りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

LP。

2011-08-17 | Weblog
今日から、お仕事お仕事。

でも、案の定まだ頭のチャンネルは戻りきってない。
まぁ、少しずつ戻ってゆくことでしょう。
なるようになるさ☆

一昨日、昨日と帰っていた実家のかつての自分の部屋で色々と物色していたら、
LPレコードが出てきた。「おお!そういえば、これ持ってたなぁ~」と思わず
声を上げながら、写メ。



●「The Power Station」The Power Station(左)
 ロバート・パーマーとデュラン・デュランのアンディ・テイラーと
 ジョン・テイラー達が組んだバンド。
 B面(死語)1曲目のT-REXの「Get It On」のカバーは、死ぬほど
 カッコよかった。
●「Synchronicity」The Police(右)
 言わずと知れた、ポリスの傑作アルバム。「みつめていたい」は
 80年代を代表する珠玉のバラード。



●「Nothing To Lose」レベッカ(右)
  こんなの持ってたこと自体、忘れてた。でも僕らが10代の頃は
  みんな聴いてたもんなぁ。これは2ndアルバムですね。まだ彼らが
  「フレンズ」で大ブレイクする1年前のアルバムですね。
●「JUST A HERO」BOØWY(左)
  説明不要(笑)。これももう、み~~んな聴いてたから。
  先日の東京ドームの氷室のチャリティーライブでは、僕も再結成して
  欲しかったと思っている1人です。



●「J.BOY」浜田省吾(左)
●「BIG WAVE」山下達郎(右)

 2人まとめて(笑)
 このアルバムを購入した当時(80年代半ば)、まさか今も彼らが現役で
 活躍し、そして僕自身も40代になっても聴き続けているとは予想だに
 していなかった。
 もうそれだけで、リスペクトの対象です。



●「ウイスパー」小泉今日子
 僕の青春です(笑)
 彼女もそうだなぁ・・・。いまだに僕にとってのアイドルは彼女。
 ただひとつ変わったのは、昔は「かわいい」っていうのがファンである
 理由だったけど、今は「カッコいい」っていう理由に変わったかも。



●「NIGHT WALKER」NOBODY(左)
 “NOBODY”って言っても、今の若い子たちは知らないだろうなぁ。
 カッコよかったよ~。・・・あ、今も活動してるんだよね、失礼しました。
 このアルバムは、彼らの代表作品じゃないかな。
 「MTV SHOCK」は、歌詞だけ聴くと今ではちょっと時代を感じるけど、リズムや
 ビートは今でもサイコーにイカしたR&Rチューン。
 「DARLIN' DARLIN' 」は、高校時代に友達がバンドでコピーしてたなぁ。
 今聴いても、名曲です。
●「COMPLICATION SHAKEDOWN」佐野元春(右)
 よく考えたら、僕は佐野さんのアルバムを持っていない。全部CDなんだ。
 これは12インチシングル。
 懐かしいよねぇ、12インチシングル。
 しかし、いったい何だったんでしょうか?12インチシングルって。
 CDの時代が確実に訪れつつあった時代の、レコードの最後の抵抗・・・って
 とこか?
 NOBODYと12インチシングル。
 今の若い子たちは知らない2ショットですな(笑)



●「The John Lennon Collection」ジョン・レノン(左)
 ベストアルバム。
 ジョン・レノンのビギナーには、最適なアルバムだと思う。
 1曲目からラストまで、代表曲のオンパレードです。
 ちなみに、このアルバムジャケットの写真は、彼が暗殺された
 当日の朝に撮影された最後の公式写真だという。
●「PIPES OF PEACE」ポール・マッカートニー(右)
 1983年のアルバムですね。
 この頃のポールの作品って、好きな人と嫌いな人がハッキリ分かれる
 ようだけど、僕は好きだったなぁ。
 今風にいえば、いろんなミュージシャンとコラボしたり、相変わらず
 マーケットを意識したポップなナンバーを発表したり。
 このアルバムも、マイケル・ジャクソンとのデュエット「Say Say Say」が
 収録されていたから買った。
 どこかの評論家が言ってたけど、この頃のポールはジョンの逝去という
 現実から逃れようとしていたのか、それとも受け入れようとしていたのか
 分からないが、“ジョンの代わりはいない”ということを自分に分からせるために
 様々なミュージシャンとコラボレーションを活発にしていたのだ・・・と
 言っていた。
 もしそれが本当なら、少し切ないアルバムでもある・・・。


