りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

何もなくなった風景。

2012-07-30 | Weblog
先日の山陰旅行の際に宿泊した施設。

そこはいわゆる公共の宿で、素泊まりで格安の施設だったのだけど、
部活の合宿や企業の研修にピッタリの施設で、実際にボクらが宿泊したときも、
どこかの小学校の合唱団が合宿で利用していて、施設内はさながら修学旅行状態だった。

そんな施設で、とある男性と知りあった。

2階の客室フロアの隅っこに、申し訳程度に設けてある喫煙コーナーでタバコを吸っていた時に、
その男性と出会った。
還暦を過ぎたくらいの痩身の男性で、ハッキリとは言われなかったが、どうやら会社を経営され
ているようだった。
ボクはどこから来られたのか、尋ねた。
すると男性は、岩手県の盛岡から夫婦で来た、と答えた。

あまりにも遠い地名を口にされたので、思わず驚きの表情を浮かべてしまったが、その後、
話は必然のように東日本大震災の話になった。

昨年の3月11日盛岡市内も大いに揺れたそうだが、比較的被害は少なかったらしい。
しかし、やはりその方も三陸地方で暮らしていた知人や友人をたくさん失われたそうだ。

「何もないんです」

男性は、そう言った。

「あるべきモノが何ひとつなくなってしまったんです。それはね、もうスゴい風景ですよ。
根こそぎ何もなくなった風景というのは」

震災後、男性は数え切れないほど被災地をまわられたという。
ある時は、捜索のために。
ある時は、ボランティアのために。
ある時は、仕事のために。

「その代わりと言ってはなんだけど、今までは見えなかったモノが、すぐ目の前に見えたり
してるんです。遠い海の向こうにあったはずの島とか。ビルとか家とか、遮るものが全部
なくなったから」

この話を聞いて、ボクは子どもの頃に祖父から聞いた原爆の話を思い出した。
被爆から1ヶ月ほど過ぎて、祖父は広島に訪れたという。
広島駅で汽車を降りた時、遠く広島湾に浮かんでいて絶対に広島駅からは見ることが出来なかった
似島という島が、駅の目の前に見えたという。

その話をボクは男性にした。
男性は、分かりますよ、という感じで何度も何度も深く頷いていた。

「神戸は2、3年で復興しましたけど、あれは日本の中枢都市だからなんですよね。岩手は違いますから。
岩手は日本の総生産の6%としか占めていないんです。だから復興にはほど遠い。10年・・・、いや
もしかしたら、50年かかる場所もあるかもしれません」

東北の被災地の風景は、原爆が投下された後の広島や長崎の風景とよく似ていると、実際に原爆に遭われた
方々がそう口にする。
しかし今回の震災では、原発事故まで起こってしまったために、単に風景だけでなく、そこで暮らす人々の
心情や身体的影響までも、広島や長崎とよく似た状況になってしまった。
広島や長崎には、そのことに対してとても悲しい思いを抱いている人が多いということを、ボクは
男性に伝えた。

「もしよろしければ、一度、東北へ来てください。どんなに言葉を重ねても表現しきれないモノも
あるんですよ。」

タバコを吸い終わってそれぞれの部屋に戻る時、男性は静かな口調でそう告げた。
ボクは一礼して、男性と別れた。

今回の旅行で、子ども達にとっては日本海の雄大さに触れたことが一番の思い出になったようだが、
ボクにとって最も印象的だった出来事は、この男性と出会ったことかもしれない。
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