八音のスマホは友だちからの電話だった。
新学期が始まって間もなく、友だち同士の付き合いで悩んでいるというような内容だ。
「ちょっと散歩してくる」
小さく言うと――ごめんね――という風に目線をくれて片手拝みされた。
外に出ると、道路を隔てて湘南の海。初夏の太陽はようやく西に傾いて江ノ島に続く弁天橋は路面にLEDでも仕掛けてあるのではないかと思うくらいの夕陽の照り返しに輝いている。
ちょっと行ってみようか。
弁天橋に足を踏み入れる。ポワポワと想いがうかぶ。
弁天様は九百年ほども江ノ島に居る。神さまとか妖精とか精霊とかは人と交わっていなければ存在できない。魔法少女である自分も同様で、こうして二十一世紀の日暮里で女子高生をやっている。弁天様は多くの人たちから崇敬されている分、人々への気配りや面倒見も魔法少女の比ではない。
それは、児玉八音という女子高生として生きている時間も例外じゃないんだ。
えらいなあと思う。
自分は成り行きで関わることになった調理研の三人だけで手いっぱいだ。
そういう言わば大先輩にあたる弁天様のためにできることはしてあげよう。
思っているうちに江ノ島が目の前に迫ってきた。
ちょっと潮風に吹かれてみようかくらいの気持ちだったが、いちど問題のガマを見ておこうと思いなおした。ガマは坂を上がった瑞心門の横に封じられているはずだ。
――ちょっとだけ下見しておきます――
ラインを打って江ノ島に踏み入る。
そろそろ黄昏だというのに参詣や観光の人たちでごった返している。
青々と緑青の噴いた鳥居を潜ると引っ越したばかりの東池袋の家の前よりも幅の狭い石畳の坂だ。むろん両側にお土産屋や名産の店が続いている。観光客がぞめき歩いているので店の中までは知れないが、陽気に賑わっている。
神社としての規模は神田明神のほうがはるかに上なんだろうが、あそこには、こういう賑わいは無い。間違ってもスクールアイドルを目指す女子高生がジョギングなどはできないだろう。
瑞心門が迫ってきた。
当たり前なら、この瑞心門をくぐって階段。上り切ったところが境内だ。その流れに逆らって左に折れる。
妖(あやかし)が居るなら刺すような気配がするはず。
気配はする。しかし、妖のそれではない。なんだか寂しい……繁盛しているスーパーの隣で閉店を余儀なくされた個人商店のような寂しさだ、
蟇石と書かれた案内札が立っている、目的地は近い……すると、案内札が動き出した! ブルブル揺れると地面からスポっと抜けてしまい。誰かが担いでいるように上下しながら叢林の中を逃げていく。
「待て!」
思わず叫んで後を追う。
逃げ足が速い、叢林は、すぐに密林の様相を呈し下草が足に絡みつきスカートの裾を嬲る。
「えい!」
両手の人差し指と薬指をくっ付けて体の前を掃うようにすると、わたし一人が通れるだけの道が開ける。魔法少女でなければ立ち往生していただろう。
密林は唐突に洞穴に代わって行く手は闇になった。
「セイ!」
再び払うと、自転車のランプを点けたような光芒が前方を照らす。案内札は不規則な石柱に見え隠れして先を行く。わたしから逃げているようにも誘っているようにも感じられる。
ひょっとして罠か?
江ノ島と言うのは周囲四キロに満たない小島だ。これだけ走れば島の外に飛び出してしまう。もう三十分は走っているぞ。
おや?
案内板に勢いがなくなってきた。息も絶え絶えという感じに萎れた上下運動……もう捕まえられるぞ!
手を伸ばしたところで洞窟の闇が開けて視界が真っ白に飛ぶ!
洞窟を出たんだ。
目を開くと、そこは岩だらけの海岸だった……案内板を握ったまま小僧がひっくり返っていた。