 ・・・いやはや、思ったよりも長い日記になってしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最終日。

2011-08-16 | Weblog
昨日から実家に帰ってきています。

自宅から近い、と言っても、やっぱり実家は実家。
帰ると気持ちが違いますね。

夕べは、幼なじみの家に何人か集まって、いわゆる「家飲み」。
店ではないし、メンバーも顔なじみばかり(一人だけ新顔がいたが)なので、時間もお金も気にせず、ひたすらダラダラのんべんだらりと・・・。
弛緩し放題の時間を夜中まで過ごしまして(笑)

まぁ、これが、この連休中で唯一、妻も子どもも両親も関係ない、僕個人の「休み」になった気がする。


そんなお盆休みも今日でおしまい。
今日は明日からの「日常」に備えて、おとなしく過ごすとします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閉塞の夏。

2011-08-15 | Weblog
本音を吐露すれば、今まで8月15日を特別に意識して
過ごしてこなかった。

それは僕が戦後生まれだからとか、
広島県民で親族に被爆者がいるので8月6日を意識し
すぎた反動だからとか、
お盆の真っただ中で従兄弟や友達と遊ぶことを優先
させてきたからとか、今になれば色々と
言い訳もできるのだが、全部本当のことでもある。

しかし、今年は違う。

いつもの年よりも少なからず8月15日を意識している
自分がいる。
このブログをお読みの方で、僕と同じような方も
少なからずいらっしゃるのではないだろうか。

その理由はおぼろげに・・・いや、よく分かっている。

しかし、あれから66年が過ぎたが、これほどまでに
閉塞感に覆われた8月15日を、この国は今まで迎えた
ことがなかったのではないだろうか。

5月の日記にも書いたが、今、この歌がずっと響いている。
1986年の発表から25年間、この歌はどこにでもいるような
働く男の1人称の歌だった。
そう思い込み、気持ちが落ち込んだ時にこの歌を聴いて
鼓舞されてきた人も多かったことだろう。僕もそうだった。

しかし、今年。

3月11日を境に、この歌は変わってしまった。
アレンジはもちろん、歌詞も一言一句そのままなのに、
まったく違う意味を内包した歌に一変してしまった。
5月の広島でのライブで直接この歌を耳にした時、僕はそう
直感したのだ。
その時、僕は生まれて初めて、「歌」という表現が「時代」と
呼応した瞬間に立ち会ったのかもしれない。

いつかまた、この歌の意味が“1人の働く男の歌”に戻る時が
やってくるのだろうか。

それは、分からない。
今は、分からない。

ライブの会場で、僕の斜め前の席に同世代の女性がいた。
この歌が演奏されている間、彼女は号泣しながら一緒に歌っていた。
その姿が、今も僕の両目に焼きついている。

浜田省吾「J.BOY ( from " THE LAST WEEKEND " )」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お盆らしい1日。

2011-08-14 | Weblog
今日は忙しいです(汗)

●AM11:00~ 妻の実家へ&お墓参り 
●午後~ 妻の兄弟&親戚集合でドンチャン騒ぎ
●午後6時~ 帰宅して、地区の盆踊り会場で準備
●午後7時~ 盆踊り
●午後10時頃~ 僕の実家へ

・・・とまぁ、こんな感じ。
まぁ、“お盆ならではの行事”を一日でやって
しまおうという感じですな(^_^;)
しかし最後に書いた予定は、体力が残っていたら・・・だなぁ(笑)
すぐ近くなんだから無理して行かなくても・・・って感じか。 

みなさんは、どんなお盆休みを過ごされているんでしょうか?
もっとも、お盆休みなんて関係ない!って方もいらっしゃるだろうし。

どなた様も暑さに気をつけてお過ごしださい☆  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

干汐海水浴場。

2011-08-13 | Weblog
昨日の午前中、子どもにせがまれて海へ泳ぎに行った。

干汐(ひしお)海水浴場。

僕が暮らす島にある、昔ながらのひなびた小さな海水浴場だ。
遠浅の海が広がり、波も穏やかで、そのせいか訪れる海水浴客も
その大半が家族連れである。
しかし昨日は、午前中だったからか、まだ海水浴客も少なく、
浜辺はまるでプライベートビーチ状態だった。

