このブログにどんな風に書けばいいのか悩むほど、
濃密な2日間だった。
備忘録のように、時間軸に沿って箇条書きで
書こうかとも思ったけど、それではあまりにも
膨大&長大な日記になってしまうので、まずは
今回の上京の目的だった個展について書きたいと
思う。
6月17日から、東京で開催されていたawesome!主催の
共同個展、「ARIGTOU展」に18日・土曜日に行ってきた。
今回は僕も作品をひとつ制作して参加している。
今までも個展を開催したり、共同個展に参加した
ことはあるし、東京の「デザインフェスタ」にも
awesome!経由で参加したことはあるのだが、
「個展」となると、東京では初めてだ。
自分の作品が、東京の小さなギャラリーで
どんな風に見えるのか、とても興味があった。
どんな作品であっても、自分の創った作品は、
自分の子どもと同じだから。分身だから。
場所は東京・原宿。
正確にいえば通称・裏原宿。「裏原」である。
原宿駅で降りて、若い子たちでごった返す竹下通りを突き進み、
明治通りを横断する。
横断したとたん、ここから街の風景は一変する。
そこまでは“こどもの街”だった原宿が、いきなり“アートの街”になる。
例えが悪いかもしれないが、こんな感じなのだ↓
自分が裏原にたどり着いたことを実感した瞬間だった。
ギャラリーは、そんな街の路地の奥迫った場所にあった。
主催者のawesome!の庄司さんと再会。
仙台在住で、今回の東北大震災を乗り越えてこの企画展を開催に
こぎつけた彼女。
極論を言えば、今回わざわざ遠く広島から東京へ駆けつけたのは、
この未曾有の困難に負けずにがんばっている、同世代の彼女の
元気な顔を見たいがためだった。
開口一番、僕の口から出た言葉は「無事でよかった・・・」だった。
会場は、決して広くなかった。むしろ狭い。
しかし、それを感じさせないほど数多の作品が展示されていた。
旧知のクリエーターの作品もあれば、新しいクリエーターの作品もある。
様々なお客さんが立ち寄っていかれる中、僕の友人も何人か来て下さった。
ここ数年の間に知り合い友人になった方もいれば、東京在住の幼なじみもいた。
嬉しかった。
こういうカタチで再会できたこと、わざわざ雨の中を僕のために足を運んでくださったこと、
本当に嬉しかった。
僕の作品↓
その隣には、作品へのコメントと僕の簡単な経歴も↓
個展会場に来る楽しみに、「クリエーターとの交流」というのがある。
むしろ、そのために個展が開催される度に顔を出している気がする。
今回も、個展に参加した全国のクリエーターの方々が陣中見舞いに来られていた。
ウエツジショータローさん、西村誠さん、toytoyさん、toya chikakoさん、
富助さん、森下祐介さん、今野印刷の橋浦社長と今野さん・・・etc.
18日の土曜日、ギャラリー閉店後、都合のついたクリエーター数名で打ち上げ。
陳腐な表現しかできないが、話の花が咲きに咲いた。
そこに集っている人間は、幼なじみでも、会社の同僚でもない。
すべてクリエーター・・・つまり自分を表現する人間ばかりである。
幼なじみ同士なら、昔話に花が咲く。
会社の同僚同士なら、会社や仕事の愚痴に花が咲く。
しかしクリエーター同士は、違う。
そこには、過去も日常もないのだ。
あるのは、作品の話と、それを創った今の自分自身だけだ。
必然的にそこから生まれる話は、前を向いた話しか、ない。
それは、もう、とてつもないエネルギーを受ける。
大げさかもしれないが、自分自身の内部を駆け巡るエネルギーを
言葉に代えて口から吐き出しているようなものなのだから。
打ち上げが終わり、宿を取っていた渋谷の雑踏を歩きながら考えた。
庄司さんに会いに来た、自分の作品をこの目で見たくて来た・・・
それらはまぎれもない事実だけど、僕が東京に来た本当の目的は、
こうやって、まったく縁もゆかりもしがらみもない、だけど「ものづくり」
という共通項でつながっている人たちに会うためだったのかもしれない。
新しい人と知り合い、話ができる。
これは人間として生まれたからこそ味わえる、人生の醍醐味だと、僕は思う。
