昨日の娘の優秀賞受賞の余談。
先週、受賞の知らせが届いた時、娘が今まで見せたことが
ないくらいの喜びを爆発させた。
まぁ、夏休みの間、宿題もそっちのけで娘なりに本当に
苦労して苦労して漫画を描いていたことを知っていたので、
その喜びは、僕なりにも理解できた。
その喜びがひと段落した後のことだった。娘が僕にこう
言った。
「私、お父さんの子でよかった。お父さんが絵を描いたり
文章を書いたりする仕事をしてたから、きっと賞を取れた
んだと思う。ありがとう」
何度も日記にも書いたが、今回の娘の作品の制作には、
起承転結の考え方くらいの指摘はしたが、それ以外は、
僕はほぼまったくタッチしていない。
だから、なぜ娘がこんな事を言ったのか、最初は理解
できなかった。
僕が広告の仕事をめざそうと思ったのは、10代の頃だった。
それから高校、大学と進学したが、常に頭の中には「広告」
という仕事が存在していた。
20年前、晴れて広告業界に就職し、デザイン制作の道に入って
以降、会社を変わったり、仕事の方法やスタンスが変わったり
もしてきたが、一貫として「広告」の仕事に携わって来た。
それは誰のためでもなく、ただただ、僕のためだけに、仕事を
してきたのだ。
その気持ちは、結婚して人の親になってからも、まったく変わり
はしなかった。
辛いこともあった。しんどいこともあった。
特に家庭を持ってからは、周り眺めれば、もっと効率的で、収入も
良さそうな仕事があるようにも思われた。
でも、やめなかった。やめられなかった。
それは、なぜだか分からない。
ひと言では説明できないような気がする。
そんな時、娘から突然そんな言葉を言われたのだった。
その瞬間、初めて思った。
「もう、いいかな」、と。
もう、この仕事をやめてもいいかな、と。
上述したように、ずっと、ずっと、自分のためだけに続けてきたはず
の仕事だったのに、自分が知らないうちに、直近の、しかも自分の
血を受け継いだ人間に影響を与えていた。
嬉しいとか、感動したとか、不思議とそんな感情は湧かなかった。
それよりも自分の中で、この20年間ずっと自分と仕事をつないでいた
1本の細い糸がプツンっと切れたような感覚がした。
この1週間ほど、僕は調子が悪かった。
仕事にもさほど力が入らなかった。
今、思い返せば、娘のこの言葉も僕に影響を与えたのかもしれない。
しかし現実的に考えれば、今、仕事をやめるわけにはいかない。
まだまだやりたいことがあるし、仮に今、無職になってもこの年齢
では転職も厳しいだろう。
僕の中で細い糸は、まだ切れたままのようだ。
若い頃の骨折のように、いずれはまたつながると思う。
でも、少し時間がかかるかもしれない。
僕はバカだった。
この20年、1人で闘ってきたと思い込んでいた。
でもそうじゃなかったのだ。
知らない場所で、ちゃんと見ていてくれた人がいたのだ。
ちゃんと応援してくれた人がいたのだ。
そんなことに今ごろになって気づくなんて・・・。
早く元気になろう。
また、振り子が振り切れるくらい、バリバリに動いてゆきたい。
自分のために。誰かのために。
先週、受賞の知らせが届いた時、娘が今まで見せたことが
ないくらいの喜びを爆発させた。
まぁ、夏休みの間、宿題もそっちのけで娘なりに本当に
苦労して苦労して漫画を描いていたことを知っていたので、
その喜びは、僕なりにも理解できた。
その喜びがひと段落した後のことだった。娘が僕にこう
言った。
「私、お父さんの子でよかった。お父さんが絵を描いたり
文章を書いたりする仕事をしてたから、きっと賞を取れた
んだと思う。ありがとう」
何度も日記にも書いたが、今回の娘の作品の制作には、
起承転結の考え方くらいの指摘はしたが、それ以外は、
僕はほぼまったくタッチしていない。
だから、なぜ娘がこんな事を言ったのか、最初は理解
できなかった。
僕が広告の仕事をめざそうと思ったのは、10代の頃だった。
それから高校、大学と進学したが、常に頭の中には「広告」
という仕事が存在していた。
20年前、晴れて広告業界に就職し、デザイン制作の道に入って
以降、会社を変わったり、仕事の方法やスタンスが変わったり
もしてきたが、一貫として「広告」の仕事に携わって来た。
それは誰のためでもなく、ただただ、僕のためだけに、仕事を
してきたのだ。
その気持ちは、結婚して人の親になってからも、まったく変わり
はしなかった。
辛いこともあった。しんどいこともあった。
特に家庭を持ってからは、周り眺めれば、もっと効率的で、収入も
良さそうな仕事があるようにも思われた。
でも、やめなかった。やめられなかった。
それは、なぜだか分からない。
ひと言では説明できないような気がする。
そんな時、娘から突然そんな言葉を言われたのだった。
その瞬間、初めて思った。
「もう、いいかな」、と。
もう、この仕事をやめてもいいかな、と。
上述したように、ずっと、ずっと、自分のためだけに続けてきたはず
の仕事だったのに、自分が知らないうちに、直近の、しかも自分の
血を受け継いだ人間に影響を与えていた。
嬉しいとか、感動したとか、不思議とそんな感情は湧かなかった。
それよりも自分の中で、この20年間ずっと自分と仕事をつないでいた
1本の細い糸がプツンっと切れたような感覚がした。
この1週間ほど、僕は調子が悪かった。
仕事にもさほど力が入らなかった。
今、思い返せば、娘のこの言葉も僕に影響を与えたのかもしれない。
しかし現実的に考えれば、今、仕事をやめるわけにはいかない。
まだまだやりたいことがあるし、仮に今、無職になってもこの年齢
では転職も厳しいだろう。
僕の中で細い糸は、まだ切れたままのようだ。
若い頃の骨折のように、いずれはまたつながると思う。
でも、少し時間がかかるかもしれない。
僕はバカだった。
この20年、1人で闘ってきたと思い込んでいた。
でもそうじゃなかったのだ。
知らない場所で、ちゃんと見ていてくれた人がいたのだ。
ちゃんと応援してくれた人がいたのだ。
そんなことに今ごろになって気づくなんて・・・。
早く元気になろう。
また、振り子が振り切れるくらい、バリバリに動いてゆきたい。
自分のために。誰かのために。