りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

河口の対岸。

2012-07-23 | Weblog
オスプレイが、米軍岩国基地に陸揚げされた。

一昨日あたりから、オスプレイを載せて航行するマッコウクジラのような巨大船の
所在地が、テレビニュースで逐一報道されていた。
その一方、船が到着する岩国で陸揚げに反対運動をしている人たちの模様も詳しく
報道され続けていた。

反対運動をしている人々は、当初、岩国市役所前で運動していたようだ。
しかし、船が基地の岸壁に着岸した今朝になって、人々は市役所前から、基地の至近の
場所へと移動していた。

その光景をテレビニュースで視た瞬間、思わずハッとした。
その場所は、ボクもよく知っている場所だったからだ。

広島で暮らしていた20代前半の頃、初めて手に入れたオンボロ車で、ボクはよく
岩国までドライブに出かけた。
国道に沿って広がる石油コンビナート群や岩国市街を走り抜け、大きな河を渡ると、
今度はその川岸の道をひたすら走る。

そして、しばらく走ると、河口にたどり着いた。

間違っても、狭い河口ではない。
幅が数百メートルはある、まるでちょっとした海峡のような河口だ。
そこは岩国市街からも離れていて、民家もなく、夜になると人ひとりいない、
寂しいのを通り越えて怖くなるほど、まったくの漆黒の暗闇に包まれる場所だった。

そんな闇の向こう、河口の対岸に、米軍基地があった。

基地は、敷地内の照明によってオレンジ色に浮かび上がっていた。
クルマを停め、その灯りをぼんやりと眺めていると、その柔らかい灯りの中に吸い込まれそうな
錯覚を覚えるのと同時に、その灯りと比べ、自分を取り囲んでいる周囲の闇がどれほどまでに
深いのかを、否応に教えられたものだった。

灯りは見えても、基地の中は見えない。
微かに見える鉄条網の向こうに、数棟の建物と監視台。
肉眼で認識できるのは、その程度だ。
数え切れないほど訪れたが、その場所から、人や車、まして戦闘機の姿などを見ることは一度も
なかった。

基地は、いつも目の前にありながらも、大きな河口と暗闇に隔絶された、決して近づくことが
できない遥か彼方に存在していたのだ。

今朝、人々がオスプレイ陸揚げ反対のシュプレヒコールをあげていたのは、まさにその場所だった。
テレビニュースに映った基地の南側のその河口は、海に向かって大きく開かれ、夏の強い日差しに
霞んでしまったのか、河口の向こうに見えるはずの基地までは、テレビ画面を通して目にすることは
できなかった。

何も、変わっていないじゃないか。

朝のテレビニュースを視ながら、まだ完全に目覚めていない頭の片隅で、ボクはおぼろげにそう思った。
きっと、河口にいる人々の声が基地の中まで届くことはないだろう。
どんなに目の前に見えたとしても、基地と我々の間には、今も広大な河口と漆黒の闇が横たわっている気がしてならない。
コメント (4)
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