僕らが子どもの頃も、海に泳ぎに行く、と言えば、それは
干汐のことを指していた。
友達と自転車を漕いで、汗だくになって到着して泳ぐ海ほど
気持ちがいいものはなかった。

干汐は、その頃とほとんど変わっていない。
風景も、日差しも、訪れる客層も、まるでこの浜辺だけ
時間が止まったままのようだ。

沖に浮かぶ飛び込み台へ泳いでゆく。

ほどなくたどり着くと、昔のように僕は台の上であおむけに
寝転んだ。
太陽の光が肌を焼く。
緩やかな風が体を撫でる。
浜辺の方から家族連れの声や蝉の大合唱が耳に届く。
そして、濃い潮の香りが鼻をくすぐる。

目を閉じていると、身体は40代だけど、中身は15歳、13歳、
10歳・・・と逆行してゆくような錯覚に陥った。

飛び込み台から飛び込んで、一度浜辺に戻った。
すると、入れ替わるように子どもたちが嬉々としながら
飛び込み台に向かっていった。

いつの時代も、干汐は子どもたちの海だ。
いつまでも、僕らの海だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残暑お見舞い申し上げます。

2011-08-11 | Weblog
タイトルに「残暑」と書いたが、いったいどこが“残”なのか・・・というくらいの猛暑。

明日から、仕事は夏期休暇に入ります。
5日間のお休み。
でも、当たり前だけど、子どもの頃にように“うぁ~い、夏休みだぁ~!”というような、有り余るほどの
高揚感があるわけではなく、もう淡々と過ごしております。

毎年ブログにも書いてるけど、休みと言っても、色々と家族的な用事や地区の用事がすでに予定に入って
いるし、自分の時間なんて皆無に等しい。去年なんて、連休の初日の夜に、岡山辺りに何の目的もなく、
一人でブラ~っと、ドライブに行ったくらい。
だから今年も、あっという間の5日間になることは、もう必至。

それでも、休みは休みだから。

少しでも心と身体の気分転換をしましょうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も、読んでます。

2011-08-10 | Weblog
村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」。

このブログをはじめた最初の頃にも書いたけど、
毎年、夏になると、僕はこの小説を本棚から引っぱり出す↓
http://blog.goo.ne.jp/riki1969/d/20080702

この小説を初めて読んだのは、奇しくも僕が21歳の時だった。
だから、29歳になったら、読むのをやめようと思っていた。
それなのに、40代になった今でも、毎年8月8日から8月26日の
間に、この小説を読んでいる。
もはや、僕にとって完全に夏の恒例行事になってしまっている。

いったい、何が“奇しくも21歳”で、なぜ29歳で読むのをやめ
なければいけないのか、そしてなぜ8月8日から8月26日の間まで
に読んでいるのか・・・この小説を読んだことがない方には、
とんと解せないかもしれない。

しかし、この小説は僕にとってそういう小説なのである。
(まったく答えになっていない・・・)

今年も本棚から引っぱり出してきたが、さすがに20年前に購入した
本なので、くたびれ具合が著しい。
それでも、また来年の夏も、きっと僕はこの本を本棚から引っぱり
出すのだろう。

物語の終わりの方に綴られている一文がある。

“あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。
僕たちはそんな風にして生きている。”

最近、やっとこの一文の意味が、少しずつ分かりはじめたような気が
している、40代の中年男。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叱る。

2011-08-09 | Weblog
昨日、娘を叱った。

理由は、些細なこと・・・といっても叱るに値すると
思ったので叱ったのだが。

娘を叱ったと言っても、感情に任せて暴言を吐くような
真似はしていないし、まして手など出してはいない。
感情を抑えてコンコンと説教した・・・けど、僕もまだ
親として未熟なのか、話し続けてるうちに少しずつヒート
アップしていって、気がつけば語尾は荒くなっていた。

そんな僕の説教を聞きながら、娘は泣いた。

僕は子どもを叱ることは滅多にない(と自分では思っている)。
なぜなら、一応、僕なりに自分の中で子どもを叱る時の目安と
いうか決め事を持っているからだと思う。
別にそれは、大した目安ではないし、決め事も多くない。
たった、ひとつだけだ。

それは、誰かに失礼なことをした時。

今、思い返してみても、僕が子どもたちを叱る時は、この
1点を逸脱している時だけだと思う。
誰かに失礼なことをする・・・といっても相手は子どもなので、
別に大人の世界のような裏切りや理不尽な行為で迷惑をかける
わけではない。

