りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

この写真かな。

2009-09-22 | Weblog
旅行の疲れも少しずつ取れてきました(笑)

たった2日間で色んなところへ行ったけど、

僕が一番よかったのは、ここかなぁ。

秋吉台。

360°すべてが緑の草原。

視界に入る色は草原の緑と空の青だけ。

陳腐な表現だけど、気持ちよかったよ~。

行く前から、“訪れたら、少しは気分転換できるかな”と

おぼろげに思っていたけど、予想以上でした。

癒された。十分に。

ホント、アレ以上の“癒し”は、最近体験してないです。

子どもたちにとっては、サファリランドやログハウス

初体験の方が強く思い出に残ったみたいだけど、

それでも6歳の息子でさえ、秋吉台の風景を目にした瞬間、

“こんな気持ちのいい風景を見たのは、生まれて初めてだ

って、目を丸くして言ってた。生まれて6年しか経ってないくせに(爆)

だから、今回の旅で一番好きな写真は、これかな。

ちなみに、秋吉台の草原を散策していた時、口ずさんでいた歌は、

浜田省吾の「風を感じて」でした
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誕生日プレゼント。

2009-09-21 | Weblog
写真は、娘からの誕生日プレゼント。

粘土で作った、俺(^_^;)

初めて見た時、悔しいけど笑っちゃったよ~ ((笑))

まぁ、元々描きやすく創りやすい“作り”をしてるからなぁ、俺(笑)

う~ん、それにしても似てるわ。

娘よ、ありがとうね
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旅行中。

2009-09-20 | Weblog
昨日から、家族で山口県内を旅行中です。

昨日は秋吉台~秋芳洞~サファリランドをまわって、
秋吉台のログハウスに宿泊。

ほとんど飲んだくれて爆睡してたので、
滞在した感覚は短かかったのだけど(笑)、
自然の中のとてもいい感じのログハウスでした♪
早朝、子ども達と周囲を散歩したけど、
気持ちよかった~(^O^)



今は、錦帯橋で有名な岩国にいます
ゆっくり訪れたのは、約20年ぶり。
城下町を気の向くまま、ぶらぶらと散策して、
夕方家路につく予定です

それにしても、渋滞と人ゴミがハンパじゃない・・・(*_*;

※写真は岩国城。
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終わりなき旅。

2009-09-19 | Weblog
手前みそながら・・・今日9月19日は、僕の誕生日です。

40歳になりました。

僕と懇意にしてくださっている方なら、よくご存知かと思いますが、
数年前までの僕は、40代になるのがもう本当にイヤでイヤで・・・。
“このまま30代でいたいよ~”と、まるで駄々っ子のように30代に
しがみついていました。

その理由は、大きく分けて2つ。

ひとつは、30代がメチャクチャ面白かったから。
それまでの10代、20代に比べても、公私ともに途方もなく密度の
濃い時間を過ごしたおかげで、本当に面白い10年間だったのです。

もうひとつは、家庭。
30歳で最初の子どもを授かって、34歳で2人目の子どもを授かった僕は、
“きっと40代は、養育費で家計は火の車になるんだろうなぁ”とか、
“そしたら、もう自分の時間も夢も、すべて失くなっちゃうのなぁ”とか、
勝手にネガティブ&マイナス指向なことばかり頭の中で想像していたのです。

2年くらい前からかなぁ・・・。
そんな僕の考えが少しずつ変わりはじめたのは。
少しずつ少しずつ変わりはじめて、ついにここ数ヶ月に至っては、
“早く40代になりたぁ~い”という、それまでの僕には
到底考えられない叫び声をあげるまでに変わってしまった (^_^;)
その理由は、たったひとつ。



それは・・・周りのみなさんです。



30代になって公私に関わらず、色んなところで知り合った方々。
遠くで近くで、お世話になり、仲よくしてくださり、可愛がってくださった、
僕より年上の、40代の先達の方々のおかげです。
もうホントに、本気でそう思っています。

