千歳で往復のチケットの紙切れ1枚手渡され、自分たちで羽田で乗り継いで佐賀空港に添乗員さんは佐賀空港で待っていました。格安ツアー、団体行動は軍艦島ツアーのみ、船を降り後は自由行動、観光も、食事も、着いた日のみ夕食、朝はバイキング・・長崎の観光パンフレットをどっさりいただき、電車、バス、タクシー、これまた電車は120円、乗換はただの券、タクシー代も安く、自由行動もまた楽しかなと。長崎は坂の町、山のてっぺんまで住宅が立ち並び、道路はあるものほとんど階段で、車は下の駐車場に止めて家まで歩きとか、高齢者は大変・・しかし小さい頃から歩きなれているので足腰は丈夫だそうです。私達には無理ですが。
ツアーのメンバーーは夫婦か、若いグループ、気兼ねなく自由に観光できるメリットが・・・私達も時間を気にすることなく観光、食事もできました。
目的の軍艦島人気上昇中・・1回に上陸200人、滞在時間は30分、朝、8時20分船着き場長い行列が出来ました。上陸カードを配られて待つこと1時間、この小さな船に押し込まれ1階、2階、入り口にも、ギュウギュウづめ定員200名なのに217名だとか。いいのかな。
前日添乗員さんからの電話、上陸には、傘、杖、ヒール禁止、コンクリートを傷つけるため・・天気予報は晴れでもカッパ用意、理由が分かりました。天気でも波が荒く・・水しぶきが、今回は上陸が危ぶまれるような高波・・みなさん酔いがひどかったようです。船からの写真、ぶれてぶれて・・。
この日は波が高く、立っているのがやっと、それでも船長さんやっとの思いで桟橋に皆さんを上陸させてくれました。
個人行動なし、先ず説明を受けて見学通路に沿って写真は戻りの時と、島滞在30分もう次の船は近くで待機していました。
波が高く椅子から立ち上がり禁止、カメラもピントが定まらない。
裏から見た日本最古の7階建ての鉄筋コンクリートのアパート
島は真ん中の岩石、その周りを海底から掘り起こした土で周を埋めて護岸防波堤の拡張を繰り返して今の島の形状となりました。
ベルトコンベアーの支柱のあと、海底から上がってきた石炭はこのベルトコンベアーで船に積まれて
総合事務所でもあり共同浴場がった場所
小・中学校、1階から4階まで小学校、5~7中学校、その他講堂、音楽室、理科室と屋上には保育園
アパートの屋上には家庭菜園
端島では1810年頃石炭が発見され、佐賀藩が小規模な採炭を行っていました。1890年三菱合資会社の経営となって本格的な海底採掘が開始されましたが1916年エネルギーが石炭から石油に移ったことで出炭量、人口も減少、最盛期には約5,300人もの人が住み着いていましたが1974年1月閉山、4月に無人となりそれから45年経ったそうです。
台風の直撃、潮風、護岸堤防を越えて打ち付ける波による塩害、風化は一層進み、あと何年持ちこたえる事が出来ることでしょうか。