簡単に言えば、嘘をついたかどうか、だ。

当たり前のことだが、「嘘をつく」という行為は、相手がいて
初めて成立する。
そして「相手がいる」という事は、他者が自分の存在を認めて
くれて初めて成立する事象である。
だから「嘘をつく」という行為は、相手に失礼をするだけなく、
自分の存在事態さえも否定する行為なのだ・・・と僕は考えている。

だから、叱る。

しかし、今回の娘の一件はそんな子どもの“嘘”とは少し違っていた。
言葉が違うかも知れないが、少しレベルアップした“失礼”だった。
だが、たとえレベルアップしたといっても、また親子であっても・・・
いや、親子という人間関係の基礎中の基礎での“失礼”だったからこそ、
指摘する必要があると僕は思ったのだ。

僕は出来るだけ言葉を選びながら慎重に諭すように、娘と対峙した。
しかし上述したように、気がつけば語尾が荒くなり、どうやら最後は
怒鳴ってしまっていたようだ・・・。

泣きながら謝ってリビングから娘が自分の部屋に戻った後、すぐ傍で
僕と娘のやりとりを無言で聴いていた妻に目を向けると、なんとも形容
しがたい表情をしていた。あえて言うなら“しょうがないなぁ~”とい
う顔である。もっともそれが誰に対しての“しょうがないなぁ~”なのかは、
あえて尋ねなかったが・・・。

疲れた。

叱るという行為でこんなに疲れたのは、初めてかもしれない。
もちろん体力的ではなく精神的に・・・なのだけれど。
おそらくそれは、これも上述したように、今までの子どもの「嘘をつく」と
いうレベルではなかったからだと思う。

ひとつ、分かった。

叱るという事は、自分をさらけ出すことなのだ。
40数年間の人生で、自分なりに培った拙い人生哲学やポリシーや教訓を
これまた拙くまだまだ数少ない引き出しの中から引っぱり出して、それを
子どもにぶつける行為なのだ。

自分の身を削るとまでは言わないが、中身を引っぱり出して見せるのだから、
疲れない方がおかしい。

娘は今月、12歳になる。
いよいよ男親には接し方が難しい年代に突入する。
これから先、叱ることによってクタクタになるような時が数えきれないほど
訪れるかもしれない。
しかし、そうでないといけないと思っている自分もいる。

子どもが12歳なら、親も12歳。

こっちだって、伊達や酔狂で親になったわけじゃない。
どこまでクタクタのボロボロになっちまうか、親になった以上、行くところ
まで行ってやろうじゃないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古いモノ。

2011-08-08 | Weblog
昨日、親戚の叔母家族がちょっと早い墓参りがてら、
僕の実家へ寄った。

実家の近く暮らす僕も、顔を出した。

叔母家族とは、本当に久々・・・というわけではないが、
それでも疎遠になった親戚の話から最近の世相の話まで、
話が尽きることがなかった。

その中で叔母曰く、“この辺りも変わった”と。
この辺りとは、実家の辺りのことらしい。
昔、この実家を今は亡き祖父が建てた頃は、この辺りは
一面原っぱというか荒れ地というか、とにかく家は数え
られるほどしか無く、平地はそんな様相でも、小高い丘
にはミカン畑が広がっており、そんな風景の中に、明治
末期に建てられた小さな洋風の小学校がポツンと建って
いたという。
ちなみに、僕の実家はその小学校のすぐ斜め前にある。
もっとも、その小学校は今から35年前に廃校になってしまい、
他校と統合され2キロほど南に新しい小学校が造られた。

ちなみに、僕はその新しい小学校の1年生第1号である。
つまり僕は目の前に小学校があったにも関わらず、廃校&統合
という大人の勝手な理由で、齢6歳の小さな体で片道2キロの
通学路を通う身になってしまったのだ。

“なぜ、あんな瀟洒な学校を残さなかったのか?”

