rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

夕日を浴びる花びら

2014-05-24 22:47:42 | 随想たち

夕日のスポットライト


赤いガーベラ

花三昧の日々。
夕日が差し込む時間には、台所で夕食の支度をしている。
そうでなくとも目の前に飾っている花に自ずと視線は注がれるのだが、夕日を浴びた花は格段の美しさを惜しげもなくさらすのだ。
するともういてもたってもいられなくなり、カメラを持ち出し気が済むまで撮影会。
横から当たる強い光は、劇的効果を生みバロック絵画の趣を見せる。
光はものにいろいろな表情を与える。
光は命といえるかもしれない。
ほら、”盛りバラ”と同じバラでも、別物になっているでしょう?

”盛りバラ”からのアンリ・ファンタン=ラトゥール

2014-05-22 16:51:19 | アート




昨日の”盛りバラ”的花の絵をどれだけ描いたのだろうか、アンリ・ファンタン=ラトゥール。
19世紀後半フランスで花の絵や静物画などを中心に描く。
強い個性や主張を排してそつなく美しく描かれたこれらの絵は、ブルジョワの家庭の部屋を品良く華麗に飾ったことだろう。
写真のごとく写実的な出来栄えは、芸術信奉者にとって物足りなさを与えてしまう。
しかし、ありのままに自然を描写したかのようなその抑制された表現が、透徹な知性を感じさせる。
ジェームズ・ホイッスラーとアルフォンス・ルグロらとともに絵画理念に共感したもの同士「三人会」というものを結成したという。
そう聞けば、ホイッスラーと共通する雰囲気を漂わせているかもしれない。
寓意とか象徴の助けを得ずとも、身近なものの中に隠されている普遍で崇高な感覚を表すことができる、一歩先にある精神感応の世界。
抽象度がいっきに増した絵画理念を、彼らは認識していたのか。
アンリ・ファンタン=ラトゥールは、おそらくホイッスラーよりも誤解を受けているのではないかと思うようになった。
なぜならば、先ほどまでの自分がそうであったから。
今回のこの発見の素人の感覚だけの意見ではない、彼の研究者の見方を知りたいと思うようになった。





盛りバラ

2014-05-21 23:21:43 | 趣味たち


今日は一日雨模様。
明け方ごろから降り出したのか、朝4時30分に起きたときにはすっかり雨に濡れた畑があった。
そのうち段々と風も強まり雨の勢いも増してきた。
ああ、バラたちが大変なことになっている、外に様子を見に行くと案の定悲惨なことに。
雨で重くなった花はしなだれて、風に揺さぶられ花びらも傷み、あるものは分岐した枝のところから裂けていた。
できることならば切花にしたくないのだが、今回は思い切って花を切る。
すると本体はいくらか身軽になって、風の攻撃もいなしやすくなったようだ。
さて、切った枝は十数本あり、見事なボリューム。
花を振って水滴を掃い、飾るために家に入る。
そうして出来上がったのがこの”盛りバラ”。
もちろん、ただ眺めて終わるわけにはいかないから写真を撮る。
ここだけセレブリティーな空間、ロココ調。
ところが、夕方から風がいっそう強まり、家を揺さぶる突風まで吹き出した。
まだ残してあるバラの花たちが錐もみ状態になっているだろうと、明日の朝無残な光景を思いやる。
どうか耐え抜いてと、残る花たちの幸運を願っているしかないのであった。



白いアカシア、薄紫の桐の花

2014-05-20 23:13:59 | 日記
歯医者へかかりながら実家の親に会うために、車で1時間の道のりをドライブする。
木々の緑は青々とたくましさを備え、ところどころに混ざるアカシアの白くたわわな花が変化を添える。
また、かつてこの地域では、女の子が生まれると嫁入りに持たせる桐の箪笥を作るために屋敷内などに桐を植える習慣があったころの名残の桐が、薄紫の花を咲かせてる。
もちろん我が家にも1本と離れたところの狭い畑に3本の桐が植えられているけれど、時代の流れで当初の役目を果たすことなく毎年花を咲かせる境遇に落ち着いた。
そういう意味では杉もそう、防風林ばかりではなく、子孫が家を建てるときの材木や男の子のこいのぼりの棹などのために空いた土地などに植林していた。
安い外材におされてこれもすでに出番を失い、枝払いや下草などの手入れもなく忘れ去られ、あるとき大きくなりすぎて邪魔になったとかでばっさり切り倒されるところを頻繁に目撃するようになる。
人の生活圏内にある木々たちは、作為的に作られた自然で少々同情を誘う。
何か形を変えて生きながらえればいいけれど、邪魔だと行く理由で切られ燃やされてしまうだけでは浮かばれないだろう。
篠や蔦の蔓延る杉林やたたずむ桐を見て憐憫の情を感じたのである。
ところでアカシアは、自然に生えたのか、それとも杉や桐のように何か意図的に植えられたのか、今のところ知る由もないのであった。
これが、白いアカシアや薄紫の桐の花を見て往復の車を運転しながら、ふと気になったこと。

きれいだから独り占めはもったいない

2014-05-19 16:51:50 | 植物たち

ブーケ


赤いバラとピンクのプリンセス

連続して花を採り上げているけれど、こんなに美しく咲いているのを独り占めしていてはもったいない。
一日何度もため息を付きながら、花を見ている。
花の香りを嗅ぎながら、「いいにおい」「なんてきれいなんだろう」と話しかける。
園芸家たちが、時間と労力をかけて交配させ作り出したバラであっても、大本は自然にあったもの、自然の作り出す造形美に深く心が動かされる。
ヒューケラも、観葉植物として重宝な美しい葉。
我が家には、ライムグリーンの葉、灰緑色と小豆色の斑入りの葉、小豆色の葉の3種類がある。
今頃すうっと細い茎を伸ばして可憐な花を咲かせるが、この花もなかなかどうして美しい。
花を見ていると気持ちが和む。
美とは、そういうものなのだ。


ライムグリーンのヒューケラの花


渋いヒューケラの花