りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

地球が僕を中心に自転した日。

2011-02-15 | Weblog
昨日は、バレンタインデーで。

振り返れば、バレンタインデーには、あまりいい思い出は残っていない。
それでも40数年間の人生でいくつか印象に残っているバレンタインデーもある。

中学1年生の時。

当時、僕には同じクラスに好きな子がいて。
その年のバレンタイン当日、なぜかその子を含めたクラスの数人と、僕は放課後に教室に残って、
他愛もない話をしていた。
しばらくすると、その子が僕を教室の端に呼び寄せて、突然、
「今日、間に合わなかったけど、今度チョコを作って来ていい?」
と尋ねてきた。

頭の中が、真っ白になった。

天にも昇る思い、というのは、ああいうことを言うのだろう。
僕の身体は、あの時確実に幽体離脱をしていた。
ちょっと、表現が大げさだろうか?
だが、どう控え目に見ても、あの時、明らかに地球は僕を中心に自転していた。

しかし、ここで大切なあることを、僕は思い出せないでいる。
それはその日以降、その子にチョコレートをもらったのかどうか・・・ということだ。

もらったような気もするし、結局もらわなかったような気もする。
どちらにしても、この最も肝心で重要な記憶が、僕の脳みそからスッポリ抜け落ちているのだ。

おそらく、実際にもらうこと以上に、バレンタインデーを過ぎようとしているのにも
関わらず、彼女が僕のためだけに「作ってくれる」と告げてくれたことの方が、当時の
僕にはよっぽど重要で大切で、宝石のようにキラキラと輝く出来事だったのだろう。

そんなバレンタインデーから20数年後の昨日。

娘が手作りのチョコレートをプレゼントしてくれた。
情けないことだが、娘からチョコレートをもらうまで、昨日がバレンタインデーだということを
僕はすっかり忘れていた。
娘の手作りチョコは、おそらく市販のチョコレートを溶かして、妻と一緒に作ったのだろうけど、
帰宅してひとくち齧ったとたん、舌が優しく痺れ、仕事で疲れた身体の隅々まで糖分が染み渡る
ような、そんな味覚だった。
僕は、まるでビールを飲んだ直後のように、反射的に「美味い!」と声をあげてしまっていた。
そんな僕を見て、娘は嬉しいくせに恥ずかしそうな笑顔を顔に浮かべた。

娘は、今年の夏で12歳になる。

父親である僕にチョコレートを作ってくれるのも、あとわずかな間だけだろう。
もしかしたら、今年が最後かも知れない。
いずれ僕でも息子でもなく、僕の知らない誰かのためにチョコレートを作る日が、いつかやって
くるのだろう。
寂しくない、といえばウソになる。
でも、そうでないといけないし、そうであってほしい。女の子として生まれたならば。

ただひとつだけ、男親としての願いを述べるならば。

願わくば、その時には、娘に片想いをしている、女の子にアプローチをすることが不器用な、
同じクラスの男の子のためにチョコレートを作ってあげて欲しい。
もしそのチョコレートを男の子にあげたら、きっと今度は、地球はその男の子を中心に自転
するはずだから。
コメント
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