倉の村長さんの家で平成4年に7月秋篠宮同妃殿下がお泊りになった民家だそうです。その時、宮様は世界で3箇所好きな所があります、その一つがこの五箇山です、と言われたそうです。

         

早朝、夕暮れ以降の見学はご遠慮くださいと、私たち観光客が帰った後は静かな山里になるのでしょう。山菜やきのこ類をふんだんに使った民宿メニュー、民宿もあるようです。

 

白川郷、切妻の三角屋根が目を引く合掌造りの家々が立ち並んでいます。かっては庄川を挟んで陸の孤島でしたが、世界遺産意登録され大勢の観光客が賑わいを見せていました。

  

屋根の葺き替えは秋に刈り取ったカリヤスで春、広大な屋根面を葺き替えます、昔は40年から50年に一度の葺き替えでしたが、今はいろりを使う機会が減少、また萱の種類の変化で期間が短く周期が20~30年、100人~200人の村民で1日で葺き替えるそうです。

このつり橋(であい橋)を渡ると集落が見えてきます。これは白川郷の5階建ての合掌造り、最大級、およそ200年前に3年間の工作で完成した合掌造りだそうで、釘、くさびは一切使われてない古代ビルグイングのような壮観な建物でした。

最後は金沢兼六園

庭園といえば冬の雪つりが有名です。広大、幽邃、人力、蒼古、眺望、の六勝を兼ね備えた庭園として、老中松平定信による命名されたそうです。霞が池付近はツツジ、ショウブが終わりを告げこれから紅葉まで、緑一色の庭園になることでしょうか。

  

小松空港最終便、羽田に着いたのはもう21時を過ぎていました。札幌の私のように帰れない方も多く、皆さん何処かにお泊り、私は姉の所にお世話になりました。また来年四姉妹元気で7年目の旅行を楽しみたいと思います。

 


つれづれなるままに  830 東北・北陸の旅   福井

2009-06-21 16:11:27 | 旅行

東尋坊、日本海が削った岩肌、自然が長い時間をかけて造り上げた芸術品、輝石績安山岩の柱状節理は世界でも3箇所しかないといわれています。平均高さ25mが1キロにわたってそそり立っています。遊覧船の乗り、海から眺めたら、もっと壮観なことでしょう。

  

東尋坊の名の由来を観光客案内人のお姉さんが話してくれました。昔、酒好きで、評判が悪い東尋坊と言う名の坊さんがいました。他のお坊さん達は彼を何とかしなければと思い、ある時、この岩の上に彼を呼び酒盛りをし酔わせ、彼を岩の上から突き落としたそうです。その後何ヶ月にも渡って海が荒れ狂い、この岩を彼の名をとって東尋坊と名づけ供養したと言う事です。今なら殺人ですね。

 

丸岡城

今から420年前の1575年、織田信長から北陸地方の一向一揆を平定するため、当時丸岡の東北4キロにあった寺坊を焼き払った恩賞として柴田勝家に越前の国が与えられ豊原に城を築きましたが、翌年この丸岡に移り住みました。

名文句、「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥せ」本田作左衛門重次が陣中から妻にあてた手紙です。

   

         

永平寺、余りにも有名な曹洞宗大本山、曹洞宗の開祖、道元禅師が開いた参禅道場、樹齢7百年の杉木立の中に法堂が点在しています。3泊4日の日程で座禅修行も行なわれているそうです。下界を離れ厳かな気持ちになれかもしれません。

  

 

那谷寺、先に紹介した芭蕉も訪れ句を詠んだ所でもあります。京都の苔むした庭を連想させる静かなお寺で洞窟内には岩屋の胎内をくぐり、人としての罪を白く清める霊場でもあるようです。

  


つれづれなるままに 829 東北・北陸の旅 Ⅲ 象潟から芭蕉の足跡を

2009-06-20 16:00:08 | 旅行

秋田を過ぎて程なく象潟、[奥のほそ道」芭蕉が立ち寄った最北端の町です。

          象潟の雨に西施(せいし)がねぶの花

  

