りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

僕の走れなかった道。

2012-07-25 | Weblog
今では誰も信じてくれないけど、ボクは昔、陸上部だった。

子どもの頃のボクは、あまりスポーツが得意ではなく、野球とかサッカーとかバレーとか、そういった団体競技は、
もう本当に苦手で、そんなことをするくらいなら、一人で家でテレビや本を見ている方が好きな子どもだった。
今になって思えば、おそらく当時のボクには“協調性”というものが、少し(かなり)欠けていたのだと思う。
余談だけど、そのDNAは、そっくりそのまま、見事に息子に受け継がれている。

そんなボクが、スポーツの中で唯一と言っていいほど熱中したのが、陸上競技だった。
その中でも短距離走は本当に好きだったし、得意なスポーツだったと言ってもいいと思う。

陸上競技の良いところは、たったひとつ。
競う相手が自分自身、というところだ。

そんなところが、僕のこの少し屈折した性格とも相性が良かったのだろう。
成長期を迎えた小学6年生から突然足が速くなったボクは、中学入学後は陸上部に入部した。
中学時代の今ごろは、夏休み返上の部活で、炎天下の中、朝から汗だくになってトラックを何周も回っていた。
あの頃のボクにとって陸上は、大げさかもしれないが、ある意味“自分が生きている証”だったような気がする。

このCMを視て、そんなはるか昔のことを思い出した。

それと同時に、もうひとつのことも。
今のボクは陸上競技を遠く離れて、“広告のデザイン”という、まったく違うフィールドで生きている。
しかしフィールドは違えど、やはり今の僕にとっては広告のデザインが“自分が生きている証”なのかもしれない。
この仕事に就いた20年前、周りにはたくさんのデザイナーの卵がいた。
ボクもその中の一人だった。
それから時間が過ぎるに連れて、一人また一人と周りから仲間の姿が消えていった。
あるヤツは、卵のまま。
あるヤツは、幼いひな鳥のまま。
あるヤツは、成鳥になって飛び立ったのに、風にうまく乗れず、そのまま落ちていった。

そんな中、ボクはまだ走っている。
それが幸運だったのか、それともそうじゃなかったのかは、当事者のボクには分からない。
なぜなら陸上競技と同じで、ここで競う相手は誰でもない、自分自身なのだから。

走るしかない。
これからも、このトラックを。
それしか、ボクにできることはないのだから。

読売新聞CM「僕の走れなかった道」篇 90秒
コメント (6)
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