叔母はそう言った。少し憤っていた。
あんなに可愛くて歴史を感じさせる校舎は、今の世の中どこを
探しても残っていない。もったいない、もったいない・・・。

叔母の話には一理あるような気がした。
でもその一方で、それは今だからそう思える話のような気もした。

あの頃・・・つまり実家の前の小学校が廃校した頃は、今のように
古いモノを大切に扱う気風は、今ほど世の中に無かったような気がする。
それは子どもだった僕でさえも、幼い子ども心に、無意識に感じて
いたような気がする。
それが建物であろうが小さな生活用品であろうが、常に新しいモノを
追いかけ追いかけ追いかけ追いかけ・・・そんな時代だったのでは
ないだろうか。
古いモノは悪・・・とまでは言わないが、疎まれる格好の対象だった
ような気がするのだ。

世の中が、今のように古いモノを大切にしはじめたのはいつの頃だろうか。

僕が思うに、ここ20年ほどの間ではないだろうか。
おそらくバブルがはじけたあの頃、人は温故知新よろしく、古いモノに
一斉に優しい目を向けはじめたような気がする。
そういえば、日本がユネスコの世界遺産条約に加盟して、国内に世界遺産が
続々と生まれた出したのもこの頃だ。

叔母たちは夕方帰宅した。

見送った後、実家の前の道で携帯で写真を撮った。
道の北側は、そんなに風景は変わっていないような気がする↓



しかし、道の南側は大きく変わった。
向かって左手の家がある辺りが、上述した小学校があった場所だ。
廃校した後、跡地はゲートボール場になり、その後広場になり、子どもたちの
格好の遊び場だったが、この5年くらいですべて宅地分譲されてしまった↓



遠くに見える山は、高見山という山。
僕が暮らす島の最高峰・・・と言っても標高280m弱だが(笑)
人間の目線で見る風景は変わってしまっても、山の姿カタチは、ほとんど
変わっていない。
もし高見山に“意思”というものがあるのならば、いったい高見山は、
どんな風に、この島の変遷をみつめているのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャンパス。

2011-08-07 | Weblog
昨日、広島へ行った帰りに、母校の大学へ寄ってみた。



訪れたのは卒業以来。
つまり、20年ぶり、ということになる。

大学は、山の斜面を強引に切り崩したような場所に
建てられてる。
だから、キャンパス自体も斜面に沿って広がっている。
大学時代は、この坂道を登ったり降りたりを繰り返した↓



掲示板。
当時はインターネットもメールもなかったから、
学生のための「情報」は、ここにすべて掲示されていた。
僕がここで一番よく探したのは、自分が受ける講義が休講に
なっていないかどうか・・・ということだった。
休講なら、その足でキャンパスを後にして、自分の家へ帰るか、
友達の家へ直行して次の講義の時間までよく時間を潰したっけ↓



大学時代、最も時間を費やした場所であろう中広場。
ここで、学生食堂で買った弁当を食べたり、友達とタバコをくゆらせながら
雑談に興じたりしていた。
昔は、アスファルト敷きの地面と芝生の花壇と数本のソテツが
植樹されていたのに、すべて一新されてどこかの病院の中庭のようになっていた↓



そんな中庭の奥に喫煙コーナーがあった。
そこで2人の学生がタバコを吸っていた。
昔はそこらじゅうでタバコは平気で吸えたけど、これも時代なのだろう。
その2人の学生と目が合った。
キャンパスを徘徊する、明らかに学生ではない中年の男を、
学生は、まるで不思議な生き物でも見るような目で見ていた。

何回生だろう?

2回生か3回生くらいだろうが、20歳前後には変わりないだろう。
・・・ということは、僕がちょうどこの大学、このキャンパスで
過ごしていた頃に生まれた子たちということになる。
そう気づいたとたん、ちょっと感慨深い思いがした。

キャンパスの中を散策したのは、
結局約20分程度の短い時間だった。

しかし、“懐かしい!”という思いはなぜか湧いてこなかった。

なぜだろう?

僕が通っていた頃に比べると、倍近く校舎が増えてしまった
からだろうか?
それとも、中学や高校とは違って、毎日毎日朝から夕方まで
通うわけではなかったからだろうか。
それとも、懐古主義に浸るには、20年という歳月では、まだ
まだ熟成期間には短すぎるのだろうか。

ひとつ、気づいた。
喫煙中の学生には遭遇したが、他にはまったく学生がいなかった。
夏休みのど真ん中だから当たり前ではあるが。
しかし、僕がキャンパスに懐かしさを感じなかった最たる理由は
それかもしれない。

ポツンと1人でたたずむキャンパスには、違和感を感じざるを得なかった。
やはり大学のキャンパスという場所は、多種多彩な学生がひしめく
ようにいて、初めて実体を感じられる場所なのかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする