りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

オイル交換。

2009-09-16 | Weblog
昼休みに、愛車のオイル交換をした。

3ヶ月に一度、3000Kmで1度が目安のオイル交換。
僕の愛車は、気持ちがいいほど、毎回3ヶ月でちょうど走行距離3000Kmを迎える。
だからオイル交換の時期を忘れることがない。

「車は、オイル交換が一番大事だ。安いオイルでもいい。とにかく3000kmか
3ヶ月に1回、ちゃんと換えてやれ。そうすれば、車は大きな故障はしない。
長く乗れるぞ」

これは、僕が生まれて初めて車を手に入れた時、叔父が僕に語った言葉だ。
僕の母の弟だった叔父は、幼少の頃から僕のことを 自分の子どものように
可愛がってくれた。


叔父は車が大好きだった。
おかげで、僕は叔父の影響をモロに受けてしまい、 若干3歳にして、国道で
すれ違う車をすべて言い当ててしまうイヤ~~な子どもになり、そして、
そのまんま、こんな大人になってしまった・・・(-_-;)

まぁ、何はともあれ、僕は今も、叔父のこの言葉を、 忠実に守っているわけだ。
実際、今の愛車は本当に気に入っているし、許されるならば、一生乗りたいと
思っているし・・・。

そんな僕の言動を、叔父はどう思っているのだろうか?
今ではもう、それは分からない。

なぜなら、叔父はこの車を購入する2年前に、亡くなってしまったから。
52歳だった。
糖尿病だった。
長年患った末に、最期は心筋梗塞であっけなく逝ってしまった。
車のメンテナンスにはマメだったくせに、自分の身体のメンテナンスに
関しては、自分が経営する会社の多忙さにかこつけて、いつも後回しだった
のだ。

叔父の人生最期の車は、マツダの「ユーノスコスモ」という車だった。
バブル時代の最高級のスポーツカーだ。
よく乗せてもらった。
アクセルを踏み込むと、どこまでもどこまでも加速してゆく感覚がたまら
なかった。
そして、子どもがお気に入りのオモチャを手に入れたように、50代で嬉々として
こんなスポーツカーを走らせる叔父が、僕には たまらなく羨ましく、それと同時に憧れていた。
糖尿病が悪化して運転できなくなってからは、叔父を助手席に乗せ、僕が運転するようになった。
運転できなくても、車に乗りたい。
叔父はそんな男だった。

「お前、この車、やろうか・・・?」

亡くなる数週間前、助手席に乗った叔父は、僕に向かってそう言った。

「いらんよ」

僕は即答した。

「こんな燃費の悪い車じゃ、仕事に行けないよ。それに…叔父さんだって、また
自分でこの車を運転したいでしょう?」

僕がそう言うと、叔父は寂しそうにフッと笑った。
結局、それが叔父の最期のドライブになった。


・・・そんなことを思い出しているうちに、僕の愛車のオイル交換は終わった。
「異常なしです!」
オイル交換を終えたお店のエンジニアが、明るい声で僕にそう言った。
お金を払って、車に乗り込み、エンジンキーを廻す。エンジンが動き出し、僕は
ゆっくりアクセルを踏み込み、店を出る。


さぁ、次のオイル交換は12月だ。
コメント
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