つれづれなるままに 124 北村温泉と石川啄木
この北村温泉、「北」村と言う村名、わが国最初の平坦地牧場「北村牧場」明治27年頃、試験的に牛を飼育し始めたそうです。この北村牧場に嫁いできた、橘知恵子、明治40年6月から函館の小学校で教鞭を、その5月石川啄木も函館へ6月1日から同じ小学校に代用教員として勤務しました。啄木は知恵子に強く心ひかれ
”石狩の都の外の 君が家 林檎の花の散りてあらむ”
”かの時に言いそびえたる 大切な言葉は今も 胸にのこれど”
啄木は知恵子の事を 「直立たてる鹿子百合」にたとえ、処女詩集「一握の砂」の「忘れがたき人」の中に知恵子に寄せる歌22首もありますが、啄木の片思いだったようです。その後、啄木は、東京へ、肺を患い、苦しい生活、知恵子はこの「北村牧場」に嫁ぎました。知恵子は病の啄木に、当時高価なバターを送っています。「悲しき玩具」の中で、知恵子の優しい心遣いに感謝の心を込めて歌を作っています。
”石狩の空知郡の 牧場のお嫁さんより送り来し バタかな”
啄木は明治45年27歳の若さでこの世を去っていますが、知恵子さんも6人の子供に恵まれましたが、33歳の若さでこの世を去っています。こんな心温まるエピソードがあったのですね。
2006年9月、5年前の北村温泉へ行った時のブログです。今日は日帰りの老人クラブ、春の旅行会、5年前のひなびた簡素なホテルから今は立派なホテルに変身、今年2011年1月、リニューアルオープンしたばかりだそうです。湯は灰緑色かかった濁りのある滑らかな肌ざわり、沸かさず薄めず43度の天然温泉、温泉は強塩泉、塩分を多く含んでいるようです。
相変わらず飲んで歌っての1日、帰りのバスの中、学識経験者・・・この5年前に訪れた石川啄木の歌碑の話をしました。今日は啄木の歌碑が見られるかと楽しみに来たと言いながら・・。その歌碑も「北村牧場」の中にあるとか、またの機会に訪れたいものです。