みなさんとお会いして色んなお話しをしたり、またお会いできなくても
メールや電話や手紙で色んなやりとりをするうちに、“あ、40代も面白
そうじゃん”って、いつの間にか自然にそう思いはじめた
自分がいました。

“こんな40代(大人)になりたいなぁ”と素直に憧れてしまう方々が、
なんと多いことか・・・。
そんな方々とたくさん出会えたことは、僕にとって本当に貴重な財産
だと思っています。
あらためて、僕という人間と出会ってくださって、本当にありがとう
ございました。

しかし、何が起こるか分からないのが、人生。
そりゃあ、これからも色んなことが起こると思います。
若い頃に比べれば、身体も無理が利かなくなるでしょう(笑)
“不惑”と言いながらも、迷うこともたくさんあるでしょう。
そして、いよいよ老眼だってはじまることでしょう・・・

でも、それでも、ワクワクしている自分がいる。
ドキドキしている自分がいる。
40歳を迎えてもなお、そんな自分が心の中にいることを、僕は素直に
嬉しく思いたい。

道は、まだまだ続いている。はるか遠くまで続いている。
これからも自分の足で、自分の道を、自分のスピードで歩いていくつもりです。

最後に、妻と2人の子どもたちに感謝を。
いつも、ありがとう。
今の僕がいるのは、君たちのおかげです。

そして、今から40年と10ヶ月前。
この世に“僕”という生命を宿してくれた両親に、心からの感謝を。
ガキの頃はいっぱい心配をかけて、いっぱい喧嘩もしたけど、
そんな僕も一丁前に大人になって、家庭を持って、そして今年40歳を
迎えることができました。
親父、お袋・・・僕を産んでくれて、本当にありがとう。

今、僕の頭の中をこの歌がずっと流れています。
さぁ、次の扉をノックしよう。

Mr Children 「終わりなき旅」


コメント (6)
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はじまりの、前の日。

2009-09-18 | Weblog
20年前の9月18日は、たしか深夜のコンビニでバイトしていた。

広島の郊外のコンビニだったので真夜中は来客もなく、

ろくに仕事なんかしないで、有線から流れる歌謡曲を聴きながら、

賞味期限が切れたパンを食べて、雑誌コーナーの雑誌をダラダラと読んでたっけ。




10年前の9月18日は、妻の実家にいた記憶がある。

当時は、毎日仕事帰りに妻の実家に寄っていた。

その前月の下旬に、娘が生まれたのだ。

妻の実家には、その娘がいた。僕の子ども。初めての子ども。

まだ目も見えない生後一か月足らずの娘の寝顔を、いつまでも眺めていたっけ。




そして、今年の9月18日。

自宅のリビングで、発泡酒を片手にPCとにらめっこ。

PCの向こうでは、TVニュースでプロ野球の結果。

カープ、負けたか・・・・(-_-;)

妻と2人の子どもは、ずいぶん前に寝室へ入った。

きっと今ごろは、3人とも夢の中だろう。




今日は節目の前の日。

最後の日。

でも、終わりははじまり。

だから今日は、はじまりの、前の日。
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子ども達を責めないで。

2009-09-17 | Weblog
昨日は一日中、なぜかこの歌が頭の中を何回もリピートしていた。

このブログを読んでいる人の中で、この歌を知っている人は
たぶんマイノリティ(少数派)になってるんだろうなぁ・・・。
だって、今から26年も前の歌だもんねぇ。
伊武さん、若いなぁ。微妙に劇団ひとりに似てるし(笑)

しかし、久々に聴いて思ったけど、すんごい歌だよねぇ
今だと、絶対に発禁を喰らうこと間違いなし(笑)
それ以前にこういう歌を発売しようとする企画自体、今のご時世だと
浮かばないかも知れない。

当時、僕は14歳。中学2年生。
もう“子ども”というには、微妙な年齢だった。
いや、そういう年齢だったからこそ、この歌は衝撃的だった。

もちろん、この歌を真正面から信じるようなことはしなかった。
自分でいうのもなんだけど、そこまで“バカ”じゃなかったから。
そしてこんな歌が普通に世間に発表されたということは、当時の
社会も、この歌を許容できる寛大さがあったのだろう。

上記したとおり、今、この歌を発表したら、必ず何らかのリアクション、
・・・おそらく、あまり良いリアクションは起こらないはずだ。
それは今の社会には、この歌を許容できるだけの寛大さがないことの
証しだと思う。

僕は、こう思う。
伊武さんはもちろん、作詞をした秋元康氏も、きっと本心では子どもが
好きなのだ。
好きだからこそ、子どもを妬む歌を書けたし、歌えたのだ。
本当に嫌いなら、口にするのも嫌なはずだ。

この歌が発表された頃の社会と今の社会が決定的に違うこと・・・
それは、今の社会はこの歌の通り・・・つまり、本当に子どもが嫌われる
社会になっているということではないだろうか?

つまり、社会に“余裕”がないのだ。
もっと簡単に言えば、“シャレ”にならないのである。

昔はこの歌に限らず、様々なアンチテーゼ的な歌があった。
しかし、今では周囲を見まわしても、そんな歌が世間に流布している
様子は見られない。
仮に発表したとしても、余裕のない世間から真正面から捉えられて、
抹殺されるのがオチだろう。
今の社会は、アンチテーゼさえも規制される世の中になってしまって
いるのかも知れない。

こんな歌が公に歌える世の中に、もう一度戻れないものだろうか?

「子ども達を責めないで」伊武雅刀


コメント (2)
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オイル交換。

2009-09-16 | Weblog
昼休みに、愛車のオイル交換をした。

3ヶ月に一度、3000Kmで1度が目安のオイル交換。
僕の愛車は、気持ちがいいほど、毎回3ヶ月でちょうど走行距離3000Kmを迎える。
だからオイル交換の時期を忘れることがない。

「車は、オイル交換が一番大事だ。安いオイルでもいい。とにかく3000kmか
3ヶ月に1回、ちゃんと換えてやれ。そうすれば、車は大きな故障はしない。
長く乗れるぞ」

これは、僕が生まれて初めて車を手に入れた時、叔父が僕に語った言葉だ。
僕の母の弟だった叔父は、幼少の頃から僕のことを 自分の子どものように
可愛がってくれた。


叔父は車が大好きだった。
おかげで、僕は叔父の影響をモロに受けてしまい、 若干3歳にして、国道で
すれ違う車をすべて言い当ててしまうイヤ~~な子どもになり、そして、
そのまんま、こんな大人になってしまった・・・(-_-;)

まぁ、何はともあれ、僕は今も、叔父のこの言葉を、 忠実に守っているわけだ。
実際、今の愛車は本当に気に入っているし、許されるならば、一生乗りたいと
思っているし・・・。

そんな僕の言動を、叔父はどう思っているのだろうか?
今ではもう、それは分からない。

なぜなら、叔父はこの車を購入する2年前に、亡くなってしまったから。
52歳だった。
糖尿病だった。
長年患った末に、最期は心筋梗塞であっけなく逝ってしまった。
車のメンテナンスにはマメだったくせに、自分の身体のメンテナンスに
関しては、自分が経営する会社の多忙さにかこつけて、いつも後回しだった
のだ。

叔父の人生最期の車は、マツダの「ユーノスコスモ」という車だった。
バブル時代の最高級のスポーツカーだ。
よく乗せてもらった。
アクセルを踏み込むと、どこまでもどこまでも加速してゆく感覚がたまら
なかった。
そして、子どもがお気に入りのオモチャを手に入れたように、50代で嬉々として
こんなスポーツカーを走らせる叔父が、僕には たまらなく羨ましく、それと同時に憧れていた。
糖尿病が悪化して運転できなくなってからは、叔父を助手席に乗せ、僕が運転するようになった。
運転できなくても、車に乗りたい。
叔父はそんな男だった。

