アンソニ・ヴァン・ダイク リッチモンド公ジェームス・ステュアートの肖像
ビヨルン・アンドレセン 「ベニスに死す」より
「美しさは免罪符」であると思うことがある。
バジルと同じ罪を犯しているのだ。
でも、最高のインスピレーションをもたらしてくれるなら、何がいけないのか。
しかし、危うさのない完璧すぎる美はそれ自体で完結していて、想像の余地がないことも知っている。
不確定さが、美には必要な要素でもある。
それは、ヘンリー・ウォットンの持論だ。
なんと人を酔わせ麻痺させる毒なのだろう、即効性もありしかも持続性も持つ。
耽美的で幻想的なこの作品の毒が、自分に浸透しているのがわかる。
この酩酊状態から抜け出したいと思うけれど、解毒剤は見つからないだろう。
なぜなら、光があれば闇ができる、悪への誘惑がなくなることはないからだ。
もっとも、破滅に向かうには、それにふさわしい美を持っておらず、また美を創ることもできていないために及びでないと思われる。
ドリアン・グレイを想像するたびに、ヴァン・ダイクの肖像画とビヨルン・アンドレセンが思い浮かぶ。
自分にとっての、究極の美青年とは、こんな感じか。