濃密な2日間だった。
備忘録のように、時間軸に沿って箇条書きで
書こうかとも思ったけど、それではあまりにも
膨大&長大な日記になってしまうので、まずは
今回の上京の目的だった個展について書きたいと
思う。
6月17日から、東京で開催されていたawesome!主催の
共同個展、「ARIGTOU展」に18日・土曜日に行ってきた。
今回は僕も作品をひとつ制作して参加している。
今までも個展を開催したり、共同個展に参加した
ことはあるし、東京の「デザインフェスタ」にも
awesome!経由で参加したことはあるのだが、
「個展」となると、東京では初めてだ。
自分の作品が、東京の小さなギャラリーで
どんな風に見えるのか、とても興味があった。
どんな作品であっても、自分の創った作品は、
自分の子どもと同じだから。分身だから。
場所は東京・原宿。
正確にいえば通称・裏原宿。「裏原」である。
原宿駅で降りて、若い子たちでごった返す竹下通りを突き進み、
明治通りを横断する。
横断したとたん、ここから街の風景は一変する。
そこまでは“こどもの街”だった原宿が、いきなり“アートの街”になる。
例えが悪いかもしれないが、こんな感じなのだ↓
自分が裏原にたどり着いたことを実感した瞬間だった。
ギャラリーは、そんな街の路地の奥迫った場所にあった。
主催者のawesome!の庄司さんと再会。
仙台在住で、今回の東北大震災を乗り越えてこの企画展を開催に
こぎつけた彼女。
極論を言えば、今回わざわざ遠く広島から東京へ駆けつけたのは、
この未曾有の困難に負けずにがんばっている、同世代の彼女の
元気な顔を見たいがためだった。
開口一番、僕の口から出た言葉は「無事でよかった・・・」だった。
会場は、決して広くなかった。むしろ狭い。
しかし、それを感じさせないほど数多の作品が展示されていた。
旧知のクリエーターの作品もあれば、新しいクリエーターの作品もある。
様々なお客さんが立ち寄っていかれる中、僕の友人も何人か来て下さった。
ここ数年の間に知り合い友人になった方もいれば、東京在住の幼なじみもいた。
嬉しかった。
こういうカタチで再会できたこと、わざわざ雨の中を僕のために足を運んでくださったこと、
本当に嬉しかった。
僕の作品↓
その隣には、作品へのコメントと僕の簡単な経歴も↓
個展会場に来る楽しみに、「クリエーターとの交流」というのがある。
むしろ、そのために個展が開催される度に顔を出している気がする。
今回も、個展に参加した全国のクリエーターの方々が陣中見舞いに来られていた。
ウエツジショータローさん、西村誠さん、toytoyさん、toya chikakoさん、
富助さん、森下祐介さん、今野印刷の橋浦社長と今野さん・・・etc.
18日の土曜日、ギャラリー閉店後、都合のついたクリエーター数名で打ち上げ。
陳腐な表現しかできないが、話の花が咲きに咲いた。
そこに集っている人間は、幼なじみでも、会社の同僚でもない。
すべてクリエーター・・・つまり自分を表現する人間ばかりである。
幼なじみ同士なら、昔話に花が咲く。
会社の同僚同士なら、会社や仕事の愚痴に花が咲く。
しかしクリエーター同士は、違う。
そこには、過去も日常もないのだ。
あるのは、作品の話と、それを創った今の自分自身だけだ。
必然的にそこから生まれる話は、前を向いた話しか、ない。
それは、もう、とてつもないエネルギーを受ける。
大げさかもしれないが、自分自身の内部を駆け巡るエネルギーを
言葉に代えて口から吐き出しているようなものなのだから。
打ち上げが終わり、宿を取っていた渋谷の雑踏を歩きながら考えた。
庄司さんに会いに来た、自分の作品をこの目で見たくて来た・・・
それらはまぎれもない事実だけど、僕が東京に来た本当の目的は、
こうやって、まったく縁もゆかりもしがらみもない、だけど「ものづくり」
という共通項でつながっている人たちに会うためだったのかもしれない。
新しい人と知り合い、話ができる。
これは人間として生まれたからこそ味わえる、人生の醍醐味だと、僕は思う。