「お前、この車、やろうか・・・?」

亡くなる数週間前、助手席に乗った叔父は、僕に向かってそう言った。

「いらんよ」

僕は即答した。

「こんな燃費の悪い車じゃ、仕事に行けないよ。それに…叔父さんだって、また
自分でこの車を運転したいでしょう?」

僕がそう言うと、叔父は寂しそうにフッと笑った。
結局、それが叔父の最期のドライブになった。


・・・そんなことを思い出しているうちに、僕の愛車のオイル交換は終わった。
「異常なしです!」
オイル交換を終えたお店のエンジニアが、明るい声で僕にそう言った。
お金を払って、車に乗り込み、エンジンキーを廻す。エンジンが動き出し、僕は
ゆっくりアクセルを踏み込み、店を出る。


さぁ、次のオイル交換は12月だ。
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文藝春秋。

2009-09-15 | Weblog
先月、文藝春秋を買った。

生まれて初めて。

文藝春秋なんて、僕にとっては、今までは書店で立ち読み&つまみ読みするか、

もしくは、通院している病院の待合室の本棚にあったら、

自分の診察時間が来るまで、渋々と目を通すような雑誌だった。

でも、今回は買っちゃったのよ。

目的は、芥川賞受賞作の「終いの住処」。

本も刊行されたけど、それよりも文藝春秋の方が安かったもんで(爆)

しかも、他にもいろんな記事が載ってるしねぇ (^0^)

そう思いながら、はや1ヶ月・・・。

全然ページを開く暇がなかったのだが、先日、やっと開いた。

「終いの住処」、今、読んでる最中っす。

感想は。。。。。

う~~~~ん ・・・(-_-;)

・・・今のところ、あんまり・・・ (^_^;)

また読み終えたら、ブログに感想を書こうかな。

でも、もし数週間過ぎても感想がUPされなかったら、

・・・まぁ、僕にとっては、そういう小説だったということで(爆)
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茜色の夕暮れに。

2009-09-14 | Weblog
昨日の夕方、雑用があったので、実家に帰った。

一人で帰るのがなぜか照れくさかったので、退屈そうにTVを
見ていた息子を誘った。

帰ると、親父とお袋がいた。

親父は居間でTVを見ていて、
お袋は台所で夕食の準備をしていた。
親父は、僕が息子を連れて帰ったことに気付くと、僕をそっちのけで、
孫の相手をはじめた。
「幼稚園は楽しいか?」
「何で、お姉ちゃんは連れてこんかったんな?」
「せんべい、食うか?」
・・・絵に描いたような好々爺である(笑)

僕は、2階の昔の自分の部屋に上がって、用事を済ませると階下に降りた。
息子の相手は親父に任せて、僕は台所に行って、冷蔵庫から勝手に麦茶を
出して飲んだ。
「別に麦茶じゃななくても、オレンジジュースとかあったじゃろう?」
麦茶を飲んだ僕を見て、お袋はそう言った。
お袋は魚をさばいていた。
たぶん、今日の夕食は煮魚だろう。
最近、めっきり歯が弱くなったと、親父もお袋も言っていた。
「喉が渇いとっただけじゃけぇ、麦茶でええわ」
僕はぶっきらぼうにそう答えた。

それから僕は食卓に座って、お袋と他愛もない会話をした。
家庭のこととか、子どものこととか、近所のこととか、まぁ、そんな話だ。
その流れの中で、僕は思わずポロッと、こんな言葉を口にしてしまった。

