りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

力石重正殿。

2011-06-08 | Weblog
娘が社会科の宿題で、自分の暮らす町の歴史を調べているという。

今、その資料らしいぶ厚い冊子が、自宅にある。
冊子の表紙を見てみると、この町の「町史」だった。

公立図書館で借りてきたのか、それとも学校の図書室で借りてきた
のか知らないが、12歳の子どもが宿題の参考資料に使うには、
ちょっと(というか、かなり)背伸びし過ぎな資料のような気がする。

解説の言葉が難解すぎるのだ。
大人の僕でも解釈に時間を要する説明や言葉がチラホラ・・・。

そんな冊子をめくっていたら、冊子の後半の方に「姓」に関する章を
見つけた。

「姓」・・・とどのつまり、名字だ。

この町に暮らしているすべての人々の名字というわけではなく、
比較的多い名字の由来について記載されているようだ。

僕の名字は、珍しい名字である。

この町独特と言っても過言ではない。
実際、その発祥の地域までは知っている。
しかし、それ以前の由来や源流までは、まるで分からなかった。

五十音順に記載されてある、この町でよく見かける様々な「姓」を
読み進めた。
それぞれの「姓」の解説の中にチラチラと見える“毛利”とか
“村上水軍”という言葉を横目に自分の名字を探した。

あった。

そこに書いてあった解説・・・藤原氏、力石重正ノ後
・・・それだけ(笑)

でも、これだけでも大きな収穫だ。
そうか、僕の家は力石重正という武将からはじまったのか。

実は、この力石(ちからいし)という「姓」もこの町にには多く、
その出自は、僕の名字よりもよく知られていた。

簡単に説明すると、力石氏は、戦国時代、毛利元就と闘って敗北した
山陰の戦国大名・尼子氏の家臣だったのだ。
敗北した尼子氏の家臣たちは、毛利氏の“捕虜”として瀬戸内海の
無人の小島に収容されたという。

その島で脈々と受け継がれてきた力石家の、おそらく傍流の力石重正公が
名字を換えて、僕の名字の家系がはじまったのだろう。

ただ肝心なことに、それがいつ頃のことなのかが分からない。

しかしあくまでもこれは推測だが、上述した戦国時代の事を考えると、
おそらく江戸時代初期の頃なのではないだろうか?
そうか・・・やはりというか、なんというか、やっぱり元は、力石だったのか。

力石重正殿。
あなたの創始した珍しいこの名字は、脈々と継承され続け、そして今は僕が受け継ぎ、
その本家の長男として、今も同じ町で暮らしております。
コメント
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