象潟に咲く「ねぶ」とはねむの木の花、芭蕉は当地を訪れたのが6月16日、かつて象潟は象の鼻のように細長く砂州がのび、ねむの木や、松が茂り遠くには鳥海山が望める景勝地だったようですが、江戸末期の大地震で干潟はなくなり、今は田園風景ががひろがっていました。。遠くにはまだ雪をかぶった鳥海山が美しく見え、ほどなく酒田、芭蕉も酒田から日本海沿いを南下、新潟の市振で夕焼けに染まる日本海と佐渡島を観、一句を詠んでいます。 私たちも船の中から地平線に沈む夕日を眺め、遠くには佐渡島がうっすらと・・。 

                   荒海や佐渡によこたふ天の川         

       

芭蕉は象潟から酒田、新潟そして難所の親知らずの関を通り、金沢に 私たちが旅した道を歩いています、小松市にある那谷寺、私たちと同じように ここも立ち寄りました。ここで一句 石の造形は見事でした。

                   石山の石より白し秋の風

  

私たち、新潟港を夕方発ち、敦賀港に着いたのは早朝6時頃でした。早速観光、

一夜にして数千本の松が出現したと言われる「気比の松原」を訪ねました。芭蕉はここでも句を読んでいます。

                                 月清し遊行のもてる砂の上

芭蕉は永平寺で、金沢から旅を友にした北枝と別れ一人参拝しています。

 

 今回の旅は「奥にほそ道」を訪ねる旅ではありませんでしたが偶然にも 同じ時期に、何かの縁でしょうか。改めて本をひもときました。      


つれづれなるままに 828  東北・北陸の旅  角館  Ⅱ

2009-06-19 16:55:56 | 旅行

角館町は元和6年、1620年角館地方を領していた芦名義勝によって、造られました。

北側に位置する武家町は深い木立ちが多い一方、南の商人町には街並みが並び、びっしりと埋めて対照をなくしています。町が造られた1620年には武家屋敷80戸、商家350戸と数えられ、秋田藩の支藩として最も大きな城下町でした。以来350年余、町の形は変わっていません。特に武家町は道路の幅から曲がり角までそのままの形で残っています。

  

特に「薬医門」400年の歴史のある青柳家、母屋を始めとして当時のそのままの形で残され3000坪の邸宅を公開しています。石黒家、小田野家、岩橋家と、角館の中級武家としての間取りもそのままの形で保存され、家の中を見ることができました。

お庭の木々も400年以上の老木、武家屋敷に咲く、枝垂桜は330年前に植えられ、樹齢300年以上の老樹、400本余りが豪華に咲きそろいます。さぞ桜の時期は見事な事だろうと、桜の咲く頃もう一度たずねてみたくなりました。枝垂桜には標識番号が付いていました。もう桜の時期は終わり、静かな武家屋敷散策とおもいましたが、土曜とあって観光客も多く、皆広々とした道路をのんびりと、途中のお店を覗いたりと、十分に堪能しました。また時期をずらして訪れてみたい所の一つになりました。

   

 


つれづれなるままに 827  東北・北陸の旅からもどって Ⅰ

2009-06-18 16:51:14 | 旅行

東北、北陸、梅雨に入ったとの予報、カツパ、傘持参、しかし6日間の道中、雨に降られることなく晴天に恵まれましたが、最終日、小松空港からの最終便、羽田上空近く、ゲリラなみの雷とドシャブリの雨に、旅行中の雨がいっきに来たようでした。

無事旅行も終わりました。1年振り、皆またお互いに年を取ったような気がしますが、気持ちだけは子供の頃の姉妹に戻り話しが弾みました。

今回は「名湯山代温泉に泊まる!!とっておき北陸大周遊3日間」

東京を発ち、姉たちを乗せた新幹線新潟駅で待ちました。新潟駅新幹線改札口、駅員さんがあわただしく数人、団体さんを受け入れる体制、ホームを降りてきた人・人・やっと姉の顔を見つけ手を振りました、それにしても凄い、人数を聞いて、またビックリ参加者98名、バス3台、これだけの大型ツアーは初めてです。この人数が行動を共にする事を考えるとゾーとしました。どうみても平均年齢は私たち姉妹より上、殆どが夫婦2人連れ、中には夫婦らしからぬ同伴者、姉妹夫婦での旅行でしょうか隣で飲み陽気に、女性同士など数えるほどしかいなかったようです。決して高いツーアーではありませんが、昼食なし、夕方は一回、見学料は個人負担、今は提示する料金を抑える為にこのようなツアーになるのでしょう。1台のバスに30数名、皆顔など分かるわけもなく、いただいたバッチが頼り、皆参加者夫婦は仲良く、参加者とおしゃべりすることもなく終わりました。