「俺も、今度の土曜日で40歳だよ・・・」

その言葉を聞いた母は、さばいた魚を皿に移しながら、笑った。
「そりゃあ、年も取るわね、子どももあんなに大きくなったんじぇけぇ、
あんただけ若いまんまの方がおかしいじゃろ?」
「じゃけど、40歳ってもっと大人だと思ってたけど、こんなに幼いと
いうか・・・こんな40歳でええんかなぁ?」
「あんた、そりゃあ、何歳になってもそう思うもんよ、私だってもう
65歳なんじゃけぇね」
そう言って、お袋はまた笑った。
「でも、どう転んでももう“オトナ”じゃもんねぇ・・・甘えるような
トシじゃなくなるわ・・・。若い頃は“40歳”って、もうホントに大人に
見えたもん」
僕がそう話しても、お袋は笑うだけで、僕に背を向けて包丁で何かを
切っている。

「甘えても、いいんよ」

お袋が、振り返ってそう言った。
お袋が切っていたのは、豆腐だった。

「あんたも家族がおるんじゃけぇ、しっかりせんといかん時は、しっかり
せんと。・・・でも何歳になっても甘えられる時は、甘えてもええんよ」
お袋の言葉に、少しだけ、ほんの少しだけ、目頭が熱くなる。

お袋の言葉を聞いて、僕はお袋と会話をはじめた時から、喉のすぐ上まで
昇って来ていながらも、口にするのを躊躇していたある言葉を、思い切って
お袋にぶつけた。

「なぁ、俺、もうすぐ40歳になるけど・・・お袋や親父にとって、いい子
だったかな?」

「ああ、ええ子じゃった」
お袋は、即答した。
「今も、ええ子じゃ」
お袋は、続けた。
「子どもの頃はよう心配かけられたけど、今はちゃんと働いて、家族を持って、
子どもを連れてこうやって家に顔を出してくれる。H(弟)もそうじゃ。昔は
ヤンチャで本当にどうなるのか心配したけど、あの子もちゃんとした大人に
なって、今は遠い所に住んどるのに家族みんなでよう帰って来てくれる。息子
同士が今も仲よくしてくれて、孫たちが家で遊んでくれて、お嫁さん同士が
仲よくしてくれている姿を見れるのは、本当に幸せ。それに何よりも、みんな
元気で健康じゃろ。それだけで、もう十分。・・・本当にあんたらは、みんな
ええ子じゃ」

何も、言葉が出てこなかった。
お袋も自分の言葉に何かを感じたのか、それっきり僕に背を向けて再び流しで
夕食の準備をはじめた。

「帰るわ」
しばらくして、そう言って僕が腰を上げると、
「気をつけてね」と、
少し鼻くぐもったお袋の声がお袋の背中越しに聞こえた。

居間に行くと、チラシの裏に絵を描いている息子と、その絵に向かって
「これはどういう名前の恐竜な?」と質問している優しい目をした親父がいた。
僕が帰ることを告げると、息子はまだ居たそうな表情をしたが、晩ご飯とか、
ちびまる子ちゃんとか、サザエさんとか、そういう言葉を並べて説得すると、
渋々と帰る準備をはじめた。

息子と一緒に実家の玄関を出ると、周囲はすっかり夕暮れの景色になっていた。
西に目を向けると、空の端がほのかな茜色に染まっていた。
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DADDY'S TOWN

2009-09-13 | Weblog
昨日は、所用で広島ベイアエリア(こう書くとカッコいいな♪)を
車で東奔西走。

西は大竹まで行ってきた。
広島県大竹市。
山口県と県境のこの町は、浜田省吾が若い頃、
デビュー直前に暮らしていた町だ。
そしてこの町をモデルにした歌が、1984年に
発表した「DADDY'S TOWN」だ。

昨日はカメラを持っていたので、岸壁周辺の風景を
パチパチと何枚か撮った。






それにしても、相変わらず歌詞の通り、パルプの匂いがすごい・・・(-_-;)







久々に訪れたけど、やっぱり浜田省吾の歌が似合う町だ。
ちなみに今回、車の中では、ドリカムの歌が流れてましたが(爆)♪


浜田省吾 DADDY'S TOWN


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