たびたび採り上げている教育について。
先ごろ行われた教育改革と先のゆとり教育、結局は同じ結果をもたらそうとしているのではないかと案じている。
それは、どちらも階層の篩い分け、二極化の促進、中間層の撲滅ということだ。
ゆとり教育は中流の上以上の層の足固めをし、現行の教育はうっすらとできた階層をはっきりと分離して上層の安泰を図る。
今、教育は、子供たちに考える暇を与えないように必要以上に多く瑣末なことまで習得させようとし、なおかつ過剰なイベントに部活動等を半ば強制的に盛り込む。
このような状況で、中間に位置する学習能力の子供たちが、学校の授業だけで7割の習熟度を得るには、かなり厳しいのではないかと思われる。
ここにも、社会的ヒエラルキーの縮小版が存在する。
何も今に始まったことではない傾向だが、さらに深刻さが増してきているのだ。
いわゆる下克上をする武器を持つのを困難とし、機会気力も奪い去るシステムが、日本はおろか世界的にも完成に近づいている。
黙示録ではないけれど、生きていく多くの人々にとって好ましくない未来がやってきそうだ。
奮い立ち、立ち上がる者は現れるのか。
おそらく、世界的にぽつりぽつりと兆しが出るのもそう遠くないかもしれない、そして、そう期待するのであった。
先ごろ行われた教育改革と先のゆとり教育、結局は同じ結果をもたらそうとしているのではないかと案じている。
それは、どちらも階層の篩い分け、二極化の促進、中間層の撲滅ということだ。
ゆとり教育は中流の上以上の層の足固めをし、現行の教育はうっすらとできた階層をはっきりと分離して上層の安泰を図る。
今、教育は、子供たちに考える暇を与えないように必要以上に多く瑣末なことまで習得させようとし、なおかつ過剰なイベントに部活動等を半ば強制的に盛り込む。
このような状況で、中間に位置する学習能力の子供たちが、学校の授業だけで7割の習熟度を得るには、かなり厳しいのではないかと思われる。
ここにも、社会的ヒエラルキーの縮小版が存在する。
何も今に始まったことではない傾向だが、さらに深刻さが増してきているのだ。
いわゆる下克上をする武器を持つのを困難とし、機会気力も奪い去るシステムが、日本はおろか世界的にも完成に近づいている。
黙示録ではないけれど、生きていく多くの人々にとって好ましくない未来がやってきそうだ。
奮い立ち、立ち上がる者は現れるのか。
おそらく、世界的にぽつりぽつりと兆しが出るのもそう遠くないかもしれない、そして、そう期待するのであった。