りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

家族のカタチ。

2011-10-26 | Weblog

ちょっと前に、妻が某和菓子店に面接を受けたことを日記に書いた。

一昨日、昨日、妻はその店に働きに行った。
晴れて採用・・・というわけではなく、試用期間ということで2日間働きに行ったのだ。

1日目。
僕が午後8時過ぎに帰宅すると、夕食の支度をしている妻がいた。
いつもより夕食が遅い。
子どもたちが「まだ~?」と妻に尋ねている。
その問いかけに「もうちょっとよ」と妻が答えた。
力のない声で。表情のない顔で。
ほどなく夕食になったが、いつもより会話が少ない。
子どもたちが喋らない、というよりも、妻が喋らない。
いつもなら、今日学校であったことを子どもたちに尋ねたり、近所での出来事を話す
ところなのだが、お椀を持ったまま、黙々とご飯を口に運んでいるだけだった。

食事後、妻に仕事のことを尋ねた。
妻は言葉を選ぶように慎重に話した。
話している間、妻の表情は曇り、眉間には皺が寄っていた。

2日目。
僕が午後7時半頃に帰宅すると、夕食を食べる直前だった。
「おかえり」と妻が僕に言った。昨日よりは声に張りがあった。
夕食のテーブル。
ご飯を食べながら、もうすぐ修学旅行の娘に自分が小学校の時の修学旅行の話をしたり、
来年の年賀状の枚数を何枚にするか僕に尋ねる妻がそこにいた。

食事後、子どもたちがリビングに戻った後、僕はまた妻に仕事のことを尋ねた。
妻は昨日と同じようなことを話したが、その顔に曇りはなく、眉間にも皺が寄っていなかった。
そして話の最後に、何か吹っ切れたように妻はこう言った。

「近いうちに採用の是非の連絡があると思うけど、私、断るわ」

その理由も、妻は僕に話した。
それはここで長々と書くことでもないと思うので割愛するが、40代の、結婚をし、母親に
なった一人の大人の女性が決断したことなので、僕に是非はなかった。
妻がすべてを話し終えた後、僕はひとこと「お疲れさま」とねぎらいの言葉を妻にかけた。

それで、妻のこの2日間の試用期間の話は終わった。

間違っても、我が家は裕福ではない。
かと言って、借金だらけで破産寸前というわけでもない。
しかし僕一人の収入で家庭を営むには、毎月毎月の家計も大変だろうと思う。
だから、妻が働きに出れば、当然それだけ収入が増え、日々の生活も今よりは楽になるかもしれない。

しかし、経済的に明るくなったとしても、それが原因で家庭が暗くなったとしたら、まるでそれでは
絵に描いたような本末転倒ではないか。

たしかにお金は、大事だ。
しかし、キザを承知で書けば、それよりも妻の笑顔の方がよっぽど大事だ。

毎日の家事はもちろん、子どもたちの他愛もない話の相手になり、そして悪いことをした時は叱り、
疲れて帰った僕の愚痴に相づちを打つ。
そんなどこにでもある些細な日常の家庭の営みは、どう考えても妻がいて初めて成り立っている。

仕事は、また探せばいい。
いつか、自分と相性の合う仕事がみつかるはずだ。

疲れた顔をした大人が、家庭に二人もいる必要なない。
僕一人で十分だ。
じゃなければ、僕が疲れてぶっ倒れそうになった時、いったい誰が僕を支えてくれるんだ(笑)?

そんなわけで、もうしばらくの間は、我が家の家計は僕の1馬力で営むことになった。
家族のカタチが変わるのは、おあずけ。
もう少し先のことになりそうだ。
コメント
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