札幌から新潟までの汽車の旅、汽車の旅も中々良いものです。

函館近く駒ケ岳が目の前に広がりました、今日は登山道路もはっきりと見え快晴、乗り換え程なく津軽海峡40分、あっと言うまに青森です。青森は棟方志向を始めいろいろな美術館を見学した所です。青森、弘前をでて程なく右に岩木山、遠く左手には岩手山とまだ雪のかぶった山々、田んぼはあきたこまち、あぜには青森りんご、のどかな田園風景が広がっていました。青森駅で100%のりんごジュースを飲みました。

 

           

今日はすぐ乗り換えて角館泊まりです。角館は今回の目的地の一つです。朝旅館の前で、おばちゃんたちが朝市の準備を始めていました。早速冷やかしにでかけました。つけもの「いぶりガッコ」自家製だそうです、卵焼き、ヨモギだいふく、もなか、山菜、いもようかん、型に入れたプリン等、誰が買うのかと思っていたら、おばちゃんたち手作りを持参物々交換しているようです、そのうち温泉バスが到着、おばちゃん連中がお店に、温泉に浸りながら、これらはおやつなのですね。卵焼きも、大福も売れていました。たぶん帰りは山菜等野菜も買っていくのでしょう。のどかな風景でした。秋田に行ったら昔懐かしい「いぶりがっこ」を食べてくるように友から言われました。「いぶりガッコ」とはどんな料理かと思ったら漬物でした。

  


つれづれなるままに  821  YOSAKOIの時期になると  

2009-06-11 17:59:59 | 雑記
今日も朝から雨足が激しく、昨夜から始まったYOSAKOIソーラン祭り、今年は昨年より14チーム少ない316チーム、特に札幌以外のチームが多く参加、梅雨のない北海道、憧れの札幌でと、踊りに来る方たちの為にも晴れて欲しいと願っています、が、祭り期間中肌寒い雨模様、皆さんの熱気で雨など吹き飛ばして欲しいものと思います。

昨夜、YOSAKOI仲間から電話、テレビでYOSAKOIを観、「血が騒ぐ、またYOSAKOIチーム作ってくれないか」と、「また一緒に踊ろう」とのお誘いの電話、YOSAKOI関連グッツはつい最近、処分したばかり・・何も言いませんでしたが、もう私には無理、若いリーダーが出てこなければと笑いながら電話を切りました。

この時期たぶんYOSAKOI参加経験者は、あの興奮をもう一度と思い出すのでしょう、私とて、7年間の踊り子生活、毎年見るたびに嘗て、夢中で踊った自分を思いだします。老いも若きも踊れる踊りがあるとはいえ、ファイナルコンテストに残るチームを観ても分かるように、もはや私たちが踊るには限界があるように思います。

私たちのように名のないYOSAKOIチームにしても、莫大なお金が掛かりました。練習用会場確保、衣装、踊りの振り付け、歌、地方車の乗せる音響設備、地方車の装飾と何百万のお金が必要で、会員からは衣装代のみ、後は町内隈なく寄付集め、半年間はYOSAKOIで明け暮れました。もうその力は残っていません。これからは、観て楽しむことに、嘗て踊った事を誇りに・・今夜も雨、テレビで楽しませていただきます。

明日から東北、北陸地方に姉妹旅行5泊6日の旅にでます。全国に知れ渡ったYOSAKOIどこかのお宿で姉達と観ることができるでしょう。

暫くブログはお休みですが携帯サイトで写